138話 朝チュン
そして、朝。
雀の声に起こされて、仲道狂太郎が大きく伸びすると、――ごーん、ごーんという鐘の音と共に、さらりと襖が開けられた。
そして、
「お食事です」
数名がかりで、お膳が運ばれてくる。
朝食は、布団を敷いたままでも配置できるようになっていて、あっという間に準備が整えられた。
御飯、香の物、キスの焼き魚に汁物。それにウズラ卵の乗ったとろろ芋ときゅうりの酢の物。
――普通に、旅館みたいな料理が出てくるんだな。
せっかく異世界だし、変わったものを食べたいのだが。
そう思って汁物をぱかっと開くと、――昨日、揚屋に行った時に見かけた水球型の生き物の死骸がまるごと入っていた。
「………………」
箸の先で突っつくとぷるぷると震えたが、――完全に死んでいる。
試しに舌先でなめてみたところ、ちょっぴり塩味がした。
後で聞いたところ、あの動物に塩と味噌を含ませ、生きたまま丸焼きにしたものだという。
「まあ。そういうこともあるか。……異世界だし」
脳裏には昨夜、『きゅー』とかいって可愛く笑っていたそれの姿を思い浮かべつつ、狂太郎は朝食を開始する。
「……ふう」
食事を終えて。
せっかくだから朝風呂にでも入ろうかなと思っていると、部屋に殺音が訊ねてきた。
「ねえねえ、狂太郎はん」
「どうした?」
「今日の予定って、――」
「夜までは何もないな」
今夜あたり、”エッヂ&マジック”と”金の盾”の余興も終わるだろう。
とはいえ、個人的にやるべきことは何もない。なにせ狂太郎、飢夫、殺音の三人はすでに、出番を終えているのだ。
「ほな、ちょっとばかし付き合ってもらえへんやろか」
「いいよ。二人きりかい」
「もちろん飢夫はんと、三人」
「よし」
狂太郎は立ち上がり、行き先を聞かずに準備を始めた。
「飢夫には、ぼくから声をかけておく」
「ええんですか」
「うん。……というかたぶん、きみは声をかけない方がいいと思う」
この時、さすがの狂太郎も、飢夫がこの見世の娘に手を出しているとは思っていない。ただやつには、全裸で眠る癖がある。風邪をひくから止めろと言うのに。
「えっと。ほな、よろしゅうに」
その後、ぼさぼさの寝癖を整え、友人の部屋に向かって。
――さて。
深呼吸して、細く襖を開ける。
すると、中から聞こえてきたのは、
「うがーっ! うががーッ! ぐぎゃおおおおおおおおおおおおおッ!」
という叫び声であった。
見ると全身、血のように赤い肌の娘が飢夫を組み伏せている。
その傍らにはなんと、――眼球が一つない少女の死骸が、ばったりと倒れていた。
――いかん。飢夫が殺される。
もちろん狂太郎は、即座に《すばやさ》を起動する。
そして、目の前の鬼女を羽交い締めにし、飢夫から引っぺがした。
するとどうだろう。
「うがー! うげぎぎえええええええええ!」
ホラー系特撮に登場する到底理解し合えない系の怪物のような怒声を吐き散らし、女が狂太郎に飛びかかってくる。
――まずい。
そこで狂太郎は、ぞっと背筋を凍らせた。どうやら先ほど飛びかかったとき、左腕を掴まれていたらしい。腕は万力のような力がこもっていて、まるで振りほどくことができなかった。
狂太郎はその場で即座に押し倒され、鋭い爪を突き立てられる。
「くッ…………!」
ここまでか。
これまで、あらゆる怪物と相対して生き残ってきたが。
死はこういう時、不意に訪れる。わかっていたことだ。受け入れる他にない。
「うがががッ!」
服が襟元から引き裂かれ、ズボンに手をかけられる。
ずるり、と、パンツごと引っぺがされた。下半身が暴かれる。
「きゃあッ! えっち!」
叫ぶ。何かおかしい、と気付いたのはその時であった。
「おら! 弱蔵(※19)ッ。おっ勃てろ! いま、すぐに!」
暴力的な台詞を吐かれ、狂太郎は生娘のようにいやいやをする。
「なんだコノヤローッ! 一発や二発じゃ容赦せんぞ、わっちは!」
ひどい。
狂太郎が混乱していると、
「あ、ちょ……呉羽。ちょっとすとっぷ!」
と、思ったより元気いっぱいな飢夫が、間に割って入った。
そこでようやく正気に戻った”呉羽”とやらが、
「あン? ……なんなん、おてき」
と、目を瞬かせている。
「なんなん」は正直、――こっちの台詞なのだが。
▼
結論から言うと、飢夫は3Pの真っ最中だったらしい。
しかも数時間、ぶっ続けで延々と遊んでいたようだ。
「……………………さんぴー?」
首を傾げていると、「あうあうあー」と、死体だと思われた娘が、むくりと起き上がる。
「………………マジか」
狂太郎、眉間を抑えて、
「堪忍しておくんなんし。わっち、仕事中はちょいと血が騒ぐタチで……その……」
「喧嘩腰になるってことな」
「ほんに」
居住まいを正した呉羽が、しゅんと巨体を縮こまらせている。
まあ、状況をよく確認せずに飛び込んだ自分も悪い、が。
「……まったく」
着替えが一着、ぼろぼろになってしまった。ズボンのベルトも、ぐにゃりと歪んでしまっている。
服はともかく、ベルトには替えがない。どこかで買い換えなければなるまい。
「申し訳ない。お洋服、弁償しんす……」
「それは別にいい」
思わず、こう言っていた。非は向こうにあるとしても、金で買われてきた娘に、これ以上負担を背負わせたくはない。
狂太郎の男気を受け取ったのだろう、呉羽は静かに頭を下げた。
「……金はいいんだが、そもそもこの世界、ベルトとかあるのか?」
「ベルト、――と、言うとその、
「ああ」
「うーん……バーバラちゃん、似たのん、見たことありんす?」
すると”ゾンビ”が、「うえうえ」と応える。……ない、らしい。
「腰巻きちゅうたら、ここいらじゃ布地がほとんどでおざんす」
「布地、か」
さすがにそれでは、今履いているズボンには合わなそうだ。
「あっ。せやせや。舶来品があるとこなら、手に入る、かも」
「舶来品?」
「リブリバー魔法雑貨店ちゅうて。ナンガサク(長崎)から流れてきた一品がよぉ売られとるとこがおす。そこでなら、あるいは……」
「
狂太郎は嘆息気味に納得して、その店の位置を確認する。
「ぼくはこれから、殺音とそっちに向かうつもりだ。飢夫はどうする?」
「わたしは、悪いけど先約を優先する。二人で行ってくれ」
「そうかい。ほどほどにな」
嘆息して、その場を立つ。
どうやらこの男、まだまだやり足りないらしい。
▼
「ってわけで、――今日の外出は、デートになった」
「でえと」
冗談めかして言うと、殺音はなんだか、唇をきゅっとすぼめる。
狂太郎は、隙あらばずり落ちそうになるズボンを抑えつつ、
「どうする。もしなんなら、中止してもいいが」
「別に、……かまへんけど。それに、いま断ったらさすがに、狂太郎はんの立つ瀬がないやろ」
そういう殺音はまるで、誰かに言い訳しているかのようだ。
「そうでもない。さすがにぼくだって、年頃の娘が、いつズボンがずり落ちるかわからんおっさんと町をぶらつくのは厭だという気持ちはわかるぞ」
はあ……と、少女が深く嘆息して、
「とにかくまず、ベルトがいるっちゅうこっちゃな」
「だが、雑貨店に向かうのは、きみにとっても悪い話じゃあないはずだ」
「? どーいうこと?」
「なかなか面白いアイテムが売られてるらしいんだよ、そこ」
「ほう」
”異界取得物”コレクターの血が騒いだのだろうか。殺音が眉を段違いにして、
「ええやん。そりゃ、……それなら、ちょっと愉しみ、かも」
と、小さく囁く。
そして、
「でえと」
と繰り返して、少女はふらりと、背を向けた。
「?」
彼女が、妙にその言葉を繰り返したのには、理由がある。
どうやら殺音、その日のそれが、男性との初デートであったらしい。
――――――――――――――――――――――――――――――――
(※19)
廓詞で、精力の弱い者のことだそーです。
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