137話 夜
その後、狂太郎たちは兵子と、見世にあった各種ボードゲームで遊んだという。
プレイしたのは主に『ヒノモト・センソーダイスキ』で、ほとんどの勝ちは兵子が所属するチームが取ることになった。
なんでも兵子くんの強みは「一度観たものを忘れない」という点にあるらしく、なるほど”天才”の名に恥じない強さである。
何せ彼の場合、ゲーム開始時点からどのプレイヤーがどのような発言をし、どのような仕草を何回行ったかを完全に記憶しているという。
口で言うと簡単に聞こえるが、ゲーマーであればこれがどれほど大したことであるかがわかるだろう。通常、人間が認識できる範囲というものは非常に限定的だ。認識すべき事柄が10あるのであれば、2,3理解できていれば良い方である。だが、兵子くんにはその制限がない。
故に、彼の”読み”は強い。常人であれば五分五分、という程度の賭けも、七割程度の勝負に持っていくことができるという。
――彼とは、……二度と、何かを賭けて勝負する気にはなれないな。
とは、帰還後の狂太郎の弁。
さて。
いずれにせよその夜は、日付が変わった頃合いでお開きになり、それぞれの自室で眠ることになった(ちなみに”金の盾”の面々も『魔性乃家』で宿泊しているらしい)。
午後、0時過ぎ。
外はまだ賑わっているが、建物全体はひっそりとしている。
狂太郎たちに与えられた個室はそれぞれ、四畳半の部屋に両開きの窓が一枚あるだけの粗末な部屋だ。
いかにも寝るだけの場所、という感じで、他にすべきことは特にない。
浴衣に着替え、柔らかい布団の上でごろんと横になり、目をつぶると、
――ひょっとするとこの部屋、普段は客を取るために使ってるのかな。
というような想いが、頭に浮かんできた。
――ラブホテルに普通に泊まるようなもんか。
これはのちのち誤解であることが判明するのだが、この時の狂太郎は知るよしもない。
彼は少しだけ、胸の内にもやもやを抱えながら、眠りにつく。
▼
しかし、眠れなかった者も、いた。
愛飢夫である。
飢夫はしばらく一人、布団の中でもぞもぞした後、こう思ったという。
――なんか、えっちなことがしたいなあ。
と。
そう思う時、彼はまず、必ず何らかの行動を起こす。ただし、自慰だけはしない。これは飢夫の性癖のようなもの、らしい。「何かに負けたような気分になるから」、とのことだ。
「よし。ちょっと出かけよう」
そう言って飢夫はむくりと起き上がり、さっと着替えて外へ出る。
――せっかくだし、狂太郎も誘おうかしら。
そう思った彼は、まず友人の部屋を訪ねた。
だがその返答は、友だち甲斐のない言葉で、
「アホいえ。寝ろ」
とのこと。
「ちぇーっ」
この友人は、こういう遊びに関しては極めてノリが悪い。
誰かに義理立てしているのか。それとも何か、「金でそういうことをするのはよくない」とかいう、非合理的な幻想に囚われているのか。
――いいじゃないか。お金払って、みんなが気持ちよくなるんだから。
飢夫は、その手の店に入ってもケチケチするようなことはしないし、相手に悦びを与えることを忘れない。だからかもしれない。彼がその手の遊びに、スポーツ的な楽しさを見いだしているのは。
彼は、人から投げ銭を貰って暮らしている以上、あらゆるサービスを利用する際も、太客であることを忘れない。
いずれにせよ我々凡人には到底理解し得ぬ、刹那的な生き方だ。
実際、筆者も、この男がなにかの病気になったり、老後のことを考えてくよくよしているところを見たことがない。
「しょーがないな。じゃ、一人で遊ぶかー」
本当はこういう時、連れ合いがいた方が楽しめるのだが。
何かトラブルがあっても、冗談にできるためだ。
飢夫は唇を尖らせながら、見世の廊下を歩く。
廊下では、
自分の”姐さん”に命ぜられた、細々とした雑務をこなしているのである。
彼女たちは皆、十歳にも満たない。
――大変だなあ。
金で買われてきた、やがては客を取るはずの子供たち。
自分たちの世界の倫理基準では、決して受け入れられられぬ存在である。
もちろん、飢夫が彼女らにしてやれることは何もない。
”救世主”にできることがあるとすれば、ただその世界を終焉から護ること、それだけなのだ。
……などと思いつつ、よくよく廊下の隅っこを眺めていると、――忙しく走り回っていた娘たちが廊下の隅で、小さく集まっているのを見かける。
――なにしてるのかな。
そう思って、ちょっぴり彼女たちの手元を覗き込むと、どうやらみんな、ニンテンドースイッチを持っているらしい。
――この世界、スイッチあるんだ……。
どうりで一時期、品薄だったはずである。異世界にも出回っていたのか。
飢夫は少しだけ苦笑して、仕事をサボる彼女たちを、見て見ぬふりした。
そのまま階下へ降りて、中庭の井戸へ向かう。街へ繰り出す前に、喉を潤そうと思ったのだ。
するとそこには、三人ほどの遊女が着物を一枚だけ羽織って、軽く帯を締めただけのセクシーな格好で口をゆすいでいた。
「あら。飢夫さんじゃない♪」
その中には、――リリスの姿もある。
飢夫は目を丸くして、
「あれ? あのあときみ、客を取ったの?」
と、ずけずけものを言った。こういう時、”無神経”と見られないのはあくまで、彼独自の特性であろう。
「うん。ほんとはお休みしようと思ったんだけど、馴染みのお客が来てくれたから」
「夢魔でも、身体を張ることはあるんだね」
飢夫は彼女の白い首筋に、無数の吸引性皮下出血を見て、
「うふふ。まーね」
と、そこで、
「このシト、知り合いかぇ、リリス。わちきにも紹介してくりゃれ?」
と、低めの美声で訊ねたのは、にょっきりと頭から二本の角を生やした、赤ら顔の娘だ。たぶん、”赤鬼”というやつだろう。体長200センチは下回らない、筋肉質な大女で、口元から鋭利な牙が覗いている。
その隣には、
「ううううううう……があー……………」
ぽっかりと片方の眼窩が空いた、血の気の失せた肌の少女だ。――いわゆる、”ゾンビ”娘というやつだろう。
――みんな、カワイイなあ。
飢夫は頬を赤くして、こんな娘たちと、ちょっと対価を支払うだけで一晩一緒になれるなんて、なんて素晴らしい世界だろう、と思った。
リリスが、これまでの経緯を説明し終えると、
「へえ、――ぬしがウワサの、異世界人?」
「うん」
「異世界人ってのはみんな、喧嘩が強いんでおざんしょ? ――おてきはいかが?」
「そこそこ、じゃないかな」
実際、飢夫は、やろうと思えば一瞬にしてこの街を焼け野原にすることもできる。もちろん決して、そんな真似はしないが。
「わちきは
「あー。うー」
「バーバラ。どっちもここの昼三だ」
リリス、呉羽、バーバラ、か。
この世界の命名基準がよくわからない。
「ところで、これからちょっと遊びに出かけようと思うんだけれど、――何かアテはないかな」
「えっ、いまから? ほんにかい」
「うん。どうにもちょっと、えっちなことがしたくてね」
そんな台詞に、呉羽は少し笑って、
「はっきりもの、おっせえす。おもしろおすなぁ」
「素直に生きてるんだよ。その方が人に好かれるから」
「ふーん。……ようす」
どうやらその台詞、呉羽の心に触れるものがあったらしい。
「わっちも、アテがないってわけじゃない。けど、出かけるまでもありんせんぇ」
「え? なんで?」
「ちょうど、わちきの客は寝たところ。――ついでに相手、しんす」
「廻しをとる、ってことか」
「そ」
”廻し”というのは、一人の遊女が、一晩に複数の相手をすることを言う。
「でも、いいのかい? 馴染みでもないのに」
「かまへんし。わちき、ぬしのこと、気に入った」
「わあい」
何ごとも、言ってみるものだ。
「あー! うー!」
「よしゃれ。おてきんとこは、まだ終わってないでありんしょ」
「あうあうあ!」
「どうしても? うーん。――まあ、わちきはいいけど」
飢夫は笑って、「わたしもいいよ。大盤振る舞いだ」と、笑う。
「ちょっと! 呉羽ったら。ルール違反よ」
「かまへんやろ? わっち、異世界人に興味ありんす。黙っててぇ」
「んもー」
飢夫は内心、「しめたぞ」と思っている。
一度に二人の花魁を相手にするなどと、……きっと昔の大金持ちでも経験した人は少なかったはずだ。
「こうなったら、何人でも相手になろう。――リリスちゃんは?」
「あたしはやめとくー」
「よぉし。それじゃ、三人でしよう! 楽しくなってきたぞ」
そういうことに、なったのだった。
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