139話 道中。身の上話。
ヨシワラ、早朝。
街も、さすがにこの時間帯は落ち着いている。
客を見送った遊女たちはいま、二度寝の最中だろう。
いま最も活発に動いているのは、睡眠を必要としない種族か、若い衆の類だろうか。彼らは今、昨夜の乱行で汚れた布団や衣類の類をひとまとめにして、近所の洗い場に運んでいるようだ。
狂太郎は、とりあえず紐で結んだだけのズボンに不安を覚えつつ、殺音と連れ立って歩く。
殺音はなんだか、いつもと勝手が違う感じでいるのか、すこしそわそわして見えた。
「どうした。なんか悪いものでも喰ったか?」
テンプレートな軽口だが、異世界においてこれは、割と深刻な問題になることがある。
もちろん、狂太郎たちの身体はスキルの力で保護されているため、よっぽど悪いものを食わなければ体調を崩したりはしないが。
「んなわけあるかいな」
いいながら、殺音はゆっくりと歩く。
どうも、こちらに歩調を合わせているらしい。これも、いつもの傲岸な彼女には見られない仕草だった。
さて。
こういう時だんまりを決め込むのは、お互いにとって良くない。
だが狂太郎、ここで少し困ってしまった。自分でも意外なほど、話題が出てこないのである。
そういえば、彼女とこうして歩くのは初めてだ。理由はよくわからないが、――要するにお互い、趣味が合わないことをなんとなく察しているためだろう。
狂太郎はちょっと考え込んで、
「最近、どうだ。うまくやってるか」
久しぶりに子供と対話する、不器用な父親のような質問をぶつける。
「どう、とは?」
しかしこれは結局、逆効果であった。後に筆者が話を聞いたところ、この時彼女は、(この男、うちに話題を提供しろ言うんか)と思っていたという。
いやはや。コミュニケーションって難しい。
「いや。仕事の調子、とかな」
「仕事は、普通。でも、ちょっとだけ早うなったかな」
「なんで?」
「ゲームの勉強、してるから」
「ああ、――そうか。そうだったな」
なお、ゲームの攻略情報を網羅したデータベースは、殺音と飢夫にも共有している。
依然として、それをもっとも巧く活用しているのは狂太郎であるが、お陰で殺音の成績もかなり良くなっているようだ。
「しょーじき、うちずっと、ゲームなんてやってる人、みんなアホやと思ってたけど。無駄なことってないもんやね」
「それはちがうぞ」
狂太郎ははっきりそう断定する。
「現実問題として、余暇を無駄にするようなことは、ある。あらゆる行為に意義があると思い込むのはしょせん、きれい事にすぎない」
十数年以上、モラトリアムを謳歌してきたこの男ならではの言い草だ。
「だが、意義のあるなしに関係なく、ぼくたちはやりたいことをやる。たまにそのお陰で人生の問題が解決することがあるが、それは結果論に過ぎない」
すると殺音は、「え。あ、はい……」という表情になる。
彼女が欲しかったのは結局、単純な同意であったためだろう。だがお陰様で、というべきか。彼女も少し、突っ込んで話を聞く気になった。
「ねえ、狂太郎はん。――ずっと気になってたけど、あんたなんで、長らくニートしてたん?」
「ニートではない。フリーターだ」
「会社で働いていた時期もあったんやろ?」
「そうだな……」
狂太郎は嘆息して、かつての経験を簡単に話す。
他を寄せ付けないその性格が災いし、新卒で入社した会社になじめなかったこと。
ネクタイを締められない体質であること。
入社一年目の記念日に、時速80キロで走るトラックに飛び込んでいった友人を目の当たりにしたこと。
「死んだん? その人」
「ああ。死んだ」
狂太郎の目には今も、彼が宙を舞う光景が焼き付いている。
「やつの望みは、ファンタジー系の異世界でひたすらエルフ族の娘とスケベで平和な日常をおくることだった。やつは、そうできる、たった一つの可能性に賭けたんだよ。――来世に。……そう考えると、少し皮肉だな」
夢に命を賭けた彼は、死んだ。
逃げ出した自分は、いま異世界で快楽の街にいる。
「ふーん」
殺音は少し考え込んで。
「でも、わからんぇ。ひょっとするとその人、本当に異世界に転生してるかも」
「いや、ないだろ」
「それが、あるっちゅう話。”異世界転生者”ちゅうてね。なんかの弾みで、生前の記憶が残ったままの赤んぼうが生まれることがあるって」
「へー」
赤んぼうと言えば無垢の象徴だと思うのだが、――そこに別人格が宿っていると思うと、少し不気味だ。
「ちなみにその人、亡くなられてから何年なん?」
「今年でたしか……13年目かな」
「ふーん」
言外に、「また、会えるとええね」という優しい言葉を含ませつつ。
「そっちこそ、どうなんだ」
「?」
「親御さんとは、うまくいってないのか」
「うん」
殺音はあっけらかんとしている。
「向こうは多分、男遊びしとるとでも思ってるんちゃうの」
「一応、こっちに来るとき女性陣が挨拶したろ。それはないと思うが」
「どーやろ。悪いと思い込んだら、どうやっても悪い風に受け取る人らやから」
「ふーん」
殺音が、ちょっとしたきっかけで”日雇い救世主”を始めた一件については、既に触れた。
結果として、この仕事にその人生を賭ける覚悟を決めたことも。
彼女はその瞬間から、――自分の所属している社会での幸福を見限っている。
かつての火道殺音はこれで、素直な娘であったという。
素敵な人と結婚して。
その人の子供を産んで。
そして、素敵な家庭を築く。
それだけが生きる目標だった。
全ての行動が、その着地点へと至る手段に過ぎなかった。
だが、そうした自分は、この仕事に出会ってから、粉々に砕け散った。
いつ死ぬかもわからない仕事をするということは、――そういうことである。
かといって刹那的な生き方もできないのが、殺音の不器用なところだ。
「きみも、彼氏とか作ればいいのに」
「うちも一時期、そうしようと思ったんやけどね」
どうしても、男が馬鹿に見えてしまうらしい。
無理もない。世界観が違う。一度、広い世界を知ってしまったら。
「そうなると、”救世主”をやってる誰かから、恋人を見つけるしかないな」
「せやねぇ。……でも、あるかなぁ。うちの気に入る、年頃も同じくらいの”救世主”と、たまたま巡り会うようなことが。……――それこそ、奇跡やない?」
「そうかもな……」
しみじみ、語りつつ。
一度軌道に乗ると二人、意外なほど話が弾むのだった。
まるでデートとはほど遠い、――兄と妹のような雰囲気、ではあったが。
▼
さて。
二人がリブリバー魔法雑貨店に到着したのはその後、
『殺音ちゃんの恋人どーする問題』
『ぶっちゃけ飢夫の放蕩癖ってどうなの問題』
『異世界での食生活問題』
『スーパーで買える、おすすめの携帯食』
『手に入れて良かった”異界取得物”』
など、など、たっぷり話し込んだ頃であった。
「……遠かったな」
道中、何度かずり落ちそうになったズボンを抑えつつ、狂太郎は呉羽に案内してもらった通りの看板を見上げる。
最寄りのワープポータルから、数十分。
ずいぶんと寂れた通りにぽつんと建てられたその店は、雑貨店、というよりもむしろ、ゴミ捨て場のようである。
「ごめんくださぁい」
「はい、いらっしゃい」
狂太郎が声をかけると、中から出てきたのは意外にも、見知った顔であった。
とんがり帽子の男。
異世界では時々見かける、モブ顔だ。
――この世界にもいるのか。
殺音も狂太郎も顔を合わせて、一瞬、固まる。
「――? どうかしました?」
もちろん、向こうはこちらに見覚えはないだろう。
そう思って狂太郎が目を逸らすと、
「あ」
「ん?」
「あんた、――あれ? ひょっとして……嘘だろ?」
「????」
「”救世主”、じゃないか?」
ぎょっとなる。
「はっはっは! こりゃまた、巡り合わせだなあ! 覚えてるかい? 私だよ! 私!」
「ええと…………」
狂太郎たちは目を白黒させて、……やがて率直に、こう訊ねた。
「――どの?」
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