122話 格闘ゲームの世界

 狂太郎の戦略は、単純だった。

 押し出しによる瞬殺、である。

 難しくはない。ただ、いつものように加速して、よっこらせして、終わり。

 それだけだった。

 それで勝てれば、それまで。

 それで負ければ、きっとどうやっても勝てないのだろう。


 大体、”救世主”同士の戦いなど、スキルの相性によって勝敗が決まって当然である。

 狂太郎としては、ただやるべきことをやるだけだ。


 とはいえ、思考停止でことに挑むほど脳天気でもなかった。

 加速のレベルに関しては、ある程度抑える必要がある。

 というのもこの試合、場外負けがある訳で。下手に加速すると、勢い余って相手を飛び超えてしまう可能性があったのだ。


――時速は、……200キロくらいかな。


 この速度なら、ぎりぎり地に足をつけた状態で動き回ることができる。

 それに、これで遅すぎるということはないはずだった。


 プロボクサーのパンチは、時速で言うと4、50キロ程度だとされている。

 つまり今の狂太郎は、彼らのパンチを遙かに上回る速度で動くことができる訳だ。

 素手での殴り合いなら、これで十分。少なくとも、単純な打ち合いで負ける要素はない。

 加速の具合を確認して、慎重に行動を開始する。

 相手に、動きはない。こちらと同じ能力とか、そういうことではなさそうだ。


「……よし」


 身体を解して。ちいさく呟いて。

 狂太郎は、とん、とん、とん、と、月面を歩くようにヤマトの背中に回り込む。

 とはいえ、敵も大したもの。

 はっきりとこちらを目で追っているのがわかる。

 しかし、身体は追いついていない。

 奴は仁王立ちのまま、ぴたりとその場に固まったままだ。


「これで終わりなら、……拍子抜け、といったところだが」


 背を向けたままの彼に、そう呟く。

 その時、


――?


 一瞬、嫌な予感がして、半歩下がる。

 その、次の瞬間だった。

 びゅううううう……と、鈍い低音が聞こえて、狂太郎の目の前を、何かが通り過ぎたのは。

 ノーモーションの後ろ回し蹴り。

 その軌道を、目で追う。


――なんて奴だ。


 冗談ではなかった。

 今の蹴り、明らかに加速している自分より速い。

 なんなら音速に達しているかもしれない。


――そんな化け物が、この世に存在するのか?


 思いつつ、あり得ない話ではない。

 考えてみれば、金剛丸ヤマトが狂太郎と同じ世界の出身とは限らないのだ。もっと別の……厳しい環境の世界の生まれであることは十分に考えられる。

 と、暢気にそう思っていると、早くももう一撃、強烈な回し蹴りが繰り出された。


「や、ば……ッ」


 間違っても、まともに受ける訳にはいかない。相手は音速の蹴りを繰り出す男だ。下手をすると、掠っただけで死ぬ可能性がある。

 慌てて身をかがめて、回し蹴りを回避。

 すると、それを待ち受けていたように、ヤマトの右拳が顔面に迫ってくることに気が付いた。


「うおおおおッ!?」


 咄嗟に狂太郎は、《すばやさ》を九段階にまで上げて身体をのけぞらせる。

 その顎先を、鉄拳が通り過ぎていく。


「……………ッ」


 その後はもう、多少みっともなかろうが、畳の上をごろごろ転がってでも距離を取るしかない。


 そしていったん、加速を解除する。

 理由は単純。ちょっぴり彼と、おしゃべりしてみたかったのである。


「はっはっはっは! 今のを躱したか! 大したもんじゃないか!」

「あんた、――」


 狂太郎は顔をしかめて、


「なんかの、格闘ゲームの世界出身か」

「あン? 格闘……ゲーム?」


 どうやら、本人に自覚はないらしい。


「いま、明らかに、――攻撃モーションの隙が消滅した瞬間があった。まるでゲームキャラが使う、キャンセル技(※8)みたいに」


 男は、少し不思議そうな顔をしていたが、


「よくわからんが、そーいうことじゃねえか? 己れの世界じゃこういうの、普通だからよ」


 興味深いな、と、狂太郎が思ったのは、金剛丸ヤマトの能力そのものが、彼のいた世界の特性である、ということ。

 そういえば、最初の世界を救ったとき、狂太郎にだけ呪文が効かない、というようなことがあった。


――”救世主”の体質は、元いた世界の物理法則も影響しているのか。


 当たり前に聞こえるかもしれないが、地味に重要な情報である。

 先ほど、サキュバスの女の子に尋ねられた時も少し思ったが、狂太郎は自分たちの世界について、あまりにも無知だ。

 ひょっとすると我々の世界もまた、どこかの世界の創作物である可能性だって、ゼロではない。


「そうか。ありがとう。それだけ知りたかった」

「ん? おう」


 男は、快活な笑みで顔中を皺だらけにして、


「なんか、面白いやつだな、あんた」

「そうか? そんな風に言われるのは珍しい気がする」

「まあ、いいや。己れの世界じゃな、そーいうやつを見つけたとき、やることは一つ。……暴力ッ。それだけだッ」


 瞬間、男は跳ねるように突っかけた。

 その動作も、――やはりどこか、格闘ゲームっぽい。加速し始めてから、トップスピードに至るまでが明らかに早いのだ。

 しかし狂太郎だって、負けてはいない。

 とある世界で一度、素早い相手に不覚を取ってからと言うもの、こうした動きに対する反応には自信があった(※9)。


「――ッ!」


 即座に《すばやさ》を発動。

 飛びかかる男に対し、足を向ける格好でごろりと横になる。

 男は一瞬、不思議そうな顔をしたが、そのまま、空中に飛び上がって、打ち下ろすようなパンチを繰り出そう、とする。

 だが狂太郎はその前に、《すばやさ》の段階を最高、――光速に切り替えた。

 同時に両腕に力を込めて、ヤマトに向かって跳ぶ。

 それは端からみて、ロケットを射出するような絵面であったという。

 とてつもない速度で突撃した狂太郎は、ヤマトの腹部に両足を突き立てて、そのまま場外まで吹っ飛んだ。


「…………………お、お、お、お、お、お……ッ」


 男は一瞬、驚いた顔を見せる。

 さあ、どう出るか。

 奴の感覚では、ほんの一瞬の出来事であるはず。できることは限られている。

 狂太郎はその時、彼の反撃で殺される覚悟すら、固めていた。

 向こうが一流なら、瞬時に理解するはず。

 この状況下で勝つためには、そうする他にはない、と。


 だが、金剛丸ヤマトは、そうしなかった。


 彼はただ、肩の上の子鼠を、労るような手つきで、ぽいっと逃がす。

 そのために、この勝負では最も貴重な、刹那の時を浪費した。


――その心意気や良し。


 瞬間、二人は共に、宴会場の壁へ激突する。


 ぱっと、土煙が舞う。


「…………ふう」


 無傷の狂太郎が、ゆらりと立ち上がった。

 相変わらず、物理法則に反しているとしか思えない奇妙な光景だが、――発生した衝撃そのものはやはり、大したものではない。

 狂太郎のスキルは、あくまで移動に特化した能力であり、何かを破壊する力は弱いためだ。

 彼の足元では、ほぼ無傷の金剛丸ヤマトがあぐらを掻いていて、


「ガッハッハッ! 見事な蹴りだったぞ!」


 なんか、――いかにも手を抜かれたって感じなのが気に入らないが。


『…………なっ………!』


 一拍遅れて、実況席の女性が口を開く。


『なんたる! 大番狂わせだぁあああああああああああああああッ!

 勝ったのは意外にもッ! どうみてもその辺の! くたびれたおっさん!

 悪魔の顔面! 絶対に物語後半で裏切る系のキャラ!

 仲道! 狂太郎だぁああああああああああああああああああ!』


 わっと宴会場に、歓声とも悲鳴ともつかない声が響き渡った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(※8)

 格闘ゲーム用語。

 パンチを繰り出した直後に必殺技コマンドを入力することで、無駄な動きを省いて次の行動に移ることができる、というもの。

 『ストリートファイターⅡ』が元祖とされ、開発中に見つかったバグが、「面白いから」という理由で仕様になったものである。


(※9)

 驚くべきことにこの男、万が一に備えて最近、特訓めいたことをしている。

 バッティングセンターで、最高速度に設定したボールをぎりぎりでかわすというやつだ。

 なお、そのバッティングセンターは三日で出禁になった。

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