119話 サキュバスの遊女
しずしずと歩く一行が揚屋に辿り着いたのは、それから四、五十分ほど歩いた頃だろうか。
そこは、雑木林を挟んだ道を進んだ、小高い丘の上にある屋敷で、なるほど都会の中にぽつんと建てられた”秘境”という感じだ。
「ふう…………」
案外歩く羽目になったな、と思ってしまうのは、やはり年だからかもしれない。
揚屋に到着すると、すぐに女将たちが頭を下げて、一行を迎え入れた。
陽はすでに沈んでいたが、室内は煌々と明るい。
これは、羽根に火焔を纏っている蝶が鉄檻に飼われているお陰だ。
こんな動物を飼っていては、すぐに出火原因になるだろうに、と思うが、この世界で使われている木材は今もなお生命活動を維持していて、生木のように燃えにくいのだという。
不意に、ぷかぷかと宙空に浮かぶ水球のような、不思議な生き物が数匹、狂太郎たちの前に現れる。
「こちらで、旅塵をお拭きになられて」
一行を出迎えた女将に言われるがまま、狂太郎たちがそれに手を差し伸べると、
「む」「ひゃ」「みゃあんっ!」
水球は、さっと狂太郎たちの手と足、服と靴をするりと走り抜けた。
「いま、猫みたいな悲鳴上げたの、だぁれ?」
飢夫が意地悪く殺音に訊ねると、
「やかましい。なんや今の化け物。セクハラ妖怪か?」
「どうも違うみたい。みて。いつの間にか服が綺麗になってる」
確かに言われてみれば、ここに来るまでに身についた小さな埃がさっと拭き取られていた。代わりに水球くんたちは、埃を吸い取ってちょっと汚れている。
「ありがとーっ」
飢夫が感謝の言葉を述べると、水球はふよふよと浮かんで廊下の奥へと消えていく。
「それにしてもここ、ほんとにスゴいところだねえ? 店構えよりも内部が大きいみたいだし」
「なんらかの魔法がかかってるみたいだな」
木造の廊下は、一般的な日本家屋のイメージよりもかなり広い。五、六人くらいなら横に並んでも、たっぷり余裕で歩けるほどだ。
「二条城みたいなとこやな」
三人は、場違いにも超豪華ホテルに私服で紛れ込んだような気分になって、神妙にローシュの後に続く。
何故だろう。
文明は明らかに自分たちの世界の方が進んでいるのに、ここの生活が、不思議と豊かに思えるのは。
案外、この世界の生命が、動物としてお互いに奉仕し合うように仕向けられているから、かもしれない。
「あ、あのー……」
と、そこで三人に声をかける娘がいた。見た目は十二、三歳といったところか。
お付きの禿の一人かな、――と思いきや、どうやら彼女、立派な新造らしい。
一行を代表とする花魁のように立派ではないが、それでも髪飾りが六本、絶妙なバランスで刺さっている。朱に染めた着物も、目に眩しい。
「お客さん、異世界人ってほんとうなの?」
「ああ、そうだよ」
「へー。すごいね! どんなとこ?」
「どんなとこ……」
そう訊ねられて、言葉に詰まる。
言われてみれば、自分たちの世界を一言で説明するとして、どう言えば良いかよくわからない。
「強いて言うなら、――『魔法の存在しない世界』ってとこかな」
「魔法が?」
「うん」
「それじゃ、あたしみたいなのは、仕事できないわね」
「きみみたいなの?」
「うん。……あたし、
「サキュバス? きみが?」
「そだよ」
「へぇぇぇぇぇ」
サキュバスといえば、「夜、理想の異性の姿になって誘惑してくる」とかいう、「男側にデメリットなくない?」系悪魔として有名だ。
狂太郎はいたく感心して、少女の足先から頭の上まで見る。
見たところ、人間とあまり変わったところはない。ただ、その背中には蝙蝠のそれに似た、小さな羽根が生えているようだった。
リリスは少し、挑発するような視線を狂太郎に送って、
「おじさんならあたし、最初から”馴染み”ってことにしてもいいよ。もし、ここにいる間、退屈したら、いつでもお相手するから」
狂太郎は内心、「なんだ営業か。しっかりしているな」と苦笑して、
「悪いが、子供はちょっと」
「失礼ね。あたしけっこう、いい歳よ。――それに安心して。あたしは夢を見せるだけだから。夢の中なら、あたしはあなたの理想の異性の姿になることができる」
「理想の?」
「うん。どんなごっこ遊びでも可能だわ。
「へぇ」
街を少し歩いただけでもわかるが、この世界では魔族や精霊、人間が共存し合っているのが普通らしい。
「ちなみにそのごっこ遊び、一人用なの?」
「違うよ。複数で遊ぶ人もいる。そういう時は、同じ夢の世界に案内してあげるんだ」
「ほう」
狂太郎はちょっとしたアイディアを思いついて、口角を少し上げる。
「お客様ひょっとして、えっちなしのご指名のつもり?」
「わかるかい。――仲間に、そういうのが苦手な娘がいるからね」
「やっぱり! それならあたし、サービスしちゃおうかな。……ちなみにあたし、双六遊びが大好き!」
「考慮しておこう」
二人、口元に笑みを浮かべて。
「じゃ、名刺、渡しておくね」
と、本日見たものとしてへ二枚目になる名刺を受け取った。
名刺にはご丁寧にも、手書きの一文が書き込まれている。
いかにも女子高生が書いたような丸みを帯びた文字で、後で翻訳したところ、
『想像力いっぱいの、素敵な夢を見そうなお客様へ★ 特別優待券』
という文字が書き込まれている。
遊女というものは、「暇な時間はつねに筆を取っていた」というほどに筆まめな職業であった。
大身の男を魅了する娘というのはいつの世も、教養がなければならなかったという。
故に彼女らは、様々な手習いをするのが当然であった。
この世界、――ヨシワラの娘たちにとってもそれは変わらないようで、各種師匠を妓楼へ招き、様々な教養を身につけさせられている。
その内容は、書道、生け花、俳句、即興漫画など芸能関係に始まり、琴、ピアノ、ギター、歌などの音楽に関する技術、そして将棋、オセロ、双六など遊戯関係と、多岐にわたるという。
狂太郎は、リリスの名刺を胸ポケットに入れて、「よし」と小さく言った。
「ええんですか? そんなんポッケに入れて帰ると、大好きなあの人に勘違いされてまうかも」
からかい口調の殺音に、狂太郎は「やかましい」と一蹴。
「それよりも、列の先頭が止まってるようだが」
「うん。それなんですけど、『まだ出番じゃないから』って」
「なんだそりゃ」
そういうこと気にするのって普通、もてなす側の連中じゃないのか。
てっきり、客席で待つことになると思っていた狂太郎は、小さく嘆息する。
「狂太郎はん、――それよか、お気づきですか。さっきから、襖開くたびになんか……えろう大きな歓声、聞こえて来るんですけど」
「歓声?」
リリスと話していたせいか、全然気付かなかった。
「ええ。なんや、サッカースタジアムみたいな。わあああって」
「そうなの?」
それなら、襖越しになにか聞こえてきそうなものだが、いまはただ、廊下を忙しく歩き回る犬顔の妖精たち(※6)の話し声しか聞こえない。
「たぶんあの襖、なんかの防音魔法がかかってるか、――……あるいはこの向こう……こことは違う時空に繋がってるのかも」
違う時空に?
その質問をする前に、ローシュの声かけがあった。
「さーあ、お客さん! そろそろ出番だよ!」
「え、ああ……」
「自分の名前が呼ばれたら、壇上に上がる! それだけ! さあ行っておいで」
「ちょっとまて。壇上? いきなり?」
嫌な予感が胸の中で一気に膨れ上がった。
「どういう……?」
口を開く前に、襖が開け放たれる。
一瞬、あまりの光量に目を細めた。明るい。どうやら宴会場は、ライトの輝きで満たされているらしい。
同時に、突風に打ち付けられたような音の衝撃が、顔面を激しく打ち据えた。
歓声。
それも、十数人とか、その程度の規模ではない。
百人、二百人。あるいはそれくらいの、わっという声。
そして、マイクで声を拡張させた何者かの声が、こう叫んだ。
『みなさん、長らくお待たせしました!
ただいまッ!
両社代表選手が、入場しまぁあああああああああああああああああすッ!!』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(※6)
後に確認したところ、”コボルト族”というらしい。
犬を二足歩行にした感じの生物、と説明するのが最もイメージに近いか。わんこ同様に、基本的に人懐っこい性格の者が多い。
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