118話 花魁道中
とはいえ、さほど期待していなかった丁子風炉、それにヨシワラのマッサージは、なかなか大したものであった。
揃いも揃って美男美女のあん摩たちは、親指から不思議な魔法的エネルギーを送り込む心得があるらしく、
「お、お、お、お、おおおお……なんか、なんか……血液にお湯を注入されてるみたいな感じがする……」
と、飢夫に言わしめた。
狂太郎が特に気に入ったのは、香油を丹念に塗った上で行う足裏マッサージで、我々の世界における
施術は一時間ほどだったが、その頃には狂太郎も飢夫も、ふにゃふにゃに身体をもみほぐされて、湯船の上にぷかぷか浮かんでいる。
「なあ、飢夫」
「なーに?」
「われわれ、個室を頼んだはずなのに、なんで二人同じ部屋に閉じ込められてるんだろうな」
「わかんない、カップルかなんかだと思われたのでは?」
「そっか」
ぼんやりとした沈黙。
「……ま、どーでもいいか」
「そーだね。どーでもいい」
身も心もリフレッシュして、――結局、一行が湯屋からでた頃には、すでに日が傾きつつあった。
▼
それは、湯屋の脱衣所で、身なりを整えている時のこと。
「花魁道中だ!」
表通りからそんな声が聞こえてきて、狂太郎たちは街路へ顔を覗かせる。
壁のようになっている見物客の向こうで、数人の男がボディガードのように立っていた。
その向こう側にいるのが噂の花魁……かと思いきや、新造と呼ばれる妹分に過ぎないらしい。
客に紛れて、ずらりとならぶ遊女たちを見物していると、――いよいよ、数名の男衆に囲われて、一層華やかな着物で着飾った女性が現れた。
非現実的な白塗りの肌に、目が覚めるような赤い唇。しゅっと筆を入れたような眉に、目元はほのかな紅。
華を模した十六本のかんざしで彩られた髪は、極めて複雑な構造の結われ方をしている。
「へー。大したもんじゃないか」
とはいえ、狂太郎の感想はわりと淡泊だった。
飢夫に殺音と、非現実的な美形にはわりと見慣れているためだ。そもそも彼自身、美人にあまり興味がない、という性格のせいでもある。
「ちなみにこの、花魁道中ってのはいったい、何やってるんだ?」
応えたのは、すっかり解説役が板についてきた飢夫である。
「ええと、――まず、妓楼での遊び方から、教えようか」
「うん」
「吉原での遊びはね、我々の世界の風俗とはちょっぴり違って、いろいろと掟があったんだ。性欲の発散というよりもどちらかというと、疑似恋愛を愉しむためのものだった」
「疑似恋愛というと、キャバクラみたいなものだったってことか?」
「それより、もっと深い関係、――擬似的な夫婦関係を結ぶものだったっていうよ。例えば吉原での遊びは、いちど一つの見世と決めたら、浮気は許されなかった。もし別の見世に行きたかったら、ちゃんと今相手をしてる人と、”離縁”しなくちゃいけなかったんだって」
「……へー」
今の感覚では、ちょっと考えられないな。
「だから妓楼で遊ぶ時は、最初からエッチまでさせてもらえなかったらしいよ。正式には、初会で顔を合わせて馴染みとなって、二度目で初めて、身体を重ねることができたんだってさ(※5)」
「へー。二度も会わないと、思いを遂げられないのか」
金を払ってそれは、なかなか……。
「まあ、彼女たちも稼がなくちゃいけないから、いつもそうだったとは限らないけどね。ただ、常に最終決定権は、遊女たちにあったんだって」
「……遊女が客を拒むことがあったのか?」
「うん。そーみたい。嘘かホントか、男と寝ずに任期を終えた花魁もいたって話」
「ふーん」
そこだけ聞くと、少し妓楼の印象も変わってくる。
とはいえ、最終決定権が遊女にあるということが、彼女たちの権利を尊重していたことにはならないが。
華やかな世界の下層には常に、そば一杯で一仕事しなければならない数多の女たちがいる。
「んで、話を最初に戻すと、――花魁道中ってのは、揚屋っていう客を待つ施設へ、遊女が迎えに行く行為のことを言う。これから彼女らは、呑んだり唄ったり大騒ぎして、健全な遊びを行う。その後、遊女がそれを望むなら、客を妓楼に招待して、夜を過ごす、という段取りなのさ」
「なるほどなるほど」
オタク同士の友情は時に、こうした無駄知識を持つものが上位に立つ。
今回ばかりは飢夫の知見に脱帽し、
「いやあ。面白かったよ」
じゃ、行こうか。
言いかけた、その時であった。
「おンや。お客さんじゃあないか」
現れたのは、先ほど挨拶した妓楼の主人、ローシュだ。
彼とも彼女ともつかぬその人は、往来でも気にせず、ぷかぷか煙管をふかしつつ、
「良かった。ちょうど探してたところなんだよ」
と、花魁たちの列から、ひょいとこちらに近づく。
「おや? 妓楼の主人が道中の列に加わるなんてこと、あるんですか? 普通そういうことをするのは、禿か新造と聞きましたけど」
「詳しい人だね。あんた。――実際そうなんだけど、今回は特別なお客さんだからね」
「特別?」
「あんたらのことさね。異世界人の相手は珍しいからね」
「ああ……」
納得する。
「ってことは、この列の先にいるのって」
「そーいうこと。あんたらの上司だよ」
「マジ、ですか」
大見世を宿にするというから、厭な予感はしていたが。とんだ天使どもだ。
っていうかこんなことに金使うなら、人手を増やせばいいのに。
「ナインてぇお客が『そーいや宴会場の場所、伝えるの忘れてた』っていうもんだからさ。手間が省けてよかったよ」
相変わらず、雑な仕事をするやつだ。
確かに、”見世物”をやるにはあの妓楼は狭すぎた。
本当の遊び場は、この道の先にある、ということだろう。
「何にせよ、運良く合流できたんだ。あんたらも列に加わっておいで」
「えっ。花魁道中に、ですか」
「他に何がある」
「う、うーん……」
不思議の国のパレードに、突如として加われと言われても。
振り向く。殺音が、べとべとのガムが服についたような顔をしている。
「せっかくですけど我々、少し遅れてついてきます」
「いや、ダメだ。それだと遅刻する羽目になる。お客に恥を掻かせるわけにはいかない」
「……はあ」
客商売をするものとしては、驚くべき強引さだ。
ローシュに手を引かれ、三人はぞろりと最後尾に加わることになる。狂太郎たちを覆うように、若い衆が長柄傘を高々と掲げていた。
数百、数千の観衆に見守られながら、現代日本を生きる三人組が、華やかな列に加わることとなる。
黙っているのも気まずいらしく、殺音が口を開く。
「ひとつ、聞いて良いですか」
「なんだい」
「この後の流れって……どうなんです」
「いま向かってる”揚屋”ってところは要するに、ちょっとしたお座敷になっててね。”マヨイガ”とも言う」
「マヨイガ……」
迷い家か。なんでも、訪れた者に富をもたらすという、幻の家のことだ。
「そこは、この世界とは一部、違う次元に繋がってるんだよ」
「違う、次元、ですか?」
「そう。――そこでなら、跳んだり跳ねたり大騒ぎしても、街の連中にゃあ影響がないからね」
それって、つまり。
跳んだり跳ねたりさせられるってことじゃあ。
「ちなみにローシュさん。これからやる見世物っていうのは……」
「詳しくはまあ、アタシたしも知らないんだけどね?」
その言葉に、少し不穏な気持ちになる。
持久力が必要な何か出ないことを祈りながら、狂太郎は灯の点りつつある街路を見上げるのであった。
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(※5)
一説には「初会、裏、馴染み」と、三度かかる場合もあったという。
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