五章 WORLD0148 『救世主の休息』

112話 慰安旅行

 シェアハウス内、リビング兼食堂。

 みんなが持ち寄った、雑多なマンガ・小説、ゲーム類で埋め尽くされた、我が家の食卓にて。


 それは、


「すまんがこれから、十日ほど出かけてくる」


 という、仲道狂太郎の一言で始まった。


「?」


 この申し出は実を言うと、かなり珍しい。彼のような仕事の場合、“十日”とはっきり期間が決まっていることは、実に稀だ。

 しかもその言葉に、


「あ、ちなみにわたしも」「ウチもー」


 と、愛飢夫、火道殺音の順番で続く。

 食卓で顔を合わせた四人。

 殺音手製の半熟のスクランブル・エッグを、カリカリのベーコンで巻きながら。


「我が家の“救世主”サマが、勢揃いで?」

「うん」


 よく見ると三人は、すでに着替えも出かける準備も、完全に済ませている。


「どうもあれだ。社員向けの慰安旅行的なのに参加させてもらえるらしい」

「どうりでみんな、準備万端だと思ったよ」


 彼らの傍らにある旅行鞄をちらり。


「しかし、”日雇い救世主”の旅行か。なんだか楽しそうだ」

「そうでもない。どうせ座興で一発芸をやらされる羽目になる」


 ブラック企業時代の記憶が蘇っているのか、狂太郎の表情は明るくない。

 しかし飢夫はそう思わないらしい。


「……っていうけどね。シックスくん曰く、結構愉しいところらしーよ」

「旅行先は、――やはり、異世界なのか? まさか、札幌でジンギスカン、というわけでもあるまい」

「うん。どうやら会社的に、行き着けの世界があるんだってさ。そこで年に一度、みんなで飲んで唄って、大騒ぎするらしーよ」

「へえ。きっと竜宮城みたいなところなんだろうね」

「だね。――あるいは、図書館みたいなところかもしれない。天使は図書館に集まるって、昔なんかの映画で観たし」


 『シティ・オブ・エンジェル』な。ニコラス・ケイジ主演のやつ。


「なんなら、ご一緒する?」

「遠慮するよ。私は出不精だし。それに仕事も溜まってる。お陰様でね」


 ありがたい申し出だが、きっぱりと断る。

 私は生来、フィールドワークが苦手だ。

 それをするくらいなら、あらゆる情報の根源にいて、真理を探究しているような生活が性に合ってる。


「それなら、まあ。――土産話でよければ、山ほど聞かせてあげよう」

「期待してるよ。では、出かけている間の対応は私がしておこう」

「頼んだ」「よろしく」「よしなに」


 狂太郎、飢夫、殺音はそれぞれ会釈して、食事を終えた。

 と、その時である。三人の姿が、まるで煙のように消失したのは。

 異世界に転移する時の、いつものやつ。


「もう、いったのか」


 私は一人、残されて。


「……食器くらい、洗っていけよ」


 と、小さくぼやくのであった。



 ――――――

 ――――――――――――

 ――――――――――――――――――――――


 さて。ここから先はいつもの通り、伝え聞いた話になる。

 まず、転移直後の三人の態度は、というと、


 第一に、仲道狂太郎は唇をへの字にして、その街並みをじっと見つめていた。

 第二に、愛飢夫は早くも、喜色満面であっちこっち走り回っている。

 第三に、火道殺音であるが、――彼女は真っ青な表情で、わなわなと唇を震わせていた。


「な、な、な、な……なんよ、これ……」


 彼女が驚くのも、無理はない。

 彼らが今いる場所、――それは、誰がどう観ようと明らかに、風俗街であったのである。それも、よく異世界で観られるような場末の娼館が建ち並んでいる風景ではない。正真正銘、本物の“遊廓”だ。誰はばかることもなく並び建つ、恐らくは国家公認の遊女屋。その集合体である。

 それも、尋常な規模の遊廓ではない。

 恐らくだがここ、街そのものが、超巨大な売買春を中心とした娯楽施設らしい。

 驚くべきは、この街に住む人々の、じつに開けっぴろげな性質である。


 うちなら一度に三人が相手をするよ、とか。

 気力回復の魔法、使い放題。時間たっぷり、何発でも、とか。

 小型の種族なら割安で遊べます、とか。

 事後におやつのサービスもありますぜ、とか。


 誰も彼もが、今晩の飲み屋に誘うような口調で人を呼び込んでいる。

 元来、人は性的な欲望を隠したがる傾向にある生き物だ。

 しかし、――この街の住人にとってはそうではないらしい。


「……………うわあ………」


 そうしたものにわりと耐性のある狂太郎ですら、少々この光景にはたじろぐ。

 この場所に似た画を、時代劇で観たことがあった。

 吉原遊廓。そう呼ばれていた場所。

 無関係ではない。なにせその街の名も“ヨシワラ”というらしいから。

 だがここは、明らかに日本ではない。

 何せ、辺りを行き交う人々は、白人黒人黄色人種と、実に多種多様。それどころか明らかに人間ではない……一つ目の巨人や、四頭身くらいのチビたち、それに半人半獣のもの、鬼のような角の生やした連中もいる。


「おお! 来たか!」


 と、そこで、三人に声がかけられた。

 ぱたぱたと背中の羽根を羽ばたかせた彼は、なんだかにやにや笑いつつ、


「この世の楽園へようこそ! この世界に来れるとは、ずいぶんついてるねー。へっへっへ」


 彼らは、見た目で判別が着きにくい。

 だがその下卑た口調からその正体は、ナインくんだと思われた。


「……なんなんだ、ここは?」


 その口調は、少しだけ刺々しい。さすがに年下の娘がいる前ではしゃげるほど、恥知らずではない。


「“夢の国”、――あるいは“悦びの世界”とも呼ばれてるとこだ」

「悦び、ねえ」

「ここはいいぞぉ。何より、物価が安いからな。し・か・も……」


 そして彼は、狂太郎の耳元に唇を寄せて、


「オイランってジョブの連中が山ほどいてな。よりどりみどりってわけ」


 眉間をしばし、ぐにぐにと揉む。


「いろいろ突っ込みたいところがあるが……」

「おう、おう。どんどん突っ込んでいけ」

「そっちの意味じゃない」


 そして、すでに苦渋を嘗めたような顔をしている殺音に目配せしてから、


「だいたいそれだと、女子が楽しめないじゃないか」

「それなら問題なし。男娼だって山ほどいるからな」

「……あのな、ナイン。そもそもセックスは、女性にとってリスクの高い行為なんだぜ。そう簡単に、遊び感覚にはなれないだろ」

「そーいう人向けに、サキュバスやらインキュバスってえ連中もいる。連中は夢の中でまぐわうから、身体はぜんぜん傷つかない」

「へえ。そんなんあるんだ」


 それなら……セーフ?

 と思って少女を見ると、わりと機敏なスピードで首を横に振る。


「無理無理無理無理っ。うち、帰る!」

「まあまあ、そういうなよ。一回くらいチャレンジしてみな。これも一つの経験よ」

「要らんわ、そんな経験ッ!」

「そうか? 一発試せば、あんがいヤミツキになるかも……」


 はあ、と、狂太郎はため息を吐いて、二人の間に入る。


「ナインくん、――いいかい。ぼくたちの世界じゃ、“知らない”ということが尊ばれる時があるんだ」

「なんじゃそりゃ。どんなことでも、知っとくに越したことはないだろ」

「だが、知ってる状態から知らない状態にはなれないだろ。特に女性は、そーいう要素がステータスになる場合があるんだよ」

「へー。おめーらの世界って、けっこう進んだ文明だと思ってたけど、……なんか、気色の悪いとこもあるんだな」

「なんと言われようが構わないが、――要するに、殺音みたいな娘にはここ、刺激が強すぎると思う」

「まあ、その点は安心しろ。この先をちょっといけば、温泉街に続く。健全な遊びもちゃーんと用意があるぞ」

「えーっ。ほんとぉ?」

「ほんとほんと」


 少なくとも、周囲の雰囲気からはとても想像できない。

 通りでは、極端に布地の少ない服を着た女性(一部、男もいる)たちが、今も道行く人たちに呼び込みを行っていた。


「オレサマの顔を立てると思って、な? 殺音ちゃんも、来てくれよォ」

「むー。……せやかて……」

「それにオレサマ……というか、オレサマたちの部署の社員はな、自慢の“救世主”をみんなに見せたくてたまんねーんだ。優秀なおめーらを、さ」

「あら。そーなん?」

「そうさ。オレサマおもうに、ここにいる三人はみんな、空前絶後の優秀さだぜ」


 すると殺音、わりとあっさり機嫌を直して、


「ほな、いこけ」


 となっている。

 狂太郎はと言うと、彼女より少しだけナインくんとの付き合いが長いことを手伝ってか、その台詞をまともに受け止めてはいない。


「なあ、ナインくん。一つだけ約束してもらえないか」

「なんだ?」

「ぼくたちのことを、見世物扱いしないでほしい」

「悪いが、それはできない」


 このエセ天使、こういうところがある。

 だがこういう時に率直なのは、決して悪徳ではない。

 狂太郎は嘆息し、これから何が起こるかを、おおよそ察する。


「やっぱりこの旅行、タダで遊ばせてくれるわけじゃないんだな」

「もちろん。――っていうかそもそも、タダなんて一言も言ってないぞ。遊びの金は全部そっち持ちだし。現金もってこいって言ったよな? 向こうに着いたら、この世界で使われる金貨に換金するぞ」


 マジか。こいつ。


 周囲と見回すと、格子戸の奧間で人形のような絶世の美女たちが、貼り付けたような笑みを浮かべていた。

 狂太郎はというと、なんとなく気まずくて目を合わせられない。


――異世界の、……風俗店、か。


 一応、これまでずっと、待ち望んできた好機、ではある。

 だが、妹のように思っている娘が近くにいると、――さすがに……。


「ねえ、狂太郎はん。どーする?」

「ん。――そりゃまあ。……これも仕事だと思って、我慢しよう。『鬼滅の刃』でもそーいう展開、あったろ?」

「ああ、遊廓編……」

「そういうことだ」


 この娘もたいがい、オタクに染まりつつある。

 そうして二人、苦い顔で天使の背中を追うのであった。

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