111話 ヒーロー

 再び、現実世界。

 いつものファミレスにて。

 がやがやと騒がしい店内で、ぱたんとノートを閉じる。


 一通り話を聞き終えた私は、ゆっくりとした語調で訊ねた。


「それで、――つまり、だ」


 彼の”仕事”の話を聞いた後はいつもそうだ。数週間はたっぷり話を聞き続けた気がする。


「きみはいまも、自由に『かいもり』の世界に行き来できるというわけかい」

「ん? ああ、まあね。一応言いつけられたことだし、しばらくは週一で顔を出してみるよ」

「ふうん」


 喉元まで「じゃあ、私も連れてってくれ」と言いかける。

 だが、


「………………むむむ」

「――ん? どうした?」

「いや、なんでもない」


 少し悩んで、止めた。仕事の邪魔をするのはよくない。

 それに、話を聞くにそこは、私が知っている優しい世界ではない。関わるだけきっと、損をする気がした。


「それで結局その、……管理を任された世界は、どうなった?」

「混乱は一時期のことだったよ。少なくとも今のところは、安定してる」

「新たな殺人、――いや、”自殺事件”は起こっていない、と」

「そうだね。どうも、あの世界の住人はみんな勘違いしていたようだが、あの世界に戦争がないのは別に、”ああああ”の起こした奇跡ではない」

「だな」


 それに関しては、ゲームのプレイヤーである私がよく知っている。


「あの世界が平和なのは結局、あの世界そのものが持つ特性なんだと思う。それこそ”造物主”によって、ということじゃないかな」

「だろうね」


 狂太郎は小さく嘆息して、


「なにせ、子供向けのゲームを元にして創られた世界だ。

 彼らが他者を慮る、――いや、慮りすぎるのは、先天的なものだろう。

 そういう連中の住民が、人工的に生産された人類というのは、”造物主”なりの皮肉かもしれないな」


 そこまで言って、狂太郎はドリンクバーのコーヒーを二杯、持ってくる。冷たいの温かいの。私の分を取ってくれている訳ではない。両方とも自分のためだ。


「というわけで、ぼくにできるのは、ここまでだ。これから先は、”ああああ”次第、といったところかな」


 とはいえ狂太郎、――彼女を”日雇い救世主”にした一手は、我ながら優秀だった、と自画自賛している。

 彼女が”救世主”であるかぎり、あらゆる手を打つことが出来るだろう。

 最悪、あの世界に戻らない、ということだってできなくはない。

 もちろんそれは、本当に最悪のパターンだが。


「”ああああ”ちゃんはいま、どうしてる?」

「わからない。まだ、別の世界の救済に奔走している時期だと思う」

「大丈夫かな」

「どうだろう。でも多分、大丈夫なんじゃないか? もし何か問題があっても、またぼくが呼び出されるだけだ」

「それもそうか」


 納得する。


「彼女、無事、ニャーコと再会できるといいな」

「まあな」


 狂太郎は最後まで知らなかったようだが、――ニャーコという住民は、ゲーム的に言うと、”プレイング・チュートリアル”的なキャラクターだ。

 あらゆるプレイヤーが最初に出会い、おしゃべりのいろはを教えてくれる。そんなキャラなのだ。きっと”ああああ”にとってもそうだったのであろう。

 だから唯一あの、頑なな少女の心を動かすことができたのかもしれない。


「いずれにせよ、”ああああ”とはまた、会うこともあるだろう」

「まあ、晴れて同僚になった訳だからな」


 私はそこで言葉を切り、――何気ない口調で、こう訊ねた。


「ところでおまえ、この仕事……いつまで続けるつもりだい」

「いつまで、というと?」

「いやね。――話の中でも、たびたび触れられていたじゃあないか。”日雇い救世主”という仕事の危険性について」

「ああ。そうだね……」


 そこで狂太郎は、しばし明後日の方向を見て、


「たぶん、死ぬまで続けるんじゃないかな」


 と、あっさり答えた。


「そうか」

「止めるかい」

「いや。別に止めないが」

「もしきみがどうしても止めてくれと願うなら、明日から無職に戻ってもかまわないが」

「前も言ったろ。おまえは私にとって、実に都合の良い取材対象なんだ」

「そうか」


 狂太郎は薄く微笑む。


「きみならそう言ってくれると、信じてたよ」


 そもそも、まともな生き方を選ぶくらいなら、あのシェアハウスでは暮らしていけない。


「飢夫だって、危険だとわかっていても、止めはしなかったろ。それは奴なりに、”日雇い救世主”に価値を見いだしてるからだと思う」

「そうだな」


 何か、「意義がある」と思えること。そのために命を賭ける。

 それだけだ。

 その矜持だけが、遺伝子を残せぬ私たちの、――最後の砦なのだ。


「いま、気付いたことがあるんだが」

「ん?」

「思えばあの世界の住人、少し我々に似ているかもしれないね」

「そうかもな」

「なんだか興味が湧いてきた気がするよ」


 すると、自然とこの言葉を口にしていた。


「できればそのうち、案内してもらえないか」

「いいけど、――たぶん、二人っきりになるぞ」

「構わないけど」

「そうなるとちょっぴり、デートみたいになっちゃうぞ」

「……今だって十分、そういう目で見られてるだろうが」

「確かに」


 凶相の友人は、屈託もなく笑う。


「それなら、まあ。よろこんで」



 それとは別に、もう一つ後日談がある。


 愛飢夫と名付けた、我らの友人についての話だ。

 帰還後の彼は、冷蔵庫の中の肉類をたらふく喰らった後、丸一日たっぷり眠って、『ロンドンでバイトしてみた件www』とかいう虚実入り交じったわりとどうでもいい雑談動画で一稼ぎし、いつもの通り女遊びに夢中になって。


 そして、――人生初のネット炎上を経験した。


 その内容に関しては身バレを避けるため、詳細を語ることはしない。

 ただ、一つだけ言えることがある。

 人気商売というのは常に、浮き草の上で踊るようなもの。

 一歩足を踏み外せば、あとは奈落の底まで落ちていくことになるのだ。


 とはいえ、彼の場合はそれほど致命的ではない。

 所属事務所に言い渡された謹慎期間は、およそ二ヶ月半。

 その期間だけ無収入で乗り切ればいい。


「いやー。まさかわたしが、シェアハウス内の誰かに奢ってもらう日が来るとはねー」


 とは後に、天下一品のこってり系ラーメンを啜りながら、筆者に語ったセリフだ。


「っていうか、――おまえ、”日雇い救世主”で稼いだ金は?」

「160万円のiMacPro買ったら消えたよ」

「ヒュー……」


 この男の金銭感覚のバグりっぷりに乾杯。


「でも、仕事道具は一流のものを使えって、ヒカキンも言ってたし」

「理想を言えばそうかもしれんが、――貯金まで使い切るなよ。良い道具があっても、腹が減ってたら能力を発揮できないだろ」

「意見の相違だなぁ。現代人はむしろ、食事を摂り過ぎてるんだ。空腹の方が脳が活性化するのさ。ついでにこの、スマートな体型も維持できるってわけで」

「そうかねぇ」

「きみだってほら。いつまでも若くはないんだからさ。ちゃーんと食事をコントロールしなくちゃ、ぷくぷく脂肪がついちゃうぞ。顔で仕事を選ぶ編集者さんだって、いないとも限らない」

「余計なお世話だ」


 と。

 そこまで語って。


 この、いくつになっても老いない男は、満足げに笑った。

 一応、ネットでは渦中の人だというのに、彼は不思議と幸せそうだ。

 何故か、と、私が訊ねると、


「そりゃあもう!」


 こう続ける。


「帰ってきたんだ。最高だよ。が、帰ってきた! こんなに嬉しいことって、他にはないだろう?」


 ふっと笑う。確かにそれは、そう。


 我が家には今、ヒーローがいる。

 死を恐れず。

 大衆に尽くし。

 その見返りはただ、自身の満足感だけ、という。


 本物のヒーローが。





         WORLD1932 『優しいけだもの』

                        (了)



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