92話 予定調和の殺人
その夜。
飢夫と狂太郎、それに”ああああ”は、同室の客間で床に就いている。
正直、あれこれ考えることが多くて眠れるかどうか不安だったが、……熱い風呂に入ったのが良かったのかも知れない。気付けば泥のように眠っていた。
さて。
三十六にもなると若い頃のようにうまくいかないことの一つに、――睡眠時間を長く取れない、ということがある。
ものすっごいおしっこ行きたいのに、どこにいってもトイレが空いていない悪夢にうなされて、
「うーん……」
夜中にふと、目が覚める。
――寝る前に水を飲み過ぎると、いつもこうだ。
そしてむくり、と、静かに布団から抜け出した。
ぱたぱたという音を聞き外を眺めると、小雨が降っている。空気も少し冷たい。
――トイレ、いくか。
そこで狂太郎、飢夫と”ああああ”の姿がないことに気がついた。
「……おや」
目を細めて、頭を掻く。
あの友人と共にいると、こういうことがよくあるためだ。
「あいつ、まさかとは思うが」
嘆息しつつ、事前に教えられていた便所へ向かう。
男女兼用だというそのトイレから、二人の喘ぎ声が聞こえてこないことを祈りつつ。
……と、思いきや。
「――んむ……」
なんだか眠そうな表情で現れたのは、飢夫一人だけ。
狂太郎はこの友人に、
「……”ああああ”は?」
と、訊ねておく。別に、出歯亀をしたい訳ではない。だがこの世界、何が起こるかもわからない。一応、仲間の所在は常に把握しておかなければならない。
「ほえ? ”ああああ”ちゃん?」
あどけない寝ぼけ顔を向ける女顔の友人に、狂太郎は眉をひそめる。
「――ああ、さっきすれ違ったよ。トイレで」
「何か、あったわけじゃないのか?」
「え。別に? なんなら、触って確かめてみる?」
ぎょっとする。言葉尻に、妙な色気があった。なんならこっちの態度次第で一線を越えてもいい、とでも言わんばかりだ。なお狂太郎はこういうとき常に、断固たる態度を取ることにしている。
「気色の悪いことを言うな。……お前のそういうとこ、その容姿だから許されてるってことを自覚しろ。年齢相応の汚いおっさんがやらかしたら、即座に首の骨を折ってる」
「はっはっは。自分が可愛いことを自覚しているが故のムーブというものがあるのさ」
それを捨て台詞に、飢夫はすたすたと部屋へと戻っていった。
やれやれ、と思いながら再び廊下を進むと、今度は真っ青な顔をした”ああああ”とすれ違う。
「……どうかしたのか?」
心配になって声をかけると、
「いえ。――あのその、……ええと」
「……なにか、言いにくいことでもあるのかい」
「あなたって、あの……飢夫さんとは、どういうご関係で?」
「関係? ただの友だちだけど」
「結構、付き合いが長い感じ?」
「うん」
「そう、ですか……」
彼女、なんだか大変言いにくいことがあるらしく、しばらく百面相していたが、
「私ひょっとすると、ちょっとした秘密を知ってしまった、かも」
思い切った表情の彼女に、狂太郎は片眉をあげる。
「なんだい、それ」
「それは……その。――あ、やっぱりいまの、なし。なしで」
「ちょっとまて。どんどん気になってきたぞ。なんなんだ」
「ええと、その……つまり……」
そして彼女は、肩をがっくりと落として、
「つまり、私はまた、恋に破れてしまったということです」
「……振られたのかい?」
「振られた、というか。もともと眼中になかった、というか」
「そうか」
よくわからないが、そういうことなのだろう。
未成年との交際は、やつのような人気者にとってはかなり危険な果実なのだという。
それ一発で、ありとあらゆる仕事を失うほどの。
”ああああ”は、はぁ、と、大きく嘆息して、
「私、多種族と付き合う気持ちがよくわからなくって。だから、”ニンゲン族”のお二人が現れたときは、ちょっと舞い上がっちゃったんですが。うまくいかないものですねえ」
「舞い上がってたのか、きみ」
「ええ。じつは、かなり」
まあ、人間の性格を陰陽で二分するなら、彼女は間違いなく陰側だとは思っていたが。
「確かに、これだけ色んな種族が一緒に暮らしてる世界だと、同種族の恋人を見つけるのは大変そうだな……」
「しかも、そーいうこと、人前で口にするのはタブーだったりします」
「あー。なんかちょっとわかる。偏見のあるやつだと思われたくないってことか」
「そうそう」
どの世界でも、こういうことはある。
狂太郎が常々、こう思う。これまで色んな世界を渡り歩いてきたが、人間の本質は、それほど変わらないな、と。
孤独を恐れるということ。
あるいはそれは、”造物主”によって紐付けられた人類の種族的特性なのかもしれない。
「まあ、そのうち良い人に恵まれるさ」
「そのうち、じゃあダメですよぉ。のびのびしてると、すぐに独りぼっちです」
「きみ、胸に刺さるようなことを言うなあ」
「あなたはいいじゃないですか。そんな仕事してたらきっと、引く手あまたでしょう」
「……そんな仕事、とは?」
「世界を救う仕事、です。きっとあなたみたいな人の周りには、女の子がいっぱい集まってきてウハウハなんでしょうね」
「え、いや。別に。ぜんぜんそんなことないけど」
「うそばっかり」
そして、少女は遠い目を窓の向こうに向ける。
どうやら、よっぽど応えているらしい。飢夫に振られたのが。
と、その辺りで、そろそろ膀胱の辺りが限界に達しつつあることに気付く。
誤解を解かずにいるのは気に食わなかったが、狂太郎は渋々、トイレの方へと足を向けた。
別れ際、
――孤独との付き合い方も、人それぞれだよ。
という言葉を呑み込みつつ。
▼
次の日の朝、であった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああ!」
屋敷中に響き渡る、絹を裂くような悲鳴。
それは、布団の中でぬくぬくと温まっていた三人の頭を覚醒させるには十分な声量だった。
「ニャーコさん……?」
聞き覚えのある悲鳴に、狂太郎は咄嗟に《すばやさ》を起動する。
陸上競技場のレーンを思わせる、弓なりに曲がった廊下を走り抜け、狂太郎は誰よりも早く声のする方向に向かう。
「だ、だ、だれか!」
声は、屋敷の離れから聞こえていた。一箇所、出入りのために開かれた雨戸があって、狂太郎はそこから足を踏み出そう……として、庭が全体的に泥濘んでいることに気付く。
――昨日、雨が降ったからか。
ニャーコさんのものと思しきブーツを借りようとしたが、小柄な”ネコ族”用に作られたそれは、とてもではないが使えそうにない。
「――ッ」
一瞬、躊躇する、が。
万が一のことを考えると、もはや一刻の猶予もない。
狂太郎は裸足のまま庭に飛び出して、離れの作業場へと向かう。
「ニャーコさんっ」
べしゃべしゃに汚れた足のまま、作業場の埃っぽい玄関に到達。加速を止めて呼びかけると、腰を抜かしたらしい彼女が、四つん這いになっているのに出くわした。そうしてるとまるで彼女、普通の猫のように見える。
狂太郎に気付くと、彼女はその猫耳をぺたんと畳んで、
「ふええええええ……」
と、泣きべそをかいた。
だがとりあえず、外傷はない。
「どうかしましたか」
「主人が……主人が……」
そして、作業場の奥を指さす。
再び加速し、そこを覗き込む、と――、
むあ……ッ、
という熱気が狂太郎の顔面を嘗めた。
昨夜も見た炉に、ごうごうと灯が入っている。
目を細めて、火炎の前でぐったりと倒れている男に近づく。
一見、疲れ果てて眠っているようにも、見えた。
だが、断じて寝ているわけではない。
彼の頭頂部を真っ二つにたたき割っているそれは、――”金の斧”。
まだ挨拶すら済ませていなかった”三日月館”の家主、ネコガミ氏と思われる男の、無残な姿だ。
鉄梃の前。作業に集中している時に、後頭部を斧で一撃。
そうとしか思えない状況だ。
軍手をつけたままのその両手は、だらんと地面に向いており、死の直前まで握っていたと思われる金槌が床に落とされている。
その様子を目の当たりにして、頭に浮かんだのは、
――当ててみようか。そのネコガミとかいう人、きっともうこの世にいないよ。
夕べ、飢夫が口にした不謹慎な冗談だ。
もうこうなっては、まるで笑えないが。
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