四章 WORLD1932 『優しいけだもの』

75話 三人目の救世主

 いつものサイゼリヤにて。


「聞いたよ。おまえ、『かいもり』の世界に行ったんだって?」


 熱いコーヒーを啜りながら、私は訊ねた。

 すると狂太郎は、心底苦い表情になって、


「聞いた。――ということは、飢夫うえおからか」

「まあな」


 私は、くくくくっ、と笑って、


「まさか我々の部屋から、三人目の”救世主”が現れるとはなあ。やはりこれは、私が責任を持って後世に語り継ぐべきことなのかもしれない」

「まだ、奴が仕事を続けるかどうかははっきりしていないぞ。あいつ、今回の件でもうこりごりだと思っているかもしれない」

「その割にはあの男、いろいろ自慢げに話してきたが」

「それは妙だな。飢夫のやつ、ぼくにはぼやいていたぞ。『あんまり活躍できなかった』と」

「わかってないな。やつが自慢していたのは、――おまえのことだよ」

「ぼくの?」

「おまえが遂に、真の仕事を見つけられたと。やつはそれを喜んでいるのさ」


 狂太郎は片目をつぶって、あかんべえに近い表情を作った。


「余計なお世話だ。お兄さん気取りか。年下のくせに」

「だが、あの男が我々より高い位置にいることは事実だろ。天職を見つけて、そこで真っ当な評価を得られるというのは、並大抵のことではない」

「まあ、それは一理ある」

「それで?」

「ん?」

「どうだったんだ? 『かいもり』の世界は」

「……なんだ。ずいぶんわくわくしているなあ」

「だって、今回初めて、私が知ってるゲームの世界に行ったんだぞ。興味があるに決まってるじゃないか。ジョンは? ロゼッタは? ししまるくんには会ったか?」

「――まあ、会ったけど」

「ほほう!」


 普段はあまり感嘆符を使わない私も、この時ばかりはちょっと目を輝かせる。

 今日という日ほど、奴に妬いた日はないかもしれない。


「ちなみに私は、根っからのししまるくん推しであることを伝えておく」

「ああ、……そう」

「彼とは、――会ったか?」

「すれ違ったくらいかな」

「畜生」


 私は頭を抱えた。


「写真は?」

「……逆に聞くが、きみは突如として現れたおっさんが写真撮ってきたら、失礼だと思わないのか」

「通報するな」

「同じ理由から、写真は撮っていない。異世界人は遊園地のキャストじゃないんだぞ」

「そうか……」

「それに、ぼくが派遣されたということは、――そこには必ず、”終末因子”の影がある。観光気分にはなれないさ」

「飢夫は、そうは言ってなかったがなあ」

「そりゃ、あいつがちゃらんぽらんだからだ」

「それに異存はないが」


 私はそこで、目を細めて、じーっと目の前の男を見つめた。


「…………なんだよ。なにか良いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ」

「聞きたいなぁ。『かいもり』の世界の話」

「――飢夫から聞いたんじゃなかったのか?」

「やつからは、詳細まで聞いていない。私はまず、おまえから聞きたいんだよ」


 するとどうだろう。

 狂太郎は耳の先まで紅くなって、


「――まあ、そこまでいうなら」

「ふふっ。おまえもたいがいチョロいな」

「何か言ったか?」

「いいや、別に?」


 狂太郎、口の中でもごもごして、


「別に構わんが、……夢が壊れるだけだぞ」

「心配ないさ。異世界でのできごとは所詮、”造物主”とかいうやつの二次創作なんだろう?」

「まあ、な」

「ならば、気にしない。おまえがたとえ、どんな経験をしたとしても、――私のゲーム体験は穢れない」

「なら……いいのだが」


 そしてこの男は、語り始めた。


「あれは、――だいたい、十日ほど前のことだったかな」

「そこまでは知ってる」


 そして狂太郎は、ごほん、と咳払いを一つ。「黙って聞け」ということだろう。


「依頼人はシックスくん。さいしょ彼はずいぶん、慌てているようだった……」




「起きて」


 天使たちはいつもそうだが、現れるのが唐突だ。

 その時、特にそう思ったのは、――彼が寝床に出現したためである。

 シックスくんは、その異様に整った容姿を狂太郎の耳元まで近づけて、


「ねえ、起きて」


 ぞわぁ、と、耳元を嘗められたような感触がして、ゆっくりと目を覚ます。


「おはよぉございます。ぺこり」

「……ああ、おはよう」


 両者、眠たげな目と目が合う。

 半裸で寝ていた所為か、異様な絵面になってしまっていた。

 狂太郎、昨夜見た夢(仔犬百匹に囲まれてもふもふになるやつ)の続きかと思って、


「よーしよしよし」


 と、その身体を撫でる。背中の羽根が、ふわふわと暖かい。

 不思議な多幸感に包まれていると、――シックスくんが、その手をぞんざいに払いのけた。


「止めて下さい。セクハラで訴えますよ」

「訴える? ……じゃ、なんできみ、ぼくの布団の中にいるの」

「布団の……中にはいません。ベッドの上にはいますけど。――あなたさては、ちゃんと起きてませんね」

「はあ」


 現実感覚が戻ってきたのは、その頃だった。

 少し強めに眉間を揉んで、


「……あれ? なんできみ……」

「おはようございます」

「わっ」


 驚き、身体を跳ね起こす。

 同時に、天使の軽い身体はふわりと宙に浮いた。


「なに……何してるんだ、ぼくの部屋で」

「”日雇い救世主”としての依頼です」

「依頼……? いつものファミレスに呼び出せばいいのに」

「ちょっとそれどころではなくなってまして。人命がかかっているのです」

「なんだと」


 ”人命”。その一言は、寝起きざまに冷や水を浴びせられるよりも効果的だった。

 もとより、こういう日が来ると覚悟してなかったわけではない。

 狂太郎はぶるぶると頭を振って意識を覚醒させ、ばたばたと用意を始める。


「事前に知っておいた方がよい情報は?」

「気候のいいところです」

「そうか」

「あと今回、魔法の類は存在しません」

「ふむ。それなら安心だな」

「ですが一部、危険な動物が存在しているかも」

「ふむ。いつも通りだな」


 シックスは、ナインと違って細かいところに気がつく。

 狂太郎は、彼の話を聞き流しつつ、


――予備のパンツ、よし。

――予備食、よし。

――《天上天下唯我独尊剣》、よし・

――《蒼天竜の兜》、よし。

――《万能翻訳機》、よし。


「水がないな。ちょっと取ってくる」


 言いながらズボンを履き、リビングに飛び出す。

 そこでは、火道殺音が朝食のトーストをかじっていて、


「あら、おはようさん。……ってか、シックスくんやん。どないしたん?」

「ちょっと、彼に依頼を」

「なんや。ウチじゃあかんの?」

「それも考えましたが、今回、殺音さんのスキルとは相性が悪そうなのです」

「どーいうこと?」

「調べたところ、……どうも、わりと平和な世界のようなので」

「平和な世界に、――”終末因子”が?」

「ええ」

「へえ。そんなパターンもあるんやねえ」


 狂太郎、必要分の水を背嚢に詰め込んで、


「そういうことだから。行ってくる」

「はあい。いってら」


 その次の瞬間には、すでに転移が完了していた。

 どうも、転移のタイミングがせっかちなのは、どの天使も共通らしい。



 ――――――――――――――――――――――

 ――――――――――――

 ――――――



 気がつけば狂太郎は、とある浜辺に佇んでいた。

 柔らかい風が吹き抜けて、潮の匂いが鼻腔をくすぐる。

 驚くほど、――美しく透き通った海水が、そっと足元まで迫ってきて、狂太郎は慌てて後退った。


「おっと」


 時刻は、夕方。

 オレンジ色の太陽が、水平線に沈んでいくのがわかった。


――でかけたのは朝だったから、これは時差ボケ対策が必要なタイプの世界だな。


 慣れた感覚でそう判断しつつ、狂太郎は振り返る。


「それで? 急がなくちゃいけない用事、というのは?」


 するとシックスくん、少しだけもじもじした後、


「実は、こちらのミスなのです。《まりょくⅩ》持ちの”日雇い救世主”を、魔法の存在しない世界に派遣してしまった」

「ほう」

「名前も、――お伝えしなければならないでしょう。彼は、狂太郎さんのお知り合いですので」

「えっ。知り合いだって?」

「はい」


 その《まりょくⅩ》持ちの”救世主”こそ、――我らが同居人、あい飢夫うえお(※1)であったのである。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(※1)

 「仮名? ……なんでもいいけど。そんじゃ、『あいうえお』で」

  とのことなので、こちらで勝手に漢字を当てはめさせていただいた。

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