23話 とある男の見聞録

 おおよそ、百倍にまで加速した世界。

 その場にいる全てがほとんど静止して見える空間にて。


 狂太郎は、ギンパツくんの足元に転がっている、――悪魔ディアブロの捻れた角を取っ手代わりに、ひょいと拾い上げた。


――死んでいる。ようにみえる。


 だが、生きている。

 そういう、不思議な確信があった。

 よく見ると、跳ねられた首の傷口は完全に塞がっていて、一滴たりとも血が流れ出ていない。

 理由は、――その時の狂太郎にはわからなかった(※33)が、現実としてそれが生きているのであれば、やるべきことがある。


「ここから先は、……ちょっとした一苦労だぞ」


 足は、先ほど捻挫したところが今さらになって痛み始めていた。

 嘆息しつつ、それでも歩き始める。


――あのエセ天使め。せっかくなら、足も治していけばいいのに。


 狂太郎は、片足を引きずりながら城を出て、”蠢くもの”がいた噴水前を抜けた。

 その後、瘴気が満ちていた庭園ステージ、化け物が大量にいる城下街ステージを進んで、――最初に骸骨兵と戦った石畳の道路で足を止める。次いで、スキルの力を解除して。


「よし。ここなら、誰の目にも触れないな」


 首から上だけの姿になった悪魔ディアブロが口を開く。


「……何のつもりですか?」


 胴体から切り離されたわりには、意外と元気だ。……表情は、しかめっ面だが。

 狂太郎は唇を斜めにして、


「どうもこうも。逃がしてやってるんじゃないか」

「……はあ」


 怪物は、大きく嘆息する。


「あなた本当に、変な人」

「良く言われる。ついさっきも言われたよ」

「あなたの目的は、――私を殺すことだったんじゃないんですか?」

「いーや。きみを城の玉座から下ろすことだ」


 ちなみにこれは、狂太郎の勝手な解釈である。


「それで、魔物たちの侵略が終わるのだろう? 確か、そんな感じの設定だったはずだ。良く憶えてないけど」

「良く、憶えてないって……いやまあ。そりゃそうなんですけど」

「だったら、その後のことはどうなったって構わないはずだ」


 怪物の眉に、皺が寄る。鬼子母神を思わせる険しい顔面は、そうしているとより一層、禍々しい。


「では、あなたの好意に甘える……と、しましょう。すると、どうなると思います?」

「さあ? 教えてくれ」

「……まず、私はこのあと、仲間の魔物たちに命じてこの城を去るでしょう。そして、各地の仲間を引き連れ、人気のない山奥へと逃れることと思われます。力を取り戻すまで、二、三千年くらい」

「そうかね」

「でも……でも、ですよ。その後、私は必ずこの場所に戻ってきて、再び世界の支配権を取り戻すために戦いを挑むことでしょう」

「そうかね」

「それでも……、あなたは私を逃がすというのですか?」

「うん」

「なぜですか? 言っておきますけど、”伝道者”としての私の言動に感化されたのであれば、「残念でした」と言わざるをえません。あの時に発した何もかもは、すべて嘘っぱちなのです。あなたに敬意を払っているように見えたかも知れませんが、あれはお人形遊びの一種でした」


 お人形遊び。

 なるほど、胸にストンとくるたとえだ。


「もし私がここを逃れたら、私はいずれ、何百万もの人を殺すでしょう。――すべて、あなたが引き起こしたことです。それでも良いというのですか? あなたはそれでも、仲間の巡礼者たちに胸を張ることができるのですか?」


 狂太郎は鼻で笑った。

 これではまるで、「いいから殺しなさい」と諭されているかのようだ。


「ぼくの故郷に、『来年のことを言うと鬼が笑う』というものがある。きみが言っているのは、何千年も未来の話だろ。その時代にはきっと人類もすっかり様変わりして、きみでは太刀打ちできなくなっているかもしれないじゃないか」

「……………」

「と、いうわけで、ぼくは個人的に、きみと、きみの仲間たちに脱出の機会を与えることにする。別に、きみらに改心を求めちゃあいない。きみらが趣味で命を奪うというならまあ、それもいいだろう。責任はもちろんぼくにもあるが、それは結局、きみたちを殺したところで同じことだ」


 これが36年間、まともな就職もせず、ひたすら自己分析に努めた男の出した結論だ。


――もし、これからぼくが、無意味に命を散らすことがあったとしても。


 この世のどこかで、自分が活かした命があると知っていれば。

 きっと笑って逝くことができる。


 その時、ふと視線に気付いて顔を上げる、と、


 骸骨兵。

 豚の化け物。

 犬のゾンビみたいなやつ。

 酸を吐くぶよぶよのスライム。


 そんな怪物の群れが、どこか気遣わしげ雰囲気で、こちらを覗き見ている。

 連中が襲ってくる気配はない。

 みな、狂太郎の力を知っているためだろう。


「では、そろそろ、おさらばだ」

「あ、あ、あ、あ、あの、ちょっと……!」


 応えず、悪魔ディアブロの頭部を道の真ん中へ、丁重に置く。

 

 彼女が最後に何か言うのか、じっと待っていると、


「気になってたんですけど。さっき言ってた――その。私を……ぱそこん? のカベガミにしたっていう話。あれ、どういう意味なんですか?」


 少し考えて、……狂太郎は、唇に人差し指を当てた。


――一つくらいミステリーを残して帰ってもいいだろう。


 そう思えたためだ。


「もし知りたかったら、この世界の人類がコンピューターを発明するまで待つことだな」

「ずるいですよ。そんな言い方」

「待つのは得意なんだろう」


 ちょうどそのタイミングで、自分の身体が光の粒子に包まれていることに気付く。

 不思議と、直感的に理解することができた。


――帰還の時だ。


 その、次の瞬間だった。

 生首の形をとっていた怪物が、一瞬だけ”伝道者”の姿を取り戻したのは。

 彼女は出会った時と同じく、美しい金髪をなびかせて、――狂太郎に飛びかかってきた。


――おや。最後の最後で、素手で勝負する気か?


 狂太郎は、そう思ったという。


 だが、ここまで彼の行動を入念に追ってきた筆者には、わかる。


 ”伝道者”は決して、彼を害そうと思ったのではない、と。

 きっと彼女は、狂太郎を捕まえようとしたのだ。

 この、奇妙な友人が、どこにもいってしまわないように。


 とはいえ、娘が伸ばした手は、ほんの少しだけ遅かった。

 彼女が手を触れるその刹那、――狂太郎の身体は、剣と魔法と、恐るべき悪魔が支配する世界から、跡形もなく消えていたのである。



 ――――――――――――――――――――――

 ――――――――――――

 ――――――


 店内では、イタリアンな雰囲気にそぐわぬ『蛍の光』が流れている。


 閉店時間が、近づきつつあった。

 外は、完全に暗くなっている。


「……そして、先ほどの帰還に繋がる、と」

「そういうことだ」

「ふーん」


 私は眼を細めて、いま自分が書いた文章をちょっぴり眺めてみる。


・ゲームっぽいルールが支配する異世界へ転移する。

・チートスキルをゲットして異世界で大活躍。

・異世界で美少女キャラとイイカンジになる。

・報酬は百万円。

・主人公は冴えない中年。


 と、まあ。

 アマチュアWEB小説のプロットみたいな文章の羅列に、ちょっとだけ苦笑しつつ。


「しかし、全て事実ならば、これは驚嘆すべきことじゃないか。……もし望むなら、私はワトソン博士の役をやってもいいぜ。おまえの代わりにペンと取ってあげよう」

「それは、――まあ。好きにしてくれていいよ」


 狂太郎はそう、少し投げやりに言って、


「そろそろ、出ようか。……あんまり長居して、出禁になる前に」


 そうして二人は、席を立つ。

 なお、その場の支払いは、私がした。

 渡された百万円の中の一枚を使ったのだ。


 当たり前かもしれないがその紙幣は、正真正銘の本物だった。



 帰路にて。私は狂太郎に尋ねる。


「ひとつ、聞いても良いか」

「なんだね」

「どうしてそこまでして、彼女、――悪魔ディアブロを救おうとしたんだ?」

「どうして、と言われてもな。なんとなくだ。一つの種族を根絶やしにする権利は、ぼくのような異邦人にはない」

「そうかね」

「そっちこそ、どうしてそんなことが気になる?」


 すると奴は、とっておきのジョークを口にするように笑って、


「なんだい。ひょっとして、きみ。――妬いてるのか」

「馬鹿を言え。殺すぞ」


 私と狂太郎はルームシェアしている関係上、よく恋人同士と間違われる。だが言っておくが、断じて我々はそのような関係ではない。


「だが、――そうだねえ。強いて理由を説明するならば、やはり、恋、だろう」

「そうかね」


 狂太郎の歪んだ性癖は、付き合いの長い私は重々承知している。


 そこで私は、長い長い……マリアナ海溝よりも深いため息を吐いて。

 ぼんやりと夜道を歩きつつ、こんな風に思っていた。


 何もかも、彼にペテンをかけられている可能性について。


 ありえない話ではない。


――服は自分で破いたもの。

――証拠の写真があるわけではない。

――百万円は、たまたま宝くじで当たったものかもしれない。


 狂太郎の”物語”を信じているのは単に、私が彼を信頼しているから。

 それ以上の根拠はない。


――だがもし、もしも。


 仲道狂太郎の物語が全て真実であると、はっきりする日が訪れたとき。

 例のプロットを清書して、世に知らしめてもいいかもしれない。




 日雇い救世主メシアの見聞録を。





         WORLD1181『悪魔の盤上』

                      (了)





――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(※33)

 この現象、今なら理解することができるだろう。

 恐らくこれは、天使が語った”武器軟膏”の効果に違いあるまい。

 ”武器軟膏”は、「傷つけた武器に塗る」ことで外傷を癒やす効果があるとされる。

 それが事実なら、あのエセ天使くんは恐らく、狂太郎だけを治癒したつもりが、悪魔ディアブロまで治してしまったということだ。


 狂太郎はエセ天使くんを「超越者」と呼んだが、案外連中も、そこまで大した存在ではないのかもしれない。

 なお、筆者がこのように不遜な思いを抱いていることは、ここだけの秘密としていただきたい。

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