22話 エピローグについて

 ところ変わって、現実世界。

 人気のない、都内にあるサイゼリヤの一席にて。

 仲道狂太郎は、四杯目になる紅茶を飲み干し、


「以上だ」


 長話の所為だろう。その喉は、少し枯れていた。


 私は、狂太郎の語る一連のおしゃべりをテキストファイルにまとめて、ちょっぴり伸びをする。


 顔なじみのサイゼリヤの店員の「今日はずいぶん長居するんだな」という表情を眺めつつ。

 すでに我々は、安い料理とドリンクバーで、八時間も同じ席に居座っていた。


「それで?」

「ん」

「それで、その、天使っぽい生き物が去った後、どうなった?」

「ああ、……それなら、『こうして仲道狂太郎は無事、現実世界へと帰還しました。めでたしめでたし』なんてオチをつけてもらえればいいさ」


 私は顔をしかめる。

 ここに来て、この男の魂胆が読めてきたためだ。

 もともと、奇妙だとは思っていたのである。

 最初に話した通り、この男はずっと、――私の仕事に不可侵の立場をとり続けてきたから。


「小説の材料とは、よく言ってくれたもんだね」

「そうかね」

「惚けるなよ。おまえ、私が書いたテキストを、そのまま”天使”くんの報告書代わりに使うつもりだろう?」

「うん」


 狂太郎は悪びれない。


「餅は餅屋に頼んだ方がいいだろう。だいたいぼく、作文とか苦手だし。ブラインドタッチできないし」

「おまえなあ……」


 さすがに苦い表情になる。

 結果的に、巧いこと乗せられた形だ。


「もちろん、金ならある。百万円だ」


 そう言ってテーブルの上にぽんと置かれたのは、新札の百万円である。


「うわ。こんなの初めてみた」


 さすがに驚いていると、狂太郎は軽蔑するようなまなざしでそれを見て、


「物書きってさ、ずいぶん割の良くない仕事だっていうじゃないか。

「…………」


 ずいぶんな言われようだが、事実だ。

 私は、こういう言い方をしなければ金を出せないこの男の不器用さに、深く嘆息した。


 どうもこいつ、例のエセ天使くんから授かった金を、さっさと使ってしまいたいらしい。

 血で穢れた金、と。

 どうも、そういうふうに考えているようだ。


「まあ、いいだろう」


 私は、それをぽいっと鞄の中に放り込んで、


「お互い金には困ってる身の上だ」

「助かる」

「だが、――それには一つ、条件がある」

「なんだい」

「いま、おまえが話した物語だが。一つ、抜けているところがあるね」

「というと?」

「エピローグだよ」


 すると、狂太郎は視線を逸らした。

 子供のようで、実にわかりやすい。秘密にしたいことがある証拠だ。


「……まさかおまえ、さっきの流れでそのまま帰ってきた訳じゃないだろう。天使と話した後、銀髪の青年とはどうした。仲間の巡礼者たちとは、どうやって別れたんだ?」

「それは、――だな」


 彼の話す物語に、ちょっとした欺瞞が含まれていることには気付いていた。

 そもそもこの男が信頼できない語り手であることなど、最初からわかりきっていたことである。


「安心して良い。報告書にはそこだけ、取り除くようにしてやるから」

「そうかい」


 狂太郎はそれでもまだ、少し悩んでいたようだが、――結局、話を続けた。



 ――――――

 ――――――――――――

 ――――――――――――――――――――――


 例のあの、エセ天使くん去りし後。

 仲道狂太郎は、周囲に通常の時間が戻ってきつつあることに気付いた。


 スロー再生していたビデオを通常再生に切り替えたように、周囲に音が戻ってくる。


「うう、……くそ、なんで治らないんだ……ってあれ?」


 目を丸くしているガンダム鎧を無視して、狂太郎はむくりと立ち上がった。


「あれ? 効いたの……か?」


 どうやら、彼にあの天使の姿は見えていないらしい。

 恐らく、加速した時の中、――やつがこの世界にいたのは、ほんの一瞬の出来事だったのだろう。


「そんなところだ。ありがとう」


 説明を省略して、狂太郎は彼の肩をぽんと叩く。

 彼はなんだか、少し泣きそうな顔になって、


「お前、――」

「どうした?」

「お前、自分が何をしたか、わかってんのか」

「ああ、――」


 狂太郎はしばし、自分が責められているのだと思った。


――もっと巧くやれた。


 そういう負い目を感じていたためである。

 死者、一名。それに、魔物も多く殺した。

 あのエセ天使はどうやら歯牙にもかけていないようだったが、――狂太郎の胸にはそれが、重くのしかかっている。

 もっと。

 もっと、スキルの力を使いこなせていれば。


 眉間を強く揉む。


「おい。――そんな顔、するなよ」


 ガンダム鎧は、つっかかるように狂太郎の顔を覗き込んだ。


「あんたは、世界を救ったんだぜ。歴史に語り継がれるようなことをしたんだ。もっと誇らしげにしてくれよ」

「ダメだ」


 狂太郎は慌てて言った。


「ぼくのことは、これっきりで忘れてくれ。くれぐれも、人に語り継がせるような真似はやめてくれよ」

「――? なんで、そんなこと……」

「ぼくがここに来たのは、ちょっとした手違いみたいなものなんだ。世界はきみたち六人で救ったことにしてもらいたい。……もちろん、先ほど死んでしまった彼も含めてね」


 すると大男は、かっと目を見開いて、狼狽した素振りを見せる。

 結局我々は、この奇妙な東洋系の巡礼者の性質を詳しく知ることはなかったが、――彼なりに、狂太郎の発言を侮辱と受け取る程度の矜持は持ち合わせていたらしい。


「……いいや。いくらなんでも、お前……それは、……許されねえよ。先祖の誇りに賭けて、そんな間抜けた真似はできない。他人の偉業を横取りするなんて」

「それなら、悪魔ディアブロは逃げたことにしてもらいたい。たぶん何か、心因性の胃痛か何かで、実家に帰ることにしたんだ。君らは空の玉座をとった」

「うーん、…………いやいや。でも、いくらなんでも、それも……どうなんだ」

「いいだろ。他ならぬ、ぼく自身が頼んでいるんだから」

「むむむむむむ……」


 ガンダム鎧は、仲間の巡礼者たちを見回す。

 女二人ととんがり帽子、ギンパツくんはそれぞれ、


「……あなたがそういうなら」


 ということで、納得してくれたようだ。


「決まりだな」


 狂太郎はニッと笑う。


 彼がそうした理由は、いくつかあった。

 特に狂太郎が気にしていたのは、『困った時は異世界から救世主が現れてくれる』というような”物語”が後世に残るのは、この世界の人類にとってあまり良くない気がしたためだ。

 あの天使の口ぶりから察するに、この世界に二度目の救いが訪れるとは思えない。

 この世界の存続は、この世界を住処とする人々の自主性に掛かっている。


「そういえばきみ、……ええと。名前は……」

「オムスビ」

「は?」

「俺の名前は、ハッフハフ=オイシイ=オムスビだ」

「ああ、そう」


 狂太郎はなんだか苦い表情になって、


「では、オムスビくん。後のことは任せた」

「ああ、――わかったよ」


 男二人、ぎゅっと手と手を握る。


「あんた、変わったヤツなんだな」

「よく言われるよ」


――これで、大丈夫だろう。


 嘆息混じりに向き直ると、……すぐそばに、ギンパツくんが立っていた。

 彼はどうも、あらかじめ狂太郎に話すべき言葉を決めていたらしく、早口でこう言った。


「あ、あ、あ、あの。あのその。俺……」


 そして、ぐしぐしと返り血で濡れた頬を拭って、


救世主メシアさま。どうか俺のこと、連れてってください。おねがいします。異世界でもなんでも俺、きっと着いていきますから」


 そうか。

 狂太郎は納得する。

 この子にかけた呪いも、ちゃんと解いておかないとな。


「すまん、それはできない」

「なんで……なんでですっ!?」

「ぼくは、ただの日雇いバイトなんだよ。きみを異世界に連れて行けるような権限もないし、――実を言うと、そんなふうに尊敬されるような男でもない」

「そんなっ」


 ギンパツくんの眉の形が、八の字になる。


「でも、俺たちが悪魔ディアブロを殺すことができたのもぜんぶ、あなたのお陰じゃないですか。俺たちあんたに、一生を使っても返せない恩ができちまった」

「若いものが、そんなことを気にするな。きみはきみの人生を満喫すればよいさ」


 この場面。

 あまり、彼に説教めいた発言を行うことは有意義ではないだろう。

 正しい人の正しい言葉が、常に正しい結末を生むとは限らない。

 二千年とちょっと前、「たまには人に親切にしようよ楽しいよ」と説いたひげ面のおっさんを原因とする大量虐殺を思うなら、――ここはなるだけ、あっさりと別れるべきだ。


「いいかい。ぼくのことは、今日きりで忘れてくれ」

「あ………」


 その言葉が、ギンパツくんにとってどんな残酷な意味を含むか、――この男が気付いていたか。

 付き合いの長い私には、よくわかる。

 突如、自分の前に現れたスーパーヒーローに、多くの凡人が抱く慕情を。

 とはいえ、彼はそうしたあれやこれやを全て無視して、青年に背を向けた。


「では、さよなら」

「あ…………あの、それでも、お、おれ……!」


 その後の言葉を耳にすることはなかった。

 スキルを発動し、再び加速をはじめる。

 彼にはまだもう一つだけ、最後の仕事が遺っていたのだ。


 コンマ三秒。


 次の瞬間には、――仲道狂太郎は、跡形もなく消えていたはずである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る