18話 ディアブロ
ここで少々趣向を変えて、
まず、彼女の心中に迷いがあったことは明らかだった。
彼女に遺された選択肢は単純で、
――殺すか、生かすか。
この二択である。
今、自分と対峙している食えない男の戯れ言を真に受けるか、どうか。
――まさか。
とは思う。思っていたはずである。これまで一度も見たことがないものに対して恐れを抱くなど、杞憂もいいところだ。
だいたい、この世に神がいるのなら、こんなにも長らく沈黙するなど、おかしいじゃないか。
タイミングが、遅い。空気が読めてない。そんな気がする。
だが、
――目の前に現れたこの巡礼者は、尋常の者ではない。
それも、厳然たる事実だった。
何せ狂太郎は、――この数十年間、数多の英雄が挑んでなお超えられなかった道のりを、たった数時間で踏破して見せたのだ。 これは明らかに常人の業ではなかった。
となると、できることなら無傷で捕まえるべきか。いや、先ほどの牢屋での態度を見るに、それは不可能だろう。いかに厳重な牢屋を用意できたとしても、きっとこの男は逃げ出してしまうに違いなかった。
もちろんこれはただの過大評価なのだが、
「……殺す」
彼女がこう呟いたのは、仲道狂太郎がはっきりと耳にしている。
これは少し奇妙なセリフであった。もとより彼女は、狂太郎を殺すつもりのはず。わざわざそう口に出して宣言する意味はない。
筆者である、私は思う。
恐らくこの時、この瞬間だったのではないだろうか。
彼女が迷いを断ち、殺人を決意したのは。
「――ッ」
その時、ぞっと嫌な予感がして、眼を思い切りつぶる。
人影が一瞬、視界に映って、眼球に火花が散った。
蠅を払うように両腕を振り回すが、影を捕らえることはできない。
――眼を、狙っている。
なるほど嫌らしい攻撃をしてくる。確かにあの非力な男でも、眼球なら容易く破壊することができるだろう。
だが、
例え加速していても、目をつぶる程度の動作は可能だ。
「……チッ」
鋭く圧縮された敵の舌打ちが、耳に障る。
脊髄反射的に、声の方向へ爪を振るう。
この男を相手にする場合、考えてから行動しては間に合わない。
全ては、直感の赴くままに。
一度、二度、三度。
両腕が空を切り、そのたび、不可視のエネルギーが発生し、城内の調度品を切り裂く。
猛る
「逃げないで! 戦いなさい!」
無茶とわかっている注文を投げかけながら、ぎょろりとした金色の目玉が、爬虫類の如く敵の姿を探す。
早すぎる。
黒い影のようなものが視界の隅を駆け抜けていくことまでは見えている。
だがそちらに手を伸ばせば、次の瞬間、影は背中に回り込んでいるのだった。
目で捉えることはできても、身体がそれに追いつかない。
それでは、と、あらゆる術を駆使して敵への攻撃を試みるも、ことごとく攻撃を当てることができなかった。
そんな状況が続くこと、十数分。
――苦しい。
スタミナ切れを起こし始めたのはなんと、運動不足のおっさんではなく、化け物が先であった。
それもそのはず、間断なく技を繰り出し続けた
これは後々狂太郎に聞いた話だが、適当な文庫本を持ち込まなかったことを後悔するくらい、戦闘中は休んでいる時間が長かったという。
距離を取ってちょっぴり休憩しつつ、時折、接近して一撃。
そのペースで戦っても、
「おのれ……ッ」
呪詛の言葉を吐きながら、彼女は視界の隅で揺らめく影めがけて、幾度となく繰り返された術を使う。
これまで使った技の中で、最も手応えが感じられた技。
目から放たれる、破壊光線だ。
これに気付くまで、かなり長い時間を必要とした。
というのもこの技、彼女が持つ中ではもっとも”弱い”技であったためである。
何せこの技、「目から放たれる」という性質上、しばらく自身の視界を塞いでしまうためだ。
戦いの最中、数秒とはいえ目が見えなくなってしまうような技はあまり使い勝手がよろしくない。
で、あるが故に彼女はこの技をあくまで、”けん制用”として判断していた。
だが、違った。
今のところ、この技だけだ。
敵に有効打を与えられる可能性があるのは。
――次は。
――次は。
――その次こそは。
この世に生を受けた瞬間から、彼女は完成された存在だった。
魔王として生を受けたが故に、全てから崇め奉られる存在であった。
だから彼女にとってそれは、――初めての経験だったに違いない。
常に
「ハァ……ハァ……く、くそ……っ」
息を切らしながら、攻撃を続ける。
その時だった。
かっ、かっ、かっ、かっ!
と、音を立て、自身の右肩に矢が四本ほど突き刺さる。
「――ぐっ……ッ!」
瞬間、その鏃に巻き付けられた術式が起動し、……爆裂した。
”マジック・アイテム”による攻撃だ。
「ぐああああああああああああああああああああああああッ!」
長らく上げてこなかった悲鳴を上げて、
「やれ、やれ! 射かけろ! 手を止めるな!」
見ると、号令を掛けた男がいる。
そいつには、見覚えがあった。
心折れた英雄の一人。とんがり帽子の巡礼者だ。
彼を伴って二人。肩幅の広い女騎士や、革の鎧の娘もいる。
なぜ、ヤツらが。
考えられないことだった。
あの場所にいる六人はみな、城下街すら超えられない体たらくだったはず。
そもそも、あの銀髪の少年が集落まで戻って説得を試みたとしても、――ここに来るまで早すぎる。
道中に控えさせておいた魔物たちは何を……?
数々の疑問が頭に浮かんだが、頭のどこかではそれを受け入れている。
相手は、
あの男がいる限り、あり得ないことなど、ない。
「邪魔を……するなぁ!」
絶叫し、手のひらに火球を生み出し、投擲。
虫を払う程度の感覚で。
「ひっ――」
三人の表情が、一様に恐怖に凍り付く。
次の瞬間だった。
例のあの、黒い影がぱっと通り過ぎたかと思うと、――
「……くそっ!」
消えた。一人残らず。
なるほど。
攻撃をあの六人が。
そして回避を、救世主野郎が担当するつもりか。
単純だが、実に効果的な戦法だった。
あまりにも効果的すぎて……この瞬間、彼女の勝ち目はほぼ消失したと言って良い。
「お、お、お、お、お、らあッ!」
瞬間、刃渡り60センチほどもある直刀が、
見ると、四角い肩当てが特徴的な大柄の戦士が、引きつった笑みを浮かべている。
「我が家に伝わる七星剣! どおだ!」
七星剣というのは、遠い極東の国に伝わる破邪の剣だという。
鋼鉄より硬いはずの鱗が一部、引き裂かれ、赤い血がぱっと宙を舞った。
反射的に男の右頬に爪を立てる……が、やはり当然のように、彼は消える。
「卑怯ですよっ! 仲間を呼ぶなんて」
返答は期待していなかったが、――狂太郎はわざわざ加速を解いて、応えた。
「文句を言われる筋合いはないんじゃないか。そもそも騙し討ちは、きみの得意技じゃないか」
最もだった。
反論の余地はなかった。
玉座から見下ろすその先には、七人の巡礼者。
偉丈夫の騎士が二人。
弓使いの女が二人。
魔法使いの男が一人。
銀髪の子供が一人。
その中央に佇む、中年の男。
並び立つ彼らを見て、――
ただ一つ確かなのは、その時の彼女の顔面に、ナイフで引き裂いたような笑みが浮かんでいた、という事実だけ。
まるで苦難に立ち向かう、物語の主人公のように。
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(※30)
もちろん、狂太郎と違って直接本人にインタビュー出来たわけではないから、今回の話は筆者の想像を交えた創作の部分が多いことを断っておく。
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