17話 攻撃パターン
そこから、数歩ほど飛び退いて。
「……ふむ」
狂太郎は苦い顔を作って、剣を冷静に握り直す。
先ほど”庭園”エリアのボス敵と戦ったときにも気付いていたが、加速した状況下では、身体の操作、武器の扱いにコツがいる。
それもそのはず、慣性が働いているためだ。
どうにも、狂太郎に与えられたスキルの力は、空気抵抗(※29)や、その肉体に掛かる負荷の大半を軽減されているらしい。
だが、もっとも単純な物理法則から逃れることは出来ない。
これはどういう意味かというと、普段、肉体を操作するときのように、動きを一瞬で静止させることができない、ということだ。
慣性の制御は、《すばやさ》のレベルを上げれば挙げるほど困難になっていく。仲道狂太郎が常に最大レベルの《すばやさ》を行使しないのは、こうした理由があったためだ。
加速した時の中にいて、――敵は、ぴくりとも動けずにいた。
だが、どこか不敵に笑っているようなのは気のせいだろうか。
狂太郎は一瞬だけ目をつぶって、『デモンズボード』を遊んでいたころの記憶を呼び戻す。
確か、
最初に登場する骸骨兵が40程度だったから、だいたい百倍ほどの差だ。
――攻撃のダメージが1点だったとしても、最低四千回は殴る必要があるのか。
それも、敵の攻撃を常に躱しながら。
現実的ではない。
一度、スキルを解除して、
「いやあ。参ったよ。きみ、ずいぶん表皮が硬いんだな。もうちょっとスキンケアに手間をかけた方が良いと思う」
「……蚊が刺すようでした。いまのが全力ですか? だったら少しガッカリです」
言いながら、狂太郎は少し唇を尖らせる。
「でも、きみだって少しは驚いたはずだ。ぼくはきみの前で、まだいまのスピードを見せてないからな」
「…………………」
「ぼくの能力は、”十段階”で速度を調節できる。これまできみに見せていたのは、六段階目ってところだ。――で、今見せたのが、七段階目。この意味がわかるかい。ぼくの”すばやさ”は、これからまだまだ早くなるのさ」
天使に与えられたスキルは、《すばやさⅩ》という。
これが、レベル1~10まで調節可能な能力であることに気付いたのは、わりと初期、――骸骨兵との戦闘からだ。
「なるほど、あなたは素早い。しかし、だからどうだというのです。あなたの手では、私に傷一つつけられないことに変わりない」
「だが、そっちだってこちらに攻撃を当てられない。そうだろう」
「………………」
これは半分、ブラフだった。
彼女が使った破壊光線。先ほどはフェイントに使ったため普通に躱すことが出来たが、順序が逆だったら危なかった。
《すばやさ》がいかに強力とはいえ、さすがに光より速く動くことはできない。
「このままじゃあお互い、千日手になる。だからもう、こんな不毛なことは止めにしないか」
「そうですね……」
応える
「でも、そうする前に、――私が持つ、ありとあらゆる手を試してみたい。私の力が、異界の救世主にどこまで通じるか……」
同時に、彼女は手のひらを中空にかざし、バスケットボール大の火の球を作り出す。
――やれやれ。続行か。
さて。
ここで一応、『デモンズボード』における最終ボス、――
①”爪攻撃”……爪による直接攻撃。最大四回のコンボ。
②”火球投げ”……火球を放り投げ、着弾した地面をマグマに変化させる魔法。マグマは十秒ほど持続し、やがて跡形もなく消滅する。
③”武器作成と投擲”……ゲーム中に登場した武器をランダムに生み出し、プレイヤーめがけて投擲する。
④”目から破壊光線”……金色の目を怪しく輝かせ、ビームを発射する。
⑤”掴み攻撃”……その両腕でプレイヤーの身体を拘束し、首の骨を折る。即死攻撃。
この五種だ。
その大半は、《すばやさ》を起動した狂太郎にとって回避は難しくない。
幸いなのは、
――だが、それに気付くのも時間の問題か。
敵の知性を過小評価するのは危険だ。足をすくわれる要因となる。
狂太郎はとにかく、再びスキルを起動し、《すばやさ》を再び七段階まで加速させた。
火球は、おおよそ一般人が全力疾走する程度のスピードでこちらに接近している。今の狂太郎視点でそれくらいに見えるのだから、現実には時速150キロ以上の剛速球だろう。
――回避後、もう一撃。
一瞬だけそう思うが、危ういところで敵の動きに気付く。
目が、金色に輝いているのだ。
これが破壊光線の前兆であることを知っていた京太郎は、
「――ッ!」
咄嗟に攻撃を中止。可能な限り火球から離れるように飛ぶ。
が、少しばかり力を入れすぎたらしい。
加速された身体は、想定の数倍、――8メートルほど浮き上がり、マンガの世界のニンジャのように、城の壁に張り付く。
「……ぐえッ!」
悲鳴を上げつつ狂太郎は、背後で火球が光線によって弾け、四方八方に飛び散っているのを見た。
――こんな技……ッ!
もちろん、ゲームの中では見たことがない。
やはり”伝道者”同様に
ルビーを思わせる細かな赤い閃きが、城全体を明るく照らし出す。
美しい光景だった。
できればこの一瞬を、写真の中に永久保存しておきたくなるほどに。
とはいえ厄介なのは、千切れた火炎一つ一つに、恐るべき破壊エネルギーが込められている点、だろうか。
狂太郎は、身体が吸着したようになっている壁を少し撫でて、
――あれをやるか。
と、思う。
あれ、というのは要するに、男の子であればみんな一度は試したことがあるとされる技、――”壁走り”だ。
さすがに成人してから試したことはなかったが、直感的にそれができると判断した狂太郎は、自身の運動エネルギーが壁に向かっている状況を利用して、斜め45度の角度で壁を蹴る。
だっ、だっ、だっ、だっ!
足元から鈍く壁を蹴る音が聞こえてくる中、狂太郎は
この状況下で安全なのは、彼女の背中以外になかったためだ。
壁沿いに走った狂太郎は、ここだというタイミングで壁を蹴り、ちょうど野球のランナーが塁に滑り込むようにして、敵の背中に達する。
火炎は、その術を使ったはずの本人にも影響を及ぼし、その身を焼く。
結果として先ほど狂太郎が与えた一撃よりも遙かに大きくダメージを負って、
「grrrrrrrrrrrrrr……」
何を愚かな真似を、などとは思わない。彼女、あらゆる手を尽くして、有効打を模索していくつもりのようだ。
――これでは、向こうが攻略する側だな。
ゲームであったなら、こうはいかない。敵は決められた行動パターンを延々と繰り返すだけの存在であるため、こちらは落ち着いて次の一手を模索することが出来る。
狂太郎は敵の背中にてゆっくりと立ち、引き続き「えい、えい」とその背中を斬りつけた。
その表皮は相も変わらずカチカチで、ほとんどダメージを与えられた気配はない。
――やはり、ダメージを与えることはできないか。ぼくでは。
狂太郎は歯をぎゅっと食いしばって、次の策に移行する。
気は、進まない。
というのも、この後の結末が、おおよそ定まってしまったことを悟ったためだ。
手は、尽くした。
だが、仲道狂太郎は失敗したのだ。
そこで狂太郎は《すばやさ》のレベルを、7から8へと引き上げる。
正確に測ったわけではないためわからない、が、その速度は恐らく、――通常の100倍ほど。
子供がのんびり歩いても、一秒で100メートル動くスピードだ。
「……ふう」
ゆっくりと、味わうように深呼吸。
狂太郎は内心、やはりこうなってしまったか、と残念に思う。
――ここから先は、殺すか、殺されるか。
一瞬、狂太郎はこのまま殺されてしまうべきか、真剣に検討した。
目の前の化け物と自分の命の価値に、さほど大きな差異を見いだせなかったためである。
どうせ生きて現実に戻ったとして、大して代わり映えもしない日常に戻るだけだろう。
で、あるならば、ここで自分がくたばったとしても、大した問題にはならない。
それでも彼が剣を握った理由は、――単純に、好奇心だった。
ここで生き残ることができるのであれば、あるいは。
この宇宙の目的がなんであり、なぜ宇宙が存在するのか。
生きとし生けるもの全ての存在意義を、あるいは見いだすことができる日が訪れるのではないか、という。
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(※29)
あるいは、この世界には空気そのものが存在していないのかも知れない。
何せ異世界である。それくらい訳がわからない空間だとしても不思議ではない。
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