16話 ラスボス戦
地下牢の真ん中にて、ぼんやりとあぐらをかきながら、待つ。
ギンパツくんを送り出してからしばらく、退屈な時間が続いていた。
――スマホの電池さえあれば、暇つぶしに事欠かなかったのに。
そんな風に思っていると、こつ、こつと、先ほども聞いた足音が聞こえてきて、
「あら。あの、銀髪の子がいないようですが」
特に意外そうでもなく、”伝道者”が呟いた。
「彼には帰ってもらったよ。別に構わないだろう」
「ええ」
彼女は、牢の壁に大きな穴が開いているところを眺めつつ、無感動に応える。
「それで、――」
「決闘は、おこないます」
「そうか」
ここはまではまあ、想定内。
「私はずっと、あなたのような者と勝負することだけを楽しみに、数多の英雄を屠ってきたのですから」
その点に関しては無論、許されるべきではない。
だが、仲道狂太郎はこうも思うのだ。
やむにやまれぬの衝動によって他者の命を糧とせずにはいられない……その一点において、――目の前の彼女は、よほど我々に近い存在なのではないか、と。
少なくとも、水だけで生きていられる、この世界の住人よりは。
――もし、殺しを嗜まずにはいられないという、その一点によって彼女が苦しんでいるのであれば。
その罪は、「かくあれ」と命じた”造物主”にも、ある。
「では、こちらへ」
神妙な表情の”伝道者”は、半ば自主性に任せるような形で牢の扉を開け、さっさと歩き去っていく。
「おい。置いていくなよ」
狂太郎は、その後ろ姿を慌てて着いていく。
スキルを発動していないときの彼は、その辺にいる平均的な36歳よりも軟弱だ。
渋い表情で息を切らせつつ、早足で歩く”伝道者”を追う。
先ほども見た石段を昇り、埃の積もった城内を進んで。
ゲームでもそうだったが、その道程は笑ってしまうほど単純だった。城の奥に向かって、延々と続く大理石の床を進んでいくだけの構造だ。
雰囲気は、ある。「これからラスボス戦が始まるよ」という、いかにも恐ろしげな雰囲気が。
ただここ、住処としては絶対に不便だった。
――この城を建てた建築士は、何を思ってこんな、無駄の多い形にしたんだろう。
理由はよくわからない。あるいは何か、設定があるのかも。
天井は、あまりにも高層に位置しているせいか、闇に呑まれていた。
ただ、壁のあちこちには七色のステンドグラスが配置されていて、陽の光を幻想的に取り込んでいる。
こつーん、こつーんと、足音一つが果てしなく反響する中で、
「ひい、ひい、ふう……」
狂太郎は汗をぬぐった。
もちろん、スキルを起動していれば、もっと楽に進むことはできる。
だが彼はあえてそれをせず、”伝道者”に歩調を合わせた。
そのため、何度か休憩を挟みつつ、二人はゆっくりと城内を進んでいく。
「あなた、これだけ歩きやすい床でも、疲れるんですか?」
「歩きやすかろうが歩きにくかろうが、疲れるものは疲れるさ」
「体力がないのは、演技ではなかったのですね」
”伝道者”は休憩のたび、一応足を止めてくれていた。
「うん。ぶっちゃけるとぼくは、身体を動かすのが苦手なんだ」
「ゆっくり動いている時の方が疲れやすいというのも、変わった人ですね~」
「はっはっは。たしかに」
反響する空間で、狂太郎は屈託なく笑う。
そんな彼に”伝道者”はむしろ、狂人を見るような目を向けた。
「あなたという人は……」
少女はしばし目をつぶって、やがて、意を決したように、こう呟く。
「この後、手を抜かれるようなことがあっては興ざめなので、――先に言っておきます。……私は決して、降伏しません。それだけはありえません」
「そうかね」
「あなたを始末することで、やがて理不尽な死が待ち受けているとしても、――それでも私は、殺しを続けます。自身を賢いと思い込んでいる愚かな連中を陥れ、虫けらのように死ぬ瞬間を愉しみ続けます。私は、私の命の悦びを捨ててまで、空虚に生きていくことを良しとしませんので」
狂太郎は顔をしかめた。
まったく同感だったためだ。
こってり系のラーメンを食べ過ぎて、若くして肝硬変で亡くなった友人を知っている。
彼の死に顔は地獄の釜の底を見たかのように醜悪だったが、それでも、かくありたい、と、そう思った。
「新卒で入った会社がブラックでね。同期の一人などは、地獄みたいな一年がその後の一生続くと思い込んでいた。彼は結局、自殺してしまったが」
「……………………」
「案外世の中、逃げ出した先にも居場所はあるものなのにねえ。きみもそう思わないか」
少女は、応えなかった。その代わりにくすりと笑って、
「……本当に、――あなた、こことは違う世界からやってきたのですか。この世界を救うために?」
「どうもそうらしい」
「なんでそんな、自信なさげなんです?」
「ついさっきまで、こんなことになるなんて考えてもいなかったからな」
「へんなひと」
そうして二人は遂に、玉座の前に到着した。
狂太郎はそこに鎮座している怪物、――
”伝道者”と同じ紫色の目をしたその怪物は、今は眠るように目をつぶっていた。
「そういやきみ、どういう感じの存在なんだっけ」
ゲームの描写ではたしか、このゴリラみたいなのと合体して襲いかかってきた記憶があるが。
「いいえ。私はあれの一部に過ぎません。あれと融合することにより、
「へえ、そういうタイプの」
「そう。そういうタイプの」
そして彼女は、小走りに
同時に、光の粒子となって彼女の姿がぼんやりと消えていく。
腕を組み、その姿を見守っていると、――ふいに
「やあ」
現実に目の当たりにすると……なかなかどうして。ゴツい。
大まかなシルエットそのものは人と似通っているが、それ以外はほとんど共通点はなかった。
あらゆる人類にとって”敵”だと認識されるであろう、普遍的なデザイン。
鱗。爪。角。
そして口元から覗かせる牙。
ただ、こうして改めてみれば、どこかそのフォルムは女性を思わせる。
腰回りが少し引き締まっていて、胸部に僅かな盛り上がりがあるのだ。
狂太郎がその姿をじっと見つめていると、化け物は武骨な見た目に反し、若い娘の声で応えた。
「――始めましょうか」
「いいだろう」
その姿になっても敬語なんだ、と、内心苦笑しながら。
「ではその前に、――」
剣はくるくると中空を舞い、狂太郎の足元に突き刺さった。
狂太郎はそれを、「よっこいしょ」などと言いながら引き抜く。
『デモンズボード』における、最強の攻撃力を誇る剣。
その名もズバリ、”デモンズソード”だ。
余計な装飾を廃したそれは、非力な狂太郎であっても振り回せる程度に軽く、大きさも、ギンパツくんに借りたショートソードよりも少し長い程度。
ゲーム的にも、
それが、ここまで辿り着いたプレイヤーに対する、彼女なりの敬意ということなのかも知れない。
狂太郎は、渡されたそれを、犬が尾を垂れるような下段で構えて、何度か振ってみる。
「いいかんじだ。ありがとう」
「すぐに殺すので。感謝などしないでください」
無視して、
「関係ないんだけど実はぼく、きみのデザインは結構、気に入ってるんだぜ。一時期、PCの壁紙にしていたこともあるくらい」
言葉の詳細な意味をわかりかねているのだろう。狂太郎も、通じると思ってはいない。
ただその言葉の、ぼんやりとした意味を理解してもらえれば十分だった。
――ぼくはきみが、好きだった。
と。
敵は、一瞬だけ動きを止めた後、押し殺した口調で、「では」とだけ呟く。
狂太郎も、「うん」と応えた。
その、次の瞬間である。
光線は、大理石の地面を削りながら、狂太郎に襲いかかる。
――やはり、この技か。
とはいえ
ゲームでも一度観たそれを、狂太郎は横っ飛びで普通に躱す。
「甘いッ!」
それを追いかけるように、
彼女としては、――それで終わり、の、つもりだったのかもしれない。
だが、狂太郎の方が早かった。というより、会話が終わる頃には《すばやさ》を起動していたのである。
加速した時の中で、接近する短剣は、見る見る遅くなっていく。
90%。
80%。
70%、60%、50%……そして、10%。
――まだだ。
10%のその先へ……。
ことここに至って、自身の喉元を狙う短剣は、宙を舞う不思議なオブジェクトと化した。
狂太郎は、スローでこちらへと接近する短剣を避け、慎重に前に跳ねる。
――身体が風船になったような感じだな(※28)。
異世界の物理法則がどのように働いているかは不明だが、今の狂太郎は、自分の重さを百分の一ほどに感じていた。
肉体の加速に伴う、重力加速度の減少を体感する。
少し想像してみればわかるとおり、……かなり、動きづらい。宇宙空間にいるようなものだ。
とはいえ一応、これまでの冒険で、いくらか練習はできていた。
跳躍の後、敵に一太刀、浴びせられる程度には。
「う、らあッ!」
叫び、
我ながら、会心の一撃だと思われた。
しかし、――
ほとんど静止している状況ながら、狂太郎ははっきりと
――蚊が刺したかのようだ。
と。
狂太郎は苦く笑う。
本来ならこれは、異常なことである。
紙袋でもって割り箸をたたき折る隠し芸などで見られるように、速度があるということはつまり、強力な運動エネルギーを発生させている、ということだ。
素早く動けると言うことはつまり、強い運動エネルギーを発生させることができているはず。
それなのに、こちら側のダメージがほとんど通らないのは、――
「まったく。……本当に妙な世界だな。ここ」
驚嘆すべきは、
”物理攻撃力”-”物理防御力”
という、あまりにも単純な計算式。
そして、これを忠実に再現した”造物主”である。
どうやら、この世界における仲道狂太郎の”攻撃力”は、彼女の”防御力”に、遠く及ばないらしい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(※28)
加速に関する詳細な検証に関しては、いずれまた語る機会があるだろう。
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