13話 ”物理攻撃力”-”物理防御力”

 ”伝道者”の部屋は、几帳面に整理された羊皮紙の束と、インク壺に刺さったままの羽根ペンがあるだけの、およそ生活感のない部屋だった。

 隙間風が吹き抜ける部屋にいて、


「冬場とか絶対寒いだろ、ここ」


 ぼそりと呟く。まあ、この世界に四季があるかは不明だが。

 とりあえず、先ほど”伝道者”によって”セーブ”されたはずの箇所を開く。


「ふむ……」


 一通り目を通した結果、理解できたことがある。


――何が書いてるか、ぜんぜんわからん。


 どうやら自分に与えられた「スキル:《バベル語(上級)》」というのは、文字の翻訳まではしてくれないらしい。

 ただ一つだけわかるのは、”伝道者”の筆致が、ずいぶんと丁寧なものだ、ということ。

 判を押したような文章や、あちこちに書き込まれた図形はどこか、狂気的ですらあった。


 嘆息しつつ、《すばやさ》を起動。


 最も安全に進めるルート。

 まだ手に入れていないかもしれない強力なマジックアイテムも位置。

 注意すべき敵、罠、初見殺し。

 ……以上、できるかぎりわかりやすい簡易な漫画絵(※22)で記しておく。


 ”セーブ”は恐らく、十秒とかからなかったことだろう。


 一作業終えて、狂太郎は”伝道者”の部屋を出る。

 その頃にはギンパツくんとガンダムの口喧嘩は終わっていて、辺りには気まずい雰囲気が流れていた。


救世主メシアさまっ」


 懐いた子猫のように、ギンパツくんが駆け寄ってくる。

 狂太郎は眉間に手を当てて、


「……さっきも思ったが、人前で呼ぶなよ、そのあだ名」

「えーっ? だったら、本名を教えてくれよぉ」

「ダメだ」


 別に、意地悪で言っているのではない。この世界で自分の名前が知れ渡ることを警戒しているのだ。


「じゃ、救世主メシアさまって呼ぶしかないじゃん?」

「……うーむ」


 狂太郎は眉間に皺を寄せつつ、


「まあ、それはそれでいいか。なあ、ギンパツくん。きみは何か、武器のようなものはないか」

「武器……クロスボウではなく?」

「あれは壊れただろう」

「だったら、護身用のショートソードくらいしか」


 狂太郎は、頭の中でざっくり計算する。

 『デモンズボード』におけるダメージ計算式は実に単純で、

 ”物理攻撃力”-”物理防御力”

 これと、

 ”属性攻撃力”-”属性防御力”

 これに、幾ばくかの乱数を足したものである。


 要するに、こちらの攻撃力に対して敵の防御力が高すぎる場合、与えられるダメージは1点にも満たない場合がある、ということだ。

 もちろん、このダメージ計算式が今いるこの世界にも当てはまるとは限らないが……。


「まあ、次のステージボスくらいは何とかなるだろう。貸してくれ、その、……ショートソード、とかいうのを」

「はいっ」


 すぐさまギンパツくんは剣を持ってきて、恐らくは数少ない彼の資産の一つを、これっぽっちも疑わずに手渡した。


「ありがとう。助かった」

「うっす」

「ところできみ、”伝道者”を見かけたかい」

「あの、フードの女の子ですか?」


 心当たりがないらしく、首を傾げるギンパツくんに、


「彼女なら、君たちを追いかけて城下街に向かったよ」


 先ほど”ポーション”を譲ってくれた、とんがり帽子の巡礼者が口を挟む。


「行き違いになったってことか。……だが、なぜ?」

「なんでも、きみらに回復薬を届けに、とか」

「そうか」

「きっと彼女も、貴方に賭けている一人なんだろう」


 狂太郎はしばし、変な表情になる。

 故郷の世界では、きっと言われることのないセリフだ。


「……まあ、いい。わかった。ありがとう」

「それにもちろん私も、期待している」


 とんがり帽子は哀しげに笑って、


「正論がまかり通らないようでは、いよいよこの世も終わりだからな」


 そして、持っていた鞄の中にぎっしりと敷き詰められた”マジック・アイテム”を見せた。


「各種魔法符だ。もし、何か道具が必要なら好きなだけ持って行くと良い。大盤振る舞いしてあげよう」

「いいのかい。たしかこれ、結構高いものなんだろう」

「世界が滅びてしまったら、金も糞もない」

「……まあ、道理だな」


 ラストダンジョン前の商人ですら、しっかり金を取るのはずっと変だと思っていた。

 ギンパツくん、目を丸くして、


「うわ、すっげーじゃないっすか、これ! ”火炎符”に、……”雷撃符”まで……! ねえ、救世主メシアさま。”雷撃符”って、ものすごく貴重なものなんです。一枚売れば、三年は遊んで生活できますよ」

「それは知ってる」


 ゲームでも、かなり貴重なアイテムだったから。

 狂太郎は少し目を細くして、


「どこで、こんなに手に入れたんだ」

「訪れた巡礼者たちから、コツコツ買い集めてきたものだ。……いつか、こんな日が来ると思ってね」

「……そうか」


 この場所には、たくさんの巡礼者たちが集まってくるんだったな。

 ちなみにこの設定は、『デモンズボード』がゲームだった頃にはないものだ。

 ゲーム世界の”巡礼者”は、「世界最期の希望」とされ、孤独に冒険を展開する。ギンパツくんやとんがり帽子のような、仲間の”巡礼者”とは出会わない。

 買い物や武器の強化などは、全てあの”伝道者”を通して行うのだ。


「……ありがとう。だが、それはいったん取っておいてくれ」

「いいのかい? 2,3枚くらい、念のため持って行った方がいいんじゃ」

「必要ない」


 言って、狂太郎は遙か遠くに見える古城を眺めた。


「だが、近々、使うかも知れない。大事に持っておいてくれ」


 刃渡り50センチほどの剣を腰に差して、準備を整える。


「では、ぼくは庭園エリアに向かうよ」

「あっ。じゃあその、……俺も……」


 ちょっぴり目配せするギンパツくんに、狂太郎は首肯する。


「うん。来てくれ。きみの力が必要だ」

「やったっ」


 少年はぐっとガッツポーズして、


「ただ、次の仕事はもっと危険なものになるぞ」

「わかってます」

「もし万が一、何かの事故で大怪我をしても、今度は助けに行けないかもしれない」


 すると彼は一瞬だけ表情をこわばらせたが、――やがて、覚悟を固めた。


「わかってます。俺、世界を救いたい」

「よし」


 短く答えて、再び彼を抱えよう……とすると、


「ちょっと待ってくれ」


 と、とんがり帽子。


「何か?」

「ついさっきも思ったんだが、――わざわざ背負っていくくらいなら、これを使ったらいいんじゃないか」


 そう言って彼が持ってきたのは、一台の手押し車だった。


「へえ」


 狂太郎にとっては、猫車という通称がなじみ深いものである。

 だが、ギンパツくんにとってはそうではなかったらしく、


「……いやいや。そんな、赤ちゃんじゃないんだから――」


 その言葉を無視して、狂太郎は猫車の取っ手を握った。


「うん、――ちゃんと車輪に油も差してるな」

「えっ」

「これでいこう」

「そんな馬鹿な」


 少年は、思い切り顔をしかめる。


「実を言うと、ずっとこういうのを探していた。誰かを背負うような格好は、結構疲れるんだ」

「そんなぁ」

「安心しろ。知り合いの小説家には、きみの間抜けた格好のことは言わないようにするから」

「ちゃ、ちゃんとお願いしますよ」

「任せておきなさい(※23)」


 その後、一輪車にギンパツくんを乗せる。

 彼が危惧していたとおり、乳母車に乗った赤んぼうのような姿勢になった。


「うう……みっともないよう」

「バブバブ言ってもいいんだぞ」


 とんがり帽子に振り返り、


「ああ、そうそう。もし今後のことで何か迷うようなら、”伝道者”の記録を読んでおいてくれ。漫画を描いたのは久しぶりだから、ちゃんと伝わるかどうか不安だが……」

「あ、……ああ。わかった。ところで、マンガとは?」

「見ればわかる」


 《すばやさ》を起動。

 手を振るとんがり帽子の動きがほとんど静止状態になったところを見計らって、――、


 どうっ。


 と、土煙を上げながら、走り出した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(※22)

 ちなみに狂太郎の絵は(プロにはほど遠いが)そこそこ巧い。

 多くのオタクが通る道として、十代の頃、漫画家を志したことがあるためだ。

 手が巧く描けなくて諦めたらしいが。


(※23)

 本編で描写されているとおり、これは真っ赤な嘘である。

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