10話 エイムアシスト

 さっそく、庭園に点在する石造りの櫓に昇ると、眼下には瘴気で満ちたエリアが広がっていた。

 薄紫色の霧で覆われたその空間には、象ほどもある巨大鼠、二足歩行する食肉植物、神話に登場するコカトリスそっくりの怪物、メデューサを思わせる大量のヘビの塊、巨大な蚊の化け物などなど、生理的嫌悪感たっぷりにデザインされた魔物の群れが見える。

 瘴気に適応した魔物の群れは、いかにもダークファンタジーならではの不気味さだ。


――この中の一匹でもぼくたちの世界に紛れ込めば、きっと大騒ぎになるだろうな。……あの中のどの魔物も、拳銃では倒せないだろう。機関銃が必要だ。


 などと、ぼんやりした感想を思い浮かべつつ。

 狂太郎が、さて相棒の様子はどうかなと思って隣を見ると、


「あわわわわわわ…………」


 彼は白目を剥いていた。


「おい、大丈夫か」

「し、し、し、し、死ぬ……ぜったい死ぬ……」

「だから、死なないって。しっかりしなさい」

「いやいやいやいや! だってあれ、見てくださいよ! あんなん、一匹でも故郷の村に出たら、全滅ですよ! 全滅!」

「その一点に関しては、同感だな」

「でしょお!?」

「だがきみは、そうさせないようにいま、この場所にいるんだろ」

「そりゃまあ、そうかもしれませんけども!」


 狂太郎の正論攻撃に、ギンパツくんは苛立ち紛れに応える。


「ちなみに、――言うまでもないだろうが、狙いはあそこだ」


 狂太郎が指し示した先には、「狙撃するならココだよ!」とばかりにわかりやすく、斑点模様のついた五枚の花弁が見える。

 その全長はおよそ5、6メートルほどだろうか。中央部の孔からは、もくもくと濃い煙が噴出していた。


「それは、……はい」

「では、練習の時間だ。矢ならここに山ほどあるから、十中八九、目標に当てられるようにしなさい。期限は三十分以内とする」

「そんなこと言われても……俺、クロスボウなんて撃ったこともない」

「安心しろ。ぼくだって練習すればやれた」


 あくまで『デモンズボード』がゲームだった頃の話だが。

 しかし、ゲームのキャラクターがうまくやれたのだから、きっと彼もうまくやるだろうという想いがあった。


「だったらその、……あなたがやればいいじゃないっすか」

「ところが、そうもいかんのだ。このあと、きみが一人で進むとき、クロスボウの操作を完璧にマスターしてもらう必要があるからな」

「……やっぱり、やるんすか」

「うん。もちろん拒否権はないぞ。この場所に置いていかれたくなければな」

「ううううう……」


 また、涙目になるギンパツくん。

 スパルタかもしれないが、それだけ本気になってもらう必要があった。

 何せ、この世界が救済されるかどうかは、文字通り彼の双肩に掛かっているためである。

 寒々しい、石造りの室内に、きりきりきり……という弦を引き絞る音が木魂した。その後、矢を本体にセットし、落ち着いて狙いを定める。

 クロスボウには凸型の照準が簡易にくっついているだけで、見たところとてもではないが役に立ちそうにない、――が。


 ばしゅ、という音と共に15センチほどの矢が射出され、赤い花弁の一枚に突き刺さるところが見えた。


「ほう! うまいじゃないか」

「は、はあ……」


 彼我の距離は、目測で100メートル、と言ったところだろうか。的が大きいとは言え、当てるのは簡単ではない。


――古来より、弩は兵士の訓練が簡単で重宝がられたと聞いたことがあるが。


 少年はちょっぴり深呼吸して、もう二、三発ほど矢を撃ち込む。

 それも全て、完璧に命中した。

 さらに、油瓶と同じくらいの重さの石を巻き付けて、五度。

 当然のように全て命中。

 そこで狂太郎は、にやりと笑う。


「ああ、照準が引き寄せられているのか」

「……なんです?」

「いや、何も」


 ゲームの世界において、”エイムアシスト”という用語がある。

 FPSなどで用いられる機能の一つで、主にゲームパッドなど、繊細な操作が困難なデバイスでの射撃の照準を、ゲーム側が自動的に合わせてくれる、というものだ。

 『デモンズボード』は、エイムアシスト機能が実装されているゲームである。ギンパツくんが百発百中なのは、この機能が作用しているためだろう。


「――?」


 「俺、なんかしちゃいました?」という表情のギンパツくんの頭をぽんと撫でて(※17)、


「きみは最高だ。この調子でいこう」

「は、はあ……」


 少年はその通りにした。

 まず、油瓶を巻き付けた矢を射出。

 花の魔物が油を被ったところを確認し、”火炎符”を巻いた矢を撃ち込む。

 ”火炎符”というのは、その名の通り火炎を発生させる呪文が書き込まれた一枚の細長い御札で、これは基本的に武器に張り付けて使うことで炎の力を付与エンチャントするためのものだ。

 狂太郎は、おみくじを結ぶときの要領で鏃にそれを結びつけると、


「よし、がんばれ。外すなよ」

「うす」


 立て続けに成功体験を得た結果、青年はすっかり乗り気だ。ほんの十数分前まで泡を吹いていた男と同一人物とは思えない。


「行き……まぁす!」


 オレンジ色の火炎が流れ星の如く放たれ、美しい弧を描いて、油でてらてらになった魔物に着弾。

 同時に、ごう! と、火が燃え上がった。

 その火の激しさたるや、数十秒ほど、辺りがぱっと照らされるほど。


『ギ、エ、エ、エ、エ、エ、エ、エ、エ、エ、エ…………』


 ラフレシア型のその魔物の断末魔が辺りに響き渡る。


「よし!」


 この世界でもガッツポーズは共通らしい。ギンパツくんは右手をぐっと握りしめた。

 同時に、それまでどんよりと曇っていたその辺りが、まるで嘘のように晴れ渡り、――その周辺にたむろしていた魔物たちが、突如として苦しみ始めた。


「な、なんでしょう、あれ」

「わからん。瘴気に適合した生き物だから、瘴気の中でしか生きられないのかもしれない」


 ちょうど、この世界の人類にとって瘴気が毒なのと同様に、普通の空気が彼らにとっての毒なのだろう。


 象ほどもある巨大鼠。

 二足歩行する食肉植物。

 神話に登場するコカトリスそっくりの怪物。

 メデューサを思わせる大量のヘビの塊。

 巨大な蚊の化け物。


 先ほどまでは畏怖の対象でしかなかったそれらが、ばたばたと黒い霧に変わっていくのところを眺めながら、「へ、へへへへへ……」と、青年は変な笑い声を漏らした。


「あのその、――俺、あなたの名前、聞いてませんでしたよね」

「名乗るほどの者ではない」

「じゃあ、救世主メシアさまって呼んでいいすか」

「…………。お好きにどうぞ」

救世主メシアさまが一緒なら俺、なんでもできる気がしてきましたよ」

「なんでもではない。攻略Wikiに載っていることくらいだ」

「こうりゃく……?」


 ギンパツくんは少し首を傾げたが、「どうやらこの人はときどき、不思議な言葉を使う人らしい」ということで納得したらしく、


「それじゃ、さっそく次の、――」


 言いかけた状態で《すばやさ》を起動。

 狂太郎は、彼と彼の持つクロスボウを引っつかんで、次の櫓へと向かう。


 青年が、


「――狙撃ポイントに向かいましょうか」


 と、言い終えた頃には、次の物見櫓まで移動していた。


「えっ、いま…………えっ、えっ、えっ?」


 目を白黒させるギンパツくんを無視して、


「さあ、次の仕事だ。急げ急げ。故郷の家族を想うなら、感傷に浸っている暇はないはずだぞ」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(※17)

 これは筆者の私見だが、出会って間もない人の肩から上を気安く触るような真似は辞めた方がいいと思う。これは、アニメの見過ぎで他者との距離感がバグったこの男ならではの悪癖で、私も一度、されたことがある。

 ぶち殺してやろうかと思った。

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