6話 ボス戦前

 最初は試運転がてら、おずおずと。

 やがて、少しずつ大胆に。

 狂太郎は”城下町”ステージを駆け抜けていった。


「ふ、わ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ…………」


 ”伝道者”が背中で、低音域の悲鳴を上げる。

 狂太郎は無心で、山ほどいる魔物たちの群れの間を通り抜けていった。


 骸骨兵。

 豚の化け物。

 犬のゾンビみたいなやつ。

 酸を吐くぶよぶよのスライム。


 どの個体も、狂太郎の姿を捉えることすらできない。


「”伝道者”、大丈夫か? 舌噛んでないか」

「は、あ、あ、あ、い? い、ま、な、に、か、あ?」


 速度を落とす。どうやらスキルが発動している間、こちらの声はひどく聞こえづらいらしい。


「……平気かい。なんなら、もっと速度を落とすが」

「いえ、結構です! っていうか、魔物に見つからないこと優先にしましょ! さっきからもう、危なっかしくって!」


 確かに。

 この辺りではすでに、大量の骸骨兵がうろついている。

 もし連中に囲まれてしまったら、手も足も出ずに殺されてしまうだろう。


「わかった」


 興味深いのは、狂太郎視点ではそれほど活発に身体を動かしている感じはしない点。とある古いロボットアニメの歌詞に『光の速さで歩け』という奇妙なものがあるが、その時の狂太郎はまさにそんな感じだった。


――あの体験は痛快だった。魔物はぜんぜん怖くなかったね。半分は街を観光してるくらいの気持ちだったよ。


 とは、帰還後に語った狂太郎の弁である。


 一方で、彼は慎重に、与えられた能力の考察を行っていた。

 この力、決して弱点のないわけではなかったためだ。


 探索を続けながら検証したところ、《すばやさ》の弱点は、大きく二つ。


 まず、咄嗟に発動することができないということ。

 今回のように加速しっぱなしで街を駆け抜ける場合は支障ないが、一度、《すばやさ》の使用を止めて通常の状態に戻った時、再び加速するには少し時間が掛かるのである。

 これはどういうことかというと、例えば、不意打ちを受けてしまった場合、加速が間に合わずにそのまま致命傷を負う可能性もある、ということだ。


 そしてもう一つ。

 加速状態では「月面を歩いているよう」な感覚で身体を動かすことになる。

 異世界の物理法則がどのように働いているかは不明だが、いかに狂太郎が加速しようとも、上下移動、――自由落下のスピードまで加速することはできない、ということだ。


 跳躍と落下。


 これらの行動に関しては、よくよく注意して行わなければならなかった。

 目にも止まらぬスピードで動いても、空中にいる際は魔物たちの動体視力で視認が可能であるためである。


 とはいえ、与えられたスキルは次第に、使いこなすことができた。


 予定通り城下街ステージに存在する必要なアイテムを回収し、城門に待ち受けるボスモンスター、――”闇の騎士”がいる手前のエリアに到着したのは、予定よりかなり早く、二十分も掛からなかったという。


「うん。なかなか良いタイムだ」


 スマホで現在時刻を確認し、狂太郎はほっと嘆息した。



 広く、天井の高い通路を、落とし格子になっている鉄門に向かって進む。

 周囲は、暗くなかった。いつまでも火が消えない松明で、通路全体が明るく照らし出されているためだ。


「――よし」


 見覚えのあるの空間に到着し、狂太郎は深く安堵する。

 やはりこの世界の攻略は、『デモンズボード』のゲーム知識を丸ごと活用できそうだ。

 スキルを解除し、”伝道者”をいったん下ろす。


「へ? へ? へ? ここは?」

「城門前。――ボス敵前の通路だ」

「ぼすてき?」

「”闇の騎士”と呼ばれる魔物がいる場所さ」


 すると彼女は、白昼夢から覚めたみたいになって、


「え」


 と、顔色を蒼くした。


「しょ、しょんなあ……」

「何を驚くことがある」

「だ、だだだって、私、言いましたよね!? ここ、まだ誰もたどり着けてない場所で……」

悪魔ディアブロを殺すんだろう? こんなところで足踏みしている訳にはいかない。TSUTAYAにDVDを返さなくてはいけないしな」

「は、はあ……」


 石畳で作られた通路を歩くと、コツ、コツと、音が反響する。松明で照らされた向こう側には、明らかにこれまでの敵とは比べものにならない、邪悪なオーラめいた、不可視の圧力が漂っていた。


「はわ……はわわわわ! そ、そんな、散歩するみたいに……」


 とはいえ十分、気をつけているつもりだ。

 ゲームの世界においてこの場所は、”闇の騎士”と戦うための最後の休憩ポイントでもあるが、この世界でもそうとは限らない。


「安心していい。なんとかなる。たぶん」

「たぶんって……」

「ここに来るまでに手に入れておいたマジック・アイテムは持っているな?」

「はあ」

「二つ、くれ」


 ”伝道者”は、預かっていた道具をいくつか、狂太郎に手渡す。


 『デモンズボード』の世界では基本的に、手持ちの”マジック・アイテム”と呼ばれるものを使って、不思議な力を顕現する。


 狂太郎が受け取ったのは蛍に似た生き物が詰められた小瓶で、これは”闇の騎士”に対して特に有効なダメージを与えることが証明されていた。


「でも本当に、たった二つでいいんですか? せっかく集めたんですし、四つくらい、持っていた方がいいのでは」

「二つで十分だよ」


 狂太郎が自信を持ってそう言ったのには、理由がある。

 この先にいる”闇の騎士”だが、――『デモンズボード』プレイヤーにとってはかなり有名な、”チョロいボス”の筆頭なのだ。


 それもそのはず、今どき最初のボスすら倒せないようなゲームバランスは流行らない。特にスマホでダウンロードできるタイプのゲームは、序盤をスムーズにプレイできなければすぐに投げ出されてしまう。

 そのため、この先にいる”闇の騎士”は、「めっちゃ強そうな敵を倒すことが出来たぞヤッター!」というプレイヤー側の達成感を喚起するためだけに存在すると言って良かった。


「そもそも、まだこの程度のボスをまだ倒せていない方がおかしいのだ」


 呟く。

 だが、その理由は狂太郎にもよくわかっていた。


――死んだものは、生き返れない。


 これが、ゲームとこの世界の攻略難度を隔てる大きな障壁となっている。


 そもそも『デモンズボード』は、トライ&エラーを繰り返してダンジョンを攻略していくタイプのアクションゲームだ。

 攻略法さえ憶えていれば進むことは難しくないが、そこに至るまでの過程で待ち受ける理不尽な死は避けられない。

 いかに歴戦の英雄たちであっても、命がたった一つだけでは、とてもではないが先に進むことは難しかろう。


「ずっと、不毛に時間を浪費してきた。……それでもいいと思っていたが、まさかこんなところで役に立つとはなぁ」


 しみじみ呟くと、格子戸の向こう側に暗黒のシルエットが一つ、城門前の広場に佇んでいるのが見えてきた。

 ごくり、と息を呑む。

 これから決闘が始まることに、ではない。その、驚嘆すべき威容を誇る城門を目の当たりにして、感動しているのだ。

 その高さは、ここから見ただけでも7,80メートルはあるだろうか。壁面には四人の武装した天使たちの彫刻が施されており、悪魔の居城としてはちょっとした皮肉がきいている。


――スマホの画面で見るのと、現実に目の当たりにするのではやはり、違うな。


 などと、関心しつつ。

 一応、スマートフォンで写真を撮影しようとしたが、残念ながら電池切れだった。ソシャゲの周回作業にバッテリーを使いすぎたのだ。


「なんだ。くそう」


 小さく毒づきながら、格子戸にずかずかと向かっていく。

 その足取りに迷いはなかった。

 ただ、


「このままでは、あいつ(筆者である私)に、狂人扱いされてしまうかもな」(※11)


 という、のんきな焦りだけがあった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(※11)

 実のところこれは、まったくの杞憂である。

 そもそも私は、昔から彼を狂人扱いしていたし、わざわざこんな大がかりな嘘を吐くような暇人でもないと信じているためだ。

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