5話 最速の男

『GAAAAAAAAAA、A、A、A…………』


 事態の変化は、狂太郎にとって実にわかりやすく起こった。


 目の前で威嚇の声を上げる骸骨兵が、まるで動画をスロー再生したようにゆっくりと動き始めたのである。


「おや?」


 狂太郎は目を瞬いて、木の棒を振り回す骸骨兵を眺めた。

 90%。

 80%。

 70%、60%、50%……そして、10%以下へ。


 ここまで来ると、いかに運動能力の鈍い狂太郎ですら、魔物の動きをじっくりと観察する余裕があった。

 直感的に、理解する。

 加速しているらしい、と。


――確かこういう時、加速に応じて重力が減じているように感じる、と、何かの本で読んだことがあるが。


 確かに、そういう雰囲気はある。まるで水中を歩いているような感じだ。

 とはいえ、思ったほどの不都合は感じられない。

 動作の一つ一つに慣性が強く働いている違和感はあるが、少なくとも余計なエネルギーを消耗している感じはなかった。


 数年前、無料期間中のお試しで、ジムのプールに通っていたことがある。

 老人たちに交じって、ぷかぷかとプールのウォーキングレーンを歩いたものだが、これはその時の感覚に似ていた。


 狂太郎はしばし、骸骨兵の姿をまじまじと観察し、


「ふーむ」


 脆くなっているそのあばら骨を一本、ポキッと折ってみたりする。


『――!?????』


 どうやら、骸骨兵は完全に翻弄されていた。

 その隙を見計らって、狂太郎はさっと骸骨兵の持つ棒きれをひょいっと取り上げる。

 そして、


 ぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこ(※8)!


 四十回ほど、ぶっ叩いた。

 なぜ四十回かというと、骸骨兵の最大体力値がその程度だったという記憶があったためだ。

 冒険初心者でも2、3回攻撃を当てれば倒せる敵だが、今の狂太郎は、そのレベルにも達していないだろう。

 低く見積もって一発当たりのダメージを1点として、確実に倒せる回数分だけ攻撃したのだった。


『GUA………AA………』


 かくして、かつてないほど理不尽な打撃を受けた結果、骸骨兵は霧となって消滅した。


――へえ。魔物は死ぬと霧に還るのか。


 ゲームでよく魔物が消滅するのは、単に”魔物の死骸”というオブジェクトをマップ上から取り除くことで、ゲーム全体の処理を簡略化するためである。

 だがこの世界では、そうしたゲーム上の仕様ですら馬鹿正直に再現されているらしい。


 狂太郎は嘆息一つ、手に入れた木の棒きれをそばに放り捨てた。


 すると、ぱちぱちぱちぱちぱち、と、”伝道者”が拍手を送る。


「すごーい! いまの、どうやったんですか!?」


 狂太郎はこめかみを掻き掻き、


――ああ、これが噂にきく「俺、なんかしちゃいました?」ってやつかな。


 と、苦い笑みが漏れた。


「……足は速いって言ったろ」

「いやいやいや! いまの、早いとかそういう次元を超えていたような!?」


 何にせよ今のが、あの天使的な生き物に与えられた力(※9)のようだ。


――自分が早くなるというより、周りが遅くなるイメージだな。


 どうやら、加速するのは自分の身体だけでなく、思考能力も同様らしい。

 結果として、狂太郎の主観では、周囲が遅くなったように感じるようだ。

 同時に、先ほど《すばやさ》の力を実感しづらかった理由がわかった。――対比物がなかったためである。


「すごい……っ。巡礼者様ならきっと、悪魔ディアブロだってやっつけられますよ!」


 狂太郎は、お母さんが子供を励ますときみたいな台詞だな、と思っている。

 とはいえ、そう簡単に話が進むとは思っていない。

 この手のアクションゲームではお決まりのことだが、後半の敵はより凶悪に強くなっていく。今倒した骸骨兵など、お話にならないくらいに。


「いくら素早くなっても、ぼくのように非力では悪魔ディアブロを倒せるとは思えん」

「そう……でしょうか?」

「うむ。それにもう一つ、問題がある。この分だと”城下街”ステージの攻略は難しくないだろうが、この先の”庭園”ステージはそうもいかない」


 既に触れたとおり、”庭園”ステージには瘴気で満ちたエリアがある。

 いくら素早く動けたとしても、空気が汚染されている地帯の移動は簡単ではない。


「ずいぶん……お詳しいんですね?」

「そうか?」

「まだ庭園まで辿り着いた巡礼者様はいないはずですのに」

「……そうだったのか」

「ええ。城下街を抜けた巡礼者様は、まだ、……お一人も」

「どうしてわかる」

「城下町を越えた方が現れたら、合図の鐘が鳴ることになっています。私は未だに、鐘の音を聞いたことがありません」


 そういう”伝道者”は、ずいぶんと寂しげだ。


「これまで、何人の巡礼者たちが悪魔ディアブロに挑んだんだい?」

「それはもう。――数え切れないほど」

「百人くらい?」

「いいえ、もっと、もっとです。この数十年間、――我こそはと名乗りを上げた世界各地の英雄たちが、あの悪魔に挑んでは敗れ去りました」


――数十年。


 じゃあきみ、何歳なんだよ……という、ゲームの時も感じたツッコミを呑み込む。


「最近では、ぱったりと濃霧を抜けられる英雄も途絶えてしまって。――あなたはずいぶん、久方ぶりの巡礼者なのです」

「………………」


 狂太郎は、改めて少女の姿を眺める。

 これまで、彼女のことをゲーム・キャラクターの一種だと思って来たが……。


「君もいろいろと、大変だったんだな」

「ええ、まあ……」


 神の気まぐれに付き合わされて、きっと何人もの死を見届けてきたのだろう。

 さすがの狂太郎も少し、苦い気持ちになる。

 あるいは全て、悪趣味な茶番劇かもしれないのに。


「まあ、あまり深刻になりすぎないことだ」

「は……はい。ごめんなさい。こんな暗い話……」

「別に構わない」


 少女はすぐに感情を切り替えて、人当たりの良い”伝道者”の顔を取り戻す。


「ところで、あの、……これからどうされます? もっと探索を進めますか?」

「むろん、そうする。遅くとも三十分以内にこのステージをクリアしたい」

「さんじゅ……っ? そ、それ、本気ですか?」

「うむ」


 狂太郎には、一秒だって無駄にする時間はない。


「では、どうしましょ。私、ひょっとすると足手まといになっちゃうかも」

「問題ない」


 狂太郎は、彼女に背を向けて、その場に屈む。


「これからは、きみを背負っていく」

「せお、……せおっていくって……?」

「きみ、転移の魔法を使えると言ったね」

「はあ」


 ちなみにこの”転移魔法”なる力、ゲーム中では”伝道者”しか使うことが出来ない。

 『デモンズボード』における探索は基本的に、彼女の力を借りて、あちこちにショートカットしながら行うことになるのだ。


「きみの魔法は後々、絶対に必要になる。時短になるからな」

「で、でもさすがに、私のような者を背負うなど、――失礼に当たりませんか?」

「失礼もくそもない。攻略スピードが優先だ」

「こうりゃくスピード、ですか……」

「ただし、荷物は最小限度で。護身用の短剣なども全て置いていってもらう。重いとすぐ疲れてしまうからな」

「は、はあ」


 などという問答の後、少女はおずおずと狂太郎の背中に身体を預けた。

 その重さをぐっと足腰で感じて、


――軽いな。


 その異様な重量のなさに驚く。

 この世界の人間はものを食べないのだから、肉がつかないのは当たり前かもしれないが(※10)。


「ええっと……あのその……だ、だいじょぶ、ですか……?」


 おずおずと訊ねる”伝道者”に、狂太郎は「あ、うん」と応える。


「あと、両手は必ず肩のポジションで。おっぱいを押しつけられると集中できないから」

「わ、わかりました、けど……」

「何か?」

「どこを目指すんでしょうか」

「まず、最低限必要なアイテムの回収を行う。で、そのアイテムを利用してボスを倒す。以上」

「ふぁ、ふぁい……」


 その場で軽くアキレス腱を伸ばしたりして、大きく深呼吸。

 《すばやさ》の発動を念ずると、目の前を飛ぶ羽虫のスピードが徐々にゆっくりになっていくのがわかる。

 そうして狂太郎は、動き始めた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(※8)

 多少、物事を誇張して語るところのある狂太郎ですらこの擬音を使ったくらいだから、この戦いはよほど迫力に欠けるものだったのだと思われる。


(※9)

 《すばやさⅩ》。”Ⅹ”は、数字の『10』の意味らしい。


(※10)

 重量計ならざる身の狂太郎にはその詳細な数値は不明だが、「なんか……赤んぼうくらい?」とのこと。

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