泣き虫の優しい鬼と鬼に助けられた子ども

さち

泣き虫の優しい鬼と鬼に助けられた子ども

 とある村外れの山に1人の鬼が住んでいました。鬼は身の丈が3メートルもあり、恐ろしい牙と角があったので村人たちからは恐れられていましたが、外見とは裏腹に本当は心の優しい鬼でした。鬼は村人たちが自分を怖がっているのを知っていたので、なるべく近寄らずひっそりと暮らしていました。

 あるとき、山を越えようとしていた一家が運悪く獣に襲われました。血の匂いに気づいた鬼が駆けつけると、親はすでに獣に喰い殺されていました。まだ幼い子どもだけは酷い傷を負いながらもなんとか生きていました。鬼は子どもを抱き上げると急いで自分の家に連れていき、手当てをしてやりました。

「すまんなあ。お前の親は助けられんかった。それでも、お前だけでも生きていてくれてよかった。今年は山に獲物が少なくてな。獣たちも腹を空かせていたんだろう。あいつらも生きるためには喰わんといかんからなあ」

鬼はそう言ってポロポロと涙を流しながら子どもの手当てをしました。子どもは鬼を見て怖がるでもなく、ポロポロと涙を流す様子をただじっと見つめていました。

「こんなに小さい子どもが親を亡くしたら生きていくのは大変だろう。俺と一緒にここで暮らすか?」

鬼は子どもの将来を案じて言いましたが、少し考えると小さく首を振りました。

「人間は人間の中で暮らすのがいいだろう。俺が手当てをしたとわかったら、人間たちはお前に酷いことをするかもしれないな」

鬼はそう言うと子どもを抱き上げて元の場所に行きました。そして人間からは手当てをしたことがわからないようにして、子どもを親の亡骸のそばにそっとおきました。

「帰ってこないのがわかれば村人が探しにくるだろう。見つけられるまでの辛抱だぞ」

鬼はそう言うと子どもに水を飲ませ、優しく頭を撫でてその場を去りました。


 鬼は子どもにも村人にも気づかれないようにそっと子どもの様子を見ていました。村人がいつ探しにくるかわからない、また獣がくるかもしれないと心配だったのです。

 その日、村人は一家を探しにきませんでした。夜になって冷え込むと、鬼はそっと子どものそばにきて凍えないように毛布をかけてやりました。そして、朝になる前にまたそっと毛布を取りに来ます。弱った子どもが死んでしまわないように、少しだけ水を飲ませたりもしました。

 そうして2日経ってから、やっと村人たちが親の亡骸と子どもを見つけました。かろうじて生きていた子どもは急いで村の医者のところに運ばれ、手当てをされました。親の亡骸は丁寧に埋葬されました。

 村の男たちは村長の家に集まって話し合いをしました。

「きっと山の鬼に喰われたに違いねえ」

「だが、俺たちでは鬼は殺せん」

「これからは山に入ることを禁じるするしかなかろう」

親を喰い殺したのは鬼だろうと話し合った男たちは、その日から山に立ち入ることを禁止しました。

 手当てをされて目を覚ました子どもがいくら鬼に助けてもらったんだと言っても大人たちは聞く耳を持ちませんでした。親を喰い殺された悲しみで記憶が違ってしまったんだろうと哀れむばかりでした。

 親を亡くした子どもは村長の家に預けられることになりました。子どもの親はとても親切で、村人たちから大層慕われていたのです。その子どももよく親の手伝いをしたり、村の年寄りの手伝いをしていたのを村人たちは知っていました。だから、せめて生き残った子どもは親への恩返しの意味も込めて大切に育ててやろうということになったのです。

 村長の家に預けられた子どもは、怪我が治ったらすぐに鬼のところに行こうと考えていました。助けてくれたお礼を言いたかったし、何よりポロポロと泣いていた様子が忘れられませんでした。

 しかし、村長の家は使用人がたくさんいました。そして、親を亡くした子どもが1人でいるのは心細かろうと常に何人かが子どものそばにいたのです。そのため子どもは鬼のところへ行くことはできませんでした。

 村長には子どもと同い年の息子がいました。村長の家には使用人はたくさんいても、息子と同じくらいの歳の子どもはいません。息子は同い年の子どもが引き取られてくると嬉しくて仕方ありませんでした。怪我が治るまでは大人しくしていた息子でしたが、子どもが元気になると一緒になって遊ぶようになりました。遊ぶのも勉強するのもいつも一緒。子どもは1人になる時間がないほどでした。


 そうして数年が過ぎ、子どもは少年から青年に成長しました。頭もよく大層働き者の青年は、親のいない自分に良くしてくれた村のためによく働きました。そして、村長の娘を妻にもらい、子宝にも恵まれました。なに不自由ない幸せな生活でしたが、青年の心にはいつも自分を最初に助けてくれた鬼がいました。いつかあの鬼のところへ行ってお礼がしたい。もう泣かないでと言ってあげたい。寂しいならそばにいてあげたい。そう思っても家族をおいては行けませんでした。妻は大層器量がよく、青年と一緒によく働きました。家事に子育てにと2人で力を合わせて仲良く暮らしていました。

 やがて、子どもたちも大人になり、それぞれ家庭を持ちました。その頃には青年はすっかりおじさんになっていました。子どもたちが家を出ても、妻はいつもそばにいます。男は大切な妻を残して家を出ることはできませんでした。それに、若いときほど忙しくはありませんでしたが、それでも男は村のためによく働いていました。

 そしてさらに時間が過ぎ、妻は年老いて天寿を全うしました。すっかりおじいさんになった男は、妻の葬儀を終えると頼もしく成長した子どもたちを呼びました。そして子どもの頃、親を獣に喰い殺されたこと、今でも立ち入り禁止になっている山の鬼に助けられたことを話して聞かせました。

「わしはずっと鬼にお礼を言いに行きたかったが、良くしてくれたみんなに心配はかけられないと思って行けなかった。そうしているうちに結婚して、お前たちが生まれて、わしは幸せだった。妻は先に逝った。お前たちも立派に成長した。わしは山の鬼に会いに行こうと思う」

男がそう言うと、子どもたちは顔を見合わせてうなずきました。実は、子どもたちは父親が何かをずっと憂いていることに気づいていたのです。

「お父さんは時々あの山を見ては悲しそうな顔をしていました。あの山でお父さんが両親を亡くしたというのは聞いていたので、そのことを思い出しているのかと思っていましたが、そうではないかもしれないとも思っていました」

「あの山を見るときのお父さんの顔は、悲しいというより、心配そうな感じだったから」

「だから、今の話を聞いて納得しました。お父さんは今まで俺たちのためや村のためにたくさん頑張ってくれました。だから、これからはお父さんの好きなように生きてください」

子どもたちがそう言って頭を下げると、男は驚きながらも嬉しそうに笑って涙を流しました。

 妻の初七日を終えた晩、男は子どもたちと酒を酌み交わしました。そして翌朝、男は村の誰よりも早く起きて、かつて両親を亡くし、鬼に助けられた山に1人で入りました。


 男は山に入るとあてもなく歩きました。よく考えれば今でも鬼が住んでいるかもわかりません。もういないかもしれない。自分のことなど忘れてしまったかもしれない。そう思いながらも男は必死に人が歩かなくなって久しい山道を歩きました。

 山に入ったのは早朝だったのに、気づくと日暮れになっていました。いつのまにか道もなくなり、男は獣道のようなところを歩いていました。

 ふと、男の目に小さな花が見えました。近くに行くと、それは小さな花束で、まるで供えるようにそこにおかれていました。

「ここは、わしが獣に襲われた場所…」

長い年月ですっかり変わってはいましたが、そこかかつて男が両親と共に獣に襲われた場所でした。両親が死んだ場所でした。そんな場所に花が供えてある。あの事件のあと、この山は立ち入り禁止となり足を踏み入れる者はいなくなりました。この花は鬼が供えてくれたとしか思えませんでした。そして、花はまだ萎れてはいませんでした。

「まさか、あれからずっと、花を供えていてくれたのか?」

呟いた男の視界が涙で歪みます。ただ死んでいるのを見つけただけの人間のために、何十年も花を供えてくれる。そんな心優しい鬼なのに、人間たちは人喰い鬼だと恐れていたのです。なんと愚かなことだろうと男はただただ泣きました。

 いったいどれだけ泣いたのか、気づくとあたりは白み始め、夜が明けていました。

さく、さく…

ふと、男の耳に足音が聞こえてきました。それも2本足で歩く音でした。この山で2本足で歩くのは猿の他には鬼しかいません。男が起き上がると、茂みの間から鬼が姿を現しました。自分を助けてくれたときと全く同じ姿の鬼に、男は「やっと会えた」と涙を流しました。

「お前、あの時の子どもか?」

男を見た鬼は驚いたように言いました。その手には摘んだばかりの花が握られていました。

「そうです。子どもの頃、あなたに助けられました。ずっとお礼を言いたかったのに、ここにくることができませんでした。遅くなってすみません。助けてくれてありがとうございました」

男がそう言って頭を下げると、鬼は嬉しそうに笑いました。

「あの時の子どもがこんなに立派に成長したのか。よかったなあ。きっとお前の親も喜んでいるだろうさ」

鬼はそう言うと供えてあった花と摘んできた花を取り替えました。

「あれから人間がこの山に入ることはなくなったからなあ。きっと亡骸は弔ってくれたろうとは思ったが、気になって俺も花を供えていたんだ」

「あれからもう何十年も経ちました。子どもだったわしはすっかり爺です。そんなに長い間両親に花を供えてくれて、ありがとうございました」

「俺が好きでやったことだ。気にするな」

鬼は照れ臭そうに言うと男をまじまじと見ました。

「お前、この山に入って叱られないか?早く帰らなくていいのか?」

そう言って心配する鬼に男は首を振りました。

「あなたはあの時わしのために泣いてくれました。わしをそばにおこうとしたのを、考え直して村に返してくれました。わしはずっと、あなたが独りなんじゃないか、寂しいんじゃないかと心配でした。子どもたちは皆立派に成長しました。妻は先日天寿を全うしました。だからやっとこうしてここに来られました。もし迷惑でないのなら、これからはあなたと一緒に暮らしたい。ダメでしょうか?」

男の言葉に鬼は驚いて目を丸くしました。あの時、一緒に暮らすかと尋ねたのを、子どもはしっかり聞いて覚えていたのです。ずっとずっと独りだった鬼にとって、一緒に暮らしたいと言う男の言葉はとても嬉しいものでした。しかし、それは人間が鬼である自分と暮らすということは、人間の輪廻から外れてしまうことです。もう子どもたちにも会えません。それは悲しいことではないだろうかと鬼は思いました。

「俺と一緒に暮らすということは、もう人間のところへは戻れないということだぞ?お前の子どもたちとも会えないぞ?それでもいいのか?」

「子どもたちにはきちんと話してきました。みんな納得してくれました。わしはもう十分長いこと生きました。やりたいことは全てやった。心残りはありません」

そう言って笑う男の表情はとても晴れやかでした。それを見た鬼はやっと納得してうなずくと、それでも恐る恐る尋ねました。

「俺の姿は恐ろしくはないか?醜くはないか?」

「あなたの姿は確かに一見すると恐ろしいが、それよりもあなたの心はとても優しい。わしはそれを知っています。だから恐ろしいとも醜いとも思いません」

「そうか、そうかあ…」

男の言葉に鬼は嬉しそうに笑うとポロポロと涙を流しました。

「嬉しいなあ。今まで俺のことをこんなに思ってくれたものはおらんかった。人間たちは俺を怖がるばかりでのう。こんなに嬉しいのは初めてだあ」

鬼はそう言って泣くと、男を家に案内しました。その家は夢現ながら助けられたときに見た家のままでした。

「俺が作ったものを食うとお前も鬼になってしまう。今から握り飯を作るから、食べてくれるか?」

まだどこか不安そうに鬼が尋ねると、男は「喜んで」と言って笑いました。鬼はうなずくと自ら握り飯を作りました。米や他の食料はどうやって調達しているのかと聞くと、鬼が住む国があってそこからもらってくるのだと教えてくれました。

「本当はそっちに住めばいいんだろうがなあ。俺は人間が好きだから、ついこんなところに住んじまった。山に誰もこなくなっても、村に人間がいるのはわかるからなあ」

照れ臭そうに言った鬼は大きな握り飯を作ると男に差し出しました。

「いただきます」

手を合わせて握り飯を受け取り食べ始める。鬼が作ってくれた握り飯はとても美味しいものでした。食べるごとに男は若返り、体力が満ちていた青年の姿になりましま。そして頭には2本の角が生えました。握り飯を食べ終えると、男は小柄な鬼になっていました。

「不思議だなあ。さっきまで皺くちゃだったのに」

「これでお前も俺の仲間だ。鬼は1番強いときで成長が止まる。その姿がお前の1番強いときなんだろうさ」

青年の姿になり、角が生えて鬼になった男を鬼は嬉しそうに見つめました。

「これでもうあなたに寂しい思いをさせなくてすみますね。これからは俺が一緒ですよ」

「ああ、嬉しいなあ」

鬼はそう言うとまたポロポロと涙を流しました。


 泣き虫の心優しい鬼とかつて鬼に助けられた子どもは、それからずっと一緒に仲良く暮らしました。ずっと独りだった鬼はもう寂しい思いをすることはなくなりましたとさ。


 完

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