第38話 甘口のカレー
「この匂いは……」
真澄が人間の姿に戻って家に帰るとカレーの香りが鼻をつく。
――甘口云々の前にカレーが好きなんだな。
台所に入るとコンロの前で菊姫と塩浦が並んで料理中だった。
「これだけでいいのかしら」
「手順通りならね」
「カレーは隠し味が大事なんでしょ? あんこを入れたら甘くなるわよ?」
「コクは出るのかな」
「ご飯の代わりにナンで食べるんだし、代わりにパンケーキでもいいわね」
「時間がかかるから今度にしよう」
「あ! たい焼きってあんこ入りのパンケーキみたいなものよね!」
「たい焼きがない。それも今度だね」
――てっきりレトルトかと思ってたら……。
怪しい言動を聞いて、真澄は声をかけられずに立ち止まってしまう。
「このままじゃ普通のカレーよ?」
「普通がいいっていう意見もある」
「でも名郷ってカレーを作るみたいなの。アレンジしなきゃがっかりしない?」
「作る手間がなくなるだけでありがたいだろうね」
「うーん、何かパンチが……」
ここで割って入るのは邪魔者になりそうだと感じ、台所を離れようとしたところで菊姫が目ざとく気付いた。しかし、真澄には声をかけず塩浦を見る。
「料理をするのは真澄に食べてほしいからだよね」
「そ、そういうのじゃ……」
「いきなり住み込もうとしたお詫びなのかな」
「少し悪かったなって、それだけよ」
菊姫は後ろにチラチラと視線を向けて楽しげに口元に笑みを浮かべていた。
――せめて塩浦には気づかれないうちに……。
会話の内容でお互い気まずくなるのは明白。真澄が静かに下がろうとしたとき、動揺から戸へ見事に肘をぶつけた。
「いっ! つぅ……」
クリティカルな当たりで指先へ走ったしびれに呻き、ハッと顔を上げる。目が合った塩浦はみるみる顔を赤く染めて口を開いた。
「べ、別に名郷のために作ってるわけじゃないんだから!」
「うん、まあ……楽しみにしてるとだけ……」
剣幕に押されて大人しく台所を退散する真澄の耳に、青春だと呟く声が聞こえてくるのだった。
「ふふん、どう? 美味しそうなカレーでしょ?」
「確かにな」
居間のテーブル二日続けてカレーが並ぶ。ただし、具材のごろごろ具合は格段に上がっていた。真澄は塩浦が指先へつけた絆創膏に苦労を見る。
「じゃ、いただきます」
ルーを多めにひとすくい。口に入れると家カレーの安心する味が広がった。
――予想より節度のある甘さだったな。
「わたしはもっとハチミツを入れてもよかったんだけど、ひめちゃんに止められたのよ。トッピングでかける?」
「いや、十分美味しいから大丈夫だ」
「遠慮しなくていいのに」
菊姫と塩浦の二人も食べ始め、しばらく無言で味わう時間が流れる。
――誰かに料理を作ってもらうありがたみもここでの生活を始めてわかったことか。
「明日は午前中に木刀の写真を撮るのよね?」
カレーを半分食べ、追加でハチミツをかけ始めた塩浦が思い出したように聞く。
「その予定だな」
だからこそ、ダンジョンへ潜る予定を午後にずらしていた。
「とりあえず和風っぽく見せる作戦ですよね?」
「泊まらせてもらった部屋にある掛け軸が使えるかな」
「わたしも衣装を持ってきたわよ。あ、勝手にだから別に使わなくても……」
小さくなる語尾に真澄と菊姫は視線を交わす。
――塩浦も不器用なだけと受け入れたらな。
「その衣装を着て菊姫さんが写る写らないも、三人で相談しながら決めるか」
「うん、そうしましょう」
「撮影が終わって午後のダンジョンは、俺と塩浦が積極的に魔物を倒すことになる。ファイネは戦うだけで魔力を消費するみたいで、下層の強敵対策に温存したいらしい」
「わたしがメインに戦えばいいのね。名郷はお手本に見ておくといいわよ」
「学ばせてもらおう」
――訓練で借りた剣をファイネ相手に使ってみたが、一朝一夕で扱うには難しさがあった。
「当然、複数の魔物が出たときは手伝うからな」
「私は?」
「サポートをお願いします。念のため充電池を多めに持っていきたいので」
「暗いダンジョンは灯りがなくなると致命的な状況に陥るのよね。常にもしもを考える必要があって、サポート役はダンジョンに必須な役割なの」
「気軽な立ち位置でいたいんだけど」
「最悪、ファイネがなんとかしてくれると思って挑みましょう」
「骨語がわかるのは真澄しかいないんだよ」
「そこを信用されても困ると言いますか。仕草を含めての骨語なんで真っ暗だとわかりかねます」
「……普通は明るくてもわからないわよ。名郷ってスケルトンになりすぎてバカになってるのかしら」
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