即オチ幼馴染に、勝負で勝ったのにメイド喫茶のバイトが露見してしまう。


 今日は朝からバイトのため、これから家を出るところだった。トントンと床を靴の先で叩き、準備万端。いざ出発と玄関に手を掛けると、二階からふわぁっと欠伸をしながらルコが下りてきた。


 ふわふわもこもこのパジャマが着崩れ、白い肩が見えてしまっている。とてもはしたない。

 まるで自分の家のようなだらしなさだ。母上様にお泊りを勧められたからとはいえ、寛ぎ過ぎではなかろうか。


 呆れた目で見ていると、僕に気が付いたルコが目をパチクリさせる。どうやら目が覚めたらしい。じーっと無遠慮に見つめてくると、こてん、と首を傾げた。


「ナギサはなんのバイトをしているんですか?」

「教えない」


 僕の返答がお気に召さなかったらしい。ぷくぅと頬が膨らむ。

 大人っぽい見た目に反したいとけない仕草。ちょっとかわいいのが悔しい。


「別にバイト先ぐらい」

「教えないよ」

「教えてくれたって」

「ぜったいやだ」

「いいじゃない」

「むりぃ」

「ですかって、どんだけ嫌なんですか!?」


 眠気も吹き飛んだとばかりに、足早に近付いてくる。

 ぐっと鼻が触れ合いそうな距離まで顔を突き出す。不機嫌そうな瑠璃色の瞳が視界一杯に広がった。僕が言えたものじゃないけど、男女の距離感バグってるよね。


「むぅ……逆に気になってしょうがないんですけど」

「そっかー」

「くっ……」


 素っ気ない僕の返答に、ルコは唇を噛む。


(次の展開が読めるね、これは)


 案の定、僕の鼻先に人差し指を触れさせたルコが、朝から元気に宣言した。


「なら、勝負です!」

「お断りいたします」

「お断りするのを、お断りします!」

「暴君かな?」


 そして、僕は圧政に苦しむ民人。

 いつもの流れ。いつもの返答。

 どうせ言い出したら、僕の言葉なんて聞きはしないんだ。だから、折れるのはいつだって僕だ。


「バイトの時間もあるでしょうから、じゃんけん一回勝負です。私が勝ったら教えていただきますからね? いきますよ? じゃんけん――」



 ■■


「うぅっ……うぅううううっ……どうして、いつもいつもっ」

「運要素の強い勝負にするから……運ないのに」


 壁にもたれかかり、泣きべそをかくルコの姿は、瞳と同じ青色のチャイナ服だ。

 ダイヤ型に穴の開いた胸元には、ムチムチとした深い谷間が覗きとてもえっちぃ。むっちりとした太腿を大胆に魅せるスリット。そこから見える白ニーソがフェチ心をとても揺さぶる。


(服がタイトだから、体の線が浮き彫りになってるのがまたえっちだなぁ)


 いつまでも眺めて、写真を撮っていたいところであるけれど、今日は時間がない。バイトが迫っている。

 名残惜しい。だけど、僕は諦めて出掛けることにした。


「じゃ、行ってきます」

「しくしく……行ってらっしゃいませ」


 涙目で、律儀に手を振ってくれる。

 僕も手を振り返すと、扉が音を立てて閉まった。



 □□


 ナギサが出て行った後も、私は玄関前の廊下で座り込んだまま、壁にのの字を書いていた。


「バイト先ぐらい教えてくれてもいいではありませんか……ハッ!?」

(まさか、教えられないバイト……ホスト?)


 やたら派手なスーツを着こなし、白い歯を光らせ夜の街で出迎えてくれるナギサ。

 それはとてもとても、よいものだ。知らず頬が熱を帯びる。


「ホストなナギサ……凄く見たい。いえっ……いけませんよナギサッ!!」


 他の女性に甘い声で囁くナギサは見たくなかった。


(夜の街のNo.1ホステスになってしまいますっ!)


 心配が心の中を堂々巡りする。

 今からでも追いかけたいが、勝負で負けた身。なにより、バイト先を知らなくては追い掛けることもできはしない。


 どうすればいと頭を抱えていると、玄関がガチャリと開く音がした。



 □□


 バイト先の店内で、僕はお客様が飲み食いしたテーブルを片付けていた。

 空のお皿を運び、キュッキュと音が鳴るぐらいテーブルを磨く。


 一通り作業を終えた僕は、不意に家を出る時のルコを思い出して、少し立ち尽くす。


「うぅん……少し素っ気なかったかな」


 普段通りと言えば普段通りだったけど、ちょっと頑なになっていたかもしれない。教えないで終わるのではなく、少しフォローも入れておくべきだった。ちょっと反省。

 とはいえ、知られたくはない。


 窓に映る自分の姿を見て、ため息をつく。

 憂鬱な気分。けれど、ご主人様は待ってはくれない。来店を告げるベルが鳴り、僕は笑顔を作って折り目正しく出迎える。


「お帰りなさいま――」

「――来ちゃいました♪」


 なんて、語尾を『ルンッ♪』と音が出そうなほど上げて、ニッコニコの笑顔でルコが入店してきた。

 絶句……なんてものじゃない。心臓が止まるほどの衝撃を受けて、どんなリアクションをすればいいのか全くわからない。笑えばいい? こんな状況で笑えるわけない。


「ナギサ……すんごい顔してますよ?」

「そりゃそうでしょうよ」


 自分の顔は見れないけれど、酷い顔をしているのはわかる。引き攣った表情筋がピクピク痙攣しているもの。ここまで驚いたのは、人生でも数えるほどだ。


 頭の中は真っ白。問い質すべきなのはわかるが、なにを問うべきなのかがわからない。

 開いた口が塞がらず、棒立ちになっていると、ルコが瞳を輝かせた。


「というより、その恰好は…………メイドさん?」

「……~~っ」


 ハッと我に返り、顔を赤くして体を隠すように抱きしめる。その行動がルコの興奮に油を注いだのか、白い頬が紅潮し、口元がへにょりと緩んだ。


 そう。なにを隠そう、今の僕は喫茶店の制服に身を包んだ――メイドさんなのだ。


 頭に白いカチューシャを付けて、薄く化粧を施した顔。

 丈の短いエプロンドレスを身に纏い、スカートとニーソの間には絶対領域まである。

 同じメイドさんやお客さんには『お人形みた~い』と大変好評な、僕にとっては女装でしかないあられもない姿。


 諦観の末、慣れ切った服装であったけれど、知り合いに見られて平気かと言えば、そんなことはない。特にルコに見られたのは痛恨で、今直ぐにバックヤードに隠れてしまいたい。


「えぇ? えぇっ? どういうことですかなんでメイド服を着ているんですか説明してください可愛いですねッ!?」

「店内での写真撮影はご遠慮ください」


 早速スマホを構えて、鼻息荒く撮影に臨むルコ。


(今日は罰ゲームじゃないのに、なんで、こんな……)


 目が死んでいくのが、自分でわかる。きっと光のない、洞穴のように真っ暗な目をしていることだろう。ははは、笑っちゃうねほんと。

 撮った写真を確認して、満足そうにしているルコが、ようやく顔を上げて訊ねてくる。


「ここ、どのようなお店ですか? 男の娘メイド喫茶? え? まさか他のメイドさんも……?」

「違うから」


 失礼すぎる。

 聞こえたのだろう。こちらに顔を向けたメイドさんが、ニヤニヤしている。見ないで聞かないで仕事戻って。


 もうどうにでもしてくれと、感情を殺した僕は抑揚なく、淡々と答える。


「普通のメイド喫茶」

「でも……ナギサは男の娘……?」ルコは僕のメイド服姿を下から上まで流し見る。「…………女の子でしたっけ?」

「もしもし幼馴染さん?」


 性別に疑いを持たないで?


「では、なぜ?」

「……」


 僕は押し黙る。当然の疑問で、ぐぅの音も出ない。

 なぜかって? そんなの僕が知りたいよ。


 こうなった原因。当時のことを思い出し、エプロンのフリルを指先で弄ぶ。なんとも言いづらい。


「元々調理でバイト受かったんだけど、忙しい時にホール出されて……メイド服で」

「笑っていいですか?」

「鬼畜ぅ」


 ほんとに笑うし。楽しそうね、君。

 なんでかなぁ。急な休みが出て、ホールの人手が足りなかった。それは仕方ないことだけど、メイド長が制服を持ってきて『宜しくお願いします』と言った時は、なにを言っているのか全く理解できなかったけなぁ。


 メイドさんたちの手の元、あれよあれよと服を脱がされ、メイド服を着せられて、髪のセットと化粧をされて……。

 キャーキャー黄色い声を上げるお姉様方。鏡の向こうでは、可憐なメイドが死人のように暗い顔をしていたのをよく覚えている。


 遠い、けれど忘れがたい過去を思い出して黄昏ていると、全ての元凶が声をかけてきた。


「どうしましたか、ナギサ」

「メイド長」

「メイド長!?」


 ルコが驚きの声を上げている。

 そんなルコに隙のない笑顔を向けたメイド長は、淀みない所作でスカートを摘まむと挨拶カーテシーをする。


「お初にお目にかかります、お嬢様。わたくし、メイド喫茶『メイド・オブ・オールワークス』のメイド長をしております、ディーナと申します」

「あ、はい。これはご丁寧にありがとうございます」


 枝毛一つない、長く艶やかな栗色の髪がお辞儀に合わせてさらりと落ちる。

 水晶のように透き通る紫の瞳に見つめられ、一瞬戸惑いを見せるルコ。けれど、これでもれっきとした本物のお嬢様だ。


 瞬きの間に取り繕い、挨拶を返す。綺麗なお辞儀の角度。こういうのを見ると、ルコはお嬢様だったな、と思い出す。


「あの……お綺麗ですね」

「身に余るお言葉を賜り、光栄でございます」


 褒め言葉にも慣れたもの。メイド長は笑顔で受け止める。ルコも笑顔で返す。

 ……無言。

 このまま見合っていても始まらない。僕は嫌々ながらも、メイド長に事情を説明する。


「メイド長、えっとルコ……彼女は、僕の知り合いと言いますか、その」

「ナギサのお話に上がる、幼馴染でございますね?」


 端的な確認に、僕の喉が引き攣る。


(やめて。本人の前でやめて)


 僕の心の叫びは当然届かず、興味を持ったルコが口を挟んでくる。


「どんな話をしてるんですか?」

「……ホルスタインって」

「牛ッ!?」


 どういう意味かと怒るルコ。

 当然、深く掘り下げて欲しくないから軽口を叩いただけだ。


 けれど、この判断は失敗だった。

 いつもならこれで受け流せたろうけど、今は立ち会っている人が悪い。メイド長の紫水晶の瞳が鋭く細まった。


「ナギサ」

「はい」


 条件反射で返事をする。怖い。


「幼馴染とはいえ、一歩店内に足を踏み入れたのであれば、ご主人様と従者です。メイドとして、ご主人様に誇れる対応をお願いします」

「……かしこまりました」


 頭を下げる。普段ならしない失敗に、僕は項垂れる。

 こうなった要因であるルコがニヤニヤしているのがとてもイラつく。けれど、態度にはださない。また怒られちゃう。


「では、お嬢様をお席までご案内してください」

「お嬢様、どうぞこちらへ」

「無愛想なメイドですね」

「ナギサ」


 面白がるルコに、至って真面目なメイド長。


(くっそ~)


 バイトが終わったら絶対仕返しをすると誓い、僕は笑顔を張り付ける。完璧な営業スマイルだ。引き攣っているけど。


「素敵な笑顔ですね」

「……っ」


 ルコの小馬鹿にした態度に、こめかみがピクピク動く。

 我慢我慢牛娘……と念仏のように心で唱え、ルコを席へと案内する。



 ■■


 そんな感じで。

 入店時は終始ご機嫌であったルコだけれど、店内にいる時間が長くなるにつれ、その機嫌は急降下していった。

 私は不機嫌です、と唇を尖らせ不満げだ。


「むぅ……」

「なんで不機嫌なのよ?」

「なのよ?」

「……ご気分が優れませんか、お嬢様? トイレの水で顔を洗ってはいかがでしょうか?」

「そうそう……って、どんな毒舌メイドですか」


 言葉遣いは丁寧だけど、中身は毒しかないメイドです。


 ふんっ、とルコが顔を背ける。


「ちやほやされていいご身分ですねーって、思っただけです」

「お嬢様にご奉仕しているのは私のはずですが」


 ちやほやされた覚えない。むしろ、あれやこれやとご主人様ムーブをされて、血管切れそうなのは僕のほうだ。お水零したからスカート拭いては周囲の目がある中ではダメでしょうよ。拭いたけど。


「女性の客さんや、メイドさんたちに可愛がられてるじゃないですか」

「弄られてるだけでしょ」


 ぷくーっとルコの頬が膨らむ。

 口説かれたり、頭を撫でられたりしているけれど、そんなもの弄って遊ばれているだけだ。もてはやされているわけじゃない。


 とはいえ、そんな言葉じゃルコは納得できないようで、ぷんすことむくれたまま機嫌を直そうとしない。


(どうしようかなぁ)


 銀のトレイを抱え悩んでいると、メイド長がやってくる。


「お嬢様、失礼致します」

「……? なんでしょうか?」

「もし宜しければ――」


 こそっと耳打ちした内容に、今度は僕の口がへの字を描いた。



 ■■


 先ほどまでの不機嫌が一転、楽しそうにスカートをひらひらさせているルコが、上機嫌に声をかけてきた。


「どうですナギサ! 似合っていますか?」


 スカートをちょこんと摘まみ、メイド長の見様見真似でお辞儀カーテシーをしている。


(機嫌が戻ってよかったぁ)


 そう思うものの、釈然としない僕はむすっと顔を背けてしまう。

 ルコがきょとんと目を丸くする。


「どうしたんですか? 黙ってしまって。ふふ……もしかして、見惚れてしまいましたか?」

「似合ってるよホルスタインメイド様」

「誰が牛従者ですか!?」


 ルコが心外だと叫ぶが、割と見たままだ。

 僕と同じメイド服とは思えないほど胸元が膨れ上がり、ぎゅうぎゅうに押しこまれた状態だ。バックヤードにいる他のメイドさんが、あまりの凶悪さに慄き、自身の胸をペタペタと触って慰め合っている。ルコがおかしいんだよ。他の皆も十分あるよ。


 元々コスプレよりの衣装だけれど、ルコが着るといかがわしさが増し増しだ。言うと怒るだろうが、A〇のコスプレ物っぽい。観たことないけど。


 そんなえっちぃメイドさんは僕の反応が不満なようで、前屈みになってこちらを睨む。おっぱいが強調されてボタン弾けそうになっている。


「むぅ。今日はツレないですね。いつものように写真を撮ってもいいんですよ?」

「滅相もございません」


 僕は努めて平静を保つ。

 素っ気なくなっている自覚はあるけれど、どうしても感情的になってしまう。

 顔を寄せてくるルコから逃げていると、メイド長がクスクスと鈴の音のような笑い声を零した。


「お嬢様。ナギサは拗ねているのです」

「拗ねて?」

「まっ……メイド長っ」

「うふふ」


 殊更楽しそうに笑い、後ろから僕の両肩に手を添える。そして、僕の耳に濡れた唇をそっと近付けると、小さく、けれどルコに聞こえるような声量で囁いた。


「ルコ様の可愛らしい姿を、ひとりじめしたかったのでしょう?」

「……~~っ」


 羞恥で顔が熱い。間違いなく、耳まで赤くなっている。

 誰にも見られたくないと、両手で顔を隠すけれど、どうしても隙間ができてしまう。

 目を瞑って視界を閉ざすと、どこか熱を帯びたルコの声が聞こえてきた。


「ナギサ?」

「……」

「そう……なんですか?」

「………………」暫く黙り込んだけれど、結局耐え切れなくなった僕は、指の隙間からルコを見て言う。「……悪い?」


 こみ上げる歓喜でルコの体が震えた。

 ルコの気持ちが言わずとも伝わってくる。瑠璃色の瞳を目一杯見開き、にへらとこれ以上ないほど表情を甘く蕩けさせた。


 そして、心の衝動に駆られるままに両腕を広げてぎゅうぅうううっと抱き着いてくる。


「~~ッ!! メイド長さん! お持ち帰りしていいですかっ!?」

「ないよそんなサービス」

「お嬢様の御心のままに」

「えー」


 この店はいつメイドのデリバリーを始めたのさ。

 ぬいぐるみのように抱きしめられたまま、ハートをばらまくルコにズルズル引きずられてお持ち帰りされる僕。

 見送るメイド長は微笑み小さく手を振っている。


「微笑ましい光景ですが……うちの子たちには少しばかり、ショックが大きかったようですね」


 ナギサちゃん……と呟きさめざめと泣くメイドさんたちを、メイド長は困ったように見つめていた。

 ――ちなみに、もちろん辞めたわけでなく、メイド長公認で今日だけ特別有給を貰っただけである。

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