即オチ幼馴染と、一晩中同じ部屋で過ごすのは罰ゲームみたいなもの。
ペンが滑らかに滑る小気味よい音が響く。
窓の外。町中の明かりはポツポツと灯るのみ。天幕に瞬く星が綺麗に映える、雲一つない静かな夜だった。
心地良い静寂……だったのだが。
僕は息を吐く。疲れと、呆れで。
ゆっくりと、けれど確実に近付いてくる階段を歩く音。騒がしいというほどではないけれど、音のない部屋にはよく届いた。
僕は描き途中のデザインや筆記用具を引き出しに手早く仕舞うと、ゲーミングチェアを扉側に回転させる。
と、同時に部屋の前で足音が止まる。そして、扉が倒れるように開け放たれた。
「ナギサぁっ……疲れましたぁ~」
「じゃあ、帰って寝なさいよ」
「疲れましたぁ」
ふらふらと危うい足取りで部屋に乗り込んできたのは、案の定ルコだった。
どうやら相当お疲れモードらしい。
癖のある透けるような銀髪は、かきむしったようにあちこち飛び跳ねボサボサだ。
瑠璃色の瞳は見るからに元気がなく、今にも瞼が落ちそうであった。
胡乱な瞳が僕を捕えると、そのまま崩れるように倒れてくる。衝撃は柔らか。おっぱいクッションは偉大だ。
「なにしてたんですか?」
「ルコ写真集の編集作業」
「えっちぃ」
咎める声にもいつものキレがない。本当にお疲れのようだ。
(漫画とかで見る仕事に疲れたOLみたい)
ルコは学生だからOLではないけど、様相はとても酷似している。将来がとても不安になる光景だ。酒癖悪そうだなぁ、なんて、飲めもしないのに思う。
甘えるように抱き着いてきて、ふわふわクッションが色々な形に潰れる。良い感触。
そう思っていたら、名残惜しくもルコは僕から離れると、ベッドに飛び込んだ。打ち上げられた魚みたいだ。
「人のベッドで寝ないで」
「やだぁ……疲れたもん」
「疲れたもんって」
顔をぐりぐりとベッドに擦り付けている。
そのせいで、真っ白だったシーツに赤い口紅の色が移ってしまう。
(こにゃろう)
そろそろ日も跨ぐというのに、シーツ取り換え決定だ。
匂いだけなら消臭スプレーでどうにかなるけど、紅色が付着してはどうにもならない。
恨めしそうに睨むと、ルコはうつ伏せのままくぐもった声を零した。
「もうぉ。今日はほんと忙しかったんですよぉ。新一年生との交流会や
「お好きにしてください」
生徒会とはいえ、こんな時間まで仕事をしているぐらいだ。相当大変だったのは伝わってくる。ちょっと休ませるぐらいいいか、なんて仏心が湧いてくるぐらいには。
経験上、こうなったルコはほっとくのが一番なのも知っている。
僕はタブレットの電源を付けると、読み放題の雑誌を物色し始める。
(四コマの最新話あるわ)
シャ○子が悪いんだよ。
ただ、そんな僕の態度が気に入らないのか、枕を抱き込み顔を上げたルコが唇を尖らせる。
「むぅ……対応が雑です。酷い。こんなに疲れて帰って来たのに、労いの一つもないんですか?」
「人の部屋勝手に上がりこんでなんて言い草……はいはい、お疲れ様」
「ぐすん。愛がありません」
「ありますか、そんなもの」
よく愛なんて恥ずかしげもなく言うものだ。疲れているからとはいえ、後で思い出して赤面して後悔しそうだ。
流し読みするようにページをスライドさせながら、僕はルコの戯言を聞き流す。
「ふーん、だ。いいですよいいですよぉだ。そんなつれない態度なら、朝までベッドを独占して寝かせませんからね?」
「淑女教育受けてるんじゃないの?」
ルコの通う
「どこからどう見ても立派な淑女……」ルコのお腹がぐぅと鳴る。「……お腹空きました」
「自由過ぎでしょう」
ルコはぼふっと枕に顔を倒す。
そして、ジタバタと手足をばたつかせ始めた。
「お腹空きましたお腹空きましたぁ!」
「静かにしてくれない? 母上様起きちゃう」
「……おなかすきましたぁ(小声)」
「母上様に対してだけは素直だよねぇ」
ルコと母上様は本当の親子のように仲が良い。そのためか、母上様の言うことはちゃんと聞くし、迷惑になりそうなことはしない。
それを悪い……とは言わないけど、釈然としない気持ちが残る。なんだろうね、この対応の差。
「なにも食べてないの?」
「コーヒーがお友達」
「胃壊しそう」
僕は嘆息して、ゲーミングチェアから立ち上がる。
「しょうがない。作ってくるからちょっと待って…………なに?」
服の裾を掴まれる。ぎゅっと握って離そうとしない。
(これじゃあご飯作りに行けないんだけど?)
そう視線に込めると、枕に顔埋めたままルコが言う。
「……ひとりいや」
「もう我儘ぁ」
疲れて弱るにしても限度があるでしょうよ。
放置したい気持ちに駆られるけれど、部屋に残してなにをしでかすかわからない。エロ本を探して荒されたのは、まだまだ記憶に新しい。
歩きたくない疲れたと騒ぐ図体のデカいお子ちゃまを連れて一階のリビングへ。文句を言うルコを椅子に座らせ、僕はキッチンで冷蔵庫を確認する。
(うーん。大した食材ないなぁ。なに作ろう?)
幸い、オムライスなら作れそうだ。僕は必要な食材を台所に並べると、サクッと調理を開始する。
「まだですかぁまだですかぁ? 私が餓死してもいいんですかぁ?」
「大人しく待ってなさいよ」
料理を始めて大した時間も経っていないのに、ルコがせっついてくる。完全に子供だ。ちょっと鬱陶しいね。
大きな子供を放置して、僕はオムライス作りに集中する。具材を炒め、調味料を混ぜる。
「ナギサ……手際いいですよねぇ」
「お腹を空かせて騒ぐ幼馴染に毎回作ってればそうなるでしょ」
「生意気ですね」
「作らせておいて?」
じゃあ、自分で作ってくれない?
「ふーんだ。そのうちナギサよりも上手くなりますよーだ」
「えー。それは……なんかやだ」
「ひーどーいー」
ルコが騒ぎ出す。母上様が起きてこないのは救いだ。
(うん、まぁ、でも。やだよね、ちょっと。ルコには作ってあげたいし)
我ながら我儘だなーと思う。
もちろん、ルコが料理を上手くなりたいのは尊重するし、練習するなら応援もするけれど、やだと思ってしまう心は変えようがない事実だ。
自分の矮小さに呆れていても、手元では食材と絡んだ白米が赤く色付いていく。
ケチャップライスを皿に盛り、半熟の卵焼きを乗せれば――
「――はい。オムライス」
「チェンジ」
「なんで?」
半熟が不満なの? 真っ黒になるまで固めてあげようか?
ルコが唇をへの字にする。
「愛がありません」
「愛は込めた」
「ハートは?」
「……たくもぉ」
面倒だなぁ。
そう思いつつも、僕は冷蔵庫からケチャップを引っ張り出す。
パキャッ、と小気味よい音を立てキャップを開けると、プルンっと揺れる卵の上にケチャップを絞り出す。
赤いソースで描くのは『ルコ』という名前と、文字を囲む『
ざっと数秒の作業。この程度、手慣れたものだ。
改めてどうぞと差し出すと、ルコは満足そうに笑っている。
「むふん。いただきます」
「はい、召し上がれ」
僕はルコの対面に座る。
「おいしいぃ……」
「泣かないで」
情緒不安定だなぁ。
一口食べたルコがうっうっと声を押し殺しながらさめざめと泣いている。怖いから止めてほしい。
なんだかんだ、お嬢様らしく綺麗な所作で食べ進めるルコは、ふと顔を上げると僕を見て首を傾げた。
「ナギサは食べないんですか?」
「スペアリブ食べたし」
「ズルいぃ。私の分は?」
「ない」
初めて作ったけど、予想以上に美味しくって食べきってしまった。
母上様にも好評で、作った甲斐があったというものだ。
けれど、スペアリブを食べられなかったお嬢様には不服そうだ。
「明日作ってくださいよ」
「明日って……いいけど、夜来れるの?」
「……頑張ります」
瞳から光が消え、遠目をしている。
今月最後の祝日だというのに、休日出勤は確定らしい。ほんと、よくやるよ。尊敬はしないけど。
遠い世界から戻ってきたルコは、なにを思ったのか一口分のオムライスを乗せたスプーンを、僕の口元に運んでくる。
「はい、あーん?」
「いらんって。歯磨いたし」
「食べてください」
「明日ね」
「今」
諦めず、ずずいっと迫ってくるスプーン。
「……一人で食べるのは寂しい」
「…………はむ」
ルコの表情に影が差したのを見て、僕は諦めて食べる。
それを見たルコはご機嫌になり、再びオムライスを一口分掬う。
「んふふっ。もう一口食べ……」再びルコのお腹が鳴る。「……ます?」
「食べなさい。僕は残ってるの食べるよ」
「なら、食べます」
僕に運ぼうとしたスプーンを咥え、ルコは幸せそうに頬を緩める。
――ごちそうさま。
食事を終えると、両手でお腹を押さえたルコが机につっぷする。その表情は苦しげだ。
「おなかいっぱいぃ……」
「行儀悪い」
転げるようにしながら、ソファーに寝転んだルコに説教を一つ。
「牛になるぞ……あぁ、もう牛か」
「どういう意味ですか?」
そういう意味です。
「ぶー。もー」
ぶーたれるが、それだけだ。
苦しいのか、眠たいのか。ルコが静かになる。
その間、僕は皿を洗って、片付けを進める。
カシャカシャと皿と皿がぶつかる音。ジャーと水が流れる音。
物音だけが室内を満たし、会話はない。
静かな時間だ。けれど、息苦しさはない。緩慢とした、穏やかな雰囲気。
「……いいですよねぇ、こういうの」
「……? なにが?」
「家に帰ると、誰かが出迎えてくれて、ご飯、作ってくれて……いいなぁって。そう、思います」
「そっか」
「そうです」
それからまた無言。
僕はなにも言わず、片付けを済ませると、濡れた手をペーパータオルで拭く。
「食べ終わったんだから早く帰りなさい」
「この流れで帰宅を促すのは酷くありません?」
「酷くない」
むしろ、こんな遅くに夜食まで作ってあげたんだから十分でしょうに。
「けど、お断りします」
「いや、帰りなさいよ」
「いーやーでーすー!」
この子はほんとうにもー。
無理矢理起こそうとするけれど、ソファーにしがみ付いて離れようとしない。コアラかなにかか君は。
「私もう寝ます!」
「おいこら」
ドタバタと駆け出すと、二階へ上っていく。
慌てて追いかけてみれば、僕のベッドに飛び込むところだった。スカートではしたないぞ。
枕を抱きしめて、絶対に帰らないぞという強い意志を感じる。こうなったら、梃子でも動かないだろう。結局、僕が折れるしかないわけだ。
「……しょうがないなぁ。せめてなんか着替えなさいよ。スカート皺になるから」
「お母さん」
「君みたいな胸と尻が大きい女の子生んだ覚えないよ」
「絶対どきませんからね! ナギサは床で寝てください!」
余計なことを言ったらしい。
掛け布団を頭まで被って、亀のように隠れてしまう。
(床で寝てくださいと言われてもなぁ)
同じ部屋で寝るのはなんというか……落ち着かない。
(しょうがない。ソファーで寝るか)
そのまま踵を返して部屋を出ようとすると、白い華奢な腕が伸びてきて、僕の手を掴んだ。
「なに?」
「……傍に居てください」
小さな声だった。聞き逃しそうなほどに。
けど、その声に込められた寂しいという気持ちを感じ取ってしまい、僕は動けなくなる。
「はぁ……」
ズルいなぁ。
「はいはいわかりました。僕の負け。もう好きなようにしてください」
「うふふ……私のかちぃ」
両手を上げて降参。ルコの冷たい手を握ったまま、ベッドを背もたれにして座る。
「ナギサ」
僕を呼ぶルコの声。
「ありがとうございます」
「うん……スカート放り捨てないで」
ペイッ、と放り出されていく服を見て、僕は長い夜になると覚悟した。
■■
「わ、私なんでルコのベッドで下着姿……ッ!?」
朝、目が覚めたルコの第一声がこれだった。
寝苦しかったのか、ブラウスのボタンを全て外し、真っ白な下着姿のルコ。顔を紅潮させ、肉感的な体をむにゅっと抱きしめている。
「ああいえ……そういうえば昨日…………でもでも!?」
「起きたのね……」
「ナギサッ!?」
僕の声を聞いて、ルコが悲鳴をあげた。
寝不足の頭に甲高い声が良く響く。とてもつらい。
「ちょ、ちょっと!? こっち見ないでください!」
「いろいろおそいぃ……」
それを言うなら、昨夜のうちに言って欲しかった。
「どいて」
「きゃっ!?」
目が覚めたのならよかった。
僕は雑にルコを押し退けると、そのままベッドに潜り込んだ。ルコの甘い香りが残っているけれど、とても気にしていられない。電池切れのように、意識が微睡んでいく。
「な、ナギサ!?」
「しずかにして。ねむぃ……ねる……おやすみぃ」
「こ、この状況でその反応は、その……酷く失礼ではありませんか!?」
「ひどいのはぁ……ルコのあまえかたぁ」
「あ、甘えていません!」
「ぐぅ……」
なにやら騒いでいるが、もう僕の意識は夢の中だ。なにも聞こえない。
(一晩中、裸同然の無防備な異性と同じ部屋に居て、寝れるわけないよねぇ)
ようやく訪れた安息の時間。僕は心穏やかな眠りについた。
「――釈然としないんですけど――ッ!?」
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