これもまた一つの隠し事

 修たちと別れた後、夕方を目途に帰ろうとした矢先のことだ。

 母さんから突然にメッセージが入り、知り合いと夕飯に行くから一人で食べてほしいというものだった。

 一人……寂しいなと思いつつ、反射的に絢奈に連絡をしようと思ったが流石に時間が遅すぎた。


「……また夜はどっか食いに行くか」


 昼は修と琴音の二人と楽しい時間が過ごしたわけだが、久しぶりに一人での外食に今度こそ洒落込むのもありだろうか。


「~~♪~~♪」


 家に向かっていた体を反転し、再び繁華街の方へ足を伸ばす。

 昼は中華を食べたから……う~ん、何を食べようかな……色んな意味でスタミナの付く美味しい物を食べに行ってみるか!

 そんな風に少しだけ暗くなった街中を歩いていく。


「おっと」

「あ?」


 俺はちゃんと前を見ていた……のだが、店から出てきた集団の先頭を歩く男性が横からぶつかってきたのである。

 まあ俺もいつも以上に気を付けていれば良かったんだが、取り敢えず謝ろう。


「すみません」


 見る限り相手は大人……ギリ大学生くらいだと思う。

 しっかりと目を合わせて頭を下げた後、俺はすぐに前を向いて歩き出したが嫌な予感というのは当たるようで、ガシッと肩を掴まれた。


「おい、何ぶつかっといて行こうとしてんだよてめえ」

「……………」


 俺は内心でため息を吐く。

 やっぱりというか、面倒な手合いだったようだ……ここで俺というよりアンタの方が勝手にぶつかったんだろなんて言ったら更に怒りを買うのは明白だ。

 面倒だ……心から面倒だと思ったが決して表情には出さない。


「ちょっとぉ、今のはアンタからぶつかってたでしょうがぁ。ごめんねぇ? 今のはこっちが悪かったよぉ」

「あ、はい」


 あ、連れの人はまともらしかった。

 ならばここは更にこちらが悪かった雰囲気を出すようにすれば押し切ることが出来そうだと考えたその時、その女性がグッと顔を近付けてきた。

 キツイ香水の臭いに思いっきり表情が歪んだだろうが、彼女は意に介していない。


「君、凄くイケメンねぇ? どうかな? お詫びにこれからウチらとどう?」

「……えっと」


 お詫びにって……アンタも俺が悪い方にしたかったってことかよ。

 この顔がイケメンだからの言葉だろうが、もしもそうでなかったとしたらきっと知らんぷりをしたに違いない。

 この女性の言葉に男性が舌打ちをしてまた俺に手を伸ばす……おいおい、こんなのただの悪循環じゃねえか。


(……一気に振り払って逃げるとするか)


 学校の看板を背負っている以上、喧嘩をすると面倒なことになるのは確かだし絢奈や母さんたちにも心配をかけてしまうので、俺はこの場から逃げることに。


「今――」


 今だ、そう言って走り出そうとした俺だったが別の誰かの声が響く。


「随分と面白いことになってるじゃないか――ねえ斗和坊?」


 誰かの声……知らないわけがない。

 その涼し気でありながら明らかな怒りを込めているであろう声は最近になってよく聞くものだ――振り向くとやはり、そこに居たのは神崎さんだった……っ!?

 ガシッとぶつかった男でも、絡んできた女でもなく……神崎さんが俺の肩を抱くようにして引き寄せ、代わりに神崎さんの舎弟っぽいあの女性が前に立った。


「失せなさい――これ以上はお嬢がお怒りです」


 ……なにこれ、ドラマでもやってんですかね。

 そんなツッコミを入れたくなる現場だが、神崎さんたちがキレているというのは彼らにこれでもかと伝わったらしく、そそくさとビビるように行ってしまった。


「災難だったねぇ斗和坊? さてと、後は大丈夫だから近くで待機してて」

「分かりました」


 神崎さんがそう言い、女性はぺこりと頭を下げて離れて行った。

 顎で使うというと言葉が汚いかもしれないけれど、どこまでも神崎さんに付き従うというか信頼しているのがよく分かる。


「それで斗和坊はどうしたのさ」

「あ~実は……」


 母さんからの連絡、それを受けて適当に夕飯を済ませることを伝えると……神崎さんはそれならと肩を組んでくる。

 女性らしい柔らかさと香りに一瞬たりともドキッとしなかったが、そのまま神崎さんに如何にも高そうな焼肉店へと連れて行かれるのだった。


「いらっしゃ……ってお嬢!?」

「やあやあ、席は空いてる? 空いてるよね?」

「もちろんです! 奥へどうぞ!」

「ありがとう。斗和坊行くよ」

「……………」


 あの店員さんめっちゃビビってるがな……まあ良いか。

 こういった高い店には全く来ないため、少しばかり落ち着かない。

 とはいえそれは今だけだったみたいで、実際に食事が始まると神崎さんの持つ雰囲気もあってか気にすることは特になくなった。


「美味しい……マジで美味しい」

「ははっ、そんな風に喜んでくれるのなら嬉しいよ。ここは知り合いが経営する店でよく来るんだ」

「へぇ……お嬢って言われてましたもんね」

「うん。結構太いパイプがそこかしこにあるってわけ」

「……なるほど」


 改めて思うけど母さんって凄い人を味方に付けてるっていうか舎弟にしてたんだなぁ……マジでなにもんだよ母さん。

 普段は食べないレベルの美味しい肉を白飯と共に味わう俺と、そんな俺をニコニコと見つめながら酒を呷る神崎さん――ある程度酒が入り気分が高揚したのか、神崎さんはこんなことを口にした。


「斗和坊がそんな風に笑ってて……姐さんも笑ってるのが私は嬉しいよ」

「神崎さん……」


 神崎さんの言葉は万感の思いを込めたような重みを感じた。

 もう一度グッと酒の喉に通した神崎さんは、コップを真っ直ぐに見つめ……声のトーンを落として続ける。


「昔、一度だけ姐さんが泣いたことがあった――斗和坊が辛そうにしているのに、自分には何も出来ないってね」

「……………」

「私は姐さんから端的に何があったかを聞いただけ……その時は斗和坊と直接的な関りはなかったけど、姐さんの子供だからこそ私にとっても決して他人とは思えなかったんだ……だからだね――斗和坊に酷い言葉を放ち、姐さんの宝物を傷付けた奴らを破滅に追い込んでやろうと思ったのはさ」

「っ……」


 その時、俺はどんな顔をしていただろう。

 神崎さんの声は抑揚がなく、ただただ言いたいことを口にしているだけ……次に続く言葉を聞くのが少し怖いけれど、俺は神崎さんから視線を逸らさない。


「ま、そうは言っても私が勝手に何かをやるのは違うからね。姐さんもそれは望んでなかったから……でも何かきっかけがあったら手を下してたかもしれない――それこそ絢奈ちゃんが復讐を望みでもすればたぶん……手を貸してたかな」

「……あ」


 元々、絢奈の復讐には協力者が居た旨を開発者が話していた……もしかして神崎さんがという考えはあったものの流石にないかなと思ったが、確かにここまでの力を持つ神崎さんと並々ならない憎しみを持っていた絢奈が手を組めば……出来ないことはなさそうだなと納得する。


(……ま、これも既に考えても仕方のないことだ)


 絢奈はもう憎しみを抱いておらず、復讐なんてものをする必要はない。

 現時点でどんな情報を聞いたところで何も心配はないし、気にする必要もないことだ……神崎さんの話で点と点が繋がったような気がするけど、これはもう今日だけの話でしかない。


「神崎さんって怖いですね」

「大抵の人はそう言うね」

「……でも同時に優しくもあります。母さんのこと、ずっと考えてくれてありがとうございます」

「……うん。当然さ」


 神崎さんは照れ臭そうに笑い、手を伸ばして俺の頭を撫でるのだった。

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