絢奈の言葉は空気を切り裂く

「さてと、それじゃあ食べましょうか」


 母さんの号令の元、絢奈と星奈さんを交えたしゃぶしゃぶパーティが幕を開けた。たっぷりと入った肉や他の具材を見て思うのだが、かなりの量を突っ込んだみたいだ。


「ま、美味そうだし遠慮なく食べるとするか」

「そうですね。こんな日も悪くありません」


 さてと、ゴマダレはどこにあるのかなっと。

 母さんたちはポン酢みたいだが俺はゴマダレの方が好きだ。だからそれを探していたんだけど、それに気づいて渡してくれたのは予想外の人だった。


「斗和君はゴマダレかしら?」

「あ、はいそうですね」

「はい」

「ありがとうございます」


 星奈さんが笑顔で俺にゴマダレを渡して来た。確かに俺は探していたが口に出したわけじゃない、だからこそよく星奈さんは気づいてくれたなと思ったのだ。


「あら、よく知ってたわね」

「……自分でも驚いているけど、少し納得しているわ」

「??」


 母さんは星奈さんの言葉の意味が分かっていないようで首を傾げているが安心してほしい、俺も分かってないから。


「何なんだ?」

「……何でしょうかね。ささ、斗和君お肉ですよ~」


 そうだな、こんなご馳走なんだからたくさん食べないと勿体ない。

 いつもは夕食の時に母さんはビールを飲むのだが、今日は絢奈と星奈さんを家に連れて帰らないといけないため飲んでいない。流石に飲酒運転は洒落にならないからなぁ。


「それにしてもいきなりだったよな。星奈さん母さんが何か無茶を……したからこうなってるのか」

「あって声を上げられて肩をガシっと掴まれてね。寿命が縮むかと思ったわ」

「……母さん」

「あはは、まあもういいじゃない。さっきも言ったようにいい機会だからね」


 そこで母さんは箸を置いて星奈さんに視線を向けた。星奈さんも母さんからの視線を受けて箸を置いて向き合う。俺と絢奈はそれを眺めながらもパクパクと食事を進めていた。


「正直なことを言えば、斗和があなたを許したからと言って私は許したわけじゃない。この子の母親として、この子が一番傷ついた時に追い打ちを掛けたあなたを……あなたたちをあの時は本当に殺してやろうかと思ったくらい」


 母さんの目は本気だった。

 直接母さんに見つめられているわけでもないのに、少しだけ背筋が冷えるような恐ろしさがある。流石に俺は食事の手を止めて絢奈の傍に座った。少しだけ絢奈の体が震えていたからだ。


「……斗和君」

「困ったもんだなこの飯の時に。けど、いい機会ってのは確かなのかも」


 それなりに息子として長い付き合いなのだ。だから母さんが今怒ってないのも分かるし、星奈さんに歩み寄ろうとしているのも理解できる。星奈さんも星奈さんで言い返すことはせず、ただ母さんからの言葉を真摯に受け止める姿勢が見て取れた。


「まだね、完全に受け入れられるわけじゃないの。でも、その努力はしないといけないって思ってる。まだ私なんかより幼い可愛い息子が乗り越えたんだもの、だから私も乗り越えてみせないとね」


 そう言って母さんはニカっと笑った。先ほどの物騒な言葉と真剣な目は鳴りを潜め、いつも通りの母さんがその場に居た。俺と絢奈は安心して思わず頬が緩むが、星奈さんはまだ表情を崩すようなことはしない。星奈さんが口を開く。


「私が彼にしたことは本当に許せないこと、ただ自分が気に入らないからとあんな言葉を言ってしまった。あなたが言ったように何をされても私は文句など言えない……私も娘を持つ身として、あなたの気持ちは痛いほど理解できたはずなのに」


 もしかしたら、今星奈さんは自分と母さんの立場を入れ替えて考えているのかもしれない。もしかしたら事故に遭ったのが絢奈だったら……接し方が間違っていたとはいえ可愛がっている娘だ、そんなの辛くなるに決まっている。


「あなたと斗和君には本当に申し訳ないことをしました。頭を下げて許してもらえるとは思っていない、でも謝らせてください……本当に申し訳ありませんでした」


 そうして頭を下げた星奈さん、あくまで話の中心は俺だ。だからそこまでする必要はないと口を開きそうになるが……そうだな。もう俺と星奈さんの話は終わっている、今は親同士の二人の話し合いだ。

 母さんは頭を下げた星奈さんを見つめ、そして小さく笑みを浮かべた。


「受け入れます。あなたの謝罪を、斗和の母親として今しっかりと受け取りました」


 ビクッと星奈さんの体が震える。

 唇を噛みしめるような仕草……たぶんだけど、星奈さんもずっと気にしていたんだろう。俺と話をした時も星奈さんは悔いるように涙を浮かべていた。同じ母親として、母さんに許されたことで漸く柵から解き放たれたのかもしれないな。


「星奈さん」


 顔を上げた星奈さんはやはり泣いていた。

 絢奈に似た端正な顔がくしゃりと歪み、その美貌は少しだけ崩れてしまっているけど、俺はどうか彼女にまた伝えたい言葉があった。


「俺は大丈夫です。母さんも許したし俺もあの時あなたと話をしました。だから……もういいんです」


 そう伝えると星奈さんは我慢の限界を迎えたようだ。絢奈が傍に行きハンカチを渡しながら背中を優しく摩る。星奈さんだけでなく、絢奈のその母を労わる姿もどこか俺に安心を齎してくれた。


「さてと! ほら、せっかくのしゃぶしゃぶなんだから鼻水垂らしてないで食べるわよ~!!」

「元はと言えば母さんがこんな空気にしたんだけどな!」

「痛い!」


 一応ぺしっと背中を叩いておく。

 それから暫く星奈さんが落ち着くのを待って食事を再開した。運転するのは母さんだからと星奈さんにビールが出され、星奈さんは渋々ながらも飲んでいった。その様子からあまりアルコールが得意ではなさそうな気がしていたが、その俺の予想はものの見事に当たることになる。


「斗和君、お豆腐はいりますか?」

「うん」

「あ、またお肉が出来上がってますよ~」


 絢奈と一緒に仲良く食べているこちら側とは別に、母さんたちは母さんたちで何やら盛り上がっていた。


「やっぱりあなたは野蛮よ! 野蛮だけど……凄く良い子なのよ!!」

「……あはは、えっと……ありがとう?」


 盛大に酔っぱらってらっしゃる。


「あんなお母さん見たことないですね。家でもあまりお酒は飲みませんから」

「……俺はもう別人じゃないかって思うくらいなんだけど」

「実を言うと私も思ってます。どっちかって言うとお母さんは人に酌するタイプなので」


 顔を真っ赤にして母さんを怒ったりして、次には褒めちぎったりとちょっと危ない気がする。目が据わった星奈さんは俺と絢奈を見つめ、だっと立ち上がった。


『っ!?』


 思わず身震いする俺と絢奈、そして星奈さんはこちらに寄ってきて思いっきり俺に抱き着いて来た。


「斗和く~ん私は本当に酷い女なのよ……あなたにあんな酷いことを……っ!!」


 あぁ……また振り出しに戻っちゃった。


「ちょっとお母さん斗和君に抱き着かないでください!!」


 そう言って変に対抗心を燃やして星奈さんを引き剥がそうとする絢奈……っていうか力強いな。思いっきり抱きしめられているせいか絢奈以上の大きな胸の感触をダイレクトに感じるも、甘い香水のようないい匂いを打ち消すくらい酒の匂いがキツくてあまり嬉しくない。


「こら! 私の息子を取るんじゃない!」


 母さんが参戦して俺の背中から抱き着いてくる……何だこれ。

 正面から彼女のお母さんに抱き着かれ、背後から実の母さんに抱き着かれるこの状況……絢奈助けてくれ。


「もう二人とも加齢臭が斗和君に移ります!!」


 その瞬間、時が止まった。

 まるで母親たち二人は神からの審判を受けたようにビシリと固まり、そして力なく口を開いた。


「……そうよね。私たちもういい年なのよねあはは」

「加齢臭……そうね。香水で誤魔化すようなババアなのよね私たちは」


 壊れた時計のようにあははと笑う二人を見て絢奈はふんすと鼻を鳴らす……地獄かここは。


「絢奈、流石に今のは――」

「斗和君を取り戻すためには多少の犠牲もやむなしです」

「……………」


 あれだね、もしかしたら一番の鬼は絢奈なのかもしれない。

 そんなこんなで突如行われたしゃぶしゃぶパーティは終了した。絢奈と別れ際に抱きしめ合い、どうしてか星奈さんにも抱きしめられ、母さんが二人を車で送って行った。

 風呂を済ませテレビを見ていると、帰ってきた母さんが自分の体の匂いを嗅いでいる。


「どうしたの?」

「ねえ斗和、そんなに臭い?」

「……気にしてたんだ」


 大丈夫だよ、凄くいい匂いだから。実の母親にこう伝えるのもどうかと思ったが、笑顔になった母さんはスキップしながら風呂場へと消えて行った……はぁ、疲れた。

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