母さんの思い付きは恐ろしいよ

「斗和君……好きです大好きです」


 グリグリと胸に額を擦り付ける絢奈に苦笑する。二人になると絢奈はよくこうして引っ付いてくることが多い。流石に外では我慢しているようだけど、今みたいにお互いの家とかだとタガが外れてしまうとのこと。


「甘えん坊だな本当に」

「斗和君限定です。それに……もっともっと私という存在を斗和君にマーキングするんです!」

「マーキングってそんな犬じゃあるまいし」

「斗和君の要望なら犬にだってなれますよ? わん♪」


 ……マズい、何か変な扉を開きそうになる破壊力だ。それに、こういう時に絢奈の鋭さは少し厄介な所がある。俺の心の動きというか、そう言った僅かなモノを敏感に感じ取るのだ。つまり、今の犬の鳴き真似に心が動いたのを絢奈は気づいたんだ。

 少しだけニヤッと笑い、今度は手を頭の前に持ってきて猫のような体勢になる。


「それとも猫さんの方が好みですか? にゃ~ん♪」


 ウインクと共に投げかけられたその問いに俺は思わずマジになって考え込んだ。犬と猫、俺にとってそこに優劣はなく両方可愛いと思う生き物だ。ただでさえ可愛いくて美人な絢奈がそんな鳴き真似とか仕草をすると一人の男としてはクラっと来るものがある。

 四つん這いの状態で挑発するような表情の絢奈、俺はその顎を擽るように手を添えた。


「良い子良い子」


 ほら、よく猫にやるあれだ。


「っ! ……ごろごろ♪」


 ……あなたは本当に猫ですか?

 気持ちよさそうに目を細める絢奈にちょっとだけ悪戯心が芽生えたのは仕方ない。ただ、そんな時に俺のスマホが着信を知らせたのでとりあえず絢奈から手を離した。絢奈は離れた俺の手を残念そうに見つめ、再びしな垂れかかるように全身を預けてきた。


「……母さん?」


 全身を使って甘えてくる絢奈から一先ず意識を外し、俺は母さんの電話に出ることにした。


「もしもし?」

『もしもし。いきなり電話してごめんね?』

「構わないよ。どうしたの?」

『今から帰るんだけど、近くに絢奈ちゃんは居るかしら?』

「あぁ絢奈なら……」

「??」


 名前が出たことで目をパチクリさせる絢奈を見つめながら俺は母さんに返事をする。


「傍に居るよ」

『……ほほう。もしかしてマズい時に電話しちゃった?』


 確かにそういったことをする関係ではあるけど、いくら言葉を濁したとはいえ母親が息子に楽しそうにそんなことを聞くかね。


「学校から帰ったばかりなのに何言ってんだよ」

『そうねぇ。それは帰ってから聞くことにしましょう。“ちょうど一人”増えるし』

「いや聞くんじゃねえよ……? 一人?」


 何だよ一人って。何のことか分からない俺に母さんの言葉が続く。


『今日はしゃぶしゃぶにするから鍋洗って出しててくれる? 絢奈ちゃんも一緒に食べましょうって言っておいて。それじゃあね』

「ちょ、いきなり――」


 ブツッと電話が切れた。

 時々突拍子もない提案をすることのある母さんだけど今日もそうだったな。


「どうしたんですか?」


 絢奈に俺は母さんから伝えられた言葉をそのまま伝えた。


「しゃぶしゃぶですか……私はいいんですけどお母さんに言わないと」


 どうやら断る気はないらしい。

 星奈さんに電話をするも繋がらなかったため、メッセージを使って伝えることにしたらしい。


「これで大丈夫ですね」

「いきなりで悪いな」

「全然構いませんよ。お母さんも最近は凄く丸くなったので怒りはしないでしょうし」

「あぁ……」


 あれから数回会うことはあったけど本当に過去の星奈さんと同一人物なのか疑うくらいの変貌だ。遊びに行くとジュースとかケーキと言ったお菓子類もよくくれる。しかもケーキに限らずクッキーなどは星奈さんの手作りらしいのだ。


「お母さん斗和君が来ると本当に嬉しそうですから……都合がいいなって思うこともありますけど、お母さんなりに苦しんでいたことを知った今では許してもいいかなって思うんです」

「……そうだな」


 斗和に向けられた言葉ではあるが、それが絢奈を縛り続けた呪いでもあった。しかし俺が過去を乗り越えたことで絢奈にとっても乗り越えるべきものになった。俺と一緒に前に進んでくれると言った絢奈だからこそ、もうあまり気にしていないのだろう。

 ただ……少し気になったのは。


「苦しんでたって?」

「……あ」


 星奈さんが苦しんでいたってのはどういうことだろうか。

 俺の問いかけに絢奈は目を泳がせて慌てていた。言った方がいいのか、言わない方がいいのか……まあ俺としての聞き出そうとか思っているわけじゃない。だからこのことは今は聞かないでおこう。


「いいよ言わなくても。そのうち考えが纏まったら教えてくれ」

「……はい。分かりました」


 よし、とりあえずこの話は終わりにしよう。

 母さんからの電話があって暫く経つが……お? 車が帰ってきた音が聞こえた。どうやら母さんが帰宅したようである。


「ただいま~!」


 元気な声がここまで聞こえてきた。

 俺と絢奈は揃って母さんを出迎えるために玄関に向かい、そして予想外の人物の来訪に驚くのだった。


「こ、こんばんわ斗和君。それに絢奈もおかえりなさい」


 母さんに続くようにその場に居たのはなんと星奈さんだった。

 俺と星奈さんが和解したとはいえ、母さんとの間にわだかまりは残っているはず。それなのに一緒に居るってのはどういう……。


「買い物してる時にちょうど出会ったのよ。それでいい機会だし家に招こうって思ったわけ」


 何だろうか、母さんの豪快さを知ってる身からすれば驚くことではない。けど星奈さんの表情を見る限り無理やり連れてこられたんだろうなぁ……はぁ。


「なあ母さん」

「何?」

「後で説教な」

「!?」


 こうしていきなりではあったが、俺と絢奈、そして母さんと星奈さんを交えての我が家における夕食が決まったのだった。

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