無自覚に堕とそうとするのはまごうことなきヒロイン
絢奈とのデートの帰り道、俺たちの目の前に現れた琴音は大きく声を荒げた。絢奈を送っていく道すがら修の家族との遭遇ももしやと思っていたが、こういう時の悪い予感ほどよく当たるモノだ。
俺を見る琴音の目にはこれでもかと言わんばかりの怒りが宿って見える。どうしてお前が絢奈の隣に居るのか、どうして絢奈の恋人がお前なのか、どうして絢奈の隣に居るのが修ではないのか……そんな声が脳に直接響いてくるようで思わず額に手を当てた。
「斗和君?」
隣から絢奈の心配そうな声が聞こえた。俺は大丈夫だと彼女に告げ、未だ睨みつけてくる琴音に対して俺は口を開いた。
「俺は絢奈のことが好きだった。だから告白して、それを絢奈も受け入れてくれて恋人になった。ただそれだけのことだよ。何も変なことじゃない」
「うるさい!」
……取り付く島もないとはこのことだな。
おそらく琴音は俺の言葉に聞く耳は持たないだろう。いつか……あぁそうだ。あの時だ。あの時、初音さんに思ったことと同じだ。この人たちの世界は結局この人たちだけで完結しているんだ。
修と琴音、初音さんと……そう言えば旦那さんはどうしてるんだっけ。とりあえず今は置いておこうか。そこに絢奈が居る世界だけが彼女たちの世界だった。琴音という少女は純粋に修を慕っている。そしてそんな彼の傍に居た絢奈を慕っているのも本当だ。
(……仮面に騙された人たちってことか)
本心を押し殺して修に尽くす絢奈の姿は琴音たちにとってどう見えていたのかは俺に分かることじゃないが、さぞ彼女たちにとって都合のいい存在に見えていたのかもしれない。
都合が良いって言うと悪い意味に捉えてしまうが、彼女たちの場合は純粋にそんな姿の絢奈が全てと思い込み修と一緒に居ることこそが絢奈の幸せとでも勘違いしたのが始まりなんだろう。
そう考えると、絢奈の過去は結構地獄だなって思う。もしあの時出会うことがなかったら絢奈はどうしたんだろうか。今となってはあり得ないIFだけど、隣に居る絢奈が永遠に苦しみ続けるのかもしれないと考えると俺自身も胸が痛くなる。
「……なあ琴音ちゃん、絢奈は人形じゃない。ちゃんと意思を持った人間だ」
「はあ? 何当たり前のこと言ってるの?」
そう言ってる時点で分かっていないことに気づいてないのか。
「なら聞くけど、君は……君たちは絢奈の本当の声を聞いたことがあるのか?」
「本当の声って……いきなり何訳の分からないこと言ってるのよ」
琴音は本当に俺の言葉の意味が分からないのか首を傾げている。そうやって何も知ろうとせずに……いや、当時まだ小さい彼女にそれを理解しろと言うのも酷な話だな。考えてみれば絢奈の仮面は自身の母親すら欺いていたのだからある意味仕方ないのかもしれない。
この相手は骨が折れそうだ、そう思って言葉を続けようとした俺を絢奈が制した。彼女は一歩前に出て琴音ちゃんを見つめ、穏やかな口調で話し出した。
「琴音ちゃん、私はずっと苦しかったんです――あなたたちと一緒に居ることが」
「……え」
絢奈の言葉は核心を突く言葉だった。俺としてもまさかここまでハッキリ言うとは思っておらず、琴音同様に少し驚いて絢奈を見つめてしまった。絢奈は変わらない様子で言葉を続けた。
「……正直なことを言えば、私もハッキリと言えばよかったんですね。でも当時の私はそれをせずに、ただ言われることをするだけでした。幼馴染だからと修君を優先する生き方、その繋がりであなたたちと共に過ごすだけの日々……そんな日々から救い出してくれたのが彼だったんです」
そう言って視線を俺に寄こして彼女は俺の手を握った。
「この温もりがあの日、私を小さな世界から連れ出してくれた。その時から私はずっと斗和君が好きです。そして漸く、この想いが本当の意味で伝わって結ばれたんです。だから琴音ちゃん、私はもうあなたたちの好きな絢奈には戻れません」
真っ直ぐ、ハッキリと告げた絢奈の言葉。この言葉には彼女たちに対する決別の意味も含まれているように俺には聞こえた。
言葉の並びは少し難しいモノだが、意味は理解できたようで琴音は茫然としていた。琴音の目に俺は映っておらず、彼女が見つめるのは絢奈だけ。
「……わかんないよ。だって絢奈お姉ちゃんはずっと傍に居たじゃない。ずっと笑顔でお兄ちゃんの傍に居てくれたじゃない……お嫁さんになってってお母さんが言ったら笑顔で頷いてくれたじゃない」
仮面を被った絢奈が……ね。
琴音が今まで抱いてきた絢奈に対する幻想、それは今絢奈自身の言葉で消えてなくなった。俺に対して当たりがキツイのは思う所もあるけれど、これ以上何かを言うのは追い打ちでしかないか。別に琴音と仲良くしたいとは思わない、でも別に傷つけたいわけではないのが俺の気持ちだ。だからこのまま絢奈の手を引いてこの場から去ろうとした時、琴音は激情に駆られるように声を発した。
「……やっぱりそうじゃん。やっぱりアンタと出会ってから絢奈お姉ちゃんはおかしくなったんだ!」
確かに俺と出会って絢奈は変わった。でもそれが間違いだなんて思わない。何よりあの出会いがあったからこそ今の俺たちに繋がっているんだ。
「琴音ちゃん、いい加減に――」
絢奈が琴音を宥めようと近づこうとした時、彼女は口走ってしまった……それは過去を乗り越えた俺であっても少々心に刺さる言葉であり、そして――。
「アンタが居るからおかしくなっちゃうんだ! お母さんがあの時、アンタが事故に遭った時に罰が当たったんだって言ってた! そうだよ怪我なんかじゃなくて、アンタはそのまま死んじゃえばよかったんだ! そうすれば絢奈お姉ちゃんだってお兄ちゃんの傍にずっと居たのに!!」
俺を好きで居てくれる女の子の怒りに触れてしまう最悪の引き金になった。
「……っ」
琴音の言葉を聞いた時俺は少し悲しかった。確かに恨みはあったけど、もう関係なしに生きていこうと思った。でも……それでも面と向かって死ねば良かったと言われるのは堪えた。俺が助けた修は君たちの家族だと言うのに、それなのに俺が悪のように言われるのは……辛いかな。
……まあとはいえだ。今の言葉には俺自身ピキっと来た。温厚な斗和君も許さんぞってことで、目の前のクソガキに少しキツイことを言おうと思った矢先だった……絢奈の声が冷たく響いた。
「……ねえ、今なんて言ったの?」
周りの気温が何度か下がったかのような錯覚を覚える冷たい声だ。
思わず絢奈の表情を見ると彼女は能面のような無表情をしていた。目は光を映しておらず、俺の存在すらも忘れたかのように琴音だけを見つめていた。
「……ひっ!?」
そんな冷たい目に見つめられた琴音は思わずその場に尻もちをついて動けなくなった。絢奈はゆっくり、ゆっくりと歩いて琴音との距離を詰めていく。
「ねえ、なんて言ったの? ねえ……ねえってば!! 聞こえてるんだろ!?」
「……いや……いやぁ!」
……長年付き合ってきた敬語すら置き忘れて怒りに我を忘れている絢奈が怖い。基本絢奈は礼儀正しい言葉がデフォルトだが、怒りのラインが一定を突破するとこんな風にタガが外れて口が悪くなる……近くで見たのは初めてだけどゲームでは結構描かれたからそこまでの驚きは俺にはない。ただ琴音にとっては別のようで、初めて見た絢奈の形相に完全に腰を抜かしたみたいだ。
「何か言えよお前っ!! そうやっていつもいつも――……っ」
琴音に詰め寄ろうとした絢奈だったが、その動きを止めて小さく深呼吸をした。怒りはまだ感じるが、それでも先ほどよりも落ち着いた様子で言葉を続けた。
「……私はあなたたちが嫌いです。私からあなたたちに関わることはありません。だからあなたたちも二度と私に関わらないでください。もちろん斗和君にもです……もしまた斗和君に何か言ったら絶対に容赦しません」
声は小さかったが、絢奈が琴音に伝えたのは明確な拒絶の意思。琴音はその言葉に泣きそうになりながらも、やはり絢奈に対する恐怖の方が勝ったのか彼女は不格好なまま立ち上がり足早に去って行った。去って行く琴音の背が見えなくなったところで、絢奈は俺の元に駆け寄りそのまま胸に額をくっ付けるように抱き着いて来た。
俺はそんな彼女の頭を優しく撫でる。
「……ごめんな。絢奈に全部言わせてしまったみたいで」
「いいえ……私も止まれませんでしたから」
それから暫く俺たちは身を寄せ合っていた。
時間にして数分が経ち、漸く落ち着いたのか絢奈が離れた。
「……ふぅ、落ち着きました。でも……なんだかスッキリした気分ですね。ちょっと不完全燃焼ですけど、溜まっていたモノをぶちまけた感覚です」
「すんごい形相だったけどね」
「わ、忘れてくださいっ! あぁもう……斗和君の前でアレを出しちゃうなんて最悪です!」
今になって恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にしていやいやと頭を振る絢奈。俺としては知っていたのもあるけど、こうして実際にあの一面を見れたのは少し感動した。それに、俺自身胸に響いた琴音の言葉だったがああやって絢奈が怒ってくれたのは純粋に嬉しかったのだ。
「どんな絢奈でも好きだよ俺は。……ただ、俺自身ああやって絢奈に怒られないようにしようとは思ったかな」
あんな形相で怒られたら俺も泣いちゃうかもしれない。驚きが少なかったとはいえ怖いと思わなかったわけではないからな。
「斗和君に怒ることってあるんでしょうか……私たくさん甘えさせちゃいますよ?」
「やめてくれ。これ以上甘えさせられたら絢奈に溺れてダメ人間になっちまう」
「? それの何がダメなんですか? 斗和君はもっと私に溺れてください。ずっと私がお世話しますから、斗和君は私の傍でダメ人間さんになっていいんです」
当然のことのように言っていますけど、これはツッコミ待ちなのか?
でも何となく付き合ってから……いや、その前から分かっていたことだけど絢奈はたぶん好きな人を駄目男にしてしまうタイプかもしれない。愛と献身、その全てで相手を包み込んで堕落させる魔性のような何かを秘めている。
(初見は堕とされるヒロインと思いきや、実際は堕とす側の女の子かい……斬新すぎんか)
それもまた彼女の魅力の一つか。
これはこの先ちょっと心しないと本当に絢奈に堕とされかねない……悪い意味で。
「斗和君、帰りましょうか」
そう言って腕を組んできた絢奈に俺は頷き歩き出す。
琴音との出会いは予想外であり少し辛い部分もあったが、あそこまで絢奈に拒絶されてしまってはそうそう会うこともなくなるような気がしてしまう。
しっかりと話し合うこともなくすれ違ったままなのは少しモヤモヤするが……。
「どうしましたか?」
隣にこの子が居てくれるならそれもどうでもいい悩みのように感じる。
「ありがとな絢奈」
そんな短いお礼に、絢奈は一瞬驚いたがすぐに笑顔で頷いてくれるのだった。
「はい!」
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