思っていたことを言葉に乗せて
苦い過去だ。
想うだけ想って行動せず、いつの間にか好きな人を取られた愚かな女の……よくある話。
近所の男の子でひょんなことから知り合い、次第に話していく中で彼に惹かれていった。照れ屋が災いして告白とかをする勇気はなかったけど、その時の私はただ彼の傍に居るだけで幸せだった。
でも……そんな私の初恋が実ることはなかった。
いつか彼の隣に並びたい、そんなことを密かに思っていた私はポッと出た女にその立場を奪われた。……奪われたとは言うが、これはただの逆恨みのようなものだ。それでも私はその事実を認めることが出来なかった。ずっと私の方が傍に居たのに、ずっと私の方が好きだったのに……それなのに彼はあの女を選び、あの女も彼の愛に包まれ幸せそうにしていた。
『……どうしてあんな女が』
あんなにガサツで女としての品位すら持っていない不良が彼の隣に居るのか……本当に理解が出来なかった。
けど……どこか心の中で自業自得だと思う自分が居たのも確かだった。
「……………」
辛そうに顔を伏せた母の様子は今まで見たことがないモノだった。
母が口にした言葉、そして私が見たあの写真……正直なことを言えば気になっている。けれどそれを聞いてどうなると言うのだろう。あの時、病院で放った母の言葉を私は忘れることが出来ない。あの時の言葉が私と母の溝を広げたのは言うまでもない事実だ。母があれからどう思っていたのかは知らないけれど。
こうして黙っていても仕方ない、私は私の伝えたいことだけを伝えよう。
「お母さん、私は斗和君に救われたんです」
救われた。そう伝えると母の体が震え、母はゆっくりと顔を上げて私を見つめた。
「昔の私はずっと我慢していました。修君を大切にしなさいというお母さんの言葉に逆らうことはせず、ずっとその通りにしていました――あの日を除いて」
お母さん、貴女も覚えているでしょう? あの日、私が初めて斗和君に出会った日。私の人生が変わる切っ掛けになった日であり、私が心から好きになった人と出会った日のことだ。
「毎日毎日、修君の元に向かうことに煩わしさを感じていた日々……あの日、一度だけ私はお母さんの言葉に背いて逃げ出して、その先で斗和君に出会いました」
私の言葉に母は黙り続けている。私は気にせず言葉を続けた。
「たくさん遊びました。自分を抑える必要が無くて、ありのままの自分で居られる世界。それが斗和君の傍で私が感じたモノだったんです」
今まで何度も言っているが、あの斗和君との出会いが私のターニングポイントだった気がするのだ。あの出会いが無かったらきっと私は今の私にはなれなかっただろう。母たちから与えられる世界をただ受け入れ、自分を殺し続けて生きていく……正直ゾッとしてしまう。
「それから斗和君と過ごす中で、私の気持ちは恋へと変わりました。サッカーをする斗和君の姿を眺めるのが大好きで、そんな彼を応援することがその時の私の生きがいでもありました――あの日までは」
「……っ」
……別に私はもう母を責めるつもりはない。母の言葉があったとはいえ、事故はあくまで偶然起きてしまったことであり、当事者である斗和君があの時のことを乗り越える決意を見せてくれた。だからこそ、私に斗和君の怒りや悲しみを代弁して語る権利などない。
けれど、あの時感じた私の気持ちだけは伝えておこうと思った。
「“あの時から嫌な子だと思っていたのよ。あんな母親じゃ教育が行き届いていないのも当然よ”」
「……それは」
「あの時お母さんが私に言った言葉です。私はこの言葉を忘れたことはありませんでした……どうしてこの人と血が繋がっているんだとさえ思ったほどです」
「……ぁ」
私の言葉に母は今度こそ涙を流した。私が過去にどう思ったにせよ、母からすれば愛情を与えて育てたと自信を持って言えるはずだ。でも実際、今の私はそれを否定して母の娘であったことが嫌だったと取れる旨の発言をした……目の前の母の様子を見るとチクっと胸が痛む。
確かに母は酷い言葉を口にした。何を抱えているのか知らないけれど、会ったその時から斗和君に対して向けていた敵意は許すことはできない……けれど、それでも目の前に居る人は私の母親。ここまで育ててもらった恩はあるし、決して私に対する愛情を感じていなかったわけではないのだから。
「あの時の苦しみと悲しみ、斗和君は乗り越えると言いました。私の目の前でサッカーボールを蹴って過去と決別したんです。だから私も、前に進むことを決めました。大好きな人が前に向かって歩き始めたのに、私だけがずっと立ち止まっているわけには行かないと思ったから」
「……過去を乗り越える」
母がボソッと呟いた。
私の言葉が母に届いたかどうかは分からない。でもこれが私の決心した気持ちだ。……実を言えば私の復讐対象には母も入っていた。斗和君に直接何かを言ったわけではないけど、斗和君の努力と明美さんの愛情を馬鹿にするような発言が許せなかったからだ。でも、私と同じように過去に縛られ続けているような母を見ていると私には母を傷つけるのは無理だなと実感する。
下を向いてしまった母から視線を外し、私はリビングの中を眺めてみた。私と母が住むには広すぎる空間、父親は物心付いた時には居なくて少し寂しかったのを覚えている。
(……斗和君が居てくれたらこの空間も温かくなるんでしょうか)
斗和君の家から出る時に掛けられた言葉を思い出す。
『いつまでも不仲ってのは嫌だからさ。俺は俺なりに頑張って絢奈のお母さんと話してみるよ。そして俺たちの仲を認めてもらおう』
少し前までの私ならそんな必要ない、母の意思なんて関係ないとでも思ったのだろう。もちろん斗和君と一緒になるのに障害となるのなら縁を切るような真似も辞さないとは考えているが……私の大好きな斗和君なら、私の心を救ってくれた彼なら母とも楽しそうに話している未来を作ってくれる、そんな期待を持たせてくれるから不思議だ。
私と斗和君、母と明美さんでお酒でも飲みながら話している未来……ふふ、ないかな?
「お母さん」
私が問いかけると母は顔を上げた。
「私は斗和君が好きです。この想いは誰にも邪魔させないし否定させない……それくらいに彼のことを愛しています。それだけは知っていてください」
私から伝えられることはこれだけだ。後は時間が解決……してくれるかどうかは分からないけど、私の気持ちはこうなのだということは知っていてほしかった。
母に背を向けて部屋に向かう時、母が何かを喋った気がしたけれど私に聞こえることはなかった。
娘の背が見えなくなる直前、絢奈の母である
「……結局私だけが空回りしていただけなのね」
ボソッと呟いた言葉を絢奈が聞いた素振りはなく、彼女は振り向くことなく自室へと向かう。
絢奈の姿が見えなくなったことで一人になった星奈は過去を改めて振り返った。好きな人を盗られたと思い、妙なプライドが邪魔をしてそれを認めることが出来なかった。だから絢奈に同じ思いをして欲しくないと、率先して修との仲を取り持とうとした結果がこれだ――絢奈は修のことが好きではなく逆に煩わしさを感じていた。娘の立場からすれば星奈の存在はさぞ鬱陶しかったことだろう。
「……雪代斗和」
初めて出会った時に好きだった人の面影を見て、その瞬間その人の子供だと理解した。忘れかけていた悔しさが再燃し、大人にあるまじき態度を幼い斗和に見せてしまった。……なるほどと星奈は思う。そんな態度を見せ、その後も続けてしまったら斗和を好きな絢奈が自分に愛想を尽かすのも当然だと乾いた笑いが出てしまう。
結局自分は娘のことを一つも理解することが出来ておらず、娘のことを誰よりも理解し助けてあげられる存在が斗和だったとは……。
「……絢奈」
決して絢奈を愛していないわけではない。お腹を痛めて生んだ大切な子だ……愛情はもちろん持っている。だからこそ、絢奈に血の繋がりを否定された時は心臓が止まるかと思った。それほどにショックだったのだ。だが絢奈の話を聞いて、改めて思い返せば馬鹿だったのは自分でしかない。
星奈一人だけの問題に絢奈だけでなく斗和を……ある意味で修も巻き込んだようなものだ。
絢奈にあそこまで言われ、自分にこれから何が出来るのか――それを星奈はまだ答えを出せなかった。
「……?」
考え込んでいた時、ピンポンとインターホンが鳴った。
普段なら誰が来たのか確認するのが普通だが、今の疲れ切った星奈にその余裕はなかったのか玄関に向かい扉を開けた。するとそこに居たのは……。
「……あ、どうも。絢奈が忘れ物をしたので届けに来たんですけど」
数年振りに出会う男の子、斗和は臆することなく星奈を見つめ返していた。
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