黒く染まっても、また白になれる

 人間は誰でも怖い夢を見ることってあると思う。それは私も例外ではなく、時々ではあるけど身も震えるような夢を見ることがあるんだ。


 目の前に広がる暗闇、静寂の中にポツンと佇むのは恐ろしいと感じる。だが今の私はそんなに恐れてはいなかった。何故ならこの胸に残る温かい想い、現実の私は斗和君の腕に抱かれて幸せな表情で眠っているのが分かるからだ。


 どんなに怖く辛い思いをしても、そこに愛する人が居るだけで乗り越えられる。それを私は斗和君から教わった。


「……ふふ、少し前までの私はどうしていたのでしょうね」


 斗和君に何も打ち明けず、ただ虎視眈々とあの人たちに復讐する機会を窺っていた私。今でも斗和君を傷つけた言葉の数々を許すことは出来ないけど、少なくとも最低だと言える行為に手を染めるような気はもう微塵もなかった。


 分かってもらえないなら分かってもらえるまで話し合う、それでも無理なら……斗和君とどこかに逃げちゃうのもいいかもしれない。


 頭の中でそんな光景を思い浮かべ笑みが零れる中、私は問いかける。ずっと傍に居た存在、私とよく似た顔を持った黒いフードを被った女の子。


「これが私の選んだ道です。斗和君と一緒に進む未来」


 そう口にすると、女の子は儚い笑みを浮かべながら答えた。


「……そうですか。私とは違うんですね。少し、羨ましいです」


 何かを悔いるように、悲しむように口にした彼女は顔を上げた。言葉にしたように私を羨ましそうに見つめる瞳、その目はこう言っては何だが感情のようなものが見られなかった。私と同じ顔をした子、私には何となくこの子のことが理解できる。でもこの夢から覚めた時きっと忘れているんだろうなっていう妙な確信も。


「でも、貴女にも大切な人が居るはずです。そうでしょう?」


 この言葉に彼女は頷いた。


「そうですね。……その通りです」


 フードの奥で彼女が笑った気がした。

 私と彼女を遮るように光が差す。どうやら目覚めの時が近いらしい。彼女は最後に私に向けてこんな言葉を伝えてきた。


「どうか幸せに。貴女は貴女の未来を……斗和君と一緒にいつまでも」

「……ええ。もちろんです」


 私はもちろん笑顔で応えるのだった。






 目が覚める。

 まだ少し薄暗い室内、僅かにカーテンから光が漏れ出ていた。早朝特有の肌寒さを僅かに感じ、意識が次第に覚醒してきてふと気づいた。私は抱きしめられていた……誰よりも大好きで、愛している人の腕に抱かれて。


「……斗和君?」


 問いかけても斗和君は目を覚まさない、それどころか更に私を抱き寄せるように腕に力が込められた。力が込められたと言っても決して苦しくはなく、逆にもっと強く抱きしめてくれてもいいのになとちょっと思ってしまったくらいだ。


 私としては既に目は覚めてしまって二度寝する気にはなれず、ならば斗和君の温もりを思いっきり感じようと思って私からも身を寄せた。斗和君の温もり、斗和君の匂い、斗和君の生きている鼓動……その全てが愛おしくて私は幸せの絶頂に居るかのようだった。もちろんこれからのことを考えればまだ満足するわけにはいかない。もっともっと、私と斗和君は幸せになるんだから。


 一人でそう意気込んでいると、斗和君の腕の力が少しだけ緩んだ。私はそれを少し残念に思いながらも、それじゃあお返しに今度は私が斗和君を抱きしめようと思い彼の頭を胸に抱くような恰好になった。


「……む~?」

「……可愛い」


 頬に触れた私の胸の感触に何か感じるモノがあったのだろうか、可愛い声を出したけれど目を覚ますことはなかった。私の胸は大きい方なので斗和君が苦しくならないように注意を払いながら、彼を思いっきり甘やかすように優しく抱きしめる。


 こうしているととても不思議な気持ちになれる。何だろうか……母性? まだ子供はいないからその辺の感覚は分からないけれど、この胸に溢れるような愛おしさは本当に心地が良い。


「あ……もう斗和君ったら」


 胸に顔をスリスリとしてくるからくすぐったい、でも決して嫌ではない。


 そんな風に可愛い斗和君を胸に抱いていると暫くして彼は目を覚ました。最初はぼんやりとしていたのだけど、徐々に頭が働いてきたのか自分がどういう状況なのか理解したみたい。


「……寝起きで胸に挟まれているとはこれ如何に」

「ふふ、気持ちいいですか?」

「いえす」


 素直だ。そんな素直な斗和君も好き。

 胸が大きいとやっぱり色んな視線を浴びることがある。学校の同級生や、登校時の男性から……その視線はやっぱりあまり気分のいいモノではない。


 でも、それでも斗和君がこう言ってくれるなら逆によくここまで成長してくれたねって言いたくなる。肩が凝るのは難点、下着にお金掛かっちゃうのが玉に瑕だけど。


 そんな風に斗和君を甘やかし、暫くして私も甘やかされ、ドロドロに溶けてしまうような愛を一身に受けてようやく私たちはベッドから出た。


「お風呂いこっか」

「そうですね……ふふ」

「なに?」

「朝から幸せだなって思っただけです」


 色々としたいこともあるけれど、まずはお風呂に行かないとですね。

 斗和君と共にお風呂に入り、体を綺麗にしてからは他愛もない時間を過ごした。そこに仕事が休みの明美さんも加わってワイワイと盛り上がる。


 そしてお昼過ぎ、私はやることがあるのでお暇させてもらうこととなった。途中まで斗和君が送ってくれると言うのでお言葉に甘えさせてもらう。腕を組んで身を寄せ合いながら道を歩く……昨日と同じだけど私はこうやって斗和君とくっつくのが大好きだ。


「それじゃあ斗和君、また電話しますね」

「おう。……でも、あはは。ちょっと寂しいな」

「……そうですね。寂しいです」


 可能ならずっと斗和君の傍に居たい、でも私たちはまだ学生だからそんなことは出来ない。早く大人になって結婚して一緒になって朝から晩まで斗和君の傍に居たい……あぁ駄目だな私。本当に斗和君が好きすぎるみたいだ。

 別れ際、斗和君がキスをしてくれてある程度寂しさは紛れそう……私は笑顔で斗和君と別れ家に向かうのだった。


「……………」


 家に入る直前、向かいにある修君の家に視線を向けたけど……それだけだった。あれから彼がどうしたのかは分からないけど、こう言ってはなんだが興味はなかった。それよりも私にはこれからお母さんと話さなければならないことがある。


 玄関の扉を開け、ただいまと口にしても返ってくる言葉はなかった。でも誰かいる気配があるのでお母さんが家に居るのは確実だった。靴を整え、リビングに向かうとやっぱりお母さんは居た。


「おかえりなさい、絢奈」

「ただいま帰りました」


 いつもと違い、やはり母の様子はどこかぎこちなかった。斗和君の家に泊まるとは伝えてなかったけど、好きな人という言葉からある程度予想は付いているはずだ。それに今日話をすることも伝えている、だから母はこうして私を待っていたのだろう。

 母の向かいに座るように腰を下ろした私が口を開こうとした時、母が先に口を開いた。


「……彼の所に行っていたの?」


 短い問いかけ、その彼が誰を指しているのか私には分かる。だから頷いた。


「はい。斗和君の家に泊まりました。お付き合いもすることになりました」

「……そう」


 ……少しだけ妙だ。

 母は斗和君のことを嫌っており、こうして話をした以上荒れると思ったのだがそうではなかった。母の表情から感じるのは怒りというよりも……諦め?


「……結局」

「?」

「結局私は娘も奪われるのね……それもあの人と、あの女が生んだ子に」

「……一体何を」


 母が何を言っているのか理解できなかった。かつて母の口からあの言葉を聞いて私はこの人と血が繋がっていることに嫌悪感を感じていた。でも斗和君と話し、自分を見つめ直すことで視野が広がったのも事実だ。だからこそ、ずっと前よりも私は母を見ることが出来ていた。

 疲れた姿の母、そんな母を見ていてふと思い出した。

 それは斗和君のお父さんの写真を見た時に感じた違和感、どこかで見たことがあったような既視感。


「……あ」


 かつて、一度だけ母の昔の写真を見たことがあった。

 その時に高校時代の若い母と、その隣に写っていた男の人……そうだ。今思い出した。斗和君のお父さん、雪代涼さんはあの写真に写っていた人だ。

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