こんなに幸せでいいんでしょうか

「ごめんね絢奈ちゃん手伝ってもらって」

「いえいえ。私が好きでやっているのでお気になさらないでください」


 ソファに座っている俺を後目に絢奈と母さんが楽しく夕食の準備をしていた。結局絢奈はうちに泊まることになり、一緒に帰ってきたわけなのだが……そこで先に仕事が終わり帰宅していた母さんと鉢合わせすることになったのだ。


 こうやって絢奈が家に来ることは珍しくなかったのだが、いつもと違う俺たちの雰囲気で母さんも事情を察したらしく祝福の言葉をくれた。俺としては気恥ずかしかったが、絢奈としては母さんにそんな言葉をもらえたことがとても嬉しかったらしく、これからよろしくお願いしますお義母さまなんて言う始末……それで母さんが暴走してそれはもう絢奈を抱きしめまくっていた。


「斗和君、もう少し待っててくださいね」

「大丈夫よ。大好きな人の料理だもの、いつまでも待てるわよね~?」


 ……だからニヤニヤしないでくれって母さんや。

 恥ずかしさを誤魔化すように俺はテレビに視線を向けた。最近旬のお笑い芸人がネタをやっている番組が流れているが、俺はそれよりもそのテレビの傍に飾られた写真に目が行った。写っているのは一組の男女、そして男性に抱かれている小さな男の子……この小さい子は俺で、後は母さんと父さんか。


 思い返してみれば父親の記憶は僅かしかない。断片的には思い出せる部分はある……言ってみればその程度しかない。ゲームでも特に語られなかったからな。


「……ふむ」


 立ち上がり近づいて見てみる。どうやら斗和の顔立ちは父親似と言ったところかな。この写真の時期的におそらくまだ幼稚園児とかその辺だ……当たり前だけど母さんも父さんもかなり若い。

 暫く写真を眺めて考え込んでいたせいか、俺は絢奈に呼ばれるまで気づかなかった。


「斗和君? 準備が出来ましたよ」

「おっと。分かったよ」


 絢奈に呼ばれテーブルに向かうと、何かの記念日かと言わんばかりの豪勢な食事が並んでいた。


「息子と絢奈ちゃんのおめでたい日だもの。張り切っちゃったわ」

「おめでたい日って……別に結婚とかしたわけじゃないってのに」

「でもいずれはしますよね?」

「……………」


 本当にこう、どうして絢奈は照れる様子を見せることなくこういうことが言えるのだろうか……いや、よく見てみれば頬が赤くなっていた。俺と絢奈だけが照れたように頬を赤くして、それを見て母さんが嬉しそうに目を細めていた……なんだこの空間。

 それから俺たちは誰からともなくテーブルに着き、手を合わせて食事を開始した。


「肉じゃがは定番かと思いましたけど……どうですか?」

「ちょうどいい甘さだな。俺は好きな味だよ」

「ふふ、良かったです」


 絢奈が嬉しそうにしてくれると俺も嬉しくなる。肉じゃがだけでなく他の料理も全て美味しかった。


 もちろん母さんも作っているからいつもの食べている美味しい味だが、そこに絢奈の手も加わるとここまで美味しいのかと感動すら覚えるほどだ。……色々言ったが一番は、自分の好きな人が作ってくれた料理っていうだけで満足だ。


 絢奈に感想を伝えながら楽しく食事の手を進める中、母さんがふと呟いた。


「こんな光景をあの人も見れたらって思うわね」


 あの人か……それが誰を指すかくらいすぐに分かる。母さんは憂いのある表情をしているが、それでも過去に浮かべていた悲しみはない。それだけでも俺は安心できる。……ただ、これは良い機会もしれない。俺は母さんに聞いてみた。


「母さんと父さんはどうやって知り合ったんだ?」

「あら? 聞いちゃう? 別に話してもいいけど……ちょっと恥ずかしいのよね」


 珍しい母さんの照れた表情だ。

 少しでも悲しみの感情が見えそうになったらやめておこうと思ったけど、酒が入っているのかちょっとだけ乗り気みたいだ。


 絢奈としても気になっているのか母さんを見つめたままである。俺たち二人の視線を受けて母さんは仕方ないと前置きし、そして口を開いた。


「私とあの人――りょうさんと出会ったのは私が他所の連中と喧嘩した帰りね」

「……お、おう」


 母さんが元ヤンってのは知ってたけど、まさかここでその話題が出るとは思わなかった。俺と絢奈は一瞬目を見合わせたがすぐに母さんに視線を戻す。母さんはそんな俺たちに気づかずに話を続けた。


「ヒリヒリする頬を撫でながら歩いていたのを思い出すわ。それで自販機でジュースを買おうとした時に涼さんと出会ったの。あの人ったら初対面なのに不良の私を気に掛けてくれてね。近寄んなタコって言っても全然効いてなかったわ」


 ……いや母さん、初対面で心配してくれた人にタコはないのでは。


「……私はね。不良ではあったけどチョロかったのねきっと。それからよく街中で涼さんと会うと話しかけてきて、それで優しくしてもらっているうちにコロッと落ちちゃったわ。それで不良をやめて生活態度を改めるようになった。学校の先生は凄く驚いていたわね」

「……なるほどです」

「母さんがなぁ……」

「なによ」


 ずっと一緒に居たからこそ母さんがとても強い女性だと言うのは分かっている。元ヤンっていう過去があるなら気の強さも納得だけど……でもそうか。母さんにもそんな時代があったんだなぁ。何と言うかあれだ……自分の母親の青春時代の話を聞くのは何とも言えない気持ちになってしまう。


「それから高校三年かな……それくらいからお付き合いをして今に至るってわけ」


 そうか、この先は……聞くのはやめておこうか。たぶん後は俺の知っている通りだろうから。


「……お付き合いをされてご結婚されて……素敵ですね」

「でしょう? 涼さんは本当に良い人だったのよ。本当にね……」


 少しだけ俯いた母さんを見て思うことがある。理不尽な言葉かもしれないけど、どうしてこの人を残して逝ってしまったんだって。

 ビールを飲んで顔を上げた母さんは先ほど俺が見ていた写真を指差した。


「ほら、あれが涼さん。それで小さいのが昔の斗和。絢奈ちゃんが見るのは初めてじゃない?」

「わぁ! 是非見させてください!」


 絢奈が写真に近づきじっくり観察するように眺める。


「小さい斗和君可愛いですね……そしてこちらが……あれ?」


 写真を眺めながら絢奈が首を傾げた。そんな絢奈が見つめる先は父さんだ。


「絢奈?」

「……いえ。何でもありません。ふふ、斗和君のカッコよさはお父さん似なんですね」

「でしょう! もう本当にカッコよかったんだから! 涼さんは本当に良い人だったのよ」

「母さん? 言ってることループしてるぞ?」


 母さんちょっとビール飲み過ぎじゃないか? 流石にこれ以上はやめさせようと思い母さんが続けて開けようとした缶ビールを取り上げた。母さんは不満そうにしていたが、飲み過ぎていた自覚はあったのか特に駄々を捏ねたりすることはなく平和的に食事の時間は終了するのだった。

 洗い物をしてもらっている間に俺は一足先に風呂に行かせてもらった。次いで絢奈が風呂に入っている間に少し部屋の片づけをして予備の布団を持ってくる。母さん? 母さんはイビキを掻きながら自室で爆睡してるよ。


「……今日は色々あったなぁ」


 ベッドに腰かけながら今日のことを思い返す。

 急に気持ち悪くなって眠ったかと思えばたくさんのことを思い出し、そして絢奈の未来を変えるために彼女に告白した。想いは伝わり、本当の意味で恋人となって今……本当に濃厚な一日だった。

 そんな風に今日を振り返っていた時、絢奈が部屋に入ってきた。


「ふぅ。スッキリしました。とても気持ち良かったです」

「おかえり」

「ただいまです」


 元々置かれていた寝間着を身に纏い、絢奈はそのまま俺の隣に座った。女の子が放つ甘い香り、風呂上りということもあり変に色っぽく見えて意識してしまう。

 ドキドキしていた俺を知ってか知らずか、絢奈は俺に身を寄せて頭をコテンと肩に乗せてきた。


「私、こんなに幸せでいいのかなって思います。斗和君と恋人同士になれて」

「それは俺もだよ。絢奈みたいな素敵な人が傍に居る。本当に幸せだ」


 そう言ってお互いに見つめ合い、どちらからともなく顔を寄せ……触れるだけのキス。だと思ったのだが――。


「……ぅん……っ!」

「ん!?」


 絢奈の舌が入り込んできた。

 彼女は一心不乱に求めるように舌を絡め、俺もそれに応えるように必死だった。暫くして満足した俺たちが顔を離すと、お互いの口から銀色の糸が伸びて途切れる。そして俺は自然に絢奈の体を押し倒した。


「……ふふ、これが初めてじゃないのに凄くドキドキしてます。斗和君はどうですか?」

「俺もだよ。凄くドキドキしてる」


 絢奈は俺の胸に手を当て、そして俺の手を自身の胸に誘うように置く。大きな感触と心地よい柔らかさ、その中から感じる心臓の鼓動。少しだけ意識してしまい手に力を入れると、絢奈の体がビクンと震えた。


「斗和君……来てください」


 そう言った彼女に俺は止まることはなかった。






 事が済んで少し、改めて二人でお風呂に入りちょっと頑張った後、部屋に戻ってきた二人は疲れを示すようにベッドに倒れ込んだ。


 絢奈にベッドを使わせ、斗和は敷布団を使おうとしたのだが一緒に寝ようという絢奈の提案を断り切れず一緒に寝ることとなった。


 そこそこに疲れが溜まっていたのか斗和はすぐに眠りに就いた。絢奈はもう少しお話がしたかったなと残念に思ったが、こうして誰よりも近く自分だけしか知らない斗和の顔を見れるならそれでもいいかと笑みを浮かべた。


「斗和君、本当に好きです。貴方に出会えて良かった」


 それは絢奈の本心からの言葉だ。別に起きていても伝えられる言葉だが今は少し、そっと伝えておきたい気分だった。斗和の傍で、彼の温もりを感じ、匂いを感じながら絢奈も幸せに包まれる。その中で一つ、絢奈は思い返すことがあった。


(……あの写真の人、斗和君にそっくりでしたね。親子だから当然なんでしょうけど……でも私はあの人を……斗和君のお父さんに似た人を見たことがある)


 似てるのは斗和だ、なんて当たり前のことではない。

 もっと昔……何かの機会で見たことがあるような気がすると絢奈は記憶を掘り起こそうとするが残念ながら出てこない。

 暫く考えてみたが結局浮かんでは来なくて、絢奈は今はそれでもいいかと一旦考えをやめた。


「……すぅ……すぅ」

「……ふふ」


 眠っている斗和に身を寄せても彼は起きない。絢奈はもっと体を寄せ、全身で斗和を感じられるように傍に。


(……今日はいつもよりよく眠れそうですね。愛している人が傍に居るって本当に幸せです)


 段々と眠くなってくる。でもいつもより気持ちよく眠れそうだと、絢奈も斗和に続くように夢の世界に旅立つのだった。






(……あれ、そう言えばあの時……なんでお母さんは明美さんのことを言ったんだろう。確か出会ったのはあの事故の後のはずなのに)


『“あの時”から嫌な子だと思っていたのよ。“あんな母親”じゃ教育が行き届いていないのも当然よ』




【あとがき】


明日から夕方5時更新のみになります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る