辿り着いた答え

 その日のことは今でも思い出せる。

 家に居るのも退屈だったから知り合いのおっちゃんのゲーセンに遊びに行こうとしたんだ。人の迷惑にならないようにボールを蹴りながら歩いていると、ふと公園の中で一人の女の子を見つけた。その子はずっと顔を伏せて泣いていて、俺はそんな女の子を無視することが出来なかった。


『一人で何してるんだ? 目が赤いけど……』


 そう言って顔を上げた君、そこから俺たちの時間は始まった。

 もしこの時のことを他の人が聞いたらマセガキとでも言うかな? あぁいいさ好きなだけ言ってくれ。今ならいくらでも言える。俺はその時からずっと、君のことが好きなんだ。






 俺が公園に着いた時まだ絢奈の姿はなかった。俺が斗和になってからここに訪れたのは初めてだけど、まるで自分のことのように絢奈との出会いの思い出が掘り起こされる。ここで彼女と出会い俺たちの時間は始まったのだ。

 絢奈と出会い、修と出会い、一緒に遊んで、一緒に過ごして……。

 楽しい思い出ばかりではない、辛いことだってあった。

 事故に遭ってサッカーが出来なくなり、心がボロボロだった時に修から絢奈との仲を応援してくれと言われ、迷いながらも家に訪れた絢奈との関係を持った。

 ファンディスクでも描かれたが、確かにこの時二人の想いは通じ合い進展したのだろう。だがこの時の追い込まれていた斗和の姿が絢奈の復讐に対する最後の一押しをしてしまった。


「……だからこそ、決着を付けないとな」


 今に続く中途半端な関係、そして絢奈が背負い続けているモノを否定するために今日ここに彼女を呼び出した。

 暫く待っていると目的の人物、絢奈が現れ俺の姿を見つけると嬉しそうに駆け寄ってきた。


「お待たせしました!」


 元気にそう言って俺の傍に立った絢奈に思わず頬が緩む。


「ありがとう絢奈。来てくれて」

「斗和君に呼ばれればどこへでも行きますよ」


 笑顔でそう言われ心が温かくなり同時に俺は思う――そうだ、この笑顔を守るんだと。

 絢奈の目を見つめると、彼女も真っ直ぐに俺を見つめ返す。その瞳には警戒心なんて一切なく、俺に対する全幅の信頼が見て取れた。

 さあ伝えよう、それが今日俺がここにいる意味。


「今日は絢奈に伝えておきたいことがあったんだ。大切なこと、俺たちのこれからについて」

「これから……ですか? えっと……それはもしかして」


 一瞬で絢奈の頬に赤みが差した。確かにこの言い方だと……あれかな。告白のようにも取れるのかもしれない。ある意味でそれも間違ってはいないのだが、それよりも前に清算しなくてはならないことがある。そうだろ? 斗和。

 己の内に頷く誰かの気配を感じ、ふっと笑みが零れたがすぐに絢奈に意識を戻す。


「俺はずっと考えていたことがあるんだ。もしかしたら……絢奈が本来抱えなくていいモノ、それをずっと抱え込んでいるんじゃないかって」

「抱え込まなくていいモノ……ですか?」


 絢奈の問いかけに頷き、俺はその答えを口にした。


「俺があの時……病室で抱えていた悲しみとか憎しみをさ」

「っ!?」


 絢奈の表情の変化は顕著だった。

 それはそうだろうと思う。これはゲームをやった俺だからこそ分かることだ。絢奈はずっと斗和に悟られないように憎しみを抱えていた。そしてそれを抱え続けた結果、斗和の知らないところで一気に爆発することになってしまう。


「その様子だと間違ってなかったかな?」

「……………」


 絢奈は俯いて俺の問いかけには答えない。でもすぐに彼女は口を開いた――その言葉に激情を乗せて。


「……抱えなくてもいいモノなんかじゃないです。アレは……あの人たちは斗和君にあんなひどいことを言ったんですよ? 許せるわけないじゃないですか……大好きな人をあんな風に言われて我慢できるわけないじゃないですか!」


 おそらく、絶対に聞くことがないであろう絢奈の感情的な言葉。彼女は肩で息をしながら俺を見つめている。その目は苦しそうで、今にも泣いてしまいそうだった。すぐにでも駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られるけど、俺は何とか踏み止まった。ここで甘えちゃダメなんだ。それでは俺も絢奈も前に進むことは絶対に出来ないだろうから。


「……ごめんな絢奈」

「え……」

「今まで俺は……君がそんな風になるまで気づけなかった。傍に君が居る幸福に浸るだけで、本当の意味で君を見ようとしていなかったんだ」

「そ、そんなことはないです! 斗和君はずっと私を見てくれてました!」


 絢奈にそんな顔をさせている時点でそうは言えないだろう。結局ずっと甘えていたんだ。絢奈が傍に居てくれるからと、一人だけ幸せになった気分で浮かれていただけだ。絢奈が抱える闇に気づかず、のほほんと過ごしていた人間――それが今の俺なんだよ。


「結局俺は修と一緒だった。ずっと甘えていたんだ……君の優しさに」

「一緒なんかじゃない! 斗和君はあいつとは違う!!」


 違う違うと頭を振る絢奈の姿は見ていられなかった。普段俺の傍で常に笑みを浮かべていてくれる彼女はここには居ない。ただ俺から伝えられる言葉を否定し続ける女の子、この世界でもゲームでも決して見ることがなかった絢奈の姿。


「ねえ斗和君。大丈夫ですから……あの人たちのことは私に任せてください。絶対に後悔させますから……だから……だから……っ!」


 おそらく絢奈自身何を言えばいいのか分かってないんだと思う。彼女は俺の胸に額を押し付けてずっと同じことを繰り返していた。絶対に後悔させてみせると、それを聞けた俺はこう言ってやるんだ。絢奈を救うために、今まで抱えてきた彼女のその間違った決意を否定してやるために。


「絢奈、そんなことをする必要なんてない」


 俺の言葉に顔を上げた絢奈の目はこう言っていた――なんでそんなことを言うのかと。それは言うに決まっている。じゃないと誰も幸せになれない……それこそ、絢奈が幸せになれないから。


「なあ絢奈。俺は今日……乗り越えようと思う。あの時感じた悲しみとか憎しみとか、色々なモノを」

「……え」


 目を丸くする絢奈から離れ、俺は木の陰に隠していたサッカーボールを手に持った。そんな俺の姿を見て絢奈が目を見開く。おそらく……いや確実か。俺がこうしてボールに触れることは入院して以降一度だってなかった。それほどにサッカーから離れたいと思ったからだ。だからこそ、今ボールを手にしている俺の姿に絢奈は驚いているんだろう。


「と、斗和君……?」


 困惑する絢奈から視線を外して、俺はボールを地面に置きつま先に乗せ、そしてリフティングを始めた。俺自身サッカーの経験はそうでもないけど、やはり斗和の体が覚えているのか上手い具合に出来ていた。体を使うような難しいことはせず、簡単に足だけでボールを地面に落とさないようにコントロールする。


「……よっと。ほっ! そりゃ!」


 こうしてリフティングをしているとあの時、絢奈と出会った時の光景が脳裏に蘇る。落ち込んでいた絢奈に元気になってもらいたくて、俺は一生懸命自分に出来る範囲のことを必死にやった。あの時に浮かべてくれた絢奈の笑顔、俺が好きになった切っ掛けのあの笑顔を俺はもう一度見たい。


「……あぁ……ぐすっ」


 必死にボールを扱っている中、横目で見た絢奈は泣いていた……でも俺は見たんだ。


「……ふふ」


 絢奈が笑ってくれたのを。


「なあ絢奈! 覚えてるか? こうして君を笑顔にさせようとしたこと!」


 そう伝えると、絢奈は頷いて答えてくれた。


「もちろんです……! 忘れることなんてできない……大切な思い出です。私と斗和君の時間が始まった……大切な思い出ですから!」


 そう、あそこから俺たちの時間は始まった。そしてそれはこれからもずっと続いていく。続かせてみせる……大好きな君と共に歩くこれからを!

 俺はボールを一旦置きサッカーゴールの前に立った。


「絢奈、確かにあの時俺は悲しかったし……恨みもした。どうして俺がこんな目にって」


 斗和が感じた怒りと悲しみは俺の想いとなって今もなお胸の中に燻っている。けどもうさ、いいじゃないか。過去を変えることはできないけど、これから進む未来はいくらでも変えられる。絢奈が壊れていく未来を変えることくらい、簡単だってことをこの世界に教えてやろうじゃないか。


「だからこそ俺は乗り越える。だから絢奈! 君も過去に囚われ続けるのはやめよう。俺はもう大丈夫だから。君が俺の代わりに背負う必要なんてない」


 俺が言うのも何だけど、斗和もだからな?

 この一発で、全部チャラにしよう。それで過去に目を向けるのは終わりだ。

 足を振り上げ、ゴールに向かって思いっきりボールを蹴る。真っ直ぐに放たれたボールはそのままゴールに吸い込まれ、パシュっと音を立ててネットを揺らした。

 久しぶりに感じたこの感覚、まるでずっと纏わりついていた何かが吹き飛んだ清々しさだ。


「……ふぅ。いいシュートだな」


 うんうんと一人で頷いていると、背中に誰かが抱き着いて来た衝撃を感じた。そのままお腹に腕を回された。俺は突然のことで驚いたが、当然これが誰かも分かっている……俺の大好きな人だ。


「……もう見れないと思っていた斗和君の姿……それを今になってみせてくれるなんてこんなに嬉しいことないですよ。私は本当に……斗和君がサッカーをしている姿が大好きでした」


 ……俺も覚えている。

 母さんと並んでメガホンを持って応援してくれていた絢奈の姿を。


「絢奈」


 回された手を優しく外し絢奈に向き直り、そして思いっきり抱きしめた。腕の中に好きな人が居るという事実、それがこんなにも幸せだなんて思わなかった。


「さっきも言ったけど俺はもう大丈夫だ。今のでもう、悲しいことにはサヨナラしたからな。これからは未来を見据えて歩いていこうと思う」

「……未来を」

「あぁ。だから……そのだな……」


 なんで今になってこう恥ずかしくなるんだ。

 絢奈を抱きしめていて、しかもさっき思わず忘れたくなるくらい恥ずかしいこといっぱい言っただろう! ならもう恥ずかしがるなって!

 大きく深呼吸をして、俺は見上げている絢奈の目を見つめて言葉に気持ちを乗せる。ずっと伝えたかった言葉、中途半端だった関係を終わらせて改めて前に進むために。


「その未来を絢奈も一緒に歩いてほしい。好きだよ――絢奈」

「……あ」


 あの時、絢奈と関係を持っても結局流されたままで気持ちを伝えていない。好きだと伝え、絢奈は顔を伏せさっきと同じように俺の胸に額をくっ付けた。


「斗和君は不思議な人です。ずっと私が抱えていたモノに気づいてくれて……また見たいと思っていた姿を見せてくれて……そして私が一番欲しかった言葉をくれた」


 そして絢奈は俺を見上げた。


「斗和君、私は酷い女です。あの人たちをずっと後悔させてやりたいと考えて、幼馴染の気持ちを知ってからはその好意を利用して復讐の足掛かりにしようとさえ考えた女です。……そして、そんな想いさえも斗和君の言葉一つで揺らいでしまうような軽い女です。そんな私でも斗和君は――」

「好きだ。どんな君でも俺が好きになった君なんだ。だから何度だって言う……絢奈のことが俺は好きだ」


 もうこの気持ちに迷いなんてないし隠す必要もない。

 絢奈が好きだ。もう……遠慮をする必要はないんだ。


「……あぁ、本当に斗和君は……私も伝えていいですか? 改めてこの気持ちを」


 そうして絢奈は浮かべてくれた。今までに見たことがないほどに綺麗で、ずっと記憶に残り続けるような素晴らしい笑顔を。


「私も斗和君が好きです。どうしようもないくらいに好きです。何があっても離れたくない、それくらい好きなんです。重い女と思われても構わない、それほどまでに大好きなんです」


 初めて聞いた真っ直ぐなその言葉、胸に飛来したのはこれ以上ないほどの喜び。俺はほぼ反射的に彼女に顔を近づけ、そしてその柔らかな唇に触れた。

 数秒の触れ合うだけのキス、名残惜しみながらも顔を離した俺たちはお互いに笑みを浮かべた。


「改めて思ったけどキスをするってなんかこう……幸せだな」

「はい。本当に……本当に幸せです」


 一旦体を離し、俺と絢奈は向き合う。

 少しだけ順序が違ってしまったけど、これも伝えておかないといけないことだ。


「絢奈、俺と付き合ってくれますか? いつまでもずっと」


 そんな俺の言葉に絢奈は――


「はい。いつまでもずっと、私は斗和君の傍にいます」


 ……あぁやっと、やっと本当の意味で気持ちが通じたんだな。

 ホッとしているのもあるし、これからが大変そうだなと考える自分も居るがまるで不安にならないのが不思議だ。それもこれも、傍に彼女が……絢奈が居てくれたらきっと。


「……あの、斗和君?」

「? どうした?」

「その……もう一度キスしたいです。ダメですか?」

「……かわいいかよ」


 乗り越えられないモノはないはずだ。

 なあ斗和、これが俺の選んだ答えだ。もう、あんな悲しい言葉を残す必要はないだろう? もちろんこれからの未来が順風満帆とは限らないだろうが、それでも俺を含め絢奈が心を壊すような未来にはならないと思う。


「絢奈、これからも俺を支えてほしい。俺も君を支えるから」

「あ……はい!」


 この笑顔に誓おう。絶対にこれから先守ってみせると。


 これが俺たちの辿り着いた先、そしてここからはじまる俺たちの未来に続く本当の物語。

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