ここから始めるために

 目の前に立っている存在、斗和を前にして俺は茫然としていた。

 鏡の前で何度も見た顔だが、こうして相対すると自分とは思えないちゃんとした他人なのだと認識できた。ただの夢なのか、或いはあるべくして起こったことなのかのどちらかは分からないが、俺としてはまず彼に言わないといけないことがあった。


「……すまなかった。お前の人生を……」


 何故そうなったのか分からないが、俺が斗和の人生を奪ったのは変えようのない事実だ。俺という意識が入り込んだことで斗和の意識が消えたのはまず間違いない。それについては原因が何であるにせよ謝罪をしなくてはならないことだろう。

 斗和は俺にどんな言葉を掛けてくるか、内心でビクビクとしていた俺だったが、斗和からの言葉は俺が予想したモノとは違った。


「その謝罪は必要ないさ。ある意味で、君がここに居るのは俺が望んだことでもあるんだから」

「……それはどういう」


 俺がここに居るのは斗和自身が望んだこと……そう彼は言った。どういうことかと首を傾げている俺に斗和は言葉を続けた。


「全部が終わって初めて気づけることも多くてさ。その中で俺が知ったのは絢奈がずっと苦しんでいたこと。俺の前では普通にしてるんだけど、ふとした時に陰りのある表情をするんだ。どうしたのかと聞いても教えてくれなくて、彼女は結局最後まで教えてはくれなかった」


 色々と断片的な言葉だが、俺の中で目の前に居る斗和の正体に見当がついた。というよりもよくよく見てみると今の俺の姿より若干だが大人びた姿……これはもう確定だ。


「……未来の斗和か?」


 斗和は正解と口にして頷いた。


「そう……愚かにも絢奈の心の闇に気づくことができず、彼女を傷つけてしまった馬鹿な俺さ」


 強く拳を握りながら自分を馬鹿だと吐き捨てた斗和の様子は苦しそうだった。そして伏せていた顔を上げ、俺を見つめながらある願いを口にした。


「俺はたぶん心のどこかで願ったんだと思う。絢奈を救ってくれる存在、彼女の心を守ってくれる誰かのことを」


 つまり、それが俺だったってことか。

 思惑はどうであれ、ある意味で俺と斗和の願いが一致した瞬間でもあるのか。あの未来を見てどうにかしたいと願った俺と、過ぎ去った過去を悔やんで誰でもいいから助けてほしいと縋った斗和の願い。

 話を聞いた俺はこんな都合のいいことがあるのかとも思ったが、俺が斗和になってしまった事実がある以上あり得ないと断定することも出来ない……まあゲームの世界に入り込むこと自体あり得ないことだからもう割り切ってはいるんだけどな。


「……何が出来るかは分からない。俺に出来るのは真正面から絢奈と話すことだけだからな」

「それでもいいんだ。俺にはそれすら出来なかったから」


 全てを諦めたようなその姿を見ていると……何だろうか少しムカムカしたような気持ちになる。俺は斗和に近寄り、バシンと頭を叩いた。


「いたっ!?」

「辛気臭い顔すんな! 何か嫌だわそういう顔される側にもなってくれ」


 一方的にどうにかしてくれと言われるのも疲れるからな。それに、今となっては絢奈を救いたいという気持ちはあるけど……他の問題事とか結構めんどくさいことが残ってるんだよな。


「修のこととかもあるし、家族のことだってある……絢奈の母ちゃんとか相手すんの大変だぞ」

「……それは……うん、頑張って」

「他人事かよ!」


 ……これはあれだな。結局未来まで絢奈母との関係は拗れたままか。


「……俺がどうにかしたいと思ったのは絢奈のことだ。もし上手い形に片付いたら俺の意識が残り続けるかも分からないってのに」


 俺の願いはあくまで未来をもっとより良い形にしたいってものだ。少しでも決められた未来に変化が起きて望みが果たされた時、俺という存在が変わらず残り続けるのかも怪しい。それこそ気づけば元居た世界に戻ってるってことも考えられる。……それはそれで少し寂しい気もするけどね。


「それは大丈夫じゃないかな。君も気づいてるでしょ? 魂が混ざり合ってるのが。この世界に生きる君は紛れもない雪代斗和だ。そこはもう変わらないと思う。だから、君が現状に罪悪感を抱く必要はないんだ」

「……そうか。けど結局後の面倒ごとは全部押し付けられるわけか?」

「……………」


 そうかそうか、成程よく分かった。

 上げかけた拳を何とか押さえ込む。とはいえ結局俺が一番気にしていた部分はそこだった。本人……と言っていいのか分からないが、そう言われれば少しだけ安心できるのも確かだった。

 斗和との不思議な邂逅、この時間も終わりが来たのか暗かった空間に光が差し込む。


「お別れかな。頑張れ――雪代斗和」


 頑張れね……自分と同じ顔にそう言うのはどんな気分なんだろうか。とはいえ、もうここまで来たらやるしかないだろうさ。


「やれるだけやってみる!」


 そんな言葉を最後に俺はこの空間から抜け出すのだった。





「……頑張れ、そしてどうか絢奈を救ってくれ」



 



 何かに急かされるように目を覚ました。眼前に広がる保健室特有の白さ、そして仄かに香る薬品のようなものの匂いがする。俺は上体を起こして時計を確認した。


「……ってもう放課後じゃん」


 どうやら俺は結構な時間熟睡していたらしい。誰か起こしてくれてもいいじゃないかと思ったのだが、あれだけ顔色悪そうにしていたのだからそのまま寝かされていたのもあるんだろう。俺がベッドから起き上がると丁度先生が入ってきた。


「あら、目が覚めたのね。……うん、顔色良くなったじゃない」

「たぶん疲れが溜まってたのかもしれないですね。ありがとうございました」

「私よりも音無さんにお礼を言うことよ。休み時間の度に来ていたんだからね?」

「……そうですか。分かりました」


 そう言って保健室を後にした俺は教室に向かう。その道すがら同じクラスの人に出会うと声を掛けられたが、一先ず大丈夫だと伝えておくとあちらも安心したようだった。

 軽くなった体は万全の状態、足早に教室に向かうとただ一人……残っている人が居た。


「あ、斗和君!」


 残っていたのは絢奈だった。

 彼女は一目散に俺に駆け寄ってきた。その様子に俺自身心が温かくなる。……どうやらあの空間で斗和から伝えられたことは本当らしい。魂が混ざり合うというのが基本的にどういうことかいまいちピンと来ないものの、己が斗和であるという認識が確固たるものになっている感覚がある。


「もう大丈夫だ。それと、ありがとう絢奈。休み時間の度に様子見に来てくれてたんだって?」

「当然ですよ。でも……本当に良かったです。もう体調は良さそうですね」

「おうバッチリだ」


 親指を立てて元気をアピールすれば絢奈も不安そうだった表情から一変、いつもの笑顔を浮かべてくれた。


(……そうだな。この笑顔だ。この仮面でもなんでもない本当の笑顔を守るんだ)


 これから訪れる未来、ある程度のズレはあれど何もしなければあの通りになるだろう。何故かは分からないが絶対にそうなるという確信が俺にはあった。こうしてたくさんのことを思い出し、斗和との記憶が繋がったからこそ目の前のこの子を守りたいって心の底から思うんだ。


「なあ絢奈。放課後、付き合ってもらっていいかな?」

「全然大丈夫ですよ。今からですか?」

「いや……1時間後くらいにあの公園でどう?」

「あそこですか? 分かりました」


 正直な話、何をすればいいのかはまだ分かっていない。ただ……俺、というよりは斗和の抱えるモノをまずは清算しておくのがいいと思った。だからこそ、あの思い出の場所である公園を選んだ。あそこには確かサッカーゴールも置いてあるはずだし。


「それじゃあ斗和君、また後で」

「あぁ。それじゃ」


 絢奈と別れ、俺は真っ直ぐに帰宅する。

 家に着いた俺は荷物を下ろして物置に訪れた。母さんが時々開けているからか埃はそこまでひどくないが、それでもある程度は舞ってしまう。コホコホと咳をしながら俺は目的の物を探し……そして見つけることが出来た。


「……よっ、相棒。随分放っておいたな」


 俺が取り出したのはサッカーボール、まだ斗和がサッカーをやっていた時に使っていたボールだ。ボールを抱え、俺は最後にスマホを取り出してある人物に電話を掛ける。たぶん前と同じく彼女の仕事を手伝っているはずだから出てくれるとは思う。


「……………」


 数回コール音が鳴り、目的の人物が出たことで俺は単刀直入に伝えることにした。


「悪い。あの時の約束、撤回させてもらっていいか? 俺は……絢奈が好きだ」


 電話先で息を吞むような音、そしてどういうことかと返事が来たが俺はすぐに切った。

 電源を切ってポケットに突っ込み、俺は絢奈の待つ公園に向かう。


 どうなるかは分からないが、俺は俺の出来ることをやろう。

 なあ斗和、魂が混ざったのならお前も俺の声が聞こえるんだろう? なら一緒に頑張ろうぜ。あの時から続く中途半端な関係を終わらせて、本当の意味で絢奈と一緒に未来に進むために。


「不思議だな。緊張とかは全然ない……それじゃあ行こうか」

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