最後の欠片

 休み時間になると俺はすぐに机に突っ伏した。

 頭痛はしないが胸に残る気持ち悪さは無くなってくれない。まだ半分も一日が終わっていないというのにこれでは先が思いやられる。

 脳裏に描かれる何らかの映像と絢奈の声、ハッキリしそうでハッキリしないもどかしさが駆け巡る現状にイライラが募る。授業の合間の休憩時間は10分、次の授業の準備をしないといけないと思い俺は顔を起こして教科書を取り出した。


『彼女を俺から奪ったのは……俺自身なのかもしれない』

「……っ!」


 思わず額に手を当てる。

 休み時間ということもあり周りは騒がしいが、俺の様子がいつもと違うことに気づく者も居た。


「おい、本当に大丈夫か?」


 席が近い相坂と……そして。


「斗和君? どうしたんですか……?」


 絢奈だった。

 話しかけられるまで気づかなかったほどに俺は自分自身のことでいっぱいだったらしい。二人が並んでいる場所に顔を上げると、相坂もそうだが絢奈の表情の変化は更に顕著だった。


「顔が真っ青だぞお前!」

「保健室に行きましょう!」


 二人して俺の手を引こうとするが、これくらい大丈夫だと言いそうになって言葉を呑み込む。確かにこんなに調子悪そうなやつが居たら逆に授業に集中できないかもしれないからな。クラス中の目が集まったがそこまで考える余裕は俺にはなく、言葉に甘えるように保健室に行こうと立ち上がった。


「相坂君、斗和君は私が連れて行きますから大丈夫ですよ」

「いや、でも男手があった方が――」

「私だけで充分ですから……ね?」

「イエスマム!」


 何かに怯えたように相坂が敬礼をした。俺からは絢奈の顔が見えなかったから分からなかったがそんなに怖い顔をしていたのだろうか。


「相坂君。私は少し遅れるかもしれないので先生に伝えておいてくれませんか?」

「了解しました!」


 ……本当にどんな顔したんだよ絢奈。

 直立不動になった相坂から視線を外し、俺は絢奈に支えられる形で保健室まで向かう。正直ここまでしてもらうほどに動けないわけではない。だけどこうなった絢奈は基本こちらの言葉を聞いてくれた試しがない。

 現にそれを言ってみると返事はおそらく……。


「絢奈、一人でも大丈夫だぞ?」

「ダメです。一緒に行きます」


 思った通りの返答、しかも即答である。

 決して離そうとはしない絢奈に連れられる形で保健室へ。先生に症状を言って風邪かと思い熱を測ったが平熱、なら少し休んでいきなさいということでベッドに横になった。当たり前のことだが机に突っ伏しているより楽である。気持ち悪さも軽減されて次第に眠気が襲ってくる。


「ありがとう絢奈。迷惑かけて」

「いいえ。迷惑だなんて思わないでください。斗和君の為なら私は何だって」


 慈愛に溢れた言葉、でも危うさも感じさせる言葉に俺は絢奈の顔を見る。彼女は変わらず俺を優しい目で見つめていた。ちょっと手を伸ばせば絢奈は優しく握ってくれる。……人は体調が悪い時、精神的にも弱々しくなるというのは本当らしい。俺は絢奈の手を握り返し、ほぼ無意識に口を動かしていた。


「……なあ絢奈。君は幸せか?」

「……え?」


 いきなりの問いかけに絢奈は目を丸くしていたが、すぐに頷いて答えた。


「もちろんですよ。斗和君の傍に居れる、それだけで私は幸せです」


 心の底からそう思っている、そう言わんばかりの笑顔だった。

 絢奈が幸せであるなら俺も嬉しい。でも……それは斗和という存在が居るからこそ感じる幸せだろう。なら……絢奈自身が持つ彼女だけの幸せはあるのだろうか。


「……絢奈自身の幸せは? 俺を抜きにして考えてみて、君は幸せだと言えるのか?」

「そ、それは……」


 ダメだ。もう瞼が重い。

 眠りに就くその瞬間まで、絢奈は俺の問いに答えることはなかった。彼女がどんな表情をしていたのか、どんな答えを出したのか俺はその時聞くことはできなかった。





「……私自身の幸せなんてどうでもいいんです。私は斗和君のモノ……斗和君だけのモノです。斗和君が幸せでいてくれることこそが私の幸せなんです。それで……いいじゃないですか。それこそが私の生きる意味なんですから」







 愛する人のために心を押し殺して復讐をする絢奈の姿を俺は可哀そうだなと思った。人によってはここまで想われることが羨ましいとか、好きな人を苦しめた人たちに罰を与える姿がカッコいいとか、おそらく色んな見方があることだろう。

 元々寝取られるヒロインとして描かれた彼女が隠していた想い、それが斗和を苦しめた者たちへの憎悪だと気づいた時、こう言っては何だが俺はちょっと興奮した。それは性的な意味合いではなく、単純に今までになかった形だと思ったからだ。

 絢奈が歩いた道、その復讐の道筋は全て斗和の為にという意味の元で成り立っていた。斗和がそれを望んでいるかそうでないかに限らず、絢奈はただそれが正しいことであると信じ切っていたのだ。もしかしたら間違っているかもしれない、でもあいつらは斗和を苦しめたという事実が絢奈の背を後押しする。一度動き出せばもう止まれなかった……最後の最後まで絢奈は復讐をやめなかった。


『これで終わりですね……ふふ、ざまあみろ』


 雨が降る公園の中央で絢奈がこう口にするシーンがある。その公園は初めて絢奈が斗和と出会った場所、彼女にとって思い出の場所と言ってもいい場所だ。雨に濡れているからそう見えたのか、或いは本当にそうだったのか分からないが、彼女の頬を流れる雫が俺には涙に見えた。復讐を終え、虚無感に包まれた彼女の無意識による涙ではないかと。

 人の幸せの行きつく先は千差万別、だが……果たしてこのまま進んで本当に幸せがあるのだろうか。絢奈ならきっと表情には出さないし態度に現れることもない。最後まで斗和の傍で彼を想い尽くしていくのだろう。


「……自分だったら何が出来るだろうか」


 ゲームをプレイした直後の俺はそれをずっと考えていた。

 斗和は最後まで知らず、絢奈も絶対に悟らせないはずだ。それはつまり、絢奈だけが過去から続く心の痛みを未来永劫に渡って抱え続けていくことを意味している。復讐でその痛みが晴れるならそれもいいのかもしれない……けど、そうだとしても俺にはあの公園での絢奈の表情が忘れられない。


 ……時間は掛かったな、いや案外短かったのか?

 もう大丈夫だ。もう忘れない……今全部思い出した!


「……さてと、どうするかな」


 この暗い世界、本来の俺は保健室のベッドでおねんねってところだろうか。自分の意思で目が覚めればいいのにと思ったその時、この空間に俺以外の声が響いた。


「不思議だな。こうして自分の顔を見ることになるなんて」

「……?」


 声がした方向に視線を向けると、そこに居たのはここ数日馴染んだ顔だった。


「……斗和?」


 俺の前に立っていた男の顔、そしてさっき聞いた声は間違いなく……雪代斗和のモノだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る