どうも斗和は修の家族には嫌われているようだ

 絢奈と一緒に帰る途中、母さんからスマホにメッセージが入っていた。内容は冷蔵庫の中の食材が少なくなっているから買ってきてほしいというもので単なるおつかいだ。


 父が居ない我が家において、俺のことを想い毎日料理を作ってくれる母さんのことを考えると当然のことながら断るという選択肢はない。一人で向かう予定だったのだが、ちょうど絢奈が傍に居た。


『手伝いますよ。寧ろ手伝わせてください……というのは建前で、もう少し一緒に居たいです。ダメ……ですか?』


 上目遣いでそう言われ、俺はすぐに首を縦に振った。商店街に向かって歩き出すと、当然のように絢奈が腕を組んできた。


 いくら周りに学校の生徒の姿が見えないとはいえ人通りは多い。それでも絢奈は俺から離れず、時折こちらを見上げては目が合うと嬉しそうに笑みを浮かべるモノだから、俺としてもやはり離れてくれとは言えなかった。


 店に着くと絢奈は食材と睨めっこをしながら選んでいく。


「お芋は……これがいいですね。キャベツと白菜……それからお肉と……」


 俺が持つ籠にテキパキと食材を入れていく絢奈を見ていると漠然とした感想になってしまうが、絢奈はきっといいお嫁さんになるんだろうなって思った。


 現状少し怪しい部分があるが、このまま俺が何もしなければ絢奈は修と結ばれるのかもしれない。ゲームで起きた悲劇は起きず、修は初恋の人と結ばれてエンディングならそれはハッピーエンドだろう。


 ……だけど、それを面白くないと考えている自分が居る。


「……くそっ」


 思わずイラつく態度が表に出る。

 雪代斗和の体になってから妙に意識が引っ張られる時がある。最初は何も思わなかったが、絢奈が傍に居ることが心地よくて、ずっと傍に居てほしいと考えてしまうのだ。いやそれだけじゃない、心もそうだが体も絢奈を求めているんだ。


 絢奈は誰にも渡さない、修になんか絶対に渡さない、修だけじゃない他の奴にだって、等と言葉が頭の中で反復する。これは俺の意思なのか、或いは雪代斗和の意思なのか分からないが、俺にはこの気持ちを否定できない。


「ふふ、まるで夫婦みたいですね。私がお嫁さんで、斗和君が旦那様」


 少し照れたようにそう言った絢奈の横顔はとても綺麗だった。その横顔にしばし見惚れていた俺はハッと我に返り、もう用は済んだとして自宅への帰路に着くのだった。


 夕日が沈んで暗くなった道、絢奈と並んで歩くこの空間は俺たち二人だけだ。


 暫く歩くと見えてくるのは絢奈の家、向かい側に見えるのが修の家だ。つまり今日はここで別れることになる。


「ありがとうな絢奈。助かったよ」

「いえいえ。私が言い出したことですし大丈夫です。それに、長く斗和君と一緒でしたから役得です」

「……そっか」


 妙に名残惜しいこの気持ちは何なのだろう。

 その気持ちに蓋をするように俺のとは別に絢奈が持っている買い物袋を受け取ろうとしたその時だった――まるで体の自由が利かなくなったかのように、自然と俺の体は絢奈の体を抱きしめていた。


「きゃ……斗和君?」


 何をやっているんだ、とは思えずに俺が感じるのは絢奈の温もりと感触だけ。絢奈は驚いた様子だったが、すぐに俺の背中に手を回して抱きしめ返してきた。


「落ち着く……少しこのままで」

「いつまでも大丈夫です。何ならこのまま……」


 そう言って絢奈は顔を上げ、唇を突き出しながら近づいてくる――あと少しで触れるという瞬間、二人っきりだった空間に別の声が響いた。


「絢奈お姉ちゃん?」

「っ!?」


 響いたその声に俺たちはすぐに離れた。聞き覚えのあったその声の出所に視線を向けると、案の定そこに居たのは俺たちにとって知った顔だった。


「……琴音ことねちゃん」


 絢奈が口にした琴音という名前、フルネームは佐々木琴音と言って修の妹になる。黒のボブカットに着崩した制服、後……こう言っては失礼かもしれないが色々と小さい。絢奈としては特に問題ないだろうが、俺としては琴音と会うのは少しばかり避けたいことだった。


「私たちの家の前で何やっているんですか?」


 絢奈から視線を外し、俺を見つめそう冷たく言い放った。この体になってから会ったことはそんなにないが琴音はどうも斗和のことが嫌いらしい。理由は明確にはされてないが言動と態度から斗和に対し良くない感情を持っているのは容易に想像できる。

 そして、彼女もまたヒロインの一人だ。


(佐々木琴音、妹枠での寝取られヒロイン)


 琴音はとにかくブラコンで、修のことが大好きという設定だ。修もそんな琴音のことを溺愛しており、兄妹仲は気持ち悪いくらいに良好である。ただ彼女もヒロインである以上、修の前から消え去る寝取られの宿命を背負っている。確か琴音は――。


 彼女の身に何が起こるのか、それを考えようとした時頭に鋭い痛みが走った。思わずこめかみを抑えてしまい、傍にいた絢奈が何事かと心配そうに見つめてきたが、その痛みもすぐに引いて俺は絢奈に大丈夫だと伝えた。


「絢奈に買い物に付き合ってもらっただけだよ。本当に助かった。それじゃあな」


 このままここに居て琴音との間に嫌悪な空気を生んでも絢奈に悪いだけだ。絢奈から袋を受け取り、そのまま琴音の傍を通り過ぎようとしたところで、彼女は俺にも聞こえるような声で口を開く。


「絢奈お姉ちゃん災難だったね。無理やり頼まされたんでしょ? 女癖悪そうだし近づかない方がいいよ」


 ……何となく正論っぽい気がして言い返せないんだよなぁ。

 でもあれだな、一応俺と修は親友という関係なのに何故その妹とここまで仲が悪いのだろうか。そう言えばゲームでも修の家に斗和が遊びに行ったりする描写は一度もなかったなその逆はあったけど。そう考えるとゲームで描かれていない何かがあって、それが原因で斗和は修の家に行かないのだろうか。


「……全然分からん」


 いくら考えても答えは出てこない。俺は母さんをあまり待たせるのも悪いなと思い、足早に帰宅を急ぐのだった。






 一人の少女が鼻歌を歌いながら自室のベッドに腰を下ろしていた。清潔感溢れる部屋の中で少女――音無絢奈は家に帰るまでにあった出来事を思い返す。


「斗和君の温もりと匂いが忘れられない……あぁ好き……好きだよ斗和君」


 大きなぬいぐるみを抱き寄せ、思いっきり顔を埋めて何度何度もあの光景を脳裏に焼き付ける。最近はご無沙汰だったが、絢奈にとっては斗和に抱きしめられるだけでも幸せだった。しかも後少し、あと少しでキスさえも出来たというのに……そこまで考えて絢奈の心は一気に憤怒に満ちた。


「あのクソ女さえ来なければキス出来たのに……その先だってもしかしたら……っ! クソが!!」


 抱きしめていたぬいぐるみを乱暴に放り投げ、行き場のない怒りを露わにする。キスの邪魔をされただけならまだ良かった。だがあろうことか琴音は斗和を侮辱するような発言をした。あの時は我慢できたものの琴音と別れてからずっとその怒りは燻ったままだった。斗和とのことを思い返せば落ち着けるが、それでもここに来てついに琴音に対する怒りが爆発してしまったのだ。


「斗和君が何も言わないから私だって我慢できる……でも……でも! ああああああああっ!!!」


 普段の彼女からは決して考えられないその姿、しかしある意味でこれも彼女の持つ顔でもある。放り出されたぬいぐるみに一発蹴りでも入れようか、そう思い立ち上がろうとした時絢奈のスマホがメッセージを受信した。沸騰した頭だったが、表示された送り主を見てすぐに怒りが抑えられる。


「あ、斗和君!」


 急いでメッセージを見る。


『今日は本当にありがとう。やっぱり絢奈は頼りになるよ。今度休日に二人でどこかに出かけないか?』


 その文面を見て絢奈の心を包んだのは歓喜だった。目にも止まらぬ速さで返事を打ち込み送信を確認してから一息吐く。スマホを胸に抱き、絢奈が思い返すのは斗和の姿、笑顔、匂い、温もり、彼に連想する全て。

 けれど同時に考えるのは最近の斗和の様子だ。


「やっぱり最近の斗和君少し変わりましたよね。まあ、どんな斗和君でも大好きなんですけれど」


 斗和の一挙手一投足を絢奈は見てきたのだ。故に斗和の変化にも少しばかり気づいている。だがそんなものは絢奈にとっては些細な問題だった。斗和がそこにいる。声を掛けてくれる。抱きしめてくれる。可愛がってくれる。自分を見てくれる。ただそれだけで絢奈は満たされる。傍に彼が居て、その隣に自分が立っていればそれだけでいい。他のモノは何も要らないのだから。


 絢奈は立ち上がり部屋に置かれている机を目指す。机に置かれている何枚もの写真、そこには幼い頃から今に至るまでの斗和との写真が飾られていた。


「……斗和君」


 うっとりと眺める絢奈。しかし、この写真には歪な部分が一つだけある。それは二人以外にもう一人写真に写った痕跡があるのだ。その痕跡というのは非常に分かりやすく、斗和と絢奈ではないもう一人の人物がマジックで黒く塗りつぶされているのもあれば、ハサミで上半身の部分のみ切り取ったような雑なものまである。まるでその人物に対し大きな嫌悪のようなものを感じさせる。


「……あんなやつと幼馴染なんて吐き気がする。その妹も、あの母親も! 絶対にいつかグチャグチャに汚してやる」


 凄まじい憎悪と共に吐き出された言葉は虚空へと消える。

 今一度乱された心は、先ほど送った返信の返しが来たことで平穏を取り戻した。


「斗和君大好きだよ。おやすみなさい」


 優しくそう呟き、絢奈は一日を終える。

 また明日、斗和に会えることの喜びを胸に抱いて。

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