絢奈さんってヒロイン……だよね?

 修と絢奈に遅れる形で俺も教室に着いた。

 自分の席に向かうまでに辺りを見回してみると既に二人は席に座っていた。修は寝ているのか起きているのか分からないが、顔を伏せたまま身じろぎしない。


 よくよく思い返せばこの世界の主人公である修は……まあ何と言うか、こう言うのはあまり好きではないが所謂陰に属する人間だ。


 美人で明るく誰とでも仲が良い絢奈は修とは正反対に位置する人間だ。友達が少ない修と違って絢奈は男女問わず友達が多い。おまけに容姿も良いとくれば人気者にならないわけがないのだ。


 そんな絢奈と修が仲良くしている光景は他の者たちにとっては好ましくなく、決して小さくはない嫌がらせを修が受けていたのも確かだった。


 その嫌がらせを絢奈が咎めたことで一先ず終わりを迎えたが、絢奈が修に対し弁当を作ったりしていることは面白くないらしく嫉妬の視線を向ける者もまだまだ多い。


(……いや、咎めたのは斗和もだったか)


 絢奈と並んで斗和も一緒だったのを思い出した。修の過去を見る限り表向きの斗和は本当に良い親友像をしている。


 修を助け或いは相談に乗り、絢奈との仲の進展すら手伝っていたほどだ。そんな頼れる親友である雪代斗和が実は絢奈と肉体関係を持っていた……この事実には当時本当に驚いたものだ。


『斗和君じゃないとダメなんです♡ あんなウジウジして情けない幼馴染なんていりません♡』


 修が目撃した瞬間に放たれた絢奈の言葉だ。それを聞いて修は更に絶望し、呆然としてその場を立ち去る後ろ姿を最後にエンディングを迎える。信じていた初恋の幼馴染に要らないと言われた修がその後どうなったのか、あまり考えたくはないが碌な結末ではないだろう。


 絢奈が口にしたように本当に修という人間は優柔不断でウジウジした奴だ。どうしてこんな奴が多くの女の子に好意を寄せられるんだと疑問に思うが、特に理由なくモテるのはこういったゲームの特権なので考えても仕方がない。


 席に向かう途中で友達と仲良く話していた絢奈と視線が合った。絢奈が俺に気づいたのに続くように、周りの連中も気づいて手を振ってきたので俺はそれに小さく手を振り返して自身の席に座った。椅子に座った俺を絢奈が目を見張るように驚きを露わにし、友達たちに何かを伝え俺の方へと歩いてきた。


 俺としては特に何かおかしなことをした認識はなく、絢奈が驚いた理由に見当も付かないが……その理由は絢奈から伝えられた言葉で納得することとなった。


「斗和君どうしたんですか? 最近はこちらに来てくれませんし……私も時にはこんな日もあるのかなって思ったのですが、流石にこうずっと続くとは思っていなくて」

「……あ~」


 なるほど、斗和はいつもあのグループの中に入っていたのか。


 ゲームではあまり斗和の交友関係は語られておらず、修と話をする場面でも特にグループから抜け出して等のテキストはなかったため気づかなかった。


 俺がこの体になってからはあのグループに自分から向かったことはなかった。数日程度なら絢奈も気にしないだろうが、流石にずっと絡みがないのはおかしいなと思ったのだろう。


 そりゃ中身が違うのだから仕方がないのだが、それを絢奈が知るわけでもないし難しいものである。


「朝は少し静かにしたくなってな。絢奈も俺なんか気にしなくていいんだぞ?」


 こんな返答が無難だろうか。俺は別に絢奈を狙うつもりは……まあこんな極上の女をモノにしたいとは男として思うけれど、あのシナリオを知った身としてはそんな気も起きない。


 だから俺を気にせず修と仲良くすればいい、そんな意味合いも込めていたのだが……絢奈の反応は俺が予期せぬものだった。


「……え? 気にしなくていいって……どうしてですか!?」

「ちょ、ちょっとおい!」


 いきなり肩を絢奈が掴んできた。

 どこからそんな力が出ているんだと思うほどにガッシリと掴まれ、俺は絢奈から離れることもできず至近距離で彼女と向き合う形だ。周りのクラスメイトも何事かとこちらに視線を向けていた。


「嫌です……斗和君にそんなこと言われたくないです……嫌ぁ……嫌ですご主人様ぁ」

「ご、ごしゅ……?」


 なんだご主人様って。

 いきなりの絢奈の言葉に困惑してしまったが、視線が集まるのは嫌だったので何とか絢奈を落ち着かせるように頭を撫でる。


「あぁ悪かった。たまたま少し気分が乗らなかったんだよ。何なら絢奈がこっちに来てくれ。そうすれば話でもなんでもするからさ」


 少し慌てたようにそう言えば絢奈も目に涙を滲ませた状態ではあったが頷いてくれた。安心したのか良かったと笑みを浮かべたその姿に、俺は思わず見惚れてしまい固まってしまう。流石はゲームのヒロインと言うべきか破壊力抜群だ。


「……もうごしゅ……コホン。斗和君はひどいです。そうやって私を困らせて、でも最後はそんな嬉しい言葉をくれる……あぁ」

「……絢奈?」


 ……いや、本当にどうしたんだ?

 この絢奈の反応はやっぱりおかしい気がする。確かに修と一緒に斗和も絢奈の幼馴染という括りではあるが、まだシナリオが始まっていない以上斗和と絢奈の間には何もないはずだ。それなのに俺の言葉一つで取り乱しもすれば喜びもする、しかもその振り幅が明らかにおかしい。加えて俺を見つめる今の絢奈の目は熱っぽい……まるでゲームで描かれた発情したヒロインのような目じゃないか。


「大丈夫です。でも付き合いは大事ですから、出来るだけ斗和君もこちらに来てくださいね? 我慢できなくなったら……学校だとあれだから家にお邪魔してもいいですか?」

「お、おう……」

「……っ~!!」


 ブルっと体を震わせた絢奈の様子にやっぱり何かおかしいなと感じる。……そう、確かに俺はこの絢奈の様子が非常におかしいと感じている。でも俺の体はどこかその絢奈を見て興奮を覚えているのも確かだった。この不可解な感情はよく分からないが、気にしても仕方ないとして頭を振ってその考えを捨てる。


 絢奈が俺の返事を聞いて友達の輪に帰ろうとした時、ボソッと絢奈のモノと思われる言葉が聞こえた。


「斗和君がいないんじゃ関わる理由なんてない。いい顔するのめんどくさいあいつらウザいんだよ」


 前半俺の名前が聞こえた気がしたが後半はよく聞こえなかったが何か忌々しそうにしていたのだけは分かった。俺の元を離れて行った絢奈はもう一度こちらを振り向き、小さく手を振って今度こそ友達の所に戻ったのだった。


 俺は嵐が過ぎたような脱力感を感じて大きく溜息を吐く。っと、そんな俺の肩を叩く存在が居た。


「よっ! 珍しいなお前が一人なんて」

「……相坂か」


 肩を叩いて来たのは相坂あいさか隆志たかし、クラスメイトであり俺とよく話す友達だった。坊主頭がトレードマークの筋肉質な男だが、こいつは何を隠そう野球部で活躍する男である。このガタイの良さも普段の練習の賜物だろう。

 相坂は俺を見ながら「ふむ」と呟き、続けて口を開いた。


「……お前やっぱり少し何か変わったよな? 何かは分からねえけど」


 時折鋭いことを言うやつだ。

 俺はその言葉に苦笑するように肩を竦め、こう切り返した。


「もしかしたら中身が全く別の人間になったりな?」

「あっはっは! お前でもそんな漫画みたいなこと言うんだな。なんかハマった漫画でもあんの?」


 全然信じていない様子だ。まあそれもそうかと俺自身納得する。この現実世界……エロゲの世界ではあるが当然魔法は存在しない。それなのに人の中身が変わったなんて言っても誰も信じないし信じようとも思わないはずだ。ま、俺自身がそのあり得ないことを実感してるんだけどね。


 相坂と他愛無い話をしていると、ふと相坂が俺から視線を外して別の場所を視た。俺もそれに釣られるように視線を動かすと……顔を伏せていた修に話しかけようとする絢奈の姿があった。


「お、また佐々木に絡んでるな音無さん」

「よくある光景だろ。今更珍しいことでもないさ」

「そりゃそうだけどよ。いくら幼馴染だからってあんなに構うかね」

「さあな」


 それは絢奈が修に気があるからじゃないのか?

 ここからだと会話は聞こえないが、口煩そうにしている絢奈とそれをめんどくさそうに聞いてはいるが口元がにやけている修の姿。その修を見ていた近くの女子生徒がキモイと口にしている……強く生きろよ修。


「外野がウダウダ言う必要はないだろ」

「まあな。でも佐々木と違ってお前は何も言われないんだからイケメンは得だよな」

「イケメン?」

「……お前マジか?」


 あぁそうか確かに客観的に見れば斗和はイケメンだった。自分の顔を見て何俺カッコいいとかいう趣味もないから気にしたこともなかった。なるほど喜べ俺よ、俺はどうやらイケメンらしいぞ。


 一人で頷いた俺を相坂は怪訝そうに見ていたが、すぐに視線をまた二人に戻した。何もすることないし俺も見ようかなと思って視線を戻した時、ふと気づいた。


「……あれ」


 絢奈ってあんなに無機質な目をしてたか?

 さっき俺と話していた時と明らかに違うその目に、俺はずっと首を傾げていたのだった。

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