第04話 光秀の本能寺の変/Rhythmic.ver
光秀側から見た本能寺の変
天正10年6月2日、本能寺の変のクライマックス。
信長、正座。光秀、凝視。史実、困惑。
光秀が突入の号令を掛けようと息を飲んだ時、烈火が明智軍を襲った。紅蓮の炎は、幾つかの火の玉と化し荒れ狂い明智軍の進路を拒んだ。ただ火を放ったとは思えない燃え上がりに明智軍は、意表を突かれた。
「この炎の中では、信長は助かるまい。信長の亡骸を確認するため十人程を残し、二条陣屋に向かい、信長の嫡男忠長を討ち申す」
忠長を呆気なく討ち取った光秀は、洛中の残敵掃討を終えると、信長の本拠地である安土城に向かった。途中、
この時、安土城留守居役であった山崎片家・
美濃では、安藤守就父子が光秀側に就くが、北方を領する稲葉一鉄の反撃に討ち死に。美濃野口城主西尾光教にも加担を拒否され、美濃では勢力を伸ばせなかった。
6月7日、信長討たれるの報を知って形勢を見守る朝廷は、光秀に使者を送り、緞子の反物など渡すが一応、光秀に媚を売っておこうと言う儀礼的なものだった。
6月9日、光秀は、安土城から上洛、都に入った。
秀吉が西国から取って返すとの噂を聞き、光秀は、その前に朝廷を味方に付け、既成事実を作ろうと動いた。自分が旗揚げすれば、当然駆けつけて来ると思っていた武将たちの反応の鈍さがそこにはあった。
光秀は、天皇と親王に銀子五百枚、京都五山の寺院と大徳寺には百枚ずつ、朝廷との仲を取り持ってくれた吉田神社の宮司、吉田兼見には五十枚を進上。寺院に対しては信長の供養料の名目で金数を渡し、体制づくりに勤しんだ。
姻戚関係にある細川藤孝・忠興父子に、但馬・若狭二ヶ国を与えるから加担するよう求め自筆書状を送るも、返ってた報せは、父子が信長の死を悼んで髪を切った、とやんわりと拒否され、当てにしていた筒井順慶も、自分の居城に籠城される始末。茨木城主中川清秀・高槻城主高山重友に対する工作にも失敗した。
加勢の見込みが先細りする中、山陽道を引き返して来た秀吉は、姫路を発して、摂津尼崎に迫っているとの知らせ光秀に入った。
羽柴秀吉は、思案していた。如何に早く、引き返すかを。秀吉のとった独創的な発想は、用意周到な越後忠兵衛の度肝を抜いた。
京の山崎には、堺泉州の商人、天王寺屋宗及たちも加勢し、武器、装備を新たに買い揃え準備を整えるのにてんやわんやだった。
天王寺屋宗及たちは、武術より算術に重きを置く秀吉を引き立て、自分たちの利益を守ろうと動いていた。
閻魔会の忠兵衛たちも表では、天王寺屋宗及たちと行動を共にしていたが、飽く迄も駒の一つとして動く程度で積極的ではなかった。忠兵衛たちにとっては秀吉の天下になった暁でも、商売に支障をきたさないための行動だった。
二万の大軍を率いる戦上手の秀吉に出てこられては…。
光秀の焦りは高ぶっていた。
6月11日、光秀は慌てて下鳥羽に出陣し、秀吉軍を迎え討つため、淀城の修築を始めたが、時既に遅し。確かなものも戦浪もなく、他人の思いを憶測で動いた光秀は、後手後手に周り、上手の手から水が漏れる状態だった。
6月12日、秀吉軍は摂津富田に着陣。
池田恒興・中川清秀・高山重友ら摂津衆の武将、堺泉州の天王寺屋宗及ら商人たちも続々と駆け付けていた。
光秀にはもう打つ手がなかった。残すは信長に京を追われた先の将軍足利義昭を担ぎ出すだけ。しかし、こともあろうか義昭が身を寄せる毛利氏は、秀吉と和睦が成立したばかり。一縷の望みも泡と消え去った。
運気は一度、坂を転げ落ち始めると歯止めが効かない、それが世の常。やる事なす事、裏目裏目の儚さに、光秀は落胆の色を隠せないでいた。
6月13日、京都・山崎の戦い。
光秀にとって厳しさを予感させる激しい雨だった。
秀吉は、巳の刻(午前十時頃)信孝と合流し、山崎に布陣。
光秀は、御坊塚に本陣を置き、斎藤利三・柴田勝定らを先手とするが、明智軍勢1万6千に対して秀吉軍は、4万に膨らみ、多勢に無勢の戦となった。
秀吉軍には、謀反によって殺された主君の遺児・信孝を押し立て、恩顧の家臣が弔い合戦を挑む、と言う心奮い立たせる大義名分があった。
光秀は、落胆の中、決断を迫られていた。
「隊に疲れが見え始めておる」
「何をおっしゃる、我等、光秀公の為ならば死ねまするぞ」
斎藤利三らを筆頭に強い結束で、一進一退の攻防戦を展開していたが、劣勢な状況からは抜け出せないでいた。
「撤退じゃ、撤退。隊を立て直そうぞ」
光秀は、窮地に追い込まれていた。明智軍は総崩れとなり、光秀は近くの勝竜寺城に退去した。羽柴勢の追っ手は確実に光秀の首へと近づいていた。
緊迫するこの状況を最も冷静に捉えていたのは、斎藤利三だった。何とかしなければ殿の命運は尽きる、その思いが利三を支配していた。もう、そこには再起と言う夢物語はなかった。これ以上の深入りは、見す見す敗戦を余儀なくすると考えた斎藤利三は、明智光秀と溝尾茂朝、小暮時三郎に密談を持ちかけた。
光秀は、坂本城から安土城へ向かおうと考えていた。篭城戦に持ち込み、長期戦になれば、叩き上げの羽柴秀吉と家柄のよい柴田勝家の犬猿関係が勃発し、秀吉は自滅するはず。その時に、上杉家や毛利方の援軍が得られれば、勝機があると考え、再起を願っていた。天下制定の暁には、天下人の座を譲ってもいい。その本音も感じ取った瞬間、利三の心の中で光秀は、砂上の楼閣の主となった。
その時、数人の黒装束の男たちに囲まれた。光秀と利三は、電光石火で部屋から連れ出された。光秀は、一人の男に背後を取られ
利三と身包みを剥がされた光秀は、頭陀袋に押し込まれ、馬の背に乗せられ、闇が迫る豪雨の中に消え去った。
茂朝と時三郎は、二人の男に抑えられ、座らされていた。その視線の前に如何にも落ち着き払った侍が現れた。
「手を離して上げなさい。溝尾茂朝殿、小暮時三郎殿、急ぎの頼み聞き入れて頂きます。手荒な真似はお許しくだされ。騒ぎ立てれば光秀様のお命、保証は出来ません。羽柴勢はここを包囲し、遅かれ早かれ、光秀様はお命の終焉を余儀なくされまする。しかし、私の話をお聞き入れくだされば、我らが光秀様をお守り致します。この状況で我らを信じてくだされと言うのは、無体なことは承知。それを押して申し上げております」
「そなたら何者?」
「それは後ほど。今は光秀様が大事。我らにお任せ頂ければ、必ずや光秀様を安全な場所までお届け致します。秀吉の追っ手は手強いですぞ。細川家は勿論、上杉家や毛利方の援軍も得られません。言わずとも、光秀様には最悪な状況です。お聞き入れくだされ、我らの願いを」
「援軍が得られない、そんな馬鹿な」
「上杉家や毛利方も織田家に逆らうことを良しとなされぬと確認しております。このままでは光秀様のお命が…」
交渉担当の侍は、お命が…と言う事で、茂朝、時三郎の問題ではなく、襲った自分たちの問題だと摺り替えて見せた。
「さぁ、刻限は御座いません、ご決断を、ご決断を」
援軍は来ないのか…。それでは籠城したとしても…。秀吉は援軍を得る。勝ち目はない。茂朝、時三郎は現状を見て、前途を悲観していた心を見透かされた思いだった。
対面する落ち着き払った侍はどこかの名のある武将の家臣か、光秀の首を取れる機会を手放している以上、今は敵ではない、力を貸せと願うてることは…。藁をも縋る気持ちと、渡りに船の思いが交差して、茂朝は
「分かった。それで我らに如何致せと言うのだ」
「光秀様の影武者を仕立てます。茂朝殿には時三郎殿と共にその影武者を本当の光秀様と思い、最後まで守って頂きたい。万が一、影武者が命を落とした場合、身元が分からぬように首を撥ね、顔の皮を剥いで頂きたい。本当の光秀様に手が及ばないように」
「承知…した」
「あとはこの場から無事に離れることにご尽力くだされ」
「承知した」
羽柴勢の包囲網が迫り来る中、僅かな隙を強行突破し、溝尾茂朝と小暮時三郎は、影武者の光秀と共に坂本城へと向かった。茂朝と時三郎は、敗色濃厚のジレンマとは別の重荷を背負っていた。道すがら、不思議なことに羽柴勢の追っ手が全く来ないことを茂朝と時三郎は、不思議に思っていた。それは、黒装束の者が率いる七人衆の策略によるものだった。
羽柴軍が、明智軍がいる勝竜寺城を重包囲し始めた頃、徒兵の叫び声が響いた。
「明智軍、西門に集結、鉄砲隊を…」
叫びが終わらぬ間に、パンパンパンと乾いた音が数発、響いた。
「西門だぁ、西門に急げ」
羽柴軍が、西門に怒涛のごとく移動すると
「明智軍、西門にあらず、東門に移動した、東門だぁ」
羽柴軍は、闇と豪雨のなか文字通り右往左往する羽目になった。羽柴軍が慌ただしく移動したため、西門から先に脱出した騎馬隊や徒兵の足跡は踏み消され、追跡が困難になった。勝竜寺城に残っていたのは、残党の兵のみで、重臣や光秀の姿はなかった。
秀吉は、光秀が坂本城か安土城に向かい、籠城すると考えていた。
「袋の鼠よ、捨て置け。光秀の首は我が手にあるも同然」
戦上手の秀吉は、深追いするより、兵の疲労を取ることを優先させた。兵糧攻めでも一気に攻め込むも、手立ては幾手もあり、慌てる必要がなかった。
斎藤利三は、黒装束の
「手荒な真似を致しましたこと、お許しくだされ。私は、服部半蔵と申す。利三殿が最もこの状況を理解されていると察し、お話申す。秀吉の包囲網はすぐそこまで迫っております、時は御座いませぬ、我らに光秀様をお預けくだされ、必ずや、いや、できる限りの手立てをお約束致します。このままでは、間違いなく道は閉ざされますぞ。利三殿、この通り、ご理解くだされ」
半蔵は、片膝を付き、頭を垂れてみせた。
「何故、半蔵殿はこのような…」
「主君への思い。主は違えどお分かり申す、とでもして於いてくだされ」
「…承知致した。ここまでされるのは、覚悟を持ってのこと。影武者まで用意されての行いに光秀様の無事を願う気持ちに偽りはないと、信じて候」
「有り難い。それでは利三殿には、お頼みしたいことが御座います。ここは危険です。場所を変えてお話致します。その前に、影武者の隊を坂本城に向け、出立させてくだされ」
「承知した」
利三は、隊の体制を速やかに整え、勝竜寺城を後にさせた。その後、場所を移し、利三は、光秀拉致の理由を聞いた。と言っても詳細は聞かされなかった。ただ、光秀を守る、その意志の高さは理解出来た。いや、正しく言えば半蔵と言う男を信じてみよう。闇に指す一縷の望みに掛けて見たくなった。
明智軍が京都・小栗栖を進む頃、閻魔会は、任務遂行に向け、活発に動いていた。
閻魔会の長七郎は、探偵から光秀拉致の報告を受け、直ぐに、小栗栖近くの落ち武者狩りたちのいる村に繋ぎを取らせ、情報を流した。その村の落ち武者狩りの長は、中村長兵衛だった。
「長兵衛はん、知ったはりますか」
「何をだ」
「大層な鎧を着けた侍が、小栗栖を通ることを」
「何者だ、そいつは」
「それは知りませんが、さっき来た私の連れが見たらしいですよ」
「本当か」
「ええ、しっかり見たと。それもすぐ近くまで来ていると」
長兵衛は、直様、仲間を集め、身支度を済ませ、手馴れた様子で奇襲先を定め、その場へと目指した。
横殴りの雨は、闇の京都・小栗栖を覆っていた。
馬に乗った立派な
護衛ふたりに、十三騎の伴。
漆黒の闇と激しい雨が行く手を阻む。
主君を見限り、討ったはいいが、追われ追われて山道を、とぼとぼと。
「この先、山道が狭まり、曲がりくねっているぞ」
「落ち武者狩りが出るとすればここだ、気を引き締めれ参ろう」
闇夜に藪。雨音混じり、ガサガサガサと、何やら殺気を感じます。
「えい」と一刺し、左わき腹に「ぶすっ」
「うぐぐぐぐ」
「光秀様~」
駆け寄る侍たち。慌てて、怯んで、逃げ去る落ち武者狩りたち。
一刺ししたのは、土民(百姓)の中村長兵衛。
長兵衛たちは、雇われて戦に、職に溢れりゃ落ち武者狩り。
傷つき逃げる侍を、待ち伏せお命頂戴。
鎧や刀を奪って売って、酒や女を買っている。
武将の首は、高値で売れる。
「光秀様、御無事ですか」
「うぐぐぐぐ」
事態を飲み込んだ溝尾茂朝は、避難場所を探すために隊に命じた。
「一同、急ぐぞ」
山道に少し開けた場所を見つけると溝尾茂朝は光秀を気遣い、隊の休息を理由に
看病の時間を設けた。
「こ、これ、は…、光秀様に非ず」
「どう、致した」
小暮時三郎も駆け寄る。
「これは…」
「ああ、光秀様ではない、影武者だ」
「いつ、入れ替わった」
「先ほどの襲撃の際か」
「だと、すれば…」
「うぐ…」
「おい、大事ないか」
時三郎が、影武者を気遣う。
「もう、駄目で御座います、後生です、ひと思いに…」
溝尾茂朝と小暮時三郎は、究極の選択を迫られていた。
傷口からみて長くは持たないだろう。痛みも凄かろう。
このまま、延命のための治療を施して、命を長らえさせれば、光秀様が生きていると再び追われることに。
「あ奴らの意図が分かり申した」
「ああ、光秀様は生きておられる」
「だとすれば、あ奴らは、この事を読んでおったのか」
「…」
「ならば、奴らの策に乗ってやろうではないか」
「承知」
「徒兵をひとり連れてまいれ」
「身代わりにするのか」
「ああ、何事もないように隊を進めよう」
「その前に…」
影武者は、虫の息の中、茂朝と時三郎の意志を悟った。
「私にお気遣いな…く。この、役を、進んで、やっております。これで借金を返しても余りある金数を頂いての事…。家族も喜んでおりましょう」
「…、かたじけない」
時三郎は影武者の背後に回り左手で影武者の左手を取り、右手で背骨を抑えた。
茂朝は、「そなた煙草を嗜むか」と聞くと影武者は首を左右に振った。「そうか」と言うと茂朝は、火種を煙管に灯し、「す~」と大きく吸い込み僅かな明かりを得ると「御免」と短く告げ刀を振り落とした。
影武者の首は、泥濘に転げ落ち、水たまりが泡立った。
時三郎は、光秀に似た背格好の徒兵をひとり連れてき、茂朝が脱がせておいた着衣と鎧兜を装着すると光秀の馬に乗せ、笠を顔が見えないように深々と被せ、腹心の家臣・小鳩隆行に隊を任せ、先を進ませた。
茂朝と時三郎は、隊を見送るとすぐさま後始末に取り掛かった。武士なら分かる。黒装束の者たちの思う意を。光秀捜索に時を稼ぐことは、生き残る時を稼ぐことと。
茂朝と時三郎は、影武者の顔を岩で潰し、皮を剥ぎ、泥を塗り込み、穴を掘り、そこへ丁重に埋め、その上に岩を置いた。茂朝と時三郎の頬に流れるのは、雨か悔し涙か。茂朝と時三郎は、目前の小岩に正座し合掌した。その後、二人は天を見上げ、お互いを見て、意を決した。ふたりは、影武者とは言え、主君に刃をたてた。その思いと光秀が生き延びることを願い、切腹ではなく、首筋に刃を当て引いた。
自分達の亡骸が発見された時のことを思っての行動だった。
時は、天正10年6月13日、深夜未明の出来事だった。
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