第5話 チイちゃんのこと
弟が、会いに来てくれたわ。
いつものように、軽い足取りが近づき、ドア口に立ち止まる。ノックをふたつ。懐っこい笑顔が、〈セントポーリアガーデン〉のわたしのお部屋を覗き込む。
弟は、いつだってこう言うの。
「やあ、姉さん。入ってもいいかな?」
立ち止まり、微笑みかけ、わたしの返事を待っている。
「どうぞ、入って頂戴。今日もまた、来てくれたのね」
弟が、にっこりと微笑みかけてくれる。心からうれしそうに。それだけでお部屋の中がパッと明るくなった。〈セントポーリアガーデン〉の、わたしひとりだけのお部屋が、にぎやかだったわたしたちの居間に変わる。わたしたちが育った家の居間に。
「月が替わったら、姉さんに会いたくなるんだよ、もうすっかり習慣になったから。今日も元気そうだね?」
弟の言う「元気」とは、主にわたしの「話すチカラ」のことを指した。弟は、念を押すようにわたしを見つめ、促し、待っている。
「ええ。元気よ、あなたもね?」
「この通り、元気だよ」
弟の優しいまなざしが、今日のわたしの「話すチカラ」の首尾に、〇印をつけてくれる。ちゃんとわかるよ、の太鼓判だ。
わたしはホッと安堵して、あらためて弟の姿を見上げた。可愛らしい少年だった頃からあまり変わっていない、すらりとした体形を惚れ惚れと眺める。淡い色合いのストライプがさわやかなボタンダウンシャツに、同系色のチノパンの組み合わせがよく似合っている。素敵だ。
そういえば弟は、昔からジーパンというものを穿かない子だった。なぜかしら。わからないけど、ただ単に好きじゃないから、それだけのことだったかもしれない。
穿いてみれば、案外、似合っていたような気がするのに。きっとそうだ。わたしはひそかに思い描く。ベストジーニストに選ばれたタレントの誰それよりも、弟のほうがよく似合って素敵なはず。いまのわたしは、そう思う。
月があらたまると、決まって一週目のどこかの日に、弟はわたしに会いに来てくれる。そうしてわたしたちは、このようなやり取りを繰り返す。ちっとも飽きずに、どれひとつも省略なしで。ありふれた挨拶を交わし合い、互いの無事と健康を確かめ合う。たったそれだけのことが、しみじみとうれしいのだ。
「さてと。姉さんに、今日のお土産だよ、はいどうぞ」
お定まりの口上を述べる役者のような抑揚をつけて、弟はバッグの中身を披露する。まず一番に、恭しく取り出したのは「週刊キラ☆」と「週刊花々」の最新号だ。
ありがとう、と語尾を上げてつぶやきながら小さく拍手した手を差し出し、わたしは弟以上に恭しく二冊の週刊誌を受け取った。表紙の見出し文字をざっと読む。あった。「週刊キラ☆」も「週刊花々」も、あの事件の続報記事を載せていた。あとでじっくりと読もう。楽しみでしょうがない。今すぐ読みたい。でも、あとでね。来月の一週目まで、時間はたっぷりとあるのだから。
月に一度だけ、弟が届けてくれるこの二誌を、わたしは時間をかけて隅々まで読んでいる。およそひと月の間に、何度も繰り返して。だってテレビのニュースや新聞記事じゃカンタンすぎて、知りたいことがなんにもわからない。全然つまらない。
「週刊キラ☆」と「週刊花々」がテレビや新聞と違うのは、注目を集めたレアな事件を追跡取材して、たびたび続報記事を載せてくれるところだ。それがゆえに、また読みたくなる。弟にリクエストして最新号を届けてもらっているけれど、本音を言えばわたしは、毎週発行される「週刊キラ☆」と「週刊花々」を全部読みたいのだ。
ひと月分の「週刊キラ☆」と「週刊花々」を全部、合わせて八冊もの週刊誌。わたしが是非にとお願いすれば優しい弟は、渋々でもボヤキながらでも、届けてくれるかもしれない。もしかしたら。でも、それじゃあんまりだとわたしは思う。あんまり甘えすぎていて、それではいけない。よく言うじゃないの、親しき仲にも礼儀ありと。
だからこうして月の初めに届けられる最新号の「週刊キラ☆」と「週刊花々」を、わたしは待ちわびていて、その時間さえも楽しんでいる。優しい弟がお土産と称して持参してくれる、わたしの密やかで大いなる楽しみの素。退屈しのぎと言い切られたらやや心外、どちらかと言えば生きるための糧、それに近いものだと思っている。
次いで、弟の手が大切そうにバッグから取り出したのは、ほのかな柑橘類の香りを漂わせる丸い果実だ。大きさと黄色味の勝った表皮の色つやで、これは甘夏蜜柑だとすぐにわかった。
「あら。もう、甘夏の季節になったのね?」
「姉さんの好きな甘夏蜜柑が、店先で山盛りになってたから、つい買っちゃったよ」
言いながらわたしのために、甘夏蜜柑の硬い皮を手際よく剥いてくれる弟も、子どもの頃は酸っぱい果実が苦手だった。わたしたちが育った家では、旬の季節になるとテーブルに新聞紙を広げ、家族みんなが輪になって、一斉にわさわさと甘夏蜜柑を剥いて食べた。そんなときでも、弟はひとりだけ特別に甘い正月蜜柑をあてがわれて、甘夏蜜柑には見向きもしなかったのだ。
わたしはふっと思い出した。たった一度だけ、まだ小さかった弟が酸っぱい甘夏蜜柑を自分から、進んで食べたことがあったのを。今にも泣き出しそうなしかめっ面をして、酸っぱい果汁の滴る甘夏蜜柑を無理やり口に押し込んでいた、あの顔を。思い出したらつい、可笑しくてクスクスとひとり笑いしてしまった。
「姉さん、なに笑ってんのさ?」
なんでもないのよ。意を込めてわたしは首を横に振ったけど、弟はなんとなく感づいたみたい、照れたようにニヤつきながらほんの少しずつ、甘夏蜜柑を口に運ぶ。
そうだった、あのときは隣家のチイちゃんが遊びに来ていたのだった。チイちゃんは弟と同学年だけど、うちに来てわたしや妹たちと遊びたがった。遊ぶと言っても、もっぱらわたしたちの部屋にいて、少女向けの漫画雑誌を読んだり、使い古した着せ替え人形をいじったり、おとなしくひとり遊びをする、手のかからない子だった。
あんまりおとなしかったので、チイちゃんがいるのを忘れてしまうこともあった。あのときもそうだった、甘夏蜜柑を剥き始めたらチイちゃんが二階から降りて来たので、家族みんながびっくりしたのだ。
甘夏蜜柑だけど一緒に食べる?訊いてみたらチイちゃんは、食べると答えてわたしと弟の間に座った。すごーく酸っぱいけど大丈夫?念押しすると、酸っぱいのが大好き、と言って本当にせっせと食べ始めたので、家族みんながまた驚いた。
いつの間にか弟は、自分だけの正月蜜柑をテーブルの下に隠した。懸命にチイちゃんの真似をして、甘夏蜜柑の小袋を前歯で嚙み切ろうとする。うまくいかずに酸っぱい果汁を顔に飛び散らせる。ヘタッピだねー。チイちゃんが笑う。うっせーな。弟も笑う。つられて、家族みんなが笑った。
「チイちゃんの、写真があったけど、見る?」
わたしのつぶやきが耳に届いた弟は目を丸くしたけれど、次の瞬間には平静な口調でさらりと言った。
「へぇ、いつ頃の?あいつの写真ていったら、うんと小っちゃい頃のでしょ」
「そんなに小っちゃくない。カローラ写ってるし」
弟は、俄然落ち着きを失くした。
「どこにある?引き出しの中?開けていいかい?」
色めき立った弟を制して、わたしはサイドテーブルの上に伏せたフォトスタンドを指した。弟はフォトスタンドに手を伸ばし、鷲づかみで取り上げた。その手が震えていたために、サイドテーブルの上に並べてあったマグカップや薬瓶やローションなどが、パタパタと倒れて転がった。
フォトスタンドの表面には、カローラの横に立つチイちゃんの写真を入れてあった。この前ルリさんに手伝ってもらって、カローラとわたしが写った写真を探したときに、思いがけず見つかったものだ。見つけてくれたのは、ルリさんだった。
わたしの写真とぴったり重なっていたので、長い間、気づかなかった。そんな写真があったことさえ、忘れていた。なんとも迂闊なことに。あまりにも密着していたので、そもそもわたしの非力な指先で、二枚の写真をきれいに剝がすのは無理だった。やってくれたのは、やっぱりルリさんだ。
ルリさんの若々しく柔らかな指先は、巧みに動いた。長い間張りついていた結果、一体化してしまった古い写真の被写体を、さほど損なわず顕わにしてくれた。まるで魔法のように。チイちゃんと白いカローラ。忘れていたくせにひと目見た途端、わたしはすっかり思い出した。
十九歳になったばかりのチイちゃんが、バイト代を貯めてようやく買ったという中古のカローラに乗って、帰ってきた日だった。チイちゃんが運転する姿を、初めて見た日でもあった。カローラは計算上、我が家と隣家の間の細いスペースに、ピタリと収まるはずだった。バックで入れようと試みるチイちゃんは何度もやり直し、カローラのエンジンをブンブン噴かした。
そのブンブン音が否応もなく、ふたつの家族を呼び集めた。みんながぞろぞろと外に出て、チイちゃんの初車庫入れを見物した。ちょっとした、二家族合同の一大イベントになった。みんなが一斉に固唾を呑んで、車庫入れの首尾を見守った。
何度かトライした末に、ようやくカローラは細いスペースに収まった。ほんの少しだけ斜めになってる気もしたが、もはやだれも口には出さず、それで良しとした。パチパチと、まばらな拍手が起きた。
記念写真を撮ろうと言い出したのはだれだったか、たぶん、うちの父親だったと思う。あの頃、カメラを持ってる人はそういなくて、あの場にいた人たちの中で、ふだんからカメラを手近に置いてすぐ使えたのは、うちの父親くらいなものだったから。
あのとき、弟はいなかった。遠方の大学に行って以来、帰省したのは夏休みだけなので、チイちゃんの初車庫入れの瞬間に立ち会ってはいないはずだった。だから弟は、このような記念写真があったことを知らず、いま初めて目にしているのだった。
弟は口を利かず身じろぎもせず、ただじっと、手にしたチイちゃんと白いカローラの写真に見入っている。弟が、呆けたように見つめるチイちゃんの姿を、わたしはよく覚えている。手元に写真がなくても、くっきりと思い浮かべることが出来た。
白いカローラの運転席側に立った、十九歳にしては幼く見える小柄な女の子。古ぼけたスタジアムジャンパーは、上の兄さんから下の兄さんを経由して、チイちゃんにたどり着いたお下がりの品だ。何年にも渡って毎日のように目にしていた、隣家のきょうだいのシンボルのようなスタジャンが、いまとなっては、なんだか懐かしい。
そして、デニムのオーバーオールは、ガソリンスタンドでバイトする女の子にふさわしい恰好なのだろう。でも、わたしに思い出せるかぎりでは、ふだんからこのスタイルがチイちゃんの定番だった。いつ見てもだぶだぶのジーパンに、Тシャツかスゥエット。それが隣家のチイちゃんだった。
もしかするとチイちゃんは、オーバーオールでOKだから、ガソリンスタンドのバイトを選んだのかもしれない。ふっと、そんな気がした。突飛な思いつきのようだけど、案外当たってる気がする。チイちゃんは少女向けの漫画が好きだった。でも、漫画のヒロインみたいに可愛らしいドレスを着たことは、一度もなかったのだと思う。
そして、この表情。初車庫入れにチャレンジした緊張と興奮の後、やり遂げた達成感と誇らしさ。それに、ホッと弛緩した放心も垣間見える。十九歳らしくもあり、どうかすると、たった九歳にしか見えなくもない幼さに、わたしは胸を突かれた。ただ若いどころじゃなかった、チイちゃんは、こんなに子どもだったのだと。
弟も、同じことを思ったらしかった。
「やっぱり小っちゃい感じする。あいつはずっと、小っちゃいまんまだったんだね」
そうね。わたしは頷く。わたしもそんな気がする、だって、チイちゃんなのだし。
そこへ、ルリさんがやって来た。軽快な足音とノックと、失礼しまーすのルリ声。
すると、懐かしさや何やらの感慨に浸りきっていたはずの弟が、途端に様変わりしてのけた。まるで沈鬱なニュースの映像が、にぎやかなスポーツ中継のチャンネルに切り替わったようだった。還暦をとっくに過ぎても弟は、相変わらずの弟だった。
弟はとっておきの笑顔を、もっぱらルリさんに向けて振り撒いた。ルリさんは一瞬たじろいだようだが、すぐに笑顔になって返した。軽快に小気味よく、ポンポンと。
「あら、弟さん。あ、これ、チイちゃんの写真。三人は、きょうだいなんですか?」
「いや、これは僕のカノジョ。ていうか、カノジョ未満のうちに死んじゃったけど」
「えっ?死んじゃったんですか?えー、このチイちゃんて人が?」
「そうなんだ。この写真撮ってから、わりとすぐにね。事故ったんだよ、雪の日に、このクルマで橋から落っこちて。まだ、たったの十九だったのにね」
弟は、重い内容の事柄をすらすら語って、ルリさんをぐいぐいと揺さぶった。驚かせたり笑わせたりシュンとさせたり、そうこうするうちいつの間にやら、相手の懐深くに潜り込んでしまっている。わたしの弟は、そういう男だった。
たとえば悲しくてやりきれないような思い出話も、この弟の口から軽妙に語られると、楽しそうに聞こえるから不思議だった。同じ両親から生まれた姉弟でも、わたしにはそんな芸当が出来ない。とても無理だ。わたしが口にすれば、悲しい話はひたすら悲しくなるばかり、長い年月を経たいまでも、不思議でならない事柄のひとつだ。
弟の言った「カノジョ未満」云々のくだりが、どうやらルリさんの琴線に触れたらしい。たちまち意気投合したふたりは、まるで中学か高校の女生徒同士のようなテンションで、コイバナに花を咲かせる。やれやれ。楽しそうなふたりの会話を聞き流しつつ、わたしは所在なさのあまりに「週刊キラ☆」と「週刊花々」を手に取った。
「…じゃあ、コクハクとかヤクソクとかは、なんにもしてなかったんですかぁ?チイちゃんと弟さんは」
「そんなの全然ナシだったよ。しなきゃなんないとも思わなかったし。だって、ずっと一緒に育ってきたんだもの、大人になっても当たり前に、ずっと一緒にいるつもりだったよ、僕はね。だけど女の人っていうのは、全然違うんだね、そこらへんが」
「えー、どこらへんが、どんなふうに、違うんですかぁ?」
「ほら、あれだよ、いちいち言ってあげなきゃ、わかんないみたいでしょ。ルリさんもそうなんじゃないの?カレシさんに、いちいち言ってほしいでしょ?今度の休みにどこへ行くとか、晩ごはん何食べるとか、この先どうするつもりかってことを」
アハハハ。高らかな照れ笑いで返答を誤魔化したルリさんは、風のように去った。あらまあ。わたしは少々呆れて弟の澄まし顔を見やる。チイちゃんと、ずっと一緒にいるつもりだったなんて。よくもまあ、そんな白々しいセリフが言えたものだわ。
わたしはちゃんと知っている。大学生になったばかりの弟は、遠方の都会で女子学生の尻を追いかけまわすのに余念がなかったこと。それだけじゃ足りずに、JRの地元駅のキオスクにいた、だいぶ年上の売り子さんとも親しかったこと。なんと言っても弟は、そうした行動をちっとも隠そうとしなかった、それがなによりいけないことだったと、わたしは思うのだ。
わたしたちは少しの間、見つめ合っていた。弟は、わたしの視線からなにかを読み取ったようだった。なにか。例えば、悪いのはそっちだと、責めたい気持ち。弟は、わたしの手もとの「週刊キラ☆」と「週刊花々」に視線を落とし、つぶやいた。
「N子さんは、四日目に見つかったんだってね」
N子さん?四日目?復唱して、ようやくわたしは思い当たった。N子さんとは、手もとにあるこの二誌が追跡記事を載せている、事件の被害者の仮名だった。若いその女性が行方知れずになってから四日目に、遺体が発見されたことを言っているのだ。
それが、どうかしたの?わたしは意を込めて小首をかしげた。
「あいつが見つかったのも、四日目だったからさ」
そうだった?わたしは考え込む。チイちゃんがいなくなったのは、たしか節分の日だったわね?
「いや、節分の前の日、二月二日の夜だったよ。四日目の二月六日になってやっと晴れたから、気温が上がって被さった雪が解けて、橋の下に落ちてるカローラが見つかったんだ。それまではみんな、あいつが家出したと思ってたんで、ろくすっぽ探してなかったんだよね」
あらまあ。あなたはいなかったのに、まるで、見ていたようなことを言うのね。
「そうだよ。僕はいなかった。冬と春の休みは帰らないで、バイトに精出してたからね。だから、どうしても知りたかった、あいつが本当に死んじゃったのは、何日の何時何分だったのか。お隣では家族で話し合って、いなくなった二月二日を命日に決めたそうだけど、なんかね、違うんじゃないかって気がしたんだ」
そうだった。わたしはひそやかに記憶をたどる。あのとき腕時計を見たら、午前零時を少し過ぎていたのだ。だからチイちゃんがカローラの中で息絶えたのは、やっぱり二月三日、節分の日だった。
でも、わたしはそのことを弟に知らせない。決して、知らせたくない。なんにも知らないふりで、うつらうつらと微睡みながら、弟のひとり語りを聴いている。
「…僕はあの年だけ春休みに帰ってきて、いろんな人に聞いてみたんだよ、駐在さんとか、町立病院の院長先生とか、カローラを引き取った解体屋さんとかね。
けど、死亡時刻が何日の何時何分だったかなんて、わからなかったし、見当つけられる人もいなかった。そりゃまあ、そうだよね。院長先生だって、家族の意向を汲んで二月二日になった、みたいなこと言ってたくらいだから。
なので僕は、二月二日から六日までの五日間を、あいつの命日だと思うことにしたんだ。長すぎるとかザックリし過ぎてるとか、思うかい?僕も最初はちょっとそんな気がしたけど、じきに慣れた。意外にずっと続いてきて、もうすぐ五十年になるよ。
毎年二月二日からの五日間、僕はあいつを思って喪に服してる。笑わないでよ、ホントの話、マジメにやってきたんだ、僕にしてはね。あいつの顔や姿や言ったことなんかを、思い出しては考える。この五日間だけ、ひたすら考えるんだ。あのとき、ああじゃなくてこうしていたらどうだったかな、なんて、毎年、同じことをさ」
うつらうつらと微睡みながら、弟のひとり語りを聴くわたしは、日付のことが気になって、検証を始めている。なるほど。それなりに納得する。弟には家族がいた。ひとまわりも若い妻との結婚にまつわる日付と、二月の一週目は関わるところがなかった。ふたりの子どもたちの誕生日、それぞれが結婚した日。わたしの知る限り、家族の記念日はどれも、二月の一週目にある五日間を避けたように、違う日付だった。
なるほどね。あなたは本当に、この五日間をチイちゃんのためにとってあるのね。
「そうだよ。大切にとってある。いまさらだけど」
いまさらね。どうしてそんなことを、話してくれる気になったのかしら?
「以前の僕は、あいつが生きてここにいたらどんなにいいかと悔やんでばかりいた。だから、口には出せなかった。でも、僕もこんなに年を取った。いずれ遠からず僕のほうが、あいつのところへ逝く日が来るんだと思ったら、なにかこう、つかえたものが取れたみたいに気持ちが軽くなったんだ。
年の順に倣えば、姉さんのほうが先に逝く可能性は大いにあるだろ?もしかして僕より先にあいつに会ったら、言ってやってよ。僕が行くから、きっと探し出すから、待っててくれってさ」
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