肉が食べたい


 ペインズ・ブレニプスは複数の世界が交わる、地球上唯一の特異点である。そして人類が平穏に暮らすため、異なる世界の住人たちを隔離するための檻でもある。


 都市の周囲は常に各国の連合艦隊が周回しており、内にあるものを外に出さないための一種の結界を形成している。そして、その結界は、内に封じ込めるためだけにあるのではなく、外からの侵入を防ぐためのものでもある。異界や地球外由来の技術や生物は、容易に世界情勢を崩壊させかねないからだ。


 最近は、液体の概念を司る異界の神シンィエベアィネが、カルト集団によって強制的に召喚させられたらしい。その影響でビルも住人も陸も、ペインズ・ブレニプスの三分の一が全てが水となり、海になってしまった。しかしそれもペインズ・ブレニプスの日常の一部であり、いずれはまた回復するであろう。


 つまり、世界は平和だ。







 テオドールは露店で買ったハンバーガーにかぶりつく。三週間ぶりの食事だ。空っぽの胃にかみ砕かれた食物が落ちていくのがわかった。

 テオには食事による栄養補給の必要は無い。しかし、人間らしい行いはテオの気分を高揚させるので、仕事前には食事をするようにしている。

 ハンバーガーを腹の中に収めたテオは、包みを路地裏へ投げ捨てた。

 テオは懐に入った試験管を取り出す。なかには赤黒いスライムにひとつの眼球を持った魔物がテオを見つめている。その魔物はテオを見るのに飽きてしまったのか、そっぽを向いてしまった。

 テオは魔物の単眼が見つめる方向に歩き始める。


 テオは歩き続ける。

 いかがわしいホテルの地下駐車場を通り抜けた。鉄でできた馬や装甲車など多種多様な移動手段が並んでいた。


 テオは歩き続ける。

 ビルが建ち並ぶ大通りを歩いていると、試験管中の魔物の反応が悪くなり、もう一度作り直さなければならなかった。おそらく魔術による妨害だ。犯人側も一応の魔術的な対策をしているらしい。

 太陽が沈み始めていた。


 テオは舟をこいでいる。

 先日の邪神騒動で海になってしまった場所であり、船は周辺にいた通行人たちの、肉と骨から作ったものだ。

 こぎ続けていると、ペインズブレニプスを囲んでいる連合軍の艦が一隻、近付いてくるのが見えた。ある程度まで近づくとテオには理解できない言語でわめき始める。実質的な害があるわけではないがそれはテオの神経を逆撫でた。無視してボートをこぎ続けていると、誘導ミサイルが撃ち込まれた。

 間一髪でミサイルを回避したテオは、無残にも破壊された生物的な船であったものを材料に、異形の魚を作り出した。

 その赤い肌と白い外骨格を持った魚は、船腹から艦の体内に潜り込み、弾薬庫で自爆させた。黒い煙を立ち上らせながら沈んでいく艦をみて、テオは小さくガッツポーズをした。

 海上での移動手段を失ったテオは陸まで泳ぐ羽目になった。

 試験管が割れなかったのは幸運だった。


 テオは歩き続ける。

 自警団という名のマフィア連中に絡まれたが、連中の一人をかみ終わったガムのような状態にしてやると、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 テオは歩き続けた。

 浮浪者がたむろする薄暗い路地裏には使用済みであろう注射器が複数転がっているのが見えた。

 テオは壁に座り込んでいる複数の目と乳白色の肌を持った浮浪者の前に立つ。

「……あァ?なんだよてめェ」

 浮浪者が、テオの倍ほどもある体格が、威嚇するように立ち上がる。

 テオの魔術で強化された聴覚は、立ち上がるときに浮浪者の膝から、金属がこすれるわずかな音を逃さなかった。

 強化義肢だ。浮浪者が手を出せるモノではない。なにしろ全てがオーダーメイドであるので、用意しようと思えば目がくらむような金額になってしまう。戦車を買う方が安いとまで言われる始末だ。それでも戦車の様に保管場所に困ることもなく、手術さえすればすぐに身体を強化できるのはペインズ・ブレニプスで根深い需要がある。

「……おい!聞いてんのかてめェ!」

 浮浪者がテオの胸ぐらをつかんだ。テオの両足が地面を離れる。

 テオは少し空気を吸い込むと、黒い霧を男の顔面に吐き出した。

「うおおォ!」

 浮浪者が腕を振り黒い霧を払いのけようとするが、ハエの群れのように蠢くそれは意思を持ったようにまとわりつき、離さない。

 黒い霧が霧散すると、浮浪者の腕はだらんと垂れ下がり、ぼんやりとした表情になった。

「通して」

 テオが命令する。

「……」

 浮浪者はふらふらと壁に近づくと、ひとつの壁のレンガを押し込む。ガラガラと、次々にレンガが崩れ、壁であった場所が扉になる。

 浮浪者は慣れたように扉の鍵を開けると、ドアノブをひねり扉を開いた。

 試験管の魔物も食い入るように扉の奥を見つめている。

 テオは扉の向こうへ足を踏み入れた。


 テオは階段を下りている。

 冷たい金属で出来た螺旋階段は踏み出すたびに足を響かせた。だんだんと周囲の空気が冷たくなり、吐いた息が白くなっていく。

 階段を下り切ったテオは、銀行にあるような頑丈そうな鋼鉄でできた扉の前に立っていた。無骨な鈍い色をした扉の表面には薄く氷が張っていた。

 試験管の魔物もこの中を見つめている。

 テオは何とか開けようと、押したり引いたり、取っ手らしき部分を引っ張ろうとするが、テオの筋力ではどうしようもないことを悟り正攻法で通過するのを諦めた。

 テオはは右手でもう片方の手首を掴み、一気にそれを引き抜いた。

 握りと刀身しかない、粗野な刃がテオの手に握られている。自らの骨に加工した霊魂を憑依させる、変則的な降霊術だ。

 引き抜いた分の骨を魔術で再生したテオは。刃を凍てつく鋼鉄に刺し込んだ。切れ味のキの字も知らなそうな切っ先がするりと鋼鉄に侵入する。

 テオは何の抵抗もなく鋼鉄を切り出すと、テオが通り抜けるだけの穴をくりぬいた。

 テオが骨の剣を片手に身をかがめてその穴をくぐり抜けると、痛みを感じるほどの突き刺すような冷気がテオを襲った。


 肉だ。天井から吊り下げられた巨大な肉の塊が、所狭しと並んでおり、肉塊ひとつひとつが牛ほどもある。

 ここに失踪者がいるということはこの肉塊はみんな元人間だったということだろうか。それにしても、どうすれば人間がここまで肥大化できるのだろう。

 テオはペタペタと肉を触る。手が凍りついて離れたくなったので、手の皮を引きちぎらなければならなかった。テオは二度と不用意に触らないことを誓った。

 さて、大体の場所は特定できた。あとはこの肉塊の森から目的の肉塊を探すだけだ。

 テオは試験管の魔物を取り出し、観察する。しかしどうにも魔物の様子がおかしい。単眼がぐるぐると、せわしなく動き回っている。

 魔術による妨害だろうか。いやもう既に場所を突き止められたのだ。妨害の意味はないだろう。

 テオは試しに、そばにつるされていた肉塊に試験官を近づけてみた。

 魔物の単眼はぴたりと止まり、穴のあくほどに肉塊を見つめている。

 この肉塊が目的の人物であったものだろうか。しかしそうなると、肉塊から離すとまたぐるぐる動き回るのはどういうわけだろう。

 テオはまた別の肉塊に試験管を近づける。こっちの肉塊にも魔物は反応した。

 テオは次々と、肉塊に試験管を近づけて魔物の反応を調べていく。

 全てを調べ終わったテオはぽつりと呟いた。

「これ……全部一人なのか」

 肉塊の全てに魔物は反応した。つまり、視界を埋め尽くすほどの肉塊たちは、すべて失踪者一人の肉だったのだ。


 テオは電話をかける。相手は仲介屋のカローンだ。失踪者の状態がどうであれ、発見したのだ。報告せねばならない。1度目のコール音が終わるまもなくカローンは電話に出た。

『見付かったか』

 低くしゃがれた声は、単刀直入に問う。

「ええ、見つかりましたよ。けど失踪者は少し……なんと言っていいか……特殊な状態にありまして……」

『こちらもその年にさらわれた以上、無事であるとは思っていない。写真を送ってくれ』

 テオは、できるだけたくさんの肉塊が映るように写真を撮り、送信した。

『ああ、確認し……どの肉だ』

 テオはこの無愛想の中華屋が戸惑う声を初めて聞いた。

「全部ですよ、全部」

『それは……なんとも……連中はずいぶん大規模な組織みたいだな』

 しばらくの沈黙。

「あの、依頼はこれで完了した、ということでよろしいですか」

『ああ、感謝する。……報酬は振り込んだ。確認してくれ』

 口座を確認する。しっかりと100万ドルが振り込まれていた。

「確認しました。またのご利――」

『ああ、それから』

 機械的に挨拶をしようとしたテオを、カローンはさえぎる。

『追加の依頼をしたいんだが、可能か?』

「ええ、もちろんですよ。報酬は100万ドルです」

『カトリーヌ・ヴェイユの肉塊からDNAサンプルの採取を頼む』

「……了解しました」

『今、使い魔を送る。……おいテオドール、お前どこに居るんだ』

「え?どこって…三番地区の地下辺りだと、思うんですけど…」

『…お前がいるところは、高次元世界だな。…なにか心当たりはあるのか』

 テオは強化義足を持った門番が守っていた扉を思い出した。

「ああ、そういえば…なにか通りましたね」

『…別にお前のことだから、基底世界に帰れなくなるということはないだろうが…使い魔が到着するには、しばらく時間がかかるぞ』

 気まずい沈黙、いつも仕事のことしか話していなかったので、何を話せばいいかわからない。

「クローン人間でも、作るんですか?」

 沈黙に耐えかねたテオが、カローンに質問する。

『…ああ、依頼者は、「手段は問わない」と言ったからな』

「……記憶はどうするんですか。外見は似ていても、中身はどうにもならないんじゃないですか」

『いやそうでもない。……テオドールは記憶転移という話を知っているか』

「たしか……臓器移植をされた人間がドナーになった人間の記憶を引き継ぐって話ですか」

『そう、つまり脳だけじゃなく細胞も記憶をするんだ。それに最近は、細胞から記憶を取り出せるようになったからな。それを植え付けるつもりだ。それでも完全な記憶の復元には至らないが…記憶がないよりはマシだろう』

「…それにしても、クローン人間の成功率は低いらしいですよね。ましてやこの肉塊は強制的に肥大化させられていますから……遺伝子にどういった影響があるかわかりません。まともな人間の作戦は難しいんじゃないですか。…奇形児だとか…流産だとか、たくさん失敗作を作ることになるでしょうけど…そんなに金銭的な余裕があるんですか?」

『俺はそこまで持ってるわけじゃないが…依頼者がとんでもない金持ちでな。それに、失敗したとしてもお前らみたいな魔術師に売れば、いくらかは取り戻せるだろう』

 テオはそこで自分のそばに巨大な黒い蜘蛛がいることに気がついた。

「使い魔が、つきましたよ」

『ようやく着いたか。さあ、適当な肉から肉片を削って、そいつに持たせてくれ』

 テオは刃の切っ先で肉を切り出し、使い魔のクモに差し出した。クモは2本の足で器用に受け取ると、背負っているカバンに放り込んだ。そんな雑に扱っていいものなんだろうか。

 仕事を終えたクモは、霧のように消えてしまった。

「渡しましたよ、肉片」

『そうか。…送金した。確認してくれ』

「はい、確認しました。またのご利用をお待ちしております」

 電話が切られる。

 テオはこの空間から脱出するため、歩き出した。


 マフィアが管理する人肉冷凍庫の門番、ミケルは目を覚ました。

「おいあんたぁ、アイツ、通して良かったのかい」

 路地裏にたむろしていた浮浪者の一人が、座り込んでいるミケルに声をかける。しかしミケルには、誰かを通したという記憶はない。いや、どうにも記憶が曖昧だ。頭のなかに綿がつまっているかのように思考が制限されている。

「カハッ…ゴホッ」

 ミケルは咳き込んだ。どうにも体の調子がおかしい。

「おい、アンタ…!それ…!」

 浮浪者はミケルの胸を指さした。

 見てみると胸の中心を、白く鋭いモノが貫いていた。出血はない。痛みもない。

 いや、どうにも熱い。よく見ると、白いモノに貫かれている根元の肌に、湿疹のような赤いデキモノの群れができている。

「おい…!アンタおかしいぞ…!」

 ミケルは胸をかきむしる。

 肌が裂け、肉がみえた。その肉のなかにもデキモノの群れがある。

 熱い、熱すぎる。

 ミケルがさらにかきむしると、皮膚の裂け目がさらに広がる。

 浮浪者は見た。裂け目の奥にぎょろぎょろと動く単眼がある。

 熱い、体の内側で火が燃えているかのようだ。

 ミケルは肉をかきむしる。

 肉が、だんだんと、膨れ上がる。

 それらが光ったと感じる間もなく、ミケルの意識は闇に包まれた。


 後方で、爆発音が響いた。それはビルの間を反響し、何重にも聞こえてきた。

 テオは歩き続けた。


 電灯のない事務所にテオは帰ってきた。

 上着を適当に放り投げ、ベッドに倒れ込んだ。

「……師匠……師匠はボクをつくるとき、失敗作はできましたか」

 テオは小さく呟く。

「キミ以外はつくらなかったね」

 空間全体が音を発したかのような、深い声が答えた。

「どうしてキミは、そんなことを聞くんだい」

「自分が失敗作として望まれること無く生まれ、使い捨ての道具としてあつかわれていたら、悲惨だろうなと、考えたんです」

 『師匠』は黙って聞いている。

「…それじゃあ、ボクはもう寝ます」

 テオは布団をかぶって目を閉じる。丸一日以上歩きづめだったせいか、すぐに寝息を立てて、熟睡してしまった。


「べつにキミが失敗作じゃないとは言ってないんだけどねぇ」

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