15

 西城洋は病院へ向かう覆面パトカーの中で、刑事たちの会話を冷静に分析した。本部を介した無線のやりとりから、彼らが近田大介を探している――それも、死に物狂いに追いかけていることがうかがえた。全組織を動員して広域の検問まで行っている。

 理由ははっきりしている。

 暴力団に買われたのだ。道警にとっての〝事件〟は美樹の失踪ではなく、身内の汚職だ。洋は、取り調べに対して取るべき立場を決めた。

 大介を利用して、警察を美樹の安全確保に向かわせる――。

 美樹がすでに殺されている可能性もゼロではない。だが、カードを使い切るまでは諦めるつもりはない。

 傷の手当ては十分ほどで終わった。医師は、痛み止めを飲んで一晩眠れば普段どおりの生活ができるだろうと言った。ヤクザとの乱闘で受けた傷はほとんどが打ち身で、出血はわずかだった。空手の受け身が、無意識のうちに身体を守っていたのだ。

 洋は、病室で寝かされたまま参考人として事情聴取を受けた。マンションからぴったりくっついてきた滝川の関心は、大介の事ばかりだった。ドアを塞ぐようにして立った滝川の一方的な質問が、洋を腹立たせる。

「何度も言ったように、高橋美樹さんは行方が分からないんです。殺されているかもしれない。探してください! 近田刑事が関わっていたらどうするんですか⁉」

 洋の焦りに反して、滝川は落ち着いている。無関心に近い。

「高橋さんの親御さんには連絡を取らせていただいた。ご両親は何も心配なさっていない。民事不介入――ま、そういう結論だ」

 洋には、美樹の両親が警察の介入を嫌う理由が分かっていた。

 彼らの事業の中心は不動産業だ。地下では、暴力団ともたれ合っている。今は娘を守るために利用しているにしても、実際には取引を有利に行うための圧力手段としてのつながりが深い。暴力組織とのコネクションに警察が切り込む隙を与えれば、後々の経済活動を封じられる恐れが生じる。その危険は冒せない。

 たとえ、娘を見捨ててでも。

 そもそも、美樹の命が危険だと断定する確証はない。逆に警察に援助を仰いだところで、安全が百パーセント確保されるわけでもない。荒事に慣れたヤクザたちを放つ方が良い結果をもたらすかもしれない――。

 洋には、美樹の両親がそう考えていることが読めていた。

〝だからヤクザに捜させているんだ。スキャンダルを恐れて〟

 怒りは感じない。所詮この世は金で動く。守るに足る資産を持つ者なら、身内を切り捨てることもあろう。だが洋は、美樹を失うことができない。滝川の気持ちを動かそうと、必死に訴えた。

「近田さんが美樹を殺そうとしているなら? 大事な人なんだ!」

「警察は、組織で動く。所轄の勝手にはできない」

「現職警官が殺人を起こせば、大事件になりますよ」

 と、滝川は不意に語気を荒くした。

「しつこいぞ!」

 異常なほどの苛立ちが感じられた。理不尽な命令に耐える苦痛がにじみ出ている。洋は確信した。現場は、美樹の捜査を封じられている。

〝美樹が殺されても構わないってことか? なぜだ……? それが上層部の望みだ、ってことになると……〟

 自然に答えが出た。

 大介は、おそらく二つの犯罪を犯している。暴力団との裏取引と、美樹の拉致。不祥事としての重さは、捜査情報のリークが勝る。内容によっては組織が崩れる。だが、事件が美樹への傷害だけなら、個人的な犯罪として決着できる。犯人を道警本部に閉じこめて、マスコミと遮断することも可能だ。民間人への暴力行為に限って裁けば、暴力団との癒着は隠し通せる。道警は、大介と共に不祥事を墓に埋めることができる。

 その布石として〝事件〟が必要なのだ。殺人は望まないまでも、美樹が傷つけられている方が組織防衛上は都合がいい――。

〝サツは美樹を捨て駒にする気だ。殺されてもやむを得ないと思っている……〟

 洋は滝川に言った。

「キャリアから『美樹は見殺しにしろ』と命じられたんですか?」

 滝川は驚いたように洋を見つめる。そして吐き捨てた。

「知ったふうな口をきくな」

「それなら、なぜ美樹を守らない⁉」

 滝川は怒りをむき出しにした。

「俺たちは勝手に動けねえんだ! 近田はダチだ。人殺しにはさせたくねえ。だがな、こっちにだって家族がある。職を捨てるわけにはいかねえ。突っ込めねえんだよ!」

 滝川は、洋に背を向けた。背中がかすかに震えている。怒りだ。キャリア組の歪んだ判断に対する、人間として当然の怒り――。

「で? あなたはそれでいいんですか?」

 滝川は顔を伏せ、皮肉っぽい微笑みを浮かべて洋を見た。

「近田が腐っちまった事は間違いねえ。だが、マル暴を長くやっていりゃあ、いずれは誰だっておかしくなるもんさ。それでも奴にはガッツがある。監察や公安の鼻面を引っ捕まえて、好きなように引きずりまわしていやがる。ちょろちょろ顔を出しちゃあ、いつの間にか消えてやがる。誰もが出来る芸当じゃねえ。青くなってるお偉方が、いい見せ物だ。……おっと、しゃべりすぎだな。おい、青二才。勘違いするんじゃねえぞ。俺たちは、間違っても近田の味方なんかしてねえからな」

 現場は、上層部と同じ考え方をしているわけではないのだ。

 美樹の父親がヤクザを動かした理由もはっきりした。最初から、警察を信頼していないのだ。改めて、美樹は自分が救うという決意を固めた。病院から出なければならない。

 洋は言った。

「いつ解放してもらえるんですか?」

 滝川は振り返らない。

「うむ……できれば今夜は泊まっていただきたいんだが?」

「なぜ? 傷は軽いし、仕事もあります」

 滝川が首を巡らせた。不気味な微笑みを浮かべながら答える。

「傷が悪化すると困る。内出血は、恐いんだ。頭も殴られたんだろう?……もう一度聞く、あいつらは誰に雇われた?」

 洋は現場でヤクザと美樹の父親の関係をほのめかしていた。しかし、美樹の両親まで巻き込むことはできない。それ以後、自分を襲ったヤクザについては『知らない』を通した。嗅覚の鋭いベテラン刑事は、当然、隠し事を察している。

 洋は、うんざりしたようにつぶやく。

「高橋さんのご両親の関与は、僕の想像です。証拠なんて何一つありませんよ」

「正直に打ち明けてくれれば、先生と相談して退院させてやれる……。君、近田の部屋に行ったんだろう? あのヤクザたちも、だ。なぜ娘さんを襲ってまで近田を探すのか、理由が知りたい」

 それは、洋自身の疑問だ。大介が情報を売ったことは確かだ。それならヤクザが、味方に転じた大介を探す理由はない。ヤクザの態度には、飢えた虎を思わせる凶暴さがあった。警察の中枢に確保した情報源を守ろうという意識は感じられない。

〝あのオヤジ、なぜヤクザと対立する? 一体何をやっているんだ……?〟

「理由なら、近田さんに直接聞けばいい」

 落ち着きを取り戻した滝川は、他人事のようににやりと笑った。

「見つかれば、な。期待はできない」

 面白がっている、あるいは羨んでいるように見える。

「幸子さんは? あなた方は幸子さんも追っているんでしょう? だったら、父親の居所ぐらい割り出せそうなものを」

 滝川は肩をすくめる。

「全力は尽くしている。だが、彼女も捕まりたくないようでな……」

 その言葉の濁し方から、洋は幸子が警察の追っ手をまいたことを確信した。一人でできることではない。大介か浩一のどちらかが手助けしている。彼らは再び集まりつつある。美樹は傷を負い、消えたまま――。

 残り時間は少ない。

 洋は決断を迫られた。このままではたとえ退院できても、道警本部の取り調べ室に閉じこめられかねない。逃げるしかない。刑事を殴ってでも。できなければ、美樹は救えない。幸い、この病室にトイレはついていない。

 洋は言った。

「トイレに行かせてもらえますか?」

 滝川はうなずいて、ドアをノックした。

 ドアが開き、外で待機していた若い警官が顔をのぞかせる。

「便所だ。目を離すな」

 折り目がきっちり付いた制服を着た若い警官は、緊張した表情で答える。

「はい!」

 滝川は、洋をにらみつけて言った。

「すっきりさせてこい。夜は長いからな」

 洋は、監視が経験不足の新人だけらしいことに感謝した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る