12
病院前の明るい照明は歩くにつれて間隔が広がり、その先は急に暗くなっていた。通行人もいない歩道が北海道大学の敷地に向かって続く。
〝本当に来るの……?〟
不安だった。だが、浩一の計画通りに進めば、追跡から逃れることはできそうだ。脇の車道にはひっきりなしに車が通り過ぎていくが、時折混じるタクシーは乗車中のものばかりだ。いくら警察手帳を振りかざしても、タクシーを拾える確率は低い。浩一が車で逃走するなら、五分間先行するだけで監視を振り切れる。
この歩道に辿り着くまでに、幸子は喫茶店に入って尾行を再確認していた。注文したコーヒーに手もつけず、店を飛び出してタクシーに乗った。一旦は尾行を振り切ったと思えたものの、幸子が市立病院に下りたとたん、飛び込んできた次のタクシーから同じ二人が降り立った。二人の物腰から、絶対に幸子を逃さないという気迫が感じられた。浩一の計画に賭けるしかなかった。幸子は暗闇に向かって歩く不安と戦いながら、祈るようにつぶやいた。
「お願い……見捨てないで……。浩一さん……必ず来てね……」
幸子は腕時計に視線を落とした。指定され時間だ。
〝お願い……来て……〟
一台の車が歩道に寄ってきた。ヘッドライトを点滅させる。
「浩一さん!」
急停車した浩一の車を避けた後続車が、クラクションを鳴らす。浩一は無視して、助手席のドアを開ける。
「乗れ!」
幸子は歩道のガードレールをまたいで車に飛び込んだ。歩道に目をやると、二人の刑事が走ってくるのが見えた。
幸子はドアを閉めて言った。
「探したのよ!」
浩一はいきなりアクセルを踏み込んだ。タイヤが悲鳴を上げ、幸子の背中がシートに押しつけられる。幸子は刑事の横を走り抜けながら、一人がポケットから取り出したスマホに叫んでいるのを見た。
浩一は真っ黒なサングラスを外しながら言った。
「これで自由だ!」
そして、幸子の額に張られた大きなバンドエイドに気づく。
「怪我したのか⁉」
「かすり傷」
「誰にやられた⁉」
「自分の失敗。気にしないで。それより、刑事にナンバーを見られたんじゃない? パトカーに追われるかも……」
幸子には、しつこく追ってきた刑事たちの執念が忘れられない。
浩一は楽しそうに言った。
「レンタカーだ。ナンバーも泥で塗りつぶした。二日間借りたから、乗り捨ててもすぐはバレない。その間に買った車に乗り換える。韓国、台湾、フィリピン――どこにする?」
幸子には分からなかった。
「そんなお金、どこで?」
「ヤバい知り合いから。どうせ日本に戻る気はないから」
「でも、海外になんて、どうやって……?」
「古いダチが沖縄から出る船を知ってて、話をつけた。交渉に丸一日かかったけどな。足元を見られて、金額を釣り上げられてさ」
「それで連絡がつかなかったのね……」
浩一は病院から充分離れると、車のスピードを車線の流れに合わせた。これからは、周囲に溶け込むことが一番の安全策になる。
浩一は、真剣な口調に戻って尋ねた。
「海外は恐いか?」
幸子の答えは決まっている。
「平気。あなたとなら」
「それなら、どうした? 元気がない」
幸子は、浩一に隠し事をする気はない。
「刑事の目的は、父さん。悪いことをして、追われている……」
「銃を持ち出したからか?」
「もっと悪いと思う……」
「電話で確かめればいい」
「つながらない。居所も分からなくて……」
浩一はしばらく考えた。
「心配なんだな?」
「うん……」
「沖縄に飛ぶのは明日の昼で間に合う。それまでに親父さんの消息をつかむ」
「いいの?」
「たった一人の家族だろう? 日本を離れたら、もう会えない。何が起こったかぐらい知らなけりゃ、心残りで落ち着かない」
幸子は不意に涙をあふれさせた。
「ごめんね……ありがとう……」
浩一は違法駐車の列にレンタカーを割り込ませ、車を降りてしばらく様子を見た。追ってくる者はいない。パトカーも現れない。
二人は近くの駐車場に置いた中古の軽自動車に乗り換えた。そして郊外へ向かった。独立したガレージから直接部屋に上がれるモーテルを選んで、一夜を明かすために――。
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