第2話 カウンセリングって意外と凄い
ソファに腰かけた私は頭を上げて視線を自分の膝から目の前の人物に移した。
ヨレヨレの黒いシャツを着ている。
髭があごにはえている。無精なわけではなく、ファッションなのだと分かる髭。
あまり、自分の趣味ではない。
良い印象はない。
本当に此処で大丈夫だっただろうか。
数日前からネットを検索し始めた。
「子育て 虐待防止」「子供が可愛くない 相談」「虐待するか」などなど、色々検索して出てくるのは、「自分は虐待するかもしれない」という独白のブログ。
「毒親」「アダルトチルドレン」「大人になりきれない親」という言葉たち。
今まで「毒親」っていうひどい親を教師の仕事の中でみてきた。
本当に体に傷を作ってくる子もいるし、食事を与えられず、給食が主な食事な子もいた。
「毒」という言葉がピッタリな親たち。
そんな人の道から外れた人間と私は同じ人種なのだろうか。
私は最低な人間かもしれない。
でも、そんな人の道を外れた人間と同じにはなりたくない。
ただ、自分の子供を可愛いと思う気持ちは本当なのに、どうしても怒りが湧き上がるこの私の心。
何か可笑しいと感じる。
いつかこの怒りが大きくなりすぎて我が子を傷つけてしまうのではないかと感じている。
回避する道は一つ。
私の怒りをどうにかするしかないのだ。
私が本当に「毒親」ならば毒をぬきたい。
思い切って旦那に相談はしてみた。
「専門家に相談してみたら」と言われた。
可愛い娘を傷つけられるのは嫌だけど、私と向き合う気はないらしい。
旦那らしくて笑えた。
色々検索して県内で一番口コミが良いカウンセリングに行くことにした。
そして、今、此処である。
髭のカウンセラーの名前は高原次郎先生。
あまり抑揚のない話し方。
第一印象はあまり良いものではないけれど、流石にカウンセラーさん。
聞かれるままに話をしてしまう。
「今まで私怒ったことがないんです。少し両親には怒ったり、兄弟と喧嘩したりしてきましたけど、他人に怒りを感じたこともないし、自分の子供以外の子供はすごく可愛いんです。そう、可愛いだけなんです。自分の子供に対してはただ可愛いでは済まない気持ちがあって、、、今まで感じた中で一番強い怒りを感じることがあって、、、、」
「殺意ですか?」
ひゅっと喉がなった気がした。
『殺意』となんとも恐ろしい言葉。
「殺しそう」とは思っても明確に自分の気持ちで「殺したい」と自覚したことがなかった。
他人の口から出たその言葉に息を飲む。
私が息を飲んだことを見て取り、少し間を開けて
「ここでは何も咎められません。どんな思いもあなたの思いです。
何を話しても外部には漏れませんし、私はあなたを非難しない。
だから安心してなんでも話をして下さい。思う事は自由なんですよ」
初めて高原先生が微笑んでくれた気がした。
肩から力が抜ける。
自分の気持ちを認める。
認めてしまったら、もう後戻りはできない気もする。
本当にそうなってしまいそうで怖い。
返事に詰まっていた。
「その殺意は本来娘さんに向けるべきものではない殺意ですよ。
殺意を誰かに抱くほどあなたは本当の自分をおさえて我慢して生きてこられたんですね。
殺意を抱いた誰かではなく、ご自分を殺して、、、
とてもとてもがんばって生きてきたんですね」
そう言われてなんと言えばいいかわからないはじめての感覚に襲われた。
先ほどまでの心が詰まった感じがない。
私の手の甲に温かいものが落ちてきた。
フッと手の甲を確認する。頭を少し下げた途端にボタボタと水が手に降ってきた。
頬と手を濡らすそれが涙だとやっと気づく。
「え?先生、私泣いてます?なんで?」
悲しい訳でも怒ってるわけでもないのに涙が止まらない。こんなことは初めてでどうしていいのか分からない。
「安心されたんですね。自分の気持ちを認められたって感じたんだと思いますよ。思いのままに泣いて大丈夫です」
涙が止めどなく溢れてくる。
高原先生の声のトーンも安心できるものだった。
自分を認められた感覚。
受入れられた感覚。
初めてだった。
親にも感じたことがない感覚。
涙と共に怒りの感情が溶けていくようだ。
私はしばらく泣き続けた。
少し気持ちが落ち着いてきた。
人前でそんなに泣いたことはない。
親の前でも、旦那の前でも、
「私、変われますか」
高原先生は笑顔で答えてくれる。
「響さんの努力によりますが、努力すれば必ず変わりますよ」
その後、カウンセリングの中で私の事を先生に話した。
2時間前は「胡散臭い人」という印象だった高原先生は今や信頼のおける私のカウンセラーである。
高原先生は私の言葉を一度も否定しなかった。
そして、不道徳と思えるような自分の思いさえも吐き出すことが出来た。
誰にも相談できない旦那のこと。
周囲から見たら旦那と私はとても仲の良い夫婦だと思う。
だけど、実際は子供が出来たから子供のために結婚しただけの子供のための夫婦だ。
彼は決して浮気はしないけど、愛のある営みはないと思う。
愛されているという実感が全くないからだ。
性の処理のために営みがあるように思えてならない。
私から触れると必ずといっていいほど嫌がられ手を払いのけられる。
私にはいつも苦い笑顔だけれど、娘に向ける笑顔は本物だ。
結婚する前、付き合っていたころに言われた言葉は今でも心に深く刺さっている。
「僕は君と結婚する気はないよ。結婚はいずれしたいとは思うけど、それは君じゃない。だから、君が結婚を望んでいるのなら早く別れた方がいい」
それで別れなかった私もどうかと思う。
好きだったし、彼に他に好きな人が出来ない限り浮気されることもないとそういう意味では彼のことを信用していた。
彼は私にいつも選択肢を与えていて、私が選んだ答えに特に反対されたことはないから。
妊娠が分かったときも、産むことは先に決めていた。
私はシングルマザーを覚悟していた。
「結婚を君とは考えていない」と先に言われていたから。
妊娠を告げた彼の第一声は「おめでとう」だった。
私は心の中で大きなため息をついた。
あ、やっぱりこれはシングルマザーだなって思った。
ひどく他人事だったから。
でも答えは違っていた。
いつの間にか両親に挨拶に行き、結婚することが決まった。
出来婚に両親は反対したが、うちを取り仕切っているのは祖母。
祖母の一言で結婚はすぐに決まった。
「良かった、女に生まれて結婚も出産も経験できず人生が終わるようなことがなくて」
凄く意外だった。世間体を気にする祖母がなぜ?
答えは簡単だった。
女が一生独身で出産をしない方が外聞が悪いと祖母は考えていたようだ。
家族の中で一番の権力者は祖母だ。だから、私の結婚は直ぐに決まった。
響の家の方は結婚しないと思っていた息子が結婚して、しかも、諦めていた孫の顔が見れると知り大喜びしてくれた。ただし、私のことは考えてくれていない。
結婚式はしなくていいだろうとか
昔の彼女の話ばかりしてくる。
私は笑って耐えた。
簡単に教会で式を挙げることが出来たのは母がどうしても娘の花嫁姿がみたいと言ってくれたから。
高原先生にしゃべっていて、私がいかに大事にされていないのか、
実感として私の心にのしかかってきた。
そして、私は随分と母に助けられていると感じた。
今日のカウンセリングの感想をそう述べると高原先生は少し苦笑して
「少し通われたほうがよいと思います。母親への感謝は大事ですが、、、お子様との関係を見直すためにももう少し深くご自分の生まれ育った家庭環境に関してお話頂けるといいですね」
「それから、赤ちゃんに対して抱く怒りは本来向けるべき別の相手がいます。
響さんが異常な感情を持っている訳ではありませんから、安心して下さい。
ただ、その怒りを赤ちゃんにぶつけるのはやめていきましょう。その怒りを赤ちゃんにぶつけると後で自分が後悔することになりますから」
感情を否定されない。
感情を否定されないことがこんなに自分の気持ちを安定させるなんて。
私は次の予約をした。
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