第7話 立場

「こんにちは。綺麗なお庭ですね」

 ニコニコと笑みを湛えたまま話しかけると、庭の端で縮こまっていたポチはびくりと身をすくませた。

「どうしたんですかそんなに驚いて」

「だ、大丈夫でやんすか?」

 大丈夫と来ましたか。かまをかけるまでもなく間抜けは見つかった。

「そんなことを聞くなんて、まるで私たちに危機が迫っていることを知っていたようですね?」

 わかりやすく、飛び上がりそうなほど驚いている。視線はあちこち彷徨い、隠し事をしていると力いっぱい主張している。

 犬の鋭い嗅覚をコボルトも持っているのなら、ゴブリンがいることを察知できたと予想していたのだが、その通りだったらしい。

「い、いえ、あっしは誰かが潜んでいるなんてちっともきづいていやせんでした」

 どうやらポチの趣味は墓穴を掘り続けることらしい。

「安心してくださいポチ。ゴブリンは精霊を呼び出したケレム様が退治しました。私は坊ちゃまを守った功績を讃えられました。何もしなかったあなたと違って」

 誇張が混じっているが、あながち間違いではないはずだ。最後の脅しのような言葉は覿面に効果を発揮し、毛深い顔の下は血の気が引いていた。

 笑顔から真顔に。ずいっと顔を近づけ、圧力をかける。

「ねえポチ? あなたは捨てられそうになったところを引き取られたのでしょう? まさか、旦那様を裏切るわけありませんよね? もしも旦那様から捨てられでもすれば今度こそあなたは処分、されちゃいますからね」

 はったり混じりの脅迫に対して、ひゅう、と奇妙な呼吸音。なるほど。息を呑むとはこういうことか。

「私もそんなことになってしまうと悲しいですから。私の質問に答えてくれますよね?」

「は、はい……」

 耳としっぽが垂れ、屈服した表情。やはり犬のしつけは早めにやっておくべきだ。

「まずは精霊……あれはいったい何ですか?」

「勇者の遺産の一つらしいでやんす。勇者とは異世界日本から来た転生者……らしいでやんす」

「一つなら他にもあるんですか?」

「へい。たくさん」

 私と違って随分優遇された転生者がいたらしい。

「精霊の話に戻しましょう。あれはどうやって呼び出すんです?」

「契約すれば誰でも呼べるでやんす。ただ呼び出すためには精霊の名前の発声、目的。そして精霊は法律に従うでやんす」

 さっきの精霊は言っていた。刑法二百四条傷害罪。刑法百三十条住居侵入罪。つまりこの世界の法律は……日本の法律が採用されている。恐らくは転生者によって持ち込まれた法律だ。

「日本の法によって精霊は完全に制御されている。その解釈でよいですか?」

「へい」

「……精霊に打ち勝つ方法はありますか? さっきのは下位精霊と言っていましたが」

「む、無理に決まってるでやんす! 下位精霊は一番弱いでやんすが、それでも勝てる奴なんていないでやんす! ちょっとした罪で殺人未遂に扱われたりして殺される奴らはめずらしくないでやんす!」

「ちなみに、もっと上があるんですか?」

「下位、中位、上位、大精霊の順に強大でやんす」

 話をまとめると、この世界は誰でも呼び出せるが誰も勝てない精霊という存在が法の番人として機能している。

 すなわち、この世界は法によって支配されている! それってただの法治国家なのでは?

(あの下っ端役人。仕事はちゃんとしたみたいですね)

 私の要望はちゃんと聞き入れられたようだ。後はその法治国家の枠組みに入ればいいだけ。

「で、その精霊はどうやって契約するんです?」

 私の質問にポチは何とも言えない表情になった。

「どうかしましたか?」

「いえ、その……あっしらは本当の意味で精霊とは契約できないでやんす」

 露骨に表情をしかめるとまたポチが飛び跳ねた。

「い、異種族は異種族用の精霊、役に立たない個体管理用の精霊と契約させられるでやんす!」

「な……何でそんなことになってるんです⁉」

 個体管理ってなんだ⁉ それじゃ、それじゃまるで……奴隷じゃないですか。

「そもそも私は……!」

 私は人間、とは言えなかった。これも転生者へのペナルティだろうか。何故なら私は前世で人間だっただけで今は人間ではないのだから。言葉を言いなおす。

「ホムンクルスは……異種族ですか?」

 しどろもどろになりながらもポチは首肯した。

「へい。ホムンクルスは異種族でやんす。ほとんどの異種族には人権がありやせん」

 鈍い頭痛が私を襲う。思い出すのは先ほどの下位精霊の言葉。

『傷害罪は対象者がいません』

 私が負傷していたのにもかかわらず傷害罪には当てはまらなかった。つまり精霊は私を人間ではないと、人権はないと判断したはずだ。

 日本の法律において人間と定義されるのはホモサピエンスのみ。法律は人間とそうでないものを明確に区別する。

 よって法的に異種族は人間ではない。そう考えるのは自然なのだ。何しろ地球において、知的生命体は人類のみなのだから。

(あの下っ端役人スズメェェェ! 確かに人間に転生させろとは言いませんでしたよ⁉ でも! 法治国家に転生してもその国の法律で守られなければ意味がないじゃないですか!)

 まさかこちらの要望を聞きつつ最大限に嫌がらせができる世界を選んだのではないかと邪推したくなる。

「い、いえちょっと待ってください。私と人間は見分けがつかないと思うのですが……」

「目でやんす。ホムンクルスの目の色はどんな種族のホムンクルスでに赤い目をしているでやんす」

 確かに鏡を見た時、私の目は神秘的な赤色だった。まさかそれが異種族である証とは思いもしなかった。

 最後の望み、人間のふりをする、さえも打ち砕かれた。つまり私はこの世界において奴隷に近い身分でしかないと生まれた瞬間から確定していた。

 だが、ああ、どうしようもないことに。この逆境を楽しんでいる自分もいた。少し離れた場所から門が軋む音が聞こえた。誰かがこの屋敷の扉を開いたのだろう。

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