第3話 春風

 ここは二階だったらしく、階段を降りると応接間だった。やはり幾何学模様がそこかしこに施されており、チューリップらしき花をあしらった装飾タイルの暖炉も異国情緒を感じさせる。

 そしてそこにいたのは犬。いや、正確には犬の頭をした二足歩行を行う人間……犬人間だった。毛はかなり長く、やや猫背(犬なのに)で自信のなさそうな顔つきだが、あまり身なりが整っていない。

 間違いなく地球には存在しない生命体に驚く。しかしまさかこれが息子?

「ポチ。あいつはどこにいる」

 ポチ。息子ではなかったみたいだ。

 しかし日本じゃ今どき聞かないくらいべたな犬の名前だ。異世界では流行っているのだろうか?

「こちらでやんす」

 いかにも小物っぽいしゃべり方をしたポチが背後にいる小さな影に道を譲るように横にどく。

 ポチの後ろに隠れていたのは少年だった。黒い髪、くりくりっとした黒い目。なかなか可愛らしく、タンポポみたいな子供だ。人見知りしているらしく不安そうな視線が私を見つめている。

「この人は私が作ったホムンクルス、サユリだ」

「初めまして坊ちゃま。サユリと申します」

 片足を軽く引き、スカートのすそを少しだけあげる。きっちりとカーテシーを決めて侍従ポイント十点獲得。

 いや、これがこの世界での正しいマナーなのかはわからないけど、年下でもこの少年は目上のはずだ。自分の知識の範囲内で礼儀正しく振舞おう。

 少年は挨拶されて少しだけ緊張がほぐれたのか挨拶を返してくれた。

「初めまして。僕はトウタ、です」

 ……あの。下っ端役人さん? 私、本当に異世界に転生したんですか? やたらなじみ深い名前ばっかり聞かされるんですが。

 もちろん心の中の疑問への返答はなかった。


「トウタ。私は電話しなければならないことがある。この家を案内しろ」

「わかりました」

 親子とは思えないほど一方的な会話……というか、ホントにこの二人親子なんですか? どうも似てない気がしますし。

「それと、どうも組合から逃げ出したゴブリンがいるようだ。もし見かけたらすぐに知らせるように」

 ゴブリン? あのゴブリン? 実在するんですか? やっぱり異世界なんですねここは。

 鳥かごを持ったままどこかに向かうケレム。ただ、最後に私に視線を投げかけたが、その感情は読み取ることができなかった。

「それでは坊ちゃま。申し訳ありませんが、案内していただけますか?」

「その坊ちゃまって僕のこと?」

「御不快でしたら改めますが……」

「う、ううん。好きに呼んでくれていいよ」

「ありがとうございます。坊ちゃまはお優しいですね」

 全力の営業スマイルを見せると、トウタ様は顔を赤くして俯いた。父親と違ってわかりやすい。こっちを先に篭絡した方がスムーズに事が進むかもしれない。

「じゃあ、こっちに来て。庭を案内するよ。ポチもおいで」

「へい」

 しつけられた飼い犬のように大人しくついてくるポチ。露骨に力関係がわかる一幕だった。


 比喩抜きで生まれて初めて外に出た。空気は悪くないが、乾いており、少し寒気を感じる。日本なら秋か春だろう。

 庭には色とりどりの花が咲き誇っている。前世でガーデニングを嗜んでいた私にとって、ここの庭師が並みならぬ努力によって維持していることを想像するのは容易い。ただ、庭の隅にポツンと植えられている黄色い菜の花だけは若干荒れていた。

 ちらりと後ろを振り返ると当然ながら家があったが、屋敷と呼べるほどの立派な石造りの家だった。少し向こうには本宅よりも小さな別宅がある。

 日本人にはなじみのない建築様式で、アーチのような屋根があるのも異国情緒を掻き立てられる……のだが。

 はす向かいの家には違和感しかない。一言で説明すると武家屋敷だ。ぶっちゃけ和風建築だ。地球では異文化の文化財として維持されそうな邸宅が二つ並んでいるとこんなにもちぐはぐに感じるものなのか。

「どう? 綺麗でしょ?」

 ひとまず風景の違和感は無視してトウタ様に向き直る。

「ええ。素晴らしいお庭です。これは、坊ちゃまが?」

「僕一人じゃ無理だよ。普段はアイシェさんが手入れしてくれているけど、僕も手伝ってるよ」

「アイシェさん? その方はいらっしゃらないのですか?」

「今日はね。アイシェさんは旦那さんと一緒にここに勤めてくれてたんだけど、旦那さんが腰を痛めちゃって」

「それはお気の毒に……」

 腰はやばい。若いうちは気にしなくても年を取るとどんどん劣化する。しかしこの体ならしばらくは無茶ができる。若いって素晴らしい。

「だから、二人ともここを辞めて田舎に引っ越すつもりらしいんだ」

 寂しそうな声音から坊ちゃまがその二人を慕っていることは伝わってくる。

 大体事情は分かった。

 今まで息子の面倒を見ていた従者がいなくなるのでその代わりとなる人材として私を作った、というところだろうか。母親の話題がないのは……まあ、そういうことだろう。男親一人で子育ては難しい。ましてや、旦那様は人づきあいが上手そうには見えない。子供を持て余すのは眼に見えている。

 ……少なくとも上手く立ち回っていればいきなりここから放り出されるということはなさそうだ。それなりに裕福そうなこの環境を捨てたくない。

「アイシェ様のことは残念ですが、これからは私が一緒に居ます」

「そっか……うん。これからよろしくね」

「ええ。よろしくお願いいたします」

 吹き抜ける風が、どこかから花びらと甘い匂いを運んできた。なんとなくだけれど、今の季節は春だと感じた。

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