第4話 小鬼

「あれ……? ポチは?」

 きょろきょろと辺りを見渡す坊ちゃま。

「一緒に外に出たはずですが……そういえばポチは一体何なのでしょうか?」

「何って、コボルトだよ? あ、そっか。コボルトを見るのは初めてなんだ」

「今日産まれたばかりですので」

「そういえばそうなんだね。サユリはすごく普通に会話してるから忘れそうになってた」

 内心少しひやりとする。たどたどしいしゃべり方の方がよかっただろうか。

「ポチはコボルト。人間とは違って頭が犬の異種族だよ」

 異種族。ということは他にも色々な種族がいるのだろうか。

「どのような経緯でこの家に? ポチも旦那様がお創りになったのですか?」

「ううん。コボルトはホムンクルスを作れないよ。他の家で捨てられそうになったところを引き取ったんだって」

 作れない、ということはホムンクルスを作れる種族と作れない種族がいるのだろうか。私は人間のホムンクルスという扱いなのだろう。

「ポチは番犬なのですか?」

「ええと、うーん、警備員? みたいなものじゃないかなあ」

 自宅警備員か。大半の飼い犬と一緒ですね。

「なるほど。……おや?」

 視線を下に向けると花壇の一部が踏みにじられていた。紫色の花……リンドウかな?

「あれ? 野良犬でも入ってきたのかな。このリンドウはアイシェさんが頑張って育てたのに……」

 手早く土を整える動作には迷いがない。……気になっていたことを確かめるにはちょうどいい機会かもしれない。

「坊ちゃまリンドウとはどのような文字を書くかお聞きしてもよろしいですか?」

「うん。いいよ。ちょっと難しいけど前にアイシェさんに教えてもらったから、知ってる」

 得意げに地面に指で文字を書く。屈みこんで確かめるとそこにかかれていた文字はやはり『竜胆りんどう』だった。間違いなく日本語。

「では、坊ちゃまのトウタというお名前は?」

「こうだよ。サユリのも書いてあげる」

 私の意図を察したのか二つの漢字を並べた。

『藤太』

『小百合』

「では、旦那様の文字は?」

「お父さん? カタカナだけど」

 妙な当て字などではないようだ。今度は少し探りを入れよう。

「それにしても不思議ですね。産まれたばかりなのにこうして文字が読めるなんて」

「それはバベルっていう魔法だよ。僕たちが産まれる前に作られた魔法で日本語がわかるようになるんだって」

 脳裏に煌めいたのはあの下っ端役人スズメの言葉。転生者は許可がなければ地球の知識を持ちこめない。逆を言えば許可さえあれば知識を持ち込むことはできる。

 つまり過去の転生者が日本語を持ち込み、それを広めるための魔法、バベルを開発したのではないか。

 感謝はしますけど……あの下っ端役人、何がたいしたことはしてないだ。がっつり干渉してるじゃないですか。

 そうなるとあの武家屋敷も……?

 顔を上げると不意に、かさりと何かを踏み鳴らす音がした。

 坊ちゃまとともにそちらに首を向ける。するとそこには緑色の生き物がいた。

 奇妙なほどまがった腰、ぎょろりとした目玉、やけに長い鉤鼻。衣服はぼろぼろの腰布を巻いているだけ。まっすぐに私たちに敵意のある視線を向けている。

 もちろん地球上の生物じゃない。その答えは坊ちゃまから発せられた。

「どうして、ゴブリンがここにいるの……?」

 想像通り、こいつはゴブリン。さっきどこかから逃げ出したとケレムが言っていたので、こいつがそうだろう。完全に萎縮した坊ちゃまはエプロンの裾を掴んで離さない。

 つまり、坊ちゃまを放って逃げ出すことは立場的にも物理的にも不可能。

 冷静に彼我の戦力差を分析する。

 ゴブリンは小さい。せいぜい小学生中学年くらいだ。恐らく坊ちゃまもそれくらい。体の大きさはもろに喧嘩の強さに直結する。特に素手ならなおさら。

 敵の口には牙らしきものが覗いているが、タイマンで戦っても多分負けない。

(これはむしろ好機では? ここで私がちゃんと坊ちゃまを守り切れば私に対する株が上がる)

 ピンチの時にこそチャンスがある。それをよく知る私はこの状況を最大限に利用する打算を巡らせていた。

 だが私は知らなかった。地球の常識が必ず通用するとは限らないことを。

 ゴブリンは手のひらに黒い玉を突然出現させる

(へ?)

 心の中で間抜けな声を出す間に、ゴブリンは思いっきり振りかぶりそれを私たちめがけて投げつけた。

(まさかこれ、魔法⁉ ゴブリンって魔法が使えるんですか⁉)

 驚くよりも早くとっさに坊ちゃまを抱くように庇う。次の瞬間、右肩に激痛が走った。

(痛ったあ⁉)

 前世で二度ほど小学校の保健室送りなった経験がある私だがその時よりも激しい痛みだったと断言できる。

 それでも耐えられる程度の威力だ。当たり所が悪くない限り死ぬことはないだろう。

 だがそれはゴブリンも承知していたのか、私に向かって猛然と迫ってくる。

 庇いながら戦うのは不利だと判断し、坊ちゃまを突き飛ばし、距離を取らせる。その間にもゴブリンは近づき、もうあと一歩の距離しかなかった。

 上背に劣る相手が一発逆転を狙う場所それは……。

(首でしょう⁉)

 その予想は正しく、ゴブリンは私の首めがけて飛びかかり、攻撃を仕掛けてきたが防ぐことができた。しかしそれでも勢いを殺しきれなかったために押し倒され、馬乗りの状態になってしまった。

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