三田先輩はクリスマス前は仕事をしない。だから、私は苦いコーヒーを入れる。

西東友一

第1話

「ダハアーーーーーーッ」


 この人は・・・・・・今年もか。


 仕事中だと言うのに、隣の席から大きなため息が聞こえる。もうすぐ年の瀬だと言うのに全く勘弁していただきたい。


 私の名前は四宮梨乃。

 ため息をついたのは三田九郎。

 私の1つ上の先輩だ。


(あぁ、あぁ、あぁーーーーっ)


 腕をだらんとさせながら、机に顔を埋めている三田先輩のおでこがスペースキーに当たっていて、全然仕事をしない三田先輩の代わりに文末を表している矢印が師走らしく、全力疾走している。Alt+Deleteですぐに全消しできると言えど、無駄な電力が消費されているのが許せない。


「こほんっ」


 私は時計を見ながら、わざとらしい咳をする。始業開始からまだ1時間しか経っていない。


「おーー、四宮。風邪か?」


(やば、こっち見た)


 情けない顔の三田先輩がこちらを見た。


「気を付けろよーーー。年末に身体を壊したら、ちっとも楽しくないぞーーっ」


 せめて、目ぐらい開けろっての、と思った。


「平日に身体を壊して、みんなに迷惑かけるよりもましです。というか、仕事をしてください」


「バカだな、四宮。俺たち独り者は、具合悪くなっても、発見が遅れるから孤独死するかもしれないぞー」

 

 全然響かない三田先輩は、私をさらに煽ってくる。


「三田先輩と一緒にしないでください」


「おっ、もしかしていい人できたか?」


「・・・・・・」


 私は三田先輩を無視して、仕事を続ける。

 本人は煽る気がなく、悪意がないのがたちが悪い。


「ハァーーーーーッ」


 私が無視して、仕事をしていると、再び大きなため息をつく三田先輩。


「クリスマス前なのに・・・・・・またフラれでもしたんですか?」


 私は手を動かしながら、三田先輩に尋ねる。


「ふっ・・・・・・まぁ、そんなもんかな」


 三田先輩をちらっと見ると、首を回している三田先輩。


(早く仕事しろっ)


 私は心の中でツッコミを入れながら、仕事をする。


「なんかさ、計画を練ってるんだけど・・・・・・全然攻略できない感じ?」


「その人との付き合いは長かったんですか?」


「いや、みんなよ」


 (女ったらし)


「てか、「長かった」って過去形にすんなよーーっ。凹むーーーーっ」


「はい、はい」


(あっ、ここデータが間違っている)


 この人と話をしていても生産性がない。仕事に集中しないと、優雅な年末年始を迎えられない。


(年末年始に出勤なんて、ぜーーーったい嫌っ)


「やっぱり23日は日本人として休むべきだと思うが、四宮はどう思う?」


 こっちは忙しいのにまだ三田先輩は話しかけてきた。


「どう思うって・・・仕方ないじゃないですか。祝日じゃなくなったんですから」


「俺だったら、海外に合わせて、クリスマスは家族と過ごすために長めの長期休暇を用意するけどなぁー」


「日本人はどこへ行ったんですか?」


「ナイス、ツッコミ」


 笑顔になる三田先輩。

 ・・・・・・まったく、頭にくる。


 私は気分転換するために、席を外して給湯室でコーヒーでも入れようと決めて立ち上がる。それに、席を一回外せば、三田先輩も絡んでこないだろう。


「あっ、俺もコーヒー」


 いい笑顔で笑う三田先輩。

 先輩のくせに童顔で、その笑顔で言われると、怒る気も失せてくる。ただ、言われたままで済ませるのも嘗められる気がしたので、眼を飛ばして私は給湯室へ向かった。


「ミルクと砂糖もよろしくねっ」


 その言葉に私は振り返らなかった。


◇◇


「ううぅ・・・・・・うっ!!」


 私はなかなか開かないインスタントコーヒーの瓶と格闘していた。

 なかなか開かなくて、困っていたが三田先輩のことを思い出したら、私に力が宿って、今までの苦戦が嘘だったかのように簡単に開いた。コーヒーの瓶が開くと、コーヒーの香りが私を少し癒してくれた。私は自分の愛用してるマグカップにコーヒーの粉を入れていく。今日の気分は少し多めだ。


 お湯を注いでいくと、湯気と共にコーヒーの香りが先ほどよりも強くなり、私はその香りを楽しむ。


「ふふっ」


 たかが、インスタントコーヒー。

 そんな香りで気分が良くなる私ってなんて安上がりな女なんだろう。


「なんで、私が入ってないんだよ。バァーカ・・・・・・っ」


 私を除け者にするような奴に、砂糖なんか入れてやるもんか。バーカッ、バーカッ。

 三田先輩のコーヒーはブラックになるように、バカと心の中で呟くリズムに合わせて、コーヒーの粉を見た先輩のマグカップに入れてやった。


(一番バカなのは私か・・・・・・)


 三田先輩を好きになっている自分。

 あぁ、見えて仕事だって、やるときはやるし、あんな感じだから、空気読めないこともあるけれど、優しいのだ。あの人が怒ったところを見たことも無いし、きつく当たっても嫌な顔ひとつしない。でも、仕事が落ち着くクリスマスシーズンは流石に職場は避けているようだが、色んな子にアプローチをしている様子で、ああいうタイプを好きになってしまうのはなんか癪なのだ。



「はいっ、どうぞ」


 私はゆっくりと、たっぷりコーヒーの注がれた自分と三田先輩のマグカップを両手で運ぶ。


「おっ、あんがと」


 三田先輩が私からマグカップを受け取るときに、そっと指が触れた。


「あっ・・・・・・熱いですよ」


 自分でもびっくりするような可愛らしい声が自分から出て、なんとか取り繕う。少し、表情にも出てしまった気がするけれど、どうせ鈍い三田先輩は気づかない・・・だろう。


「おうっ・・・・・・にがっ」


 笑顔で受け取った三田先輩がコーヒーを口に運んで、渋い顔をする。


(ざまぁみろ、このにぶちんが)


「これ、ちゃんと、砂糖入っている?」


「入ってますよーーーっ。ちゃんと、ミルクも入ってますし」


 ほぼブラックなのだが、わずかに茶色味がある色を見て、三田先輩は「確かに」と言って、もう一度コーヒーを口に運び、再び苦そうな顔をしていた。


(うん、苦い)


 私は自分のブラックコーヒーを口に運ぶ。けれど、私は三田先輩とは逆に表情が緩み、その苦みを味わった。


「クリスマス・・・私と遊びません?」


 どうやら、緩み過ぎてしまったようだ。

 私はそんな言葉を口走っていた。


「えっ?」


 びっくりした顔をする三田先輩。

 その表情を見て、私は急に恥ずかしくなる。


(っていうか、仕事中に口説くとか、私、ヤバっ)


 顔が急に暑く感じたのは、コーヒーのせいでないのはわかった。

 それに心臓が心地よく高鳴っている。自分はスリルを楽しむような人間じゃなくて、真面目に生きて生きたのになにをやっているのだろう。


「わりぃ・・・・・・」


 三田先輩の言葉で、一瞬、時が止まったんじゃないかと思った。

 私の心に咲き乱れた花があったとしたら、一瞬で絶対零度に包まれて、脆く粉々になった気分だった。いつもなら、文句を言いたい気分になっただろうけれど、熱い感情や温かい感情というものは一切なく、ただただ悲しかった。


「あっ・・・いえ・・・・・・。なんか、私こそ・・・えへへっ。すいません」


 下手糞な乾いた笑い方しかできなかった。

 ツーっと頬を冷たい物が流れる。


(やばっ、お化粧が)


「・・・」


 気の利いたことを言えたら良かったのだろうけれど、三田先輩の子犬のような切ない目を見たら何も言えず、私はそのままその場から立ち去る。歩いていると、情けなさで、何か良い言い訳はできなかったかと自分を問い詰める。


(いつもは裸眼で感謝していたけれど、こういう時はコンタクトレンズの人が羨ましい)


 そんなバカなことを考えて私はトイレへと駆け込む。運よく、トイレは誰もおらず、私は洗面台の鏡を見る。お化粧はそこまで乱れていなかったが、


「ふふっ」


 今度はちゃんと笑えた。

 だって、鏡の向こうには情けない私の顔があったから。


「・・・・・・さっ、仕事、仕事。年末、仕事をしたいの? 梨乃っ」


 私は頬を叩いて、自分を鼓舞する。

 どんどん悲しくなる気持ちと追い打ちをかける理性が、痛みでリセットされた。


 それから自席に戻ると、三田先輩は真面目に仕事をしていた。

 私も先輩と話したくなかったので、ほっとして、仕事に集中した。仕事に集中すればするほど、雑念は排除できたので、私は仕事を頑張った。けれど、飲みかけのコーヒーは冷たく苦いと思った。




「お先失礼します」


 私は荷物をまとめて、パソコンの電源が切れているのを確認して職場のみんなに言う。その中にはもちろん三田先輩も含まれていたが、私は隣の席の三田先輩の顔は見れなかった。仕事をしている人に声を掛けるのは邪魔しちゃいけないと気を遣うけれど、三田先輩はいつも笑顔で返事してくれたから、声を掛ける時に唯一気を遣わずに済む人だし、その笑顔を見て帰るのが、密かな私の楽しみだった。でも、今日はダメだ。その笑顔を見たい気持ちも確かに私の心に確かに存在するのだが、先輩の満面の笑みじゃなくて、気を遣った笑顔だったらどうしようと言った不安と、もう傷つきたくないという気持ちがそれを阻む。


「美味しいケーキでも食べよ」


 これだけ、仕事を頑張っているんだ。

 ご褒美に有名店のケーキを買おう。バチは当たらないはずだ。

 私はエレベーター待ちながら、そんなことを考えていた。


「四宮っ」


 今は聞きたくない声が後ろから聞こえた。


(バカじゃないの、私・・・っ)


 呼びかけられて、パブロフの犬もびっくりするくらいの速さで条件反射で喜んでいる自分がいた。私は気持ちを落ち着けながら、後ろを振り向くと、微妙な顔をした三田先輩がいた。申し訳なさそうで、何か言いたそうな顔。あまりいい話じゃなさそうだ。


「なんですか?」


 私はいい後輩として営業スマイルで返事をする。

 この笑顔の仮面は傷ついた心を守る鋼鉄のバリアだ。


「あのさ・・・クリスマスっ。遊びじゃないんだけどさ、付き合ってくれない?」


「へっ?」


 私の鋼鉄のバリアはあっさり崩壊して、私の心のスイッチが再び灯った合図のようにエレベーターが着いた音が聞こえた。




―――クリスマス当日。


 大きなクリスマスツリー。

 大きいと言っても室内だから、


「はいっ」


「おうっ、サンキュ。四宮」


 三田先輩が脚立を使えば、一番上に星が置ける高さだ。折り紙で作った輪っかの飾りや名前も知らないキラキラ光るモフモフした飾り。


「こんなに大きいクリスマスツリー飾ったのは初めて」


「はっはっはっ、楽しいだろう」


 三田先輩が連れてきたのは児童施設だった。


「キミも飾ってみる?」


「・・・・・・」


 私が中腰になって、少年と目線を合わせて、ツリーに飾るステッキを目の前でちらつかせてもまったく少年は私と目を合わせない。まるで、声を掛けられていないような様子だった。そんな私と少年を見て、脚立から降りた三田先輩が少年の隣へとしゃがんで、


「楽しいぞ?」


 と言いながら、じーっと待つと、少年はゆっくり私の手元にあるステッキだけ見て、ゆっくり取って、ツリーへとゆっくりと飾った。私と三田先輩はお互いの顔を見ると、自然と笑顔がこぼれた。


 ここは、自閉症の児童を育む施設で、三田先輩はボランティアにたびたび訪れていたそうだ。特にクリスマスシーズンはサンタクロースの格好をして、みんなを喜ばせる飾りや企画、そして、プレゼントを考えて、毎年悩んでいたそうだ。


「・・・三田先輩らしいですね」


「だろっ?」


 どや顔の三田先輩。

 サンタクロースの格好に自信を持っているようだ。


「ほれっ」


 ポケットから可愛らしいラッピングが施された小さなプレゼントを三田先輩が横から渡してきた。


「あっ、ありがとうございます」


 私は両手でそれを預かり、重さなどを確認する。それなりの重さを感じるので、お菓子ではなさそうだ。


「ちなみに、それが一番悩んだ」


 珍しく照れながら言う三田先輩。

 いつもなら、ツッコミを入れるか、茶化す私だったけれど、私も嬉しさと照れで何も言えなかった。

 

 だって、その言葉が私の人生で一番嬉しい言葉だったんだから。


 おしまい。

 




 

 


 




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三田先輩はクリスマス前は仕事をしない。だから、私は苦いコーヒーを入れる。 西東友一 @sanadayoshitune

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