ミツバチの国
ハザマ少年は記憶を辿る。
ぐらぐらと思考が安定しない頭で、冷たい床にころがる己の境遇を思い返す。
この床は、外界ほどではないがひどく冷たい――。
少し頭が冷えて見えてきた。ハナコとハニカムランドを脱出しようとした夜のことを。
サクラが手引きして安全を確保されたルートのある地点で、ハザマはハナコと待ち合わせていた。
ハザマはサクラから『彼』の技術をもらい受けるため、脱出の時刻ギリギリまでデータベースを漁った。
ハナコはハナコで準備があったようで、なのでハザマとハナコは一旦別行動し、落ち合ってから駆け落ちしようとサクラも間に入れて決めたのだ。
悲願だった『彼』の技術を手に入れ今後伴侶となるであろう女の元へ向かうハザマの足取りは軽かった。
外界の旅に慣れているハナコが共にいれば安全に故郷まで帰れる。故郷に帰れば、美しい少女を恋人にして凱旋したハザマを、
『彼』の技術を紐解けば必然共同体は豊かになるし、きっとハニカムランドの方法を流用して女を増すことだってできる。
ハニカムランドの少女たちを共同体に移住させるまでもない。
女が増え、子供をたくさん産ませ、そうして男女比が安定すれば女は権威を取り戻し、女たちが自分への感謝でむせびなくことは、ハザマには容易に想像できた。
そしてハザマは、ハザマの愛するハナコは、『彼』と彼の愛した少女ミライのように伝説的に共同体に受け継がれ、永久にその名を讃えられるのだ。
「ハナコ!」
息を切らせて、愛おしい少女の元へ走る。
「……ハザマさん?」
待ち合わせの場所は、あのカフェテラス。
深夜帯にも往来に人がひしめくハニカムランドで、そこだけはしんと静まり返っていた。
思い出深き無音の空間で、少女はぽつんと立っていた。
これからこの少女と始まる幸福の日々を想い、ハザマが喜びを隠し切れずに笑うと、少女もニコリと笑ったのだ。
「ハザマ様」
呼びかけられると、何者かが無造作に頬をはたいた。
乱暴に意識を覚醒されられたハザマの目の前には、きらびやかなドレスの裾と、数人の少女たちがいる。
「何寝てんの? 今女王サマのお言葉を賜ってるのよ?」
「シャンとしてよね~。女王サマの玉言を一句でももらしたら今度はみぞおち蹴るから~」
「無駄に肉が詰まってる身体……これが男性ってやつ? 手間かけさせないでほしいな、もう」
口々に悪態をつかれながら、ハザマは少女たちの手で固い椅子に座らされた。
五体が思うように動かないことに気づき、ハザマはゾッとした。凍傷の時よりもずっと肉体の状況が悪い。
しかしそれよりも、目の前の現実がハザマの心を吸いつける。
「女王……アンタが……」
よく見れば、ハザマが連れてこられた部屋の内装はハナコと街を巡っている最中にモニター越しに何度も、それはもう嫌というほど目の当たりにした玉座の間そのものであった。
であれば、玉座に堂々と、そして優雅に腰かける少女が、母なる女王。顔の造りはハザマを痛めつける少女とやはり同じであるが、他の少女とは比べようもない光り輝く豪奢なドレスとわざとらしい王冠をつけていることから、間違えようがなかった。
「女王サマに『アンタ』だってー!?」
「むちゃ不敬~。痛覚は残しててよかったわ~」
「アタシら女王親衛隊は鍛えてんだよ? ボコボコにしてあげるよ、君」
「カエデさん、リコさん、ヒマワリさん、言葉には気をつけなさい」
「はぁぁーい、ごめんなさい女王サマ――」
ハザマをゴミのような目で睨みつけていた少女たちは、一転ぱぁっと顔をほころばせて一斉に女王への謝罪を口にする。
その扱いの不遇さに頭が熱くなったが、それどころではなかった。
「なんで俺は動けないんだ? なんで俺はここに連れてこられた? なんで、どこだ、ハナ……」
女王は眉ひとつ動かさず、玉座からハザマを見下ろしている。
親衛隊を名乗る少女よりもよっぽど冷たく人を射抜くその視線は、ハザマを黙らせるには十分であった。
「ハザマ……」
己の名を呼ぶ声に、ハザマは他人のもののようにすら感じる首をぎこちなく動かす。
見れば、玉座の傍には縄で拘束された少女が真っ青な顔で唇を震わせていた。
他の少女と顔が同じなのですぐには気が付かなったが、ハザマを知っていることと、装いからしてもそれはサクラに違いなかった。
「サクラ、なぁ一体何が起きたんだ!?」
「ハザマ……ごめんなさい……私にもわからないの……」
ハザマはサクラの手引きで、ハニカムランドの技術を持ち帰り、ハナコと故郷で共に幸せに暮らすはずだった。
『彼』のように共同体の文明を発展させ、虐げられる女たちを救い、ハナコを隣においてついに『彼』すらなしえなかった共同体においての幸福な恋物語を成就させる。
それがどういうわけか、待ち合わせの場所にたどり着いた瞬間に気を失い、玉座の間へ罪人のように引っ立てられている。
故郷の英雄になるはずだったのに、あまりにも理解しがたい現実だった。
「あなたをここに呼んだのは、時が成ったからです。ハザマ様」
「時……?」
女王は静かに頷いた。
モニターの向こうにはあんなに笑顔を振りまいていた女王は、親衛隊と同じくハザマにはひたすら無愛想であった。
「かつて――ハニカムランドは」
女王は手を掲げ、見えない扉をこじあけるかのように宙を撫でる。
すると天井は一瞬外界の大雪を映したあと、一組の男女が歩く映像に切り替わった。
見知らぬ男と、ハニカムランドの住人と同じ顔をした可憐な少女――。
「天才的な頭脳を持つ『彼』と、その『彼』が愛してやまない少女のふたりによって築かれました」
「ああ、そんなことは俺の故郷の誰もが知ってるさ。故郷で許されない恋をしたふたりが手と手を取り合って旅立って――」
ハザマは言葉を切る。
自分が当たり前としてきた知識の中のふたりと、映像の中のふたりの様子が噛み合わなかった。
どう見ても、泣いて嫌がる少女を、男が無理矢理鎖でつないでひっぱっている――。
それは愛し合うふたりの逃避行というよりは、服従を拒否する家畜を無理矢理ならそうとする機械的な作業にも映った。
「これは……どういう……?」
あれが、憧れの存在であった『彼』と、その愛した少女の姿?
雪中をひたすら進む『彼』と、その反対の方向へ逃げようとするも力づくで引きずられていく、ハナコと同じ顔の少女。
それは、ハザマが幼い頃から見て見ぬふりをしてきた光景とよく似ていた。
共同体のごくありふれた光景――ある日前触れもなく、男たちの気まぐれで住処を荒らされ、身柄を連れ去られ、身体と心を『搾取』されてきた女たちが送る日常の一幕。
ハザマが、『彼』とその愛した少女のふたりの間にだけは存在しないと信じてきた地獄の中の、さらに冷たい地獄。
「これはハニカムランドの誰もが知っていること。あなたの故郷に伝わる話とは齟齬があるようですが」
「サクラ……このことを知っていたのか?」
サクラは顔を逸らし、唇を噛む。
「そんなのおかしいじゃないか」
ハザマは不自由な肉体のことを忘れて立ち上がろうとしたができず、そのうえ親衛隊の少女に拳をちらつかされてビクッと身を震わせることしかできなかった。
「そんな……そんなわけない……『彼』はすごい人で……俺の母や妹を奴隷みたいに扱った男たちがわが物顔でのさばる共同体で、たったひとりだけ美しい愛を成就させた人で……」
それまで常識としてきたことが、心の柱であった物語が、全く異なる真実を持っていたとして、それをどうして信じられる?
頭を内側からガンガンと叩かれるような痛みを感じ、こみあげるものをこらえるのに必死なハザマの心中を少しも察することはなく、女王は続ける。
「かつて……あなたの故郷に暮らした『彼』は、ミライという名の少女に恋をしました」
『恋している』少女を鎖で壁に繋ぎとめ、何かの作業に没頭する男。
『彼』の周囲には用途のわからない機械がひしめいており、太いケーブルがうごくめく蛇のごとくうねり、少女の元へと続いている。
「『彼』は、ふたつのことを願いました。ひとつは文明の滅したこの氷の大地に、自分とミライの子孫が永劫栄えるようにと。もうひとつは――」
映像からは音声が聞こえなかったが、少女が悲痛な悲鳴を上げていることくらいは理解できた。
ハニカムランドで暮らしたハザマは知っている、女王ミライは、『彼』の手によって何かしらの処置を施されていることを。
ゆえに、『彼』と少女の物語から長い時を経ても女王ミライは若々しい少女のままだし、ひとつの国を埋め尽くすほど子孫を増やしている。
そう、知っていた。ハニカムランドを巡って、それくらいの理解と知識は得ていた。
――ただ、それが一方的な愛情の押し付けの結果だとは、夢にも思わなかったので、映像を見る瞳がひどく渇いても目を逸らすことができなかった。
「この世で自分以外のどの男も、決してミライに触れることがないように、と」
映像の中の少女は、『ナニカ』をされた。
「『彼』は、ミライとふたりで凍土大陸のアダムとイヴになりたかった。相反するふたつの願いを叶えるため、『彼』はある生き物に目をつけたのです」
苦悶のあまり鎖をひきちぎらんばかりに暴れる少女を、『彼』は穏やかな眼差しで眺めていた。
そして、そこら中に涙と血をまきちらしながら助けを求める少女を、優しく抱きしめる。まるで聞き分けのない幼子をあやすかのように。
その光景のおぞましさに、ハザマは今にも意識が途絶えそうだ。
「い……きもの……?」
「その生き物の名前は、ミツバチ」
ミツバチ。
暗闇に意識が囚われないように、ハザマはなんとか頭を働かせる。
確か共同体の文献に、記載があった。
旧文明の世界に存在したらしい、春という、楽園の季節を象徴する昆虫の一種。
人類とは違い、たった一匹の女王蜂がコロニーを造り、およそ数万匹に及ぶ働き蜂を兵士として従え、運用して暮らす。
働き蜂はその全員が女王の血を分けた実の娘であり、女王は自身の国を死守するため生涯にわたって子孫を産み続け――。
そこまで知識を引っ張り出して、ハザマは青ざめた。
「『彼』の手により、ミライはミツバチの女王として力を得たのです」
同じ顔をした少女たちがひしめく、人の世にありえざる王国、
支配階級に存在する、たったひとりの女王の存在。
女王は、すべての少女たちの母。
『彼』が――誘拐、した、少女ミライ。
『彼』に、造り替えられた女王ミライ。
ハニカムランドという――コロニーの女王ミライ。
ハザマは今度こそ気を失いかけ、すかさず親衛隊に殴られて無理矢理覚醒させられた。
「ハザマ様、どうぞご心配なく」
映像の中の少女の目から光が失われた頃、女王はようやくハザマの顔色を見やった。
「ミライは今は苦しんでおりませんよ。ハザマ様はモニターから御覧になっていたでしょう。ミライの現在の姿を」
頬の痛みが救いになるほどの衝撃が脳を揺らす中、これまでさんざん耐えがたい事実を突きつけてきた女王の言葉があろうことかハザマの心をふっと楽にさせた。
そうだ。その通り。
女王の言う通りだ。
ハナコと共にハニカムランド中を歩いて、ハザマはその光景を嫌というほど目の当たりにしたのだ。
街に点在する大小さまざまなモニターから笑顔を振りまき、手を振る女王を、ハザマは確かに見た。
「あ……はは、はは」
乾いた笑い声が喉の奥から漏れた。
よかった、よかった、俺が信じてきたおとぎ話は間違ってなどいなかった。
過去には、紛れもなく『搾取』があったのかもしれない。それは、ハザマが敬遠し続け、なんとかしようとあがいてきた光景そのものだったのかもしれない。
『彼』のやり方の是非は、一旦置いておこう。とにかく『彼』は、長い時間の果てで自分の恋い焦がれた少女との間に、本物の愛を作り上げてみせたのだ。
それは、女王ミライのあの笑顔が証明しているのだ。女王だって、そう言っているに違いない。
「ハニカムランドにあまねく満ちて、幸福に暮らすミライの娘たち。これは『彼』が与えたもの。『彼』がもたらした知識と技術の数々で、我らはこの氷の星でいまだ生きていけるのです」
「そう……そうだよな! やっぱり『彼』は正しいんだ!」
「ハニカムランドには何もかもがある。それは『彼』の成果でしょう」
『彼』と少女ミライの真実を知ったその瞬間は、人生をまるごと否定されたも同然だった。
だから、事実の奥にあるハッピーエンドの存在は、ハザマを脱力させるには十分であった。
閑話休題。どうして自分がここに呼ばれたのか話を戻そうとハザマが口を開こうとしたその時――。
「そんなの嘘よ!!!」
それまで黙って様子を見守っていたサクラが、裏返る声で叫んだ。
「サクラさん、女王の御前です。どうぞお気を鎮めて……」
「お黙りレンゲ! ハニカムランドには何でもあるですって? ハニカムランドには、何ひとつ、何ひとつないじゃない!! あなたはそれをよく知っているはずでしょう!?」
側に立つ少女に拘束を強められながら、それでもサクラは女王を涙の溜まった目で見つめる。
ハザマは違和感を覚えた。
サクラのその眼差しに、どこか見覚えがあった気がしたのだ。
「どういうことなんだ……サクラは何を言っている……?」
ハニカムランドには何ひとつない。
そんなはずがない。本当に『何ひとつない』環境で暮らしてきたハザマから見たハニカムランドは、恵まれすぎているほど恵まれている国だ。
特に食料。ハニカムランドは街で行き交う住人すべての血色が良い。
供給源こそ謎ではあるが――。
「問題ありません。ハニカムランドではこれからも今までと変わらず、物資、食料、衣服、なにもかもが十分に蓄えられます。それがハニカムランドを愛する者の務めです」
「でも……ああっ……うっ……」
サクラは何かを言おうとして、何度も口を開き、その度に嗚咽を漏らすのみだった。
そして最後には、「どうしてこんなことに……」と嘆き、涙をぽろぽろ床に落とすことしかできなくなった。
果てしなさすら感じる広い部屋に、しばらくサクラのすすり泣く声がこだまする。
その様子をしばらく眺めていた女王は、おもむろに口を開いた。
「……ところでハザマ様。あなたの口にした『献身』のお味はいかがでしたか?」
「……『献身』? それがどうしたと言うんだ」
「一週間ほど前、スミレさんとユリさんが『献身』を果たしたのです。その一部をあなたは口にしていたので、その感想を伺おうかと思ったのです」
女王の言わんとしていることの意味がわからず、ハザマは眉根を寄せる。
『献身』という単語は、間違いなくハニカムランドで耳にした。
そう、今女王が名前を挙げたスミレとユリが口にしていた言葉だ。
「うわ、こいつ『献身』知らないのー!?」
「マジマジにサイテ~。スミちゃんとユリちゃんかわいそ~」
「信じらんないね。お前が『献身』すっか? お?」
親衛隊の面々がハザマを囲んで口々に罵り始める。
俺はそんなに罪深いこと言っただろうか? どうしてこんなにまで責め立てらなくてはいけないんだ?
そういえば、ハナコも『献身』の日が近いと言っていた気がする。ハニカムランドの脱出を決めなければ、ハナコも『献身』を迎えていたのだろうか――ハザマは甲高い声で心をぐさぐさと刺されながら思い返していた。
「カエデさん、リコさん、ヒマワリさん」
「てへへっごめんなさい女王サマーー」
陽気に舌を見せて謝る親衛隊に対して文句を言う度胸は、満身創痍のハザマにはなかった。
「ハニカムランドのあまねく『モノ』は、『献身』によって得られます。食料も同様です」
『献身』の日が近いと言っていたハナコは――。
休まることなく雪の吹き続ける外界に、危険を顧みず挑み続けていた。それが自身の任務であるからと。
ゆえに、ハザマは『献身』という言葉の意味は、ハニカムランドの労働者階級にある少女たちの滅私奉公頭であると、頭の片隅でなんとなく解釈をしていたのだが――。
回転が遅くなるばかりの頭を必死に働かせるハザマを見下ろし、女王は言う。
「『彼』の能力は加工技術においても発揮されているということです。どんな食肉であれ、栄養価も味も保証された食料にできるので、女王の存在がある以上ハニカムランドはこの氷の大地で半永久的に食料事情に陥ることはありません」
「なぁ……サクラ、どういうことだ? 女王は俺に何を伝えたいんだ」
サクラは下を向いて何も言わなかった。
親衛隊に尋ねる勇気は当然ない。玉座の間において、いやハニカムランドの中で、今のハザマはひとりだった。
ハザマは、急にハナコが恋しくなって胸が切なくなった。
運命の少女たるハナコは、今頃どうしているだろうか。どうしてハナコと出会った瞬間、自分は女王の元へ引っ立てられたのだろうか。
ハナコは、無事であるだろうか………………。
そんな場合ではないのに、ハザマの記憶から、ハニカムランドでハナコと過ごしたひと月の思い出が染み出して、疲弊しきった脳を染めた。
ふたりでよく赴いた、明るく清潔なカフェテラス。
メニューはいくらでもあるのに、ハナコはサクラの言いつけだからと味のない
ハザマは最後までハナコのその行動が理解できず、ハニカムランドの住人のフリをして、どこから供給されているのか不明な、しかし溢れるほどある食べ物を思う存分口にした。
給仕のネムに運ばせるのは、いつも血の滴るステーキだ。肉は、今やこの世界で金や宝石よりも価値のある超高級品。
なにせ、文明の消失とともに家畜を育て食肉に加工する技術も世界から失われたので、今世間に流通している肉は幸運にも旧文明の遺産を掘り起こすことに成功し、家畜産業を細々営んでいる一部の団体のみである。
でも、ハニカムランドに牛や豚はいない。鳥も、虫すらいない。生き物の類は、一切いない。
ハニカムランドにいる生き物は、女王ミライの娘たちだけである。
『献身』。
「な……なぁ女王……スミレとユリは『献身』したって言ってたよな……?」
点と点が線になろうとしている。
しかし頭がそれを全力で拒否し、現実から遠ざけようとしている。
だって――だってそれでは――。
ハナコは――今頃――。
「うわーーっ」
「こいつ吐いた! 最低~!」
「アタシらの姉妹の『献身』で飯食ってたって言うのに、よくそんなことできるな!」
至近距離で遠慮なく暴言を吐く親衛隊の言葉が、ひどく遠くに聞こえた。
ハザマは胃の中身を全て体外へと排出していく。
そうでもしないと今にも気が狂ってしまいそうだった。
そんなことをしてもとっくに手遅れであることは、ハザマは嫌というほど理解している。
本当は理解などしたくなかった。けれども、こればかりは、どうしたって受け入れがたい――。
「ハナコ……」
ハザマは、ハナコの姉妹の『献身』によりできた己の肉体を、とても重たく感じながら――ちいさくつぶやいた。
「はい、ハザマ様」
「ハナコも……なのか?」
「?」
ハザマは『献身』の意味を、知ってしまった。
知ってしまったから、ハニカムランドの仕組みに、少しだけ納得がいった。
サクラが言っていた。この時代においてハニカムランドが栄えることができるのは、人的リソースのおかげであると。
ハザマは、当初はその言葉を、少女達による惜しみない労働力の補給ができるという意味だと解釈していた。
その解釈は間違ってはいない――間違ってはいないが、ハニカムランドの少女たちは、常軌を逸した、ありえざる方法で国へと『献身』していたのだ。
ハニカムランドの食料事情は、決して貧しくなることはないだろう。
それは『彼』というひとりの天才の手によって造り替えられた少女から女王蜂になったミライによって、いくらでも『食料』を生み出すことができるから――。
ハナコは、『献身』の日が近い。そう聞かされていた。
サクラが、愛する妹をハニカムランドという異常から逃がしたかった意味を初めて細部まで知ったハザマは、空っぽの胃からまたこみあげてくるものを感じた。
「女王ミライよ、アンタは……俺のハナコも、肉にして食っちまう気なのか?」
駆け落ちの待ち合わせ場所でハナコと交わした会話が、まさか最後のものになるとは思わなかった。
こんなことになるなら、もっと早く行動を起こせばよかったのだ。
ひと月などと言わずにもっと早く決断して、ハナコを故郷に連れ帰り――。
「ハザマ……何を言っているの?」
そう言ったのは、サクラだった。
顔を上げ、涙に濡れた顔で大きく目を見開き、ハザマを凝視している。
ハナコが目の前にいる以外は冷静沈着であるサクラの、初めて見る表情だった。
「何って……」
「本気で言っているの? この状況でふざけてるわけじゃないわよね?」
サクラの声に、段々と怒気がはらんできている。
どうも、ハザマの発言が見当違いであることに怒っているようだ。
ハザマは混乱した。
四面楚歌の中で、周りは敵だらけの中で、なんとか導き出した理解が、間違っているというのだろうか。
否。さすがにそれはないと思った。ハザマは共同体の中でも特に賢さに自負があったので、自分が筋違いな発言などするわけないという自信もあった。
では、現在進行形で恐ろしい形相になっていくサクラは、何を指摘しているのだろうか。
わずかな沈黙の間に考え抜いたハザマは、自分の頬が綻ぶのを感じる。
ひょっとしたら、ハナコはまだ『献身』には至ってないのでは?
そうだ、そうに違いない。スミレやユリと違って、ハナコが加工されたという明言は誰もしていない。早合点だ。
身も心も疲弊したハザマの胸に、爽やかな風が吹いた。
「じゃ、じゃあハナコは食べられてなんて――」
「そこにいるじゃない」
サクラは短く冷たく言った。
「え?」
「ハナコなら、ずっとあなたの目の前にいるじゃない」
サクラは、はっきりと嫌悪を示していた。
ハザマは、目の前を見た。
そこにいるのは、玉座に悠然と座す女王の姿。
労働者階級の少女たちと違い、サクラのように繊細な造りのドレスに身を包み、権力を誇示する王冠をいただいた、ハニカムランドにたったひとりしかいない女王の姿。
玉座の間にいるのは、女王と、サクラと、サクラを拘束する少女と、そして親衛隊の三人組だけだ。
ハナコの顔なんて、どこを見渡してもいない――。
「お姉様、そんな顔をなさらないで」
そう言ったのは、女王だった。
感情のこもらない声で、女王はそう言った。
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