時は成った
「ハナコと一緒にハニカムランドを出たいですってぇ……?」
ハニカムランドは人工太陽が定められた時間の通りに昇り、そして沈んでいく。
しかし深夜でも建物という建物に灯りがつき、昼とは違った妖しい輝きでハニカムランドの夜は満ちる。
管理者サクラに割り当てられた住居は、特殊な鏡化ガラスで作成された窓兼壁で囲われており、高層にあることも相まってハニカムランドの夜景を一望できた。
ハナコは夜間帯を睡眠に割り当てており、ハナコの管理者であるサクラもこれから就寝のはずだった。多忙を極めるこの女を捕まえるには、こうでもしなければいけないのだ。
「ああ。アンタがハナコを特別かわいがっているのはわかっている。けど俺は」
肌の透ける寝巻をまとうサクラは官能的に違いなかったが、脚の高い椅子に悠然と腰かけ、片目だけひきつらせて他者を見下すその様は、凄まじい威圧感だった。
女に対して初めて下等な立場に立たされたハザマは、背中にじっとりと嫌な汗をかく。
今だけだ、耐えるのは今だけだと自分をなんとか鼓舞し、せわしなく脚を組み替えるサクラにハザマは申し出た。
「俺はハナコを好いている、ハナコもそうだと言った。だからどうか、俺達のことを……」
「いいわよ」
「えっ?」
「ハナコを連れてハニカムランドを出なさい。その為の手筈は整えてあげる。ただし、二度とこの国に戻ってくるのではないわよ」
「えっ、えっ?」
サクラは何かしらの機械を操作し、椅子の高さを下げる。
ようやく同じ目線になったサクラに、ハザマは困惑しかできなかった。
ハニカムランドを脱出するには、この国の構造に詳しいサクラの力が必要不可欠だ。だから下げたくない頭を必死に下げに来たし、説得は一朝一夕ではいかないと思い込んでいた。
なのに、この即答。ハザマにいい感情を抱いていないであろうし、その上特別な妹まで連れ去ろうとしている相手に、この厚遇。
こんがらがる頭が、ハザマから言葉を奪っていた。
そんなハザマを見て、サクラは口の端を釣り上げて笑う。
「意味不明と言った様子ね」
声は愉快そうな反面、目は笑っていない。サクラの考えていることがわからない。
「……ねぇ、ハザマ。あなたの目で見たハニカムランドはどんな国だった?」
突然飛んだ話に、混乱するハザマはつい素直に応えてしまった。
「……満たされて、楽園のような国だと思うが?」
サクラは深くため息をついて小さく首を横に振った。
「わかっていたことだけど、あなたはそんなに……まぁいいわ。教えてあげる。あのね、ハニカムランドはあなたが想像するような素敵な場所ではないのよ」
サクラは宙に浮かんだモニターを操作して、ハザマの目の前に椅子を取り出す。
ハザマは少し訝しんだが、サクラが無言で促すので大人しく腰掛けた。
「ハニカムランドは『彼』の技術力の産物である文明王国――だけど、ひとりの天才のテクノロジーだけで古代文明の失われたこの世界で生きていくことはできない。もうひと柱の、大きな資源がある」
サクラは窓の役割を果たす壁を差した。
ライトアップされて夜でも休むことなく街を見下ろす虫のオブジェと、彼に見下ろされ喧騒を形作る少女たち。
街の様相は変わったが、世をにぎわすその様子は日中と大差なかった。
「その正体は――この国に無限にある人的リソース」
「人的……」
人、と言えば、ハニカムランドには一種類しかいない。
「『彼』が女王ミライを造り替えたおかげで、姉妹たちは毎日平均1,673人誕生しているわ。ハニカムランドを楽園たらしめているのは、私たちなの」
ハザマはかわいた唇を舌で湿らせ、膝に置いた指をせわしなく揺らす。
サクラの言いたいことが、うっすらと見えてきてしまった。
それは、ハニカムランドで過ごすうちに、少女たちの在り方としてひょっとしたら、と可能性レベルで考えていたことではあった。
ただ――いかに『彼』の技術力があったとしても絵空事としか思えなかったし、それに――。
1,673人、の正体を訪ねようとして、ハザマは口を噤んだ。
いくら何でも、そんなことはありえない。今はそんな場合ではない、と。
「ハニカムランドの住人は全員、身を粉にして働いている。環境設備を保守するためにドームの外界へ出てメンテナンスを行うし、荷物の輸送のために一昼夜車を走らせる。そして食糧を生産する為に肉を調達もする――。おかげで私達の大半は、大人にはなる前に命が尽き果てる」
「で、でも街ではそんな様子は――」
「そんな様子を見ていない、というならばハザマはずいぶん観察力がないのだわ」
「でも、みんな楽しそうだったぞ!?」
そうだ。ハナコと街を巡っている間、ハザマの目に映ったハニカムランドの様子は、故郷の女達とは比べるべくもない晴れやかなものだった。
姉妹と手を繋いでおしゃべりに興じ、女王の一日のあいさつをモニター越しに眺めては歌をうたう。だからハザマは、この国は命の危機を感じずとも呑気に生きていける――。
ハザマはそのように解釈していた。そうとしか思えなかった。
サクラのこめがみがピクピクと震えていた。
「ハナコの外界任務、見たでしょう? あの国外調査の為に、多くの姉妹が犠牲になってきたわ。外界任務っていうのはね、本来は生きて帰る望みの薄い特殊任務なのよ」
ハザマは、初めてハナコと出会った瞬間を思い出す。
「ハナコが……? そんな危険なことをしていたのか……?」
「もちろん止めたわよ。でもあの子はなんていうか……色々と変わってるのよね、本当に。なんでかちいさい頃から知識的欲求が高くて、いろいろ知りたがるし、見たがるの」
ハザマと過ごしているひと月の間にも、ハナコは任務を常に忠実にこなしていた。
いつも涼しい顔で極寒の世界に向かい、戻ってきて、ルーチンのようにハザマの後をついてくる。
任務の内容は極秘だと言って教えてもらったことがなかったが、まさかそこまで過酷なものだとは想像すらしていなかった。
ハザマは口をなんとか「どうして、なんで」と掠れた声でようやく絞り出した。
「それも全ては、女王ミライのため」
サクラは優雅に宙を撫でると、ハザマの目の前にヴンッと耳障りな音を立ててモニターが現れた。
電子の輝きの中にいるのは、街で散々見かけた女の姿。ハナコやサクラと同じ顔をした、しかし一段高い場所にいる全ての母。
「私達はね、生まれたときからこの御方を愛しているの」
サクラは胸元を押えた。繊細な生地で仕上がった寝巻に痛々しい皺が現れる。
「それは抗いがたい感情よ。本能と言っていいわ。私達は女王様の為なら何だってしたい、命すら惜しくないって心から思うのよ」
かつてハザマの共同体で暮らした生けるおとぎ話の住人、『彼』の愛した少女ミライは、『彼』の中にある数多の技術によって女王へと造り替えられた。
女王ミライの子供たちもまた、『彼』の作為が肉体に現れているのかもしれない。
「……ねぇ。わかるでしょう。このままだとかわいいハナコはそう遠くない日に『献身』してしまうわ。女王様の為、ハニカムランドの為に生きる糧となってしまうのよ」
サクラはハザマの手に自分の手を重ねた。
ハナコと違い、すべすべとした手入れの行き届いた手だ。管理者という上級職に就くサクラは、他の少女たちと比べてどう見ても良い暮らしぶりをしている。
「あなたが欲しがっていた技術も、私の権限の及ぶ範囲で提供するから……」
こんなサクラでさえ、たった一人の妹を逃がし、護るには身分も力も足りないのだ。だから、外界の放浪者に頼らざるを得ない。
ハザマは自身が目の前の女に救われた意味を悟り、頷いた。
それは単純な、利害の一致だった。
安全な脱出ルートを用意してもらって、そもそもこの国に来た目的である『彼』の技術を手に入れて、その上、『彼』のような恋物語の相手になるかもしれない少女と出会えて――。
ハニカムランドの暗部に驚きはしたものの、願ったり叶ったりの状況に事が運んだことでハザマの胸には安堵が膨らみ始めていた。
頷き返したサクラは、無線でハナコを呼び出す。
間もなく画一的な就寝着を着たハナコが部屋に現れ、サクラは妹のことを力いっぱい抱きしめた。
「わかってるわね、ハナコ。あなたはこのままでは……」
「はい。お姉様」
今生の別れを惜しむ姉に対し、ハナコはあくまでも淡々と答えた。
「ハナコはハザマ様と一緒になります」
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