ハニカムランドのミライ
「なぁハナコ、何を食べているんだ?」
中央通り沿いに面した広々としたカフェテラスで、客が思い思いに食事を楽しんでいる。
「
「せっかくだから俺や周りの連中みたいに何か注文すればいいじゃないか。対価は取られないんだろう? それ、俺の故郷でも手に入るような粗末な飯だぜ」
「お姉様がこれは『特別なご飯』だって」
「オネエサマって言ったって……」
ハザマはフードを目深に被って顔を隠す。
どこを見渡しても同じ顔。同じような装い。同じような、とにかくわたしは幸せでたまらないといった表情。
ハニカムランドの中で唯一違う顔をしているハザマは万が一にでも正体を悟られてはいけないので、小声でハナコに話しかけた。
「ハニカムランドの住人は、女王ミライ以外は全員姉妹なんだろう?」
ハナコは石より固い携帯食をうんうんと汗をかきながら食べている。
「はい。我らは皆、女王ミライから産まれた姉妹です」
事も無げに言うハナコだったが、その発言はどうあってもホモサピエンスの生態とは大きくかけ離れていた。
第一、『彼』がミライと駆け落ちしたのはもう何十年も前の話だ。たったそれだけの年月で国を埋め尽くすほどの子孫を『産む』ことは不可能である。
それに――。
ハザマはちらっと視線を斜め上に向ける。
『モニター』と呼ばれているらしい一種の出力装置のような四角の周りを、ハナコの姉妹達が黄色い声を上げて取り囲んでいる。
モニターに映されるのは、ここではない、どこかの様子だ。
そこは玉座の間なのだという。光り輝く王冠をいただき、ハナコの姉妹達を侍らせる、またしてもハナコと同じ顔をした愛らしい笑顔の少女――。
「じゃあ、サクラ以外にだって姉はたくさんいるじゃないか。何でサクラの言うことを馬鹿正直にきくんだ?」
「ごきげんようハナコさん。恥ずかしがり屋の姉妹……ハザマさんでしたか? ハザマさんのご注文のお品ですよ」
「ありがとうございますネムさん」
例えば今ハザマの食事を運んできたカフェの給仕であるこのネムだって、ハナコの姉か妹のはずだ。
ハザマはハナコにのみ一礼して去っていくネムに少し苛立ちながら、皿の上にあるこんがりと焼かれた肉の香ばしさにすぐに心奪われ、休みなく口に放り込んでは頬張る。
この世でただ食事にありつけるだけでも望外な喜びだというのに、貴重な肉料理を惜しみなく提供してくれるハニカムランドは、爪に火を灯すような生活をしてきたハザマには楽園と以外形容のしようがなかった。
だからこそ、である。栄養価も味も食の楽しみも保証されたこのご馳走にありつける自由の中で、ただ生存するためだけに製造された食糧を愛妹に施すサクラの意図がわからなかった。
「以前のお姉様は女王様の食事係でした。お姉様の元に子供だった私が派遣されたその日から、お姉様は私にだけ『お姉様』と呼称するよう命令なさいました」
答えになっているようで、謎は深まるばかりである。
ハザマは首を横に振る。
ハナコという少女への理解は、どうにも難しい。
初対面の印象から変わった子だと思っていたが、ハナコは他のハニカムランドの住人と比較してもなお変わっている。ニコリとも笑わないし、こんなに満たされた国にいながら何が楽しくて生きているのかちっともわからない。
だからこそ、他の少女との違いが際立っているのだが。
「…………ところで、ずっと気になっていたんだが」
ひと月。
万事休すであったハザマ少年がサクラとハナコの姉妹に救助され、ひと月が経とうとしていた。
衰弱しきっていた肉体は少しずつ回復を始め、どうにか歩けるようになるまでにはなっていた。
自由が利くようになり、ハザマが最初に行ったことは、ハニカムランドの調査であった。
ハザマがどれだけ懇願しても、サクラは『彼』が無からこの国を発展させた技術のひとかけらも分けてはくれない。
ならば目で見て盗むしかない。旧文明の大半が失われた世界で、ハザマはこれまで数少ない知識の片りんを漁って学を身に着けてきたのだ。ハニカムランドのことを知れば、故郷の共同体に渡せるものをきっと見つけられる。
サクラは、拍子抜けするほどのあっさりと探索の許可を出した。
ただし
「ハナコを必ず同伴させること」
と、いう命令付きだったが。
おそらく見張りのつもりだろう。が、ハナコはハザマの行動を一切制限しないので、ますますわけがわからない。
「この国に男はいないのか?」
ハナコは携帯食をかじる手を止め、ようやくまんまるの瞳でハザマを見た。
わからないなら、わからないなりに調べるしかないのである。
「オトコ?」
「ああ、例えばハニカムランドを造った『彼』。この人は男だ。お前とは違う」
ハナコは首をかしげる。長いまつ毛に縁どられた瞼が、ぱちぱち何度も瞬いていた。
「ハニカムランドには女性しかいませんよ」
「そんなわけないだろう……?」
人間という生命が栄え、増えるにあたって、絶対に避けられない条件がある。
それは、男と女が番になること。
ハナコにも、サクラにも、そしてハニカムランドの果てまで栄えるその姉妹たちにも、父がいるはずで、そして母――。
すなわち、ミライと呼ばれる、この国の女王がいる。
ハザマは、うっとりと手を合わせ歌を口ずさむ少女たちの方に視線をやり、さらに彼女らの視線の先の、モニターの中で優雅に手を振る少女を見た。
彼女こそが、ミライ。『彼』と共にハニカムランドの礎となった、おとぎ話の中から出でた、紛れもないハザマの生きる現実の延長線上に確かに存在する夢幻。
不可能を、『彼』によって可能とされた、ただ人ならざる人。
「少なくとも、この国には『彼』がいるんじゃないか?」
ミライが生きて、しかも数十年以上少女の姿を保ってこの国にいるのならば、当然『彼』も、この国のどこかで、この国の豊かなさまを見下ろしているのだろう。
夢幻の出来事をことごとく現実に映し出してく『彼』の技術の数々――。
全てのカラクリは、『彼』が生み出したそれらの存在がなければ説明がつかない。
「ええ。『彼』はいます」
「そら見たことか。やっぱり男はいるんじゃないか」
「いいえ。ハニカムランドには女性しかいません」
「お前が会ったことないだけじゃないか? 女王の夫ならば相当地位も高いだろうし。それに――」
「ああー、ハナコじゃなあーい」
話題の進行の仕方を真剣に検討しながらなんとかハナコの言葉からヒントを探ろうとしていたハザマの耳に、緊張感のない声が届いた。
「はわわホント~だ~。ハナちゃんだ~」
今までモニターの向こうで女王に祈りを捧げていた少女たちの中から二人が、踊るような足取りで近寄ってきてハナコの両脇を位置取る。
ハザマは慌てて顔を隠し、縮こまった。
「スミレさん、ユリさん」
「久しぶりーー最近この辺りで会わなかったから嬉しいわー」
「スミちゃ~ん、ハナちゃんは外界任務が多いから仕方ないよ~。女王サマがジキジキに指揮をお取りになっている作戦だからちょちょシフトちゃんがきつめ~」
ハザマはフードの内側に届く、スミレとユリと呼ばれた二人のくぐもった声に耳をそばだてる。
幸いといっていいのか、スミレもユリもハナコにと会話するのに夢中で、雑な変装しかしていないハザマには目もくれない。それはそれで、ハザマはやや胸がむかむかした。
「でも、今ハナちゃんに会えてよかった~」
「どうしてですかスミレさん?」
「あたしもユリちゃんもうすぐ『献身』の時が来るのよー。ハナコもでしょー?」
「そ~そ~リスト見たときめちゃ嬉ぴぴぴ~だった~ハナちゃんと同じタイミングじゃ~んって」
「……ああ」
ハナコの、間の抜けた声が聞こえた。
「……言われてみれば。もうすぐだと管理者サクラが言っていました」
きゃっきゃっと笑う声が重なる。無垢さを内包した笑いだけは、ハザマにも心地よく聞こえた。
「ハナちゃーん、大事なおつとめなのに鈍感よー」
「で~も~、ハナちゃんのそういうところ好き~ちゅき~」
「あたしもーサクラさんが寵愛すんのもわかるぅーー」
それからスミレと、ユリと、そしてハナコは、しばらくとりとめのない話に花を咲かせていた。
と言っても、スミレとユリの二人組が一方的に、そして代わる代わるハナコに話しかけるばかりで、ハナコは聞かれたことに端的に返答するだけだった。
やがて満足したのか、スミレとユリは別れの挨拶をして去っていく。しばらくして携帯食をかじる音が再開されて、ハザマはようやく重苦しいフードをずらした。
「……お前、なんか変なモンでも食ってんのか?」
「? 携帯食が主食です」
「……いや、何でもない」
ハナコは常に張り付けたかのような無表情だが、不思議と人を惹きつけるらしく街を行けばこうしてよく姉妹たちから声を掛けられた。
ハザマとて男の身なので、見目麗しいハナコと多く行動を共にして胸がざわつかないわけではない。
しかしサクラといい、あのふわふわした二人組といい、一体あの少女たちの何がハナコに魅せられているのかは理解不能も甚だしかった。
「まったく、俺の故郷じゃ女は少なくて男があぶれてるっていうのに……」
「オトコの比率が女性より高いと、どうなるのですか?」
「子供があまり生まれなくなって、いずれ
ハザマは天空を見上げる。
ハニカムランドを覆う半円のドームは、嵐の如き大雪から住人を守り、暖を逃さないようにしてくれる。あの透明の壁の向こうには白き地獄があり、地獄を抜けた先にハザマの生まれ育った故郷がある。
常春のハニカムランドで、寝食が満たされ、きらびやかで美しい少女たちに囲まれていると、つい故郷を出たときの決意を忘れそうになる瞬間があり、その度にハザマは臓腑が冷えた。
「なぁハナコよ、お前の姉さんは俺に素気ないが……」
もうひと月経った。ひと月、ハザマは故郷を置いてけぼりにしている。
「俺の共同体は、男は女を人並みに扱いやしない。男の方が数が多いからって、そんなくだらない理由でだ。嘆かわしいとは思わないか? ハニカムランドから移民でも募りたいくらいだよ」
ハザマなりにハニカムランドを周り、情報を探って回ったが、最近は限界を感じ始めている。
このひと月で得られたものといえば、そう――。
「ハザマ様……」
ハザマは、ハナコの手を両手で包み込んだ。
ひと月見続けてきた手は、過酷な任務に従事しているせいで他の姉妹と違って少しかさついているのだと、ハザマは知っていた。
「それでも俺は故郷を救いたい。かつて故郷に幸福をもたらした『彼』と、女王ミライのような関係になりたい」
ハナコの瞳の奥を、ハザマは見据えた。
透明な輝きがどこまでも続いている。
「協力してくれないか? 協力してくれたら、俺はお前の為になんだってしてみせる」
「……私は……」
ハナコはハザマに握られた手を微動だにさせず、しばらく黙り込む。
短い沈黙のあと、少し深めに呼吸してから口を開いた。
「子供のときから――初めてお姉様に出会ってご飯をもらった日から、私は考えていました。私は他の姉妹とは違う、もっと――たくさんを学び、知る必要がある。だから外界任務を志望しました」
それまで、ハナコがハザマに開示してこなかった、まだ見ぬ感情。まだ見ぬ想い。
それは、ハニカムランドでハナコと過ごした日々がこじあけた未知の領域だと、ハザマは確信していた。
「よく考えるのです。私たちは、もっと広い世界を見る必要があるのではないかと――」
ハザマがひと月のハニカムランドで得た唯一ものは、この気難しい少女との、目に見えない特別なつながりだ。
なんとなく、なんとなくだが、きっとハナコとこのキモチで結びついているのは、自分の感情の発するもののみであると――そう、ハザマは感じたのだ。
「ハザマ様は、それを見せてくださるのですか?」
ハザマはうなずく。
ハナコの瞳に、光が差したように見えた。
故郷において、『彼』と、『彼』の愛した少女との恋には大きな障害があったという。その末の駆け落ちだ。
『彼』も――。
きっと、今の自分と同じ気持ちだったのだろうなと――。ハザマは在りし日の恋物語に想いを馳せた。
「ハナコ」
ハザマの瞼の裏に、凍り付いた故郷と、死んだ目で働く住人達の姿が浮かぶ。
しかしその寂しい光景の中に、雲の隙間から差した日の光を背に受けながら最愛の人と手を取り合って凱旋する自分自身が現れ――。
「どうか、俺と一緒になって――一俺の故郷へ帰ってほしい」
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