第09話 ブルーアワー

 風月丸は父の背中で揺られていた。

 いや、そんな記憶は持ち合わせていないから、これはきっと何かの間違いだろう。

 そんなまどろみの中で、風月丸はゆっくりと目を開ける。

 遠く東の夜空は白み始めていて、夜明けが近いことをうかがわせた。

 風月丸はぼんやりと空を見つめていた。何かやるべきことがあったような気がするが、記憶が混濁してはっきりとしない。全身の力が抜けたまま、心地よい揺れに身を任せる。

「死体を背負っているつもりだったが……目を覚ましたか」

 飄々とした男の声が聞こえた。どこかで聞き覚えのある声だ。

 記憶をたぐり寄せていくと、ある一人の人物に思いあたった。

 私立探偵・千賀俊作。

 風月丸はその千賀に背負われて山を下りているのだ。

「どうして……あんたがここに?」

「おいおい、俺は探偵だぜ。事件の匂いがすれば、どこにだって現れるさ」

「冗談を聞きたいんじゃない」

「フッ、お前さんの学校の担任に聞いたんだよ。今夜、カミヤムネで一波乱起こるってな――一波乱どころか、大波乱って感じだったけどな」

 そういうことか。全く……姫野先生にも困ったものだ。

 あの人は状況を楽しんでいるだけじゃないのか?

 それにしても、千賀がカミヤムネを訪れていたとは予想外だった。

「あんた、まさか俺と五郎の後をつけていたのか……?」

「ああ。お前さんが亡霊人や麒族をバンバン倒してくれたからな。堂々とその後を上ってやったぜ」

 あきれた物言いだ。

 しかしよくぞ麒族の餌食にならなかったものだと感心する。

 それとも尾行テクニックの中に、そういったノウハウも含まれているのだろうか?

「ところでお前の担任な、姫野と言ったか――ありゃ相当なクセ者だぜ。探偵稼業二〇年の俺が言うんだから間違いない。綺麗な薔薇にはトゲがあるってな。お前さんもせいぜい気を付けるこった」

「彼女の本質に気付くとは、本当に探偵稼業は伊達じゃないんだな」

「あん?」

「いや、何でもない――もう大丈夫だ。歩けるから下ろしてくれ」

「そうかい。そりゃ助かる。俺はもう膝がガクガク言って困ってたところだ」

 風月丸は千賀の背中から降りた。足もとはしっかりしている。どうやら、餓鸞童子の呪詛は、彼の死によって消滅したらしい。

 千賀は風月丸の身体をまじまじと見つめた。

「さすがにすごい生命力だな。奴の毒を食らっても生きてるなんてよ」

「毒? どうして知ってるんだ?」

 風月丸でさえ知らなかった餓鸞童子の呪詛。

 いくら探偵とは言え、一般人である千賀がそこまで知っているのは解せないものがあった。

「どうしても何も――」

 そう言うと千賀はポケットから煙草を一本取り出すと一〇〇円ライターで火をつける。

 ゆったりと紫煙をくゆらせながら、千賀は再び口を開いた。

「嫁さんを殺されたと言ったろ? 俺の場合は「奴」の呪詛ってのにな……」

 千賀は煙草を深く吸った。煙草の先端が赤く輝いて一気に短くなる。

「でもよ、しばらくしたら帰ってきたんだよ、嫁さんが。死んだはずの嫁さんがよ」

「それは――」

「ああ、今なら分かるぜ――亡霊人だって言うんだろ? いや、その時も何となく分かっちゃいたさ。だけどな、嫁さんと同じ姿形をしてるそいつをお前さんに割られたとき、そのときになって初めて、ああ、嫁さんは死んだんだなと、はっきり思ったもんさ」

 風月丸が金属バットで割り続けた亡霊人たち。

 そのどれか一柱が千賀の妻を模したものだったのだ。

 風月丸は思い出そうとしてみるが、どうしても無理だった。

 この七年の間に何柱の亡霊人を割ってきたのか、風月丸自身もその数を覚えてはいないからだ。風月丸にとって、亡霊人は麒族が操る単なる傀儡に過ぎない。だがそれだけでは片付けられない気持ちが風月丸にも芽生えた。

「そうか……済まなかった」

「なんで謝る? お前が割ったのは亡霊人だ。俺が抱いていた憎しみは単なる逆恨みなんだぜ?」

「しかし、俺たちが少しでも早く「奴」を倒していれば」

「よせよ。もう七年も前の話だ。それにお前さんたちは何世代にもわたる死闘を演じてきたんだろ? 俺の嫁さんも報われたさ」

 風月丸は黙って頭を垂れた。

 それを千賀は気まずそうに「そうそう、お前のダチ二人な。麓で待ってるってよ――早く行ってやんな。俺はもう一本吸っていくから」と言った。

 風月丸はもう一度頭を下げると、登山道を千賀より先に下り始める。

 千賀は、その後ろ姿を見送りながら次の煙草に火をつけた。

「まぁ、お互いに因果な商売やってるよな……」


        × × ×


 カミヤムネへの入り口――秋月登山道の駐車場で、風月丸は五郎たちと再会した。

「死ノ儀ぃぃ! 生きてたかぁぁ! 俺は信じてたぜぇぇ!」

 路傍の切り株に座っていた五郎は、風月丸の姿を認めるや、ボロボロになったカッターシャツ姿のままで立ち上がり、風月丸の凱旋を出迎えた。その五郎の姿があまりにもボロをまとっていたので風月丸は唖然とした。

「無事だったか、五郎!」

「ご覧のとおりよ。麒族はいなかったが亡霊人の団体に襲われてよ……だが、おれの正拳突きの前にゃ、亡霊人もシオシオだったぜ」

 そう言う五郎の両手は血にまみれていた。もちろん亡霊人のものではない。五郎自身の血だ。一体、何発の正拳突きを繰り出す羽目になったのか――安易に脱出策を命じた風月丸は責任を覚えた。

「そんな顔すんなよ、死ノ儀――ほら、時女宵子なら正真正銘の無傷だ。すり傷一つないぜ」

 五郎の切り株のそばに宵子が横たわっている。

 一応、五郎の学ランがマット代わりに敷いてあるのは、五郎なりの気配りなのだろう。

 宵子は少し背中を丸くするような体勢で深く眠っていて、目覚める気配はない。

 風月丸は宵子の髪の毛を優しく撫でてみたが、寝息は小さなままだった。

『やはりな……』と風月丸は思った。「鞘人」となった宵子は、鬼包丁を抜いている間の意識がないのだ。

 風月丸は持ち帰った鬼包丁を宵子の胸に――特に心臓とおぼしき場所に突き立てた。

 五郎が慌てて止めに入ったが、こうする理由を説明すると半分くらいは理解してくれたようだ。

 あらためて宵子の胸に鬼包丁を突き立てる。すると力を込めるまでもなく、鬼包丁はスルスルと彼女の胸の中に吸い込まれていった。やがて刀身の全てを飲み込むと、柄の部分まであっという間に消え失せてしまった。

 宵子はこれから「鞘人」として生きていくことになるだろう。

 風月丸とは切っても切り離せない存在として、彼女も戦いの場へ赴くことになる。

 それは決して幸せな未来とは言えない。

 だが、それが時女の娘として生まれた業なのだ。風月丸もまたそうであるように。

 宵子のまつげがピクリと動いた。目覚めのときが来たのだ。

 まっすぐに天を見据えたまま、大きな瞳を見開く宵子。

 しばし不思議そうな表情で戸惑いを見せていたが、目の前にいるのが風月丸だと気付くと、その表情は一転して柔らかいものになった。

 宵子の唇が動いた。

「風月丸……いいえ、死ノ儀くん」

「ああ」

「おかえりなさい」

 そのとき、控えめなクラクションとともに白いリムジンが現れた。

 約束の夜明けが訪れたのだ――。

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