第08話 夜闇に散る
「たった四十九柱に減らされた一流麒族の命だ。大切に使わないとね」と餓鸞童子。
そう言うと餓鸞童子は刀を――鬼包丁を風月丸に向かって正対に構えた。
対する風月丸は鬼包丁を上段に構える。
「へぇ……秒殺しないつもりなんだね。きみにもまともな剣戟が出来るんだ」
「一〇〇パーセント我流だがな」
「どんな流派も最初は我流だよ。僕はそんな渡殺者たちをたくさん見て、たくさん屠ってきた」
言うや、餓鸞童子が斬り込んできた。風月丸はその刃を鬼包丁で上からはたく。
間髪入れずに餓鸞童子の次の斬撃が展開する。風月丸はそれを真っ向から受けきった。
しのぎを削るそれぞれの鬼包丁。
風月丸と餓鸞童子の視線が合わさる。
「風月丸――僕はきみをカミヤムネの人柱にしてはどうかと考えているんだ。その強靱な魂の素晴らしさは僕からも保証をつけさせてもらうよ。自らの引き金で美鶴神社を崩壊させるなんて、きみにとってこれ以上の絶望はないだろう?」
「俺はお前を割ることしか考えていない。お前の未来にあるのは虚無だ。絶望すら与えるつもりはない」
「どちらも残酷な話だね。所詮、麒族と人間が考えることだ。どうしても似通ってしまうのだろう」
言うや、餓鸞童子が風月丸を鬼包丁ごとはね飛ばした。同じ得物なら、膂力で勝る餓鸞童子のほうが圧倒的に有利だ。
風月丸はギリギリで体勢を立て直してその攻撃に耐えたが、それも一瞬のこと。餓鸞童子は背中の羽根を広げると一気に風月丸を攻め立てた。羽根が巻き起こす旋風に巻き込まれ、呼吸もままならない風月丸。防戦一方で反撃のきっかけをつかめずにいる。
だが、餓鸞童子の羽ばたきが弱まった一瞬の隙をついて、風月丸が前に出た。
力任せの連打で、鬼包丁を餓鸞童子に何度も叩き付ける。ところが餓鸞童子はそのすべてを同じく鬼包丁で受けきってみせた。
鬼包丁同士がぶつかり合う金属音が夜の山中に響き渡る。その音は終わりなく続くかのようであった。
剣戟では、風月丸と餓鸞童子は互角だった。
そして――。
奇しくも両者は同時に鬼包丁を腰だめに構えた。秒殺の体勢である。
だがそのとき、カミヤムネの赤い輝きが光度を増した。
「がっ……!」
餓鸞童子が吐血した。周囲が赤い光で満たされているので判別しづらいが、確かに赤い血を吐いたようだ。
それでも餓鸞童子は構えを崩さない。
「なるほどね……カミヤムネが暴走を始めたというわけか。あいつら、こうなることを知ってたな――」
言うと、再び血を吐く餓鸞童子。たまらず顔を伏せる。
カミヤムネを包んでいる禍々しく赤い惹麒空間の光がさらに輝きを増した。そしてそれは、この空間にいる全ての生命体に災いを及ぼし始めた。そのダークエナジーは餓鸞童子だけではなく風月丸の肉体をも蝕み、重度の頭痛と共に鼻血や吐血を誘発させる。餓鸞童子の呪詛も相まって、もはや風月丸の肉体と精神はボロボロだった。
「……くそっ」
風月丸は血まみれの口元を手でぬぐった。
このままでは共倒れになってしまう。風月丸は鬼包丁を再び腰だめに構えた。
カミヤムネの暴走。おそらく想像以上に残された時間は少ないはずだ。
この一斬で全てを終わらせなければ――と、風月丸の全身に緊張が走る。
その気配を察したのか、餓鸞童子がこちらを向いた。だがその眼球は巨石の輝きと同じ赤色に染まっていて感情がない。再び三〇〇〇柱の在留思念に取り込まれたのか? もはや餓鸞童子に自我は残されていないようだった。ただカミヤムネの暴走をになう依り代と化しているのだ。
風月丸は、赤い輝きの中で大きく跳ねた。
対する餓鸞童子もまた本能的にこちらへ向かって跳んでみせる。
空中で相まみえる二人の剣士。
二つの太刀筋は互いの胴体を両断する軌道を描いている。
「秒殺!!」
「風月丸! 死して償え!」
その言葉を発したのは、餓鸞童子だったのか、三〇〇〇柱の残留思念だったのか。
激突する鬼包丁と鬼包丁。正真正銘、互角の「格」を持つ銘刀同士は、真っ向からぶつかりあってもなお、わずかに欠けることすらなかった。
「ぐっ!」
風月丸は渾身の力を振り絞って鬼包丁を押し込んだ。その力強さを示すように、刀身から青白い輝きが放たれる。それは真っ赤な惹麒空間の中にあってなお、まぶしいほどに輝く青だった。時女宵子の両親――刀匠としての残留思念が鬼包丁にさらなる力を分け与えているのだ。
「その思い、受け取った!」
ぐぐっ! と風月丸の鬼包丁が一気に力押しした。その衝撃で餓鸞童子の鬼包丁に亀裂が走る――そして一瞬の後、その刀身は粉々に粉砕した。麒族に奪われた第十三代目の鬼包丁、その命の炎が燃え尽きた瞬間だった。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
風月丸は力の限り鬼包丁を振り切る。
「秒殺!!」
ひときわ大きな破砕音があたりに響き渡った。
ガシャーーーーン!
風月丸の会心の一撃は、餓鸞童子の身体を完全に砕ききった。その五体の全てが細かな欠片となって宙を舞う。
飛び散った欠片たちは赤い光に照らされて、まるでルビーのように輝いている。直前まで麒族という生者の肉体を構成していたとは思えないほど硬質な輝きだ。しかしそれも束の間、餓鸞童子の死と共にカミヤムネの暴走は収束に転じ、あたりの景色が本来の色彩を取り戻していく。惹麒空間は霧散し、じきにそのルビーのような欠片たちも、いつもの白磁に似た色合いに変わっていった。
風月丸は鬼包丁を一振りした。
ついに餓鸞童子との決着をつけたのだ。
風月丸にとって餓鸞童子は最も因縁深い麒族だ。まさに史上最大の強敵であったと言っても過言ではない。なにせ三十八代にも渡る激戦を繰り広げてきたのだから。
それほどの麒族でありながら、その最期はほかの者たちと何ら変わることはない平凡なものだった。
それがなぜだか虚しい。
足もとに散らばる餓鸞童子の欠片たちが何かを語ることはもうない。すでに怨嗟の情念も何もかもが散ってしまっていて、欠片はただの欠片に過ぎなかった。
餓鸞童子という存在はこの世から完全に消え失せてしまったのだ。
この喪失感は一体何だろう。
風月丸は何だかやりきれない気持ちになった。
いつか今日のことを振り返ったとき、それが特別な日だったと回顧することはあるだろうか? これからの戦いの日々の中で、餓鸞童子以上に因縁めく相手と向き合うことはあるだろうか?
全ては未来のことゆえに、今の風月丸には分からない。分かる必要もないのだろう。
いつしか風月丸は無我の境地に達していた。
そして餓鸞童子の呪詛にやられた彼もまた、再び血を吐いてその場に崩れ落ちた。
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